幼少時代の重要で人格を形成する印象(感銘)-孤独のなかの瞑想

BR-9YR 父と母は亡くなっていたので,私はよく両親はどんな人たちだったろうかと思いめぐらしたものである。孤独の中私は,一人でしばしば庭を歩きまわり,交互に,鳥の卵を集めたり,どんどん過ぎ去ってゆく時間について瞑想したりした。もし自分自身の思い出(記憶)をもとに判断してよければ,幼少時代の重要で人格を形成する印象(感銘)は,子供らしく何かに夢中になっている最中のほんの一瞬だけ意識にのぼってくるにすぎないし,またそれは決して大人には話さないものである。どんなことでも外部から強いられてするということはない(漫然といろいろなものを観察する)幼少時代は,若い時代のうちでも重要な時期である私は思う。なぜなら,その時期は,こうした見た目には一瞬であるが,しかし実は(生涯消えることのない)必要不可欠な印象を形成する時間を与えるからである.(写真は9歳の時のラッセル)

My father and mother were dead, and I used to wonder what sort of people had been. In solitude I used to wander about the garden, alternately collecting birds’ eggs and meditating on the flight of time. If I may judge by my own recollections, the important and formative impressions of childhood rise to consciousness only in fugitive moments in the midst of childish occupations, and are never mentioned to adults. I think periods of browsing during which no occupation is imposed from without are important in youth because they give time for the formation of these apparently fugitive but really vital impressions.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 1, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB11-050.HTM

[寸言]
sidehara_shougen-kaizan 幼い子供が,誰からも強制されることなく,何かに夢中になっている時間の貴重さ
美しい文章だと思いますが,・・・。

「三つ子の魂百まで」という諺がありますが,幼少時代の体験や経験は,普通,人が思うよりも,のちのちまで影響を与えるゆえに,重視する必要があるということ。

民主主義の時代にあっても,権力者や保守主義者たちは,あまり疑いをもたない幼少期に,上に立つ者に都合のよい,即ち権力者に従順な,道徳観や感性ををもった国民づくりをしたいと,(自覚はしていないかも知れないですが)本能的に思うのではないでしょうか?
だから、たとえば、小学館版『(まんが)日本の歴史』第20巻のような歴史的事実の改ざんなんかも行われたりしてしまうんでしょう。