「公には」男女同権だが・・・

 男性の(女性に対する)優越性の信念は,今では公的には西洋諸国で死に絶えている(消滅してい)るが,それは高慢(うぬぼれ)という罪の,好奇心をそそる(興味深い)一例である。男性がより優れた筋肉をもつこと以外には,男性が生まれつきに何らかの優越性をもっていると信じる理由はまったくない,と私は考える。
私はかつて多数の血統証付き(系図付き)の牡牛を飼っているところへいった時のことを記憶しているが,その牡牛を有名にしたのは,その牝(めす)の系統(注:母方)の祖先がいちじるしい授乳能力(milk-giving qualities 乳を与える優秀さ)をもつことであった。もしも牡牛たちが(自ら)系図をつくっていたとすれば,それは非常に違ったものになっていたことであろう。牝(めす)の祖先についてはおとなしくて有徳であったということ以外にはなにも書かれず,しかるに,牡(おす)の祖先たちは戦闘能力に優れていたと讃えられるであろう。
牛の場合には,我々は両性の相対的長所について,公平な見方ができるが,我々自身の種(人間)については,それがずっと困難だということがわかる。
昔は,男性の優越性は簡単に証明された。なぜなら,もし女性が自分の夫の優越性を疑ったならば,夫は妻をなぐることができたからである。このような点における優越性から,他の点における優越性もまた当然でてくると考えられた。男は女より理性的であり,より発明の才をもち,感情に動かされることがより少ない,などということになる。解剖学者たちは,女性が選挙権を獲得するまで,男性の知的能力は女性の知的能力に勝ることを示そうとして,大脳の研究から種々の巧妙な議論を展開していた。それらの議論は次々に誤りであることが証明されていったが,いつも同種の(男の方がすぐれているという)結論がひきだされる新らしい論拠が出されるのであった。たとえば男の胎児(fetus)は,生後6週間に魂を獲得するが,女性胎児は3ケ月後に(ようやく)魂を獲得する,と考えられたものである。この意見もまた,女性が投票権を得てからは,捨て去られてしまった。(中世の哲学者)トマス・アクィナスは,まったく明白なことのように,男は女よりも理性的である,と挿入句の中で述べている。私自身は,その証拠をまったく見つけられない。ある少数の個人は,ある種の若干の方向に合理性のかすかなひらめきをもっているが,私が観察する限り,そのようなひらめきは女性よりも男性の方により広範にみられることはまったくない。

The belief in the superiority of the male sex, which has now officially died out in Western nations, is a curious example of the sin of pride. There was, I think, never any reason to believe in any innate superiority of the male, except his superior muscle. I remember once going to a place where they kept a number of pedigree bulls, and what made a bull illustrious was the milk-giving qualities of his female ancestors. But if bulls had drawn up the pedigrees they would have been very different. Nothing would have been said about the female ancestors, except that they were docile and virtuous, whereas the male ancestors would have been celebrated for their supremacy in battle. In the case of cattle we can take a disinterested view of the relative merits of the sexes, but in the case of our own species we find this more difficult. Male superiority in former days was easily demonstrated, because if a woman questioned her husband’s he could beat her. From superiority in this respect others were thought to follow. Men were more reasonable than women, more inventive, less swayed by their emotions, and so on. Anatomists, until the women had the vote, developed a number of ingenious arguments from the study of the brain to show that men’s intellectual capacities must be greater than women’s. Each of these arguments in turn was proved to be fallacious, but it always gave place to another from which the same conclusion would follow. It used to be held that the male fetus acquires a soul after six weeks, but the female only after three months. This opinion also has been abandoned since women have had the vote. Thomas Aquinas states parenthetically, as something entirely obvious, that men are more rational than women. For my part, I see no evidence of this. Some few individuals have some slight glimmerings of rationality in some directions, but so far as my observations go, such glimmerings are no commoner among men than among women.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
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<寸言>
先進国においては,「公には」男女同権だと誰もが認めているが,「公以外の場面では,それと気づかれないように男女の差がつけられ,男の自尊心に対し「おもいやり」が施されている安倍総理だって,安倍総理が好きな女性も,同様に、公では「女性活躍・・・」とか言って(「男性活躍」なんて言葉は絶対に使われない)、女性を大事にしているように見えて、その実、・・・。。

十分な理由がないからこそ「信じる」-自国民の他国民に対する優越(感)

 ある人種の他の人種に対する優越は,いまだかつて十分な理由から信じられたことはほとんどない。そのような信念が執拗に存続しているところでは,その信念は軍事的優越によって活かし続けられているのである。日本人が(軍事的に)勝利を続けている限りは,日本人白人に対し軽蔑心を抱いて楽しんだのであり,それは日本人が弱かった間に白人日本人に対して感じていた軽蔑心の裏返し(対応物)であった。しかし,時々,優越感が軍事力となんの関係ももたない場合がある。ギリシャ人たちは,野蛮人ら(barbarians 異国の民・蛮族)が戦闘力において自分たちより勝っていた時でさえ,彼等を軽蔑したのである。ギリシャ人の間でより啓蒙された人々は,主人がギリシャ人で奴隷が野蛮人である限りは奴隷制を正当化できるものとみなしたが,そうでなければ自然に反するものであると考えた。古代のユダヤ人は,彼等自身の人種的優越性について,まったく特異な信仰をもっていた。キリスト教が国家宗教となって以降,異教徒たち(注:Gentiles ユダヤ人から見た「異教徒」。ここではキリスト教徒のこと)はユダヤ人に対する自分たちの優越性への同様に非合理的な信念をもってきた。この種の信念はまさに限りない弊害を生じさせるものであり,それを根絶させることは教育の目的の一つでなければならないが,現在,実際にはそうなっていない。少し前の方で,私は,英国人インド住民を扱うさいにとる優越的態度にふれたが,それは当然のこと,インドにおいて憤激をひき起したものである。しかし,(インドの)カースト制度は北方の「優越した」諸民族があい次いで侵入してきた結果,発生したものであり,その制度のいかなるものも,白人の傲慢さと同様に嫌悪すべきものである。

The superiority of one race to another is hardly ever believed in for any good reason. Where the belief persists it is kept alive by military supremacy. So long as the Japanese were victorious, they entertained a contempt for the white man, which was the counterpart of the contempt that the white man had felt for them while they were weak. Sometimes, however, the feeling of superiority has nothing to do with military prowess. The Greeks despised the barbarians, even at times when the barbarians surpassed them in warlike strength. The more enlightened among the Greeks held that slavery was justifiable so long as the masters were Greek and the slaves barbarian, but that otherwise it was contrary to nature. The Jews had, in antiquity, a quite peculiar belief in their own racial superiority; ever since Christianity became the religion of the State Gentiles have had an equally irrational belief in their superiority to Jews. Beliefs of this kind do infinite harm, and it should be, but is not, one of the aims of education to eradicate them. I spoke a moment ago about the attitude of superiority that Englishmen have permitted themselves in their dealings with the inhabitants of India, which was naturally resented in that country, but the caste system arose as a result of successive invasions by ‘superior’ races from the North, and is every bit as objectionable as white arrogance.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
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<寸言>
人種的及び文化的優越感が軍事的優越と結べ就くと最悪となる。

他国民や他民族に対するヘイトスピーチ

 人種的高慢(うぬぼれ)は,国民国家的高慢よりももっと有害でさえある。私は中国に滞在していたとき,教養ある中国人が幸運にも私が会うことのできた他のいかなる人間よりも,おそらく、より高度に文明的である事実に,心を打たれたものである。それにもかかわらず,私は,皮膚が黄色いということだけで,最良の中国人をも軽蔑する多くの粗野で無知な白人を見いだしたのである。一般的に言って,この点では,英国人の方がアメリカ人よりもより非難さるべきであったが(注:あくまでも1946年時点),それには例外もあった。かつて私は,とても博学なある中国人の学者と一緒だった。彼の学識は伝統的な中国のものばかりでなく,西洋の大学で教えられているような種類の学問をも含んでおり,その教養の広さは,とうてい私が匹敵しうるところでない人物であった。彼と私は自動車を借りるために,ある車庫へ一緒に入っていった。そこの車庫の所有者は悪いタイプのアメリカ人であり,私のこの中国人の友人を不潔なものであるかのように扱い,(この中国人は)日本人だろうと言って軽蔑するように非難し(たので),その無知な悪意で私の血は怒りで煮えくり返った。インド在住の英国人の同様な態度は,彼らの政治的権力のためにより悪化しており,インドにおいて英国人と教養あるインド人との間に起る摩擦の主要な原因の一つであった。

Pride of race is even more harmful than national pride. When I was in China I was struck by the fact that cultivated Chinese were perhaps more highly civilized than any other human beings that it has been my good fortune to meet. Nevertheless, I found numbers of gross and ignorant white men who despised even the best of the Chinese solely because their skins were yellow. In general, the British were more to blame in this than the Americans, but there were exceptions. I was once in the company of a Chinese scholar of vast learning, not only of the traditional Chinese kind, but also of the kind taught in Western universities, a man with a breadth of culture which I scarcely hoped to equal. He and I went together into a garage to hire a motor car. The garage proprietor was a bad type of American, who treated my Chinese friend like dirt, contemptuously accused him of being Japanese, and made my blood boil by his ignorant malevolence. The similar attitude of the English in India, exacerbated by their political power, was one of the main causes of the friction that arose in that country between the British and the educated Indians.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
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<寸言>
自国においてしいたげられていても,国や人種が違うということだけで(他国民や多民族を)罵倒(ヘイトスピーチ)できれば,個人的な反撃をくわずに,不合理な優越感にひたることができる。

高慢やおごりは偏見や誤解を生む母である -裸の王様(為政者)たち

 政治的に有害である誤まった信念を生じさせるもう一つの情熱高慢(pride うぬぼれ) 国籍,人種,性,階級,あるいは,信条に対する高慢(うぬぼれ)- である。私が小さい時,フランスはいまだ英国の伝統的な敵国とみなされており,また、1人の英国人は3人のフランス人をやっつけることができるということを,疑問の余地のない真理である,と思った。(だが)ドイツが敵国となると,この信念は修正され,英国人フランス人が,蛙を喰う傾向があるのを嘲笑することを止めてしまった(注:フランスはドイツと戦ってくれる「味方」になったため)。しかし、英国政府のさまざまな努力にもかかわらず,フランス人を自分たちと同等な人間であると本当に考えるようになった英国人は,ごくわずかしかいなかった,と私は思う。アメリカ人や英国人は,バルカン諸国についてよく知るようになると,ブルガリア人セルビア人との間に,あるいはハンガリア人ルーマニア人との間に,相互に敵意をもっていることを学ぶと,驚くとともに軽蔑心を感じる。彼ら(アメリカ人と英国人)にとって,それらの(小国同士の)敵意は馬鹿げたものであり,またそれら小国のそれぞれがみずからの(相手国に対する)優越を信じていることには,まったく客観的根拠がないことはあきらかだと思う。しかし彼ら(英米人)の大部分は,大国の国民的自尊心(うぬぼれ)が.バルカン半島の小国のそれと同様に,本質的に正当化しえないものであることにまったく気づくことができないのである。

Another passion which gives rise to false beliefs that are politically harmful is pride – pride of nationality, race, sex, class, or creed. When I was young France was still regarded as the traditional enemy of England, and I gathered as an unquestionable truth that one Englishman could defeat three Frenchmen. When Germany became the enemy this belief was modified and English people ceased to mention derisively the French propensity for eating frogs. But in spite of governmental efforts, I think few Englishmen succeeded in genuinely regarding the French as their equals. Americans and Englishmen, when they become acquainted with the Balkans, feel an astonished contempt when they study the mutual enmities of Bulgarians and Serbs, or Hungarians and Rumanians. It is evident to them that these enmities are absurd and that the belief of each little nation in its own superiority has no objective basis. But most of them are quite unable to see that the national pride of a Great Power is essentially as unjustifiable as that of a little Balkan country.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
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<寸言>
高慢,傲慢,うぬぼれ,おごり,いわれなき優越感,偽善,嘘,無知,知性に対する軽蔑,へつらい,権力者に対する忖度,「由らしむべし知らしむべからず」の政治や政治家・・・,それを許してきた国民・・・。
そう,国民は,自分たちにふさわしい政治家を選んでいる。

アメリカ、ファースト!-経済的ナショナリズムの哲学の末路

 今や世界中を通じて見られる経済的ナショナリズムの全哲学は(注:トランプのアメリカ・ファースト,英国のEU離脱、各国における自国第一の右翼勢力台頭の動き),次のような誤まった信念に基礎をおいている。すなわち一国の経済的利害は必然的に他国のそれと対立するという信念である。この誤まった信念は,国際的な憎悪と対立を生み出すことによって,戦争の原因となり,そうしてみずから(誤った信念)を真ならしめる(真理だと思わせる)傾きをもつ。なぜなら,ひとたび戦争が勃発すれば,国家的利害の衝突はあまりにも現実的なものになるだけだからである。たとえば製鉄業に従事する誰かに,他の諸国の繁栄がおそらくあなたにとっても有利となるだろう,ということを説明しようとしても,当人にその議論(論拠)をわからせることはまったく不可能であることがわかるだろう【例:トランプの支持基盤のラストベルト「錆びた工業痴態)。なぜなら彼がいきいきと意識している唯一の外国人というのは製鉄業に従事している競争相手だからである。(競争相手以外の)他の外国人などは,彼がまったく情緒的的関心を抱かない影のような存在なのである。これが,経済的ナショナリズムや戦争や人為的な飢餓などの心理的根源であり,また,人々が自分たちお互いの関係について,より視野が広くよりヒステリックでない見方をするように導びけない限り,我々の文明に悲惨で恥ずべき終えんをもたらすような,その他あらゆる悪弊の根源となっているのである。

The whole philosophy of economic nationalism, which is now universal throughout the world, is based upon the false belief that the economic interest of one nation is necessarily opposed to that of another. This false belief, by producing international hatreds and rivalries, is a cause of war, and in this way tends to make itself true, since when war has once broken out the conflict of national interests becomes only too real. If you try to explain to someone, say, in the steel industry, that possibly prosperity in other countries might be advantageous to him, you will find it quite impossible to make him see the argument, because the only foreigners of whom he is vividly aware are his competitors in the steel industry. Other foreigners are shadowy beings in whom he has no emotional interest. This is the psychological root of economic nationalism, and war, and man-made starvation, and all the other evils which will bring our civilization to a disastrous and disgraceful end unless men can be induced to take a wider and less hysterical view of their mutual relations.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0861HARM-100.HTM

<寸言>
America First! の不都合な結果がわかるのは、2,3年後かも知れないが,それがわかった時には、アメリカの世界における地位の相対的低下がはっきりすることであろう。

過当競争をなくすために「独占」状態をめざす?

 我々人間が妬み(ねたみ)がちであることの最も不幸な結果の一つは,それが経済的私利 -個人的及び国民的の,両方の- に関するまったく誤まった考え方をもたらしてきたことである。
一つの喩え話でそれを例証してみよう。
むかしむかし,ある中ぐらいの大きさの町があって,そこにはかなりの肉屋,かなりのパン屋,その他が住んでいました(注:a number of かなりの/市井訳では「一定量の」と訳されている)。並外れて精力のある一人の肉屋が,他のすべての肉屋がつぶれて自分が独占業者になれば,ずっと大きな利益をあげられるだろう,と心に決意しました。そこで他の店(競争相手)より組織的に安く売ることによって,彼はその目的を達成するのに成功しました。ただし,その(厳しい競争の)間に,彼の損失はひどくなり,資本や信用をあやつる能力はほとんどなくなってしまいました。同時に,ある一人の精力的なパン屋が,同じ考えを持っていて,同様な成功をかち得るまでやりぬきました。消費者たちに品物を売ることで生計をたてているあらゆる業種(商い)で,同じことが起こりました。
成功した独占業者(店主)はすべて,大金を稼げる(裕福になれる)という幸福な予想をしていました。しかし,不幸なことに,破産した肉屋たちはもはやパンが買えず,また,破産したパン屋たちはもはや肉を買えない状況でした。彼らの使用人たちは解雇されなければならず,その使用人たちはどこかに行ってしまいました。結局のところ,(消耗戦に勝った)例の肉屋やパン屋だけが独占業者となりましたが,売りあげは以前よりも減ってしまいました。自分は競争相手から被害を被るかも知れないけれども,自分のお客たちから利益を得ているのであり,繁栄の一般的水準が向上すれば,お客の数はもっと増えてくる,ということを彼らは忘れていました。妬みから彼らは注意力を競争相手に集中させ,みずからの繁栄がお客たち(顧客)に依存しているという側面をまったく忘れていたのでした。(おしまい。)

One of the most unfortunate results of our proneness to envy is that it has caused a complete misconception of economic self-interest, both individual and national. I will illustrate by a parable. There was once upon a time a medium-sized town containing a number of butchers, a number of bakers, and so forth. One butcher, who was exceptionally energetic, decided that he would make much larger profits if all the other butchers were ruined and he became a monopolist. By systematically under-selling them he succeeded in his object, though his losses meanwhile had almost exhausted his command of capital and credit. At the same time an energetic baker had had the same idea and had pursued it to a similar successful conclusion. In every trade which lived by selling goods to consumers the same thing had happened. Each of the successful monopolists had a happy anticipation of making a fortune, but unfortunately the ruined butchers were no longer in the position to buy bread, and the ruined bakers were no longer in the position to buy meat. Their employees had had to be dismissed and had gone elsewhere. The consequence was that, although the butcher and the baker each had a monopoly, they sold less than they had done in the old days. They had forgotten that while a man may be injured by his competitors he is benefited by his customers, and that customers become more numerous when the general level of prosperity is increased. Envy had made them concentrate their attention upon competitors and forget altogether the aspect of their prosperity that depended upon customers.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0861HARM-090.HTM

<寸言>
各業界でダントツ一位になれば,安定的に企業運営ができると考え,多くの企業が独占に近い状態を目指して過当競争をよくします。強力な競争相手(例:花王×ライオン)がいるほうが切磋琢磨ができてよいと思う一方、競争状態が続くとストレスがたまるので、どうしても、独占に近い状態をめざして安定・安心した経営ができるように目指します。結局は、過当競争は、長い目でみれば、その企業にとっても、消費者にとっても、益が少ないことがわかります。

「妬む」と「痛む」,そうして,痛みを解消しようとして・・・

 誤った信念を産む最も強力な源泉の一つは,妬み(ねたみ)である。いかなる小さい町においても,もし比較的裕福な人々に尋ねてみれば,彼等はみな隣人の収入を誇張して考えており,そのことから隣人をケチ(meanness)だと非難することを正当化しているのがわかる(正当化しているのを見いだす)だろう。
女性の嫉妬は男たちのあいだではよく知られている。しかし,大規模な事務所(職場)ならどこにおいても,まさに男性職員の間に同様の種類の嫉妬を見いだすであろう。(その職場の)男性職員の一人が昇進すると,他の男たちは次のように言うだろう。「ふん,あいつはお偉方に取り入る術を心得ているよ。もし私が自分を堕落させて,あいつが恥知らずにやったようなへつらい術を使っていたら,私もあいつとまったく同じように早く出世できたはずだ。たしかにあいつの仕事ぶりには線香花火のような才気(a flashy brilliance,)はあるが,堅実さに欠けている。それゆえ,遅かれ早かれ,お偉がたは自分らの判断(昇進させたこと)の間違いに気づくだろう。」。
凡庸な男性はみな,もし(たとえ)本当にできる男がその才能に値する程度に早く昇格を認められたとしてもそのように言うだろう。
(注:ラッセル『人類の将来ー反俗評論集』の中の市井三郎訳では,「このように凡庸なすべての人々は、本当にできる男がその才能の値する程度に早く昇格できるようになればよい,というだろう」となっている。all the mediocre men will say so が倒置されて ‘So’ が先頭に来ているわけだが、‘if’ は ここでは ‘even if’ の意味であることを捉え損なっていると思われる。)
そしてこの理由から,年功序列制度を採用する傾向があるわけであり,それは功績とはなんの関係ももたないので,同様の妬みによる不満を生じさせないからである。

One of the most powerful sources of false belief is envy. In any small town you will find, if you question the comparatively well-to-do, that they all exaggerate their neighbors’ incomes, which gives them an opportunity to justify an accusation of meanness. The jealousies of women are proverbial among men, but in any large office you will find exactly the same kind of jealousy among male officials. When one of them secures promotion the others will say: ‘Humph! So-and so knows how to make up to the big men. I could have riser quite as fast as he has if I had chosen to debase myself by using the sycophantic arts of which he is not ashamed. No doubt his work has a flashy brilliance, but it lacks solidly, and sooner or later the authorities will find out their mistake.’ So all the mediocre men will say if a really able man is allowed to rise as fast as his abilities deserve, and that is why there is a tendency to adopt the rule of seniority, which, since it has nothing to do with merit, does not give rise to the same envious discontent.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0861HARM-080.HTM

<寸言>
お偉方に取り入る術とは,今の日本で言えば、お偉方の気持ちを推し量って,お偉方の気に入るような言動をすること、ということになります。忖度は「思いやり」だから悪くないと強弁する人もいますが、通常、「忖度」は上位の者に対するものであり,「思いやり」は下位の者や弱い者に対して使われます。ヒラメのように上ばかり見る人間が増えると困ったものです。

禁欲の裏返し(穴埋め)としての迫害

 ・・・。旧約聖書の中には,征服した民族を完全に絶滅させることが宗教的義務であり,彼等の(彼らの飼っている)牛や羊でさえ容赦することは神への不信心(不敬)になる,と書かれている。来世(あの世)における暗い恐怖(地獄の責め苦)や災難(という考え)は,エジプト人やエトルリア人(注:イタリア半島中部の先住民族)に圧迫感を与えていたが,そのような考えはキリスト教の勝利によって絶頂に達したのである(参考:キリスト教の地獄思想)。陰うつな聖者たちは,感覚的な快楽をすべてひかえ,砂漠の中に孤独に暮らし,肉や酒や女性と接触(交際)することを避けていたが,それにもかかわらず,あらゆる快楽をひかえることを義務付けられていたわけではなかった。(即ち)精神の快楽肉体の快楽よりも優れたものと考えられ,異教徒や異端者に対し来世(あの世)で加えられる永遠の責め苦を冥想することは精神の快楽のうちで高い位置を与えられていた。禁欲主義が,感覚的なもの以外の快楽は無害だとしたのは,禁欲主義の欠点の一つであり,実際のところ,最善の快楽ばかりではなくまさに最悪の快楽もまた,純粋に精神的なもの(肉体的な要素がまったくないもの)なのである。ミルトンの描いた悪魔(ミルトン『失楽園』の中の悪魔)が,人間にどのような害悪を加えうるかを考えている時の悪魔の快楽を,検討してみよう。ミルトンはその悪魔に,次のように言わせている。

心にはそれ自身のための場所がある。そして心は自らのうちに
 地獄から天国をつくり,また天国から地獄を作り出す

また,この悪魔の心理は,呪われた人々の苦しみを天国から眺められるだろうという想いに大喜びしたテルトゥリアヌス(注:Tertullian カルタゴの神学者)の心理と,それほど異なっているわけではない。感覚的快楽を禁欲主義的に軽視することは,親切心や寛容な心,あるいは人間性に関する非迷信的な考え方が我々を望むように導くような,その他のいかなる美徳をも助長したことはこれまでなかった。それとは逆に,人間が自分自身に責め苦を課する場合には,そのことによって自分は他の人々を苦しませる権利をもつのだと感じ,その権利を強化させるような教義ドグマ)なら,いかなるものも受け容れようという気にさせるのである。

The most obvious case as regards past history is constituted by the beliefs which may be called religious or superstitious, according to one’s personal bias. It was supposed that human sacrifice would improve the crops, at first for purely magical reasons, and then because the blood of victims was thought pleasing to the gods, who certainly were made in the image of their worshippers. We read in the Old Testament that it was a religious duty to exterminate conquered races completely, and that to spare even their cattle and sheep was an impiety. Dark terrors and misfortunes in the life to come oppressed the Egyptians and Etruscans, but never reached their full development until the victory of Christianity. Gloomy saints who abstained from all pleasures of sense, who lived in solitude in the desert, denying themselves meat and wine and the society of women, were, nevertheless, not obliged to abstain from all pleasures. The pleasures of the mind were considered to be superior to those of the body, and a high place among the pleasures of the mind was assigned to the contemplation of the eternal tortures to which the pagans and heretics would hereafter be subjected. It is one of the drawbacks to asceticism that it sees no harm in pleasures other than those of sense, and yet, in fact, not only the best pleasures, but also the very worst, are purely mental. Consider the pleasures of Milton’s Satan when he contemplates the harm that he could do to man. As Milton makes him say:
The mind is its own place, and in itself
Can make a heav’n of hell, a hell of heav’n.
and his psychology is not so very different from that of Tertullian, exulting in the thought that he will be able to look out from heaven at the sufferings of the damned. The ascetic depreciation of the pleasures of sense has not promoted kindliness or tolerance, or any of the other virtues that a non-superstitious outlook on human life would lead us to desire. On the contrary, when a man tortures himself he feels that it gives him a right to torture others, and inclines him to accept any system of dogma by which this right is fortified.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0861HARM-040.HTM

<寸言>
宗教はいかに多くの害悪を及ぼしてきたことか。特定の宗教の信者は,自分が信じている宗教はよいことをたくさんしてきたが,他の宗教は邪教であり,改宗させる必要があると考える人が多い。しかしそれは無知からの自己贔屓であろう。
影響力の少ない小規模な宗教は(オウムのような一部の例外を除いて)世の中に対し大きな害を与える力はないが,信者の多いメジャーな宗教(伝統宗教や新興宗教の大規模なもの)は,信者が知らない多くの害悪を歴史上ばら撒いてきている。キリスト教についてはよく知られているが知ろうとしない信者も少なくない。

残酷な行為を正当化する意見は残酷な衝動によって吹き込まれる

 残酷な行為を正当化する意見残酷な衝動によって吹き込まれる(引き起こされる),という主張(thesis 命題)を支持する事例を(さらに)たくさんあげることは容易であろう。現在では馬鹿げていると認識されている昔のいろいろな見解を再考してみると,十中八,九,それらが,苦しみを加えることを正当化するような見解であることがわかるであろう。たとえば,医療行為(診療行為)の例をとってみよう。
(注:安藤訳では medical practice を「医師の慣行」と訳している。これは「医師の行為」即ち,医療行為(診療行為)が適訳であろう)。
麻酔剤(anethetics)が発明された時,それは神の意向を妨害する試みなので邪悪である,と考えられた。また狂気悪魔がとりついたせいだと考えられ,狂人の心に住みついた悪魔は,狂人に苦痛を加えて悪魔の居心地を悪くさせることによって追い出すことができる,と信じられていた。このような見解が追求され,狂人たちは長い間引き続き(on end),組織的かつ’良心的な’残忍さをもって扱われたのである。誤った医学的治療(法)で,患者にとって不快であるよりむしろ快適だった,というような事例を,私は一つとして考えつくことができない。あるいはまた,道徳教育の例をとってみよう。次の詩によって,これまでどれだけ多くの残忍な行為が正当化されてきたかを考えてみよう。

犬や女房やクルミの樹は,
打てば打つほど良くなる

クルミの樹を鞭打つことによる道徳的効果について,私はまったく経験したことはない。しかし,文明人であるならば,この詩の妻に関するところを正当化する人は一人もいないであろう。罰による改善効果は,なかなか消えてなくならない信念であるが、その主な理由は,罰することがわれわれのサディズム的衝動を非常に満足させる,ということにある,と私は考える。

It would be easy to multiply instances in support of the thesis that opinions which justify cruelty are inspired by cruel impulses. When we pass in review the opinions of former times which are now recognized as absurd, it will be found that nine times out of ten they were such as to justify the infliction of suffering. Take, for instance, medical practice. When anesthetics were invented they were thought to be wicked as being an attempt to thwart God’s will. Insanity was thought to be due to diabolic possession, and it was believed that demons inhabiting a madman could be driven out by inflicting pain upon him, and so making them uncomfortable. In pursuit of this opinion, lunatics were treated for years on end with systematic and conscientious brutality. I cannot think of any instance of an erroneous medical treatment that was agreeable rather than disagreeable to the patient. Or again, take moral education. Consider how much brutality has been justified by the rhyme:

A dog, a wife, and a walnut tree,
The more you beat them the better they be.

I have no experience of the moral effect of flagellation on walnut trees, but no civilized person would now justify the rhyme as regards wives. The reformative effect of punishment is a belief that dies hard, chiefly I think, because it is so satisfying to our sadistic impulses.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0861HARM-030.HTM

<寸言>
安倍一強を背景に,いかに多くの政治家や御用評論家等が自分たちが気に入らない多くの人々に迫害を行ってきたことか・・・。その心理や真理がラッセルの言葉でよくわかる。

悪しき情熱(自分が嫌いな人間や集団を迫害したいという衝動)

 人間が相互に加える害悪,そしてそれがはね返ることによって,自分自身に加える害悪の,主要な源泉は,思想あるいは信念にあるというよりは,むしろいろいろな悪しき情熱にある,と私は考える。しかし,害をなす(有害であるような)思想や原理は,常にではないが,概して,悪しき情熱の仮面(口実)である。端者たち公衆の面前で焼かれた(火あぶりの刑に処せられた)頃のリスボンでは,時々,異端者のうちで,特に人を啓発するような変説(異端信仰撤回)をしたものには,炎の中に入れられる前に絞め殺すという恩恵が認められる事態が起こった。しかしこのことは,観衆を非常に激怒させ,そのため当局者たちは,懺悔した者(異端者)に観衆が私刑(リンチ)を加えるのを妨止し,当局者側で(規定通りの)焚刑(ふんけい)をおこなうのに非常に苦労したのである。犠牲者がもだえ苦しむのを眺めることが,事実,民衆の主な楽しみの一つだったのであり,それによって,彼等はいくらか単調な暮らしを活気づけることを期待したのである。こういった楽しみが,異端者を焚殺の刑に処するのは正しい行為であるという一般的な信念に,多大の寄与をしたことを,私は疑うことができない。
同じようなことが,戦争についても当てはまる。精力にあふれた残忍な人々は,しばしば戦争を楽しめるものだと考える。ただし,それは,勝利した戦争であり,レイプ(婦女暴行)や掠奪にあまり邪魔が入らないという条件付きである。戦争は正しい(正義のためだ),ということを人々に納得させるに当って,このことは多大の助けとなっている。
『トム・ブラウンの学校時代』の主人公であり,(英国の)パブリック・スクールの改革者だと賞讃されたアーノルド博士は,少年(生徒)を鞭で打つ罰は誤まっているという意見を持つ変人(cranks)に出あうが,その意見に対して怒りを爆発させているアーノルド博士のことを読めば,誰もが,博士は鞭打ちの刑を楽しんでいたのであり,その楽しみを奪われたくないと考えていたのだ,と結論を下さざるえないであろう。
I think that the evils that men inflict on each other, and by reflection upon themselves, have their main source in evil passions rather than in ideas or beliefs. But ideas and principles that do harm are, as a rule, though not always, cloaks for evil passions. In Lisbon when heretics were publicly burnt, it sometimes happened that one of them, by a particularly edifying recantation, would be granted the boon of being strangled before being put into the flames. This would make the spectators so furious that the authorities had great difficulty in preventing them from lynching the penitent and burning him on their own account. The spectacle of the writhing torments of the victims was, in fact, one of the principal pleasures to which the populace looked forward to enliven a somewhat drab existence. I cannot doubt that this pleasure greatly contributed to the general belief that the burning of heretics was a righteous act. The same sort of thing applies to war. People who are vigorous and brutal often find war enjoyable, provided that it is a victorious war and that there is not too much interference with rape and plunder. This is a great help in persuading people that wars are righteous. Dr Arnold, the hero of Tom Brown’s Schooldays, and the admired reformer of Public Schools, came across some cranks who thought it a mistake to flog boys. Anyone reading his outburst of furious indignation against this opinion will be forced to the conclusion that he enjoyed inflicting floggings, and did not wish to be deprived of this pleasure.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0861HARM-020.HTM

<寸言>
自分が嫌いな人間や集団を迫害したいという衝動。そういった悪しき衝動を権力者がもっていればどういうことになるか・・・。「権力者は腐敗する、絶対的権力者は絶対的に腐敗する」というアクトン卿の言葉は、今でも生きている。