(ラッセル『西洋哲学史』の序文から)
多くの哲学史が執筆され存在しているが,私の知る限り,そのいずれも,私が自分に課した目的をもっているとは言えない。哲学者は,結果であるとともに原因である。すなわち哲学者は,彼らが生きた時代の社会的環境及び政治や制度の結果であり,また(もし哲学者が幸運に恵まれれば)後世の政治や制度を形成してゆく諸信念の原因となる。大部分の哲学史においては,個々の哲学者は,真空地帯に現われる。各哲学者の意見は,せいぜい先行する哲学者の意見と関連づけられる以外は,まったく他のもの(社会環境その他)と無関係に著者によって述べられてゆく。それに反して,私は,真実の許す限り,各哲学者を彼らが置かれた環境の所産として提示するように試みた。また各人の属する社会というものに,アイマイに拡散した形態で共通している思想や感情が集中し結晶したところの人間として,哲学者を呈示しようと努めた(のである)。
There are many histories of philosophy, but none of them, so far as I know, has quite the purpose that I have set myself. Philosophers are both effects and causes: effects of their social circumstances and of the politics and institutions of their time; causes (if they are fortunate) of beliefs which mould the politics and institutions of later ages. In most histories of philosophy, each philosopher appears as in a vacuum; his opinions are set forth unrelated except, at most, to those of earlier philosophers. I have tried, on the contrary, to exhibit each philosopher, as far as truth permits, as an outcome of his milieu, a man in whom were crystallized and concentrated thoughts and feelings which, in a vague and diffused form, were common to the community of which he was a part.
出典: A History of Western Philosophy, 1945, preface.
詳細情報:https://russell-j.com/cool/38T-PREF.HTM
[寸言]
個々の哲学者の思想は,その哲学者の思想の発展・展開の歴史の形で,あるいは哲学者間の相互影響という観点で,記述され,説明されることが多い。つまり,固有・特有の時代に生きた一人の人間の思想ではなく,あたかも時代を超えた真空状態で,思想が形成されたかのような記述や説明が多い。個々の哲学者は時代の産物という側面もあるので,時代から影響を受けるとともに,(力のある哲学者の場合は)時代に影響を与えた,というように両側面から見る必要がある,というラッセルの指摘。
その思いが『西洋哲学史』として結実し,今でも世界中で読み継がれている。
ラッセルのやり方を気に入らない哲学者や哲学研究者は,ラッセルの哲学史は「読み物」であり,独断的な決め付けが多いと非難するが,無味乾燥かつオリジナリティの乏しい論文を書くことが「学術的」だと考える人は、大学でのみ生き残ることができる。彼らは哲学研究者であっても哲学者ではない,というのは言い過ぎだろうか?