年を取ってから警戒すべき危険 - 過去や子供や孫への執着

 健康に関しては,私はほとんど病気の経験がないので有益なことは何も言えない(注:ラッセルは1920年から1921年にまたがる冬にインフルエンザをこじらせたあとは,このエッセイを発表した1930年まで大病を患ったことはなかった。ただし,晩年に2、3度重病になった)。私は好きなものを何でも食べたり飲んだ入りし,眼を覚ましていられなっくなると眠る。私の好むことは,事実,たいてい健康によいものであるが,健康によいという理由(だけ)では,私は何もしない

心理学的にいえば,年を取ってから(そうならないように)警戒すべき危険が二つある。その一つは過去への不当な執着である。過去の記憶に生きること,昔のよき時代を惜しむこと,あるいは死んだ友を悲しみながら生きること,はよくない。人の思い(思考)は未来へ,またなすべき(なされるべき)物事へ向けられなければならない。これは必ずしも容易ではない。(なぜなら)自分の過去は次第に重みを増していく(からである)。自分の感情は,かつて,現在よりも生き生きしており,精神はずっと鋭敏であった,とひそかに思うことは容易である。これが真実であるならば忘れるべきであろうし,忘れられるならば多分真実ではないだろう。

もう一つの避けるべきことは,子供の生命力から活力を吸収したいと思って,子供に執着することである。子供が大人になれば彼らは自分の人生をいきたいと思う。(従って)あなたが,もし,彼らが子供だった頃彼らに抱いていたような関心の持ち方を(おとなになった)彼らに対し持ち続ければ,彼らが異常に無感覚でなければ,あなたは彼ら(子供)にとって重荷になりそうである。私は,子供に対し関心を持つべきでないといっているのではなく,人の関心は静観的(観想的)であるべきであり,また,可能ならば,(多くの人間に対し)博愛的であるべきだが,不当に情緒的であってはならない,と言いたい。動物は,子供が自活ができるようになるやいなや子供に関心をもたなくなるが,人間は幼児期が長いためにこのことが困難だと思うのである。

As regards health, I have nothing useful to say as I have little experience of illness. I eat and drink whatever I like, and sleep when I cannot keep awake. I never do anything whatever on the ground that it is good for health, though in actual fact the things I like doing are mostly wholesome.
Psychologically there are two dangers to be guarded against in old age. One of these is undue absorption in the past. It does not do to live in memories, in regrets for the good old days, or in sadness about friends who are dead. One’s thoughts must be directed to the future, and to things about which there is something to be done. This is not always easy; one’s own past is a gradually increasing weight. It is easy to think to oneself that one’s emotions used to be more vivid than they are, and one’s mind more keen. If this is true it should be forgotten, and if it is forgotten it will probably not be true.
The other thing to be avoided is clinging to youth in the hope of sucking vigour from its vitality. When your children are grown up they want to live their own lives, and if you continue to be as interested in them as you were when they were young, you are likely to become a burden to them, unless they are unusually callous. I do not mean that one should be without interest in them, but one’s interest should be contemplative and, if possible, philanthropic, but not unduly emotional. Animals become indifferent to their young as soon as their young can look after themselves, but human beings, owing to the length of infancy, find this difficult.
出典: How to grow old, 1951.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0958HTGO-020.HTM

<寸言>
子や孫や親しい人への過渡の執着を愛情と勘違いする過ち。

「年を取ってから警戒すべき危険 - 過去や子供や孫への執着」への2件のフィードバック

  1. 女性ホルモンが影響をうけるからなのか、特に女性ががらっと変わりますね。ホルモンの変化は自分の思考ではどうにもならないので、もしそうだとしたら、一概に彼らを否定できないですが。ただ子の母は最も大きなホルモンの変化、身体の変化などを経いているので、母の前ではいかなる女も子に執着することは許されないと思っています。全ては母が決めること。父親でも祖父母でもない。

  2.  生まれた子供の日常的な養育に直接的な責任を持たないといけなくなるので、「本能的に」子供を産む前とは態度を変えることになるのだろう(そのように生理的な仕組みができている)と思われます。
     なお、「母の前ではいかなる女も子に執着することは許されない」の意味が今ひとつわかりません。「子供を生んだ女性も、自分の母親の前では、自分の子供に執着することは許されない」というのも変であり、「母親」と「女」と「子」の関係がわかりません。

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