日常言語学派の不真面目さ

日常言語学派の哲学の不真面目さを)寓話によって例証してみよう。精神哲学(注:心理学の基礎づけを行う哲学)の教授を,ある朝,寝室係小使い(注:bedmaker : ケンブリッジ大学及びオックスフォード大学の教員宿舎のベッドメイキングをする担当者のこと)が部屋に立ち寄ると,彼(教授)は危険な狂乱状態になり,警察によって救急車で病院に運ばれなければならなかった。「日常の用法(日常用法)」の信奉者である同僚(教授)が,その可哀想な哲学者担当の医者その教授(患者)に起こったことについて尋ねているのを,私は聞いた(私に聞こえた)。教授は一時的な精神不安定の発作を起こしたが,一時間後におさまった,とその医者は応えた。「日常の用法」の信奉者は,医者の言葉に異議を唱えるどころか,他の質問者に対し,医者が言ったことをそのまま繰り返した。
 だが,その教授の階段室(注:オックスフォードとケンブリッジ大学で使われる言葉で,階段とそれを使う部屋の総称/右の写真の階段の上の部屋)に住んでいる私は,寝室係小使いと警官との間の次のような会話(対話)をふと耳にした(がもれ聞こえた)。

警官 「ちょっと,あなたに一言お聞きしたい」(yer = you)

寝室係小使い 「”一言”って,どういう意味ですか?(どういう意味で使われていますか?) 私は何もしていません(よ)。」(ain’t = have not)

警官 「ええ,その通りです。あなたは何かすべきでした。あなたはあの気の毒な紳士が精神病だとわかりましたか?」(pore = poor?)

寝室係小使い 「それはわかりました。一時間の間,絶え間ないひどい状態が続きました。しかし,それらが精神的なものであるときには,それらについて理解することはできません。」(understood ではなく undersand となっていることに注意)

 この短い会話で,「word(語)」,「mean(意味する)」,「mental(精神的な/精神病の)」及び「chronic(絶え間ない/持続的な)」は,すべて日常用法に従って使われているが,それらの言葉は,雑誌「マインド」(英国の著名な哲学雑誌 Mind のこと)」の各頁においては,日常用法は自分たちの信ずるものだというふりをする人たちによって,その使用法(日常用法)に合わせて使われていない。事実,彼らが信じているものは,大量観察,統計学,中位数,標準偏差や,その他の装置(用具)によって決められる日常用法ではない。彼らが信じているものは,彼らと同程度の教養を持つ,それ以上でも以下でもない教養を持つ,人々の用法である。それ以下は無学(無教育)であり,それ以上は街学的(ペダンティック/学者ぶった行為)であると,そのように我々は理解するようにさせられるのである。

(1) Insincerity

I will illustrate this by a fable. The Professor of Mental Philosophy, when called by his bedmaker one morning, developed a dangerous frenzy, and had to be taken away by the police in an ambulance. I heard a colleague, a believer in “common usage,” asking the poor philosopher’s doctor about the occurrence. The doctor replied that the professor had had an attack of temporary psychotic instability, which had subsided after an hour. The believer in “common usage,” so far from objecting to the doctor’s language, repeated it to other inquirers. But it happened that I, who live on the professor’s staircase, overheard the following dialogue between the bedmaker and the policeman:
Policeman. ‘Ere, I want a word with yer.

Bedmaker. What do you mean “A word”? I ain’t done nothing.

Policeman. Ah, that’s just it. Yer ought to ‘ave done something. Couldn’t yer see the pore gentleman was mental?

Bedmaker. That I could. For an ‘ole hour ‘e went on something chronic. But when they’re mental you can’t make them understand.
In this little dialogue, “word,” “mean,” “mental,” and “chronic” are all used in accordance with common usage. They are not so used in the pages of “Mind” by those who pretend that common usage is what they believe in. What in fact they believe in is not common usage, as determined by mass observation, statistics, medians, standard deviations, and the rest of the apparatus. What they believe in is the usage of persons who have their amount of education, neither more nor less. Less is illiteracy, more is pedantry so we are given to understand.
出典: The cult of “common usage” (1953).
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1002_CoCU-020.HTM

<寸言>
ラッセルが揶揄する「彼ら(日常言語学派の人たち)が信じているものは,彼らと同程度の教養を持つ,それ以上でも以下でもない教養を持つ,人々の用法である。それ以下は無学(無教育)であり,それ以上は街学的(ペダンティック/学者ぶった行為)である」という言葉は、皮肉がきいている。彼らにとって、自分がよく知らないこと(たとえば自然科学の最新の知識や論理学など)は「ペダンティック」であり、自分たちがよく知っていることを知らない一般人は「無教養」と映るのである。

日常言語学派(オックスフォード学派)の言語説の誤謬

 現在(注:1953年当時),英国で最も影響力を持っているる哲学の学派は,私の同意できないような言語説(学説)を主張している。(注:言語分析のみが哲学の課題であるとし,哲学の問題とされているものはほとんどが間違った言語使用からきたものであるとする主張当時の英国哲学を支配していた立場。この立場は,日常言語学派あるいはオックスフォード学派と呼ばれており,代表者はライル,オーステイン,ストローソンなど。)
私はこの学派の学説(主張)を誤り伝えることを望まない。しかし,いかなる学派のいかなる反対者(異議を唱える者)も,その学派を支持する者からは,その学派の学説(主張)を誤り伝えていると考えられるであろう。その学説は,私の理解しているところでは,通常の意味(日常語としての意味)で使われる言葉を持った日常言語は,哲学にとって十分であり,専門語や日常語の意味の変化は(哲学においても)必要ない,というものである。私自身は,この見解をまったく受け容れることができない。
私は,以下の理由によって,この学派(の主張)に反対する。

(1) それは(その学説は),不真面目だから。
(2) それは,古典的教養しかもたない者が数学,物理学,神経病学に関する(自らの)無知の言い訳を可能にするものだから
(3) それは,その学説に反対することがあたかも民主主義に対する犯罪であるかのように(注:哲学にまったく知識がない一般市民でもわかる言葉を使わないのは非民主主義者であるかのごとく),お世辞たらたらの正直さを装った者によって,発展されているから。
(4) それは,哲学をとるに足らないつまらないものにするから。
(5) それは,哲学者たちの間に,常識からとってきた間抜けさ(混乱した頭)をほとんど不可避的に永続化させるものだから。

The most influential school of philosophy in Britain at the present day maintains a certain linguistic doctrine to which I am unable to subscribe. I do not wish to misrepresent this school, but I suppose any opponent of any doctrine is thought to misrepresent it by those who hold it. The doctrine, as I understand it, consists in maintaining that the language of daily life, with words used in their ordinary meanings, suffices for philosophy, which has no need of technical terms or of changes in the signification of common terms. I find myself totally unable to accept this view. I object to it:

(1) Because it is insincere;(2) Because it is capable of excusing ignorance of mathematics, physics, and neurology in those who have had only a classical education;(3) Because it is advanced by some in a tone of unctuous rectitude, as if opposition to it were a sin against democracy;(4) Because it makes philosophy trivial;(5) Because it makes almost inevitable the perpetuation among philosophers of the muddle-headedness they have taken over from common sense.

出典: The cult of “common usage” (1953).
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1002_CoCU-010.HTM

<寸言>
日常言語学派は哲学を教養ととらえる一般の人たちにとっては受け入れやすい立場。「精確な」言葉遣いをしている哲学者や哲学に違和感を抱いている一般人にとって受け入れやすい哲学観とも言える。しかし、哲学は単なる言葉遊びや教養ではないとかんがえるラッセルのような哲学者には受け入れられない哲学観であろう。

知恵は教育において教えられる?

 私は,ある程度,知恵は教える(授ける)ことができると(さきほど)述べた。知恵の教授は,道徳教育について(これまで)考えられてきたものにおいて通例であったものよりも,もっと知的な要素を含むべきである,と私は考える。憎悪や狭量さ感ずる人たちに対し,彼らの憎悪や狭量がもたらす悲惨な結果は,知識を与える過程で,附随的に指摘できると思う。私は知識と道徳は切り離しすぎてはならないと考える。確かに,種々の技能に必要な専門的な知識は,知恵とはほとんど関係を持っていない。しかし,知識は,人間活動の全体のなかで適切な場所に置くことを意図するより広い調査研究によって,教育の中で補われなければならない。最も優れた技術者も良き市民でなければならない。また,私が「市民」と言う時,それは世界の市民を意味しているのであり,あれこれの宗派や国家の市民を意味しているのではない。知識や技能(技術)が増加するにつれて知恵はますます必要となる。というのは,そのような知識や技術における増大は我々の目的を実現する能力を増し,それゆえ,我々の目的が賢くないものであるならば悪に対する力(悪をなす能力)を増すからである。世界は現在,これまで決して必要とされてこなかった知恵を必要としている。即ち,知識が増大し続けるならば,世界は将来において,現在以上に知恵を必要とするであろう。

I have said that in some degree wisdom can be taught. I think that this teaching should have a larger intellectual element than has been customary in what has been thought of as moral instruction. I think that the disastrous results of hatred and narrow-mindedness to those who feel them can be pointed out incidentally in the course of giving knowledge. I do not think that knowledge and morals ought to be too much separated. It is true that the kind of specialized knowledge which is required for various kinds of skill has very little to do with wisdom. But it should be supplemented in education by wider surveys calculated to put it in its place in the total of human activities. Even the best technicians should also be good citizens; and when I say ‘citizens’, I mean citizens of the world and not of this or that sect or nation. With every increase of knowledge and skill, wisdom becomes more necessary, for every such increase augments our capacity of realizing our purposes, and therefore augments our capacity for evil, if our purposes are unwise. The world needs wisdom as it has never needed it before; and if knowledge continues to increase, the world will need wisdom in the future even more than it does now.
出典: Knowledge and Wisdom (1952).
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1073_KW-060.HTM

<寸言>
知識は多いが知恵や思いやりがかける現代人。
知恵もあわせてもっていてほしい各国の権力者は、(それぞれの国で)権力者に上り詰める過程で感覚が麻痺し、知恵を身につけることができず、力こそ最重要と思うようになってしまった者が多い。
その結果、表面上は紳士気取りをしていても、その実、暴力団の権力闘争であるかのごとく、論理ではなく、大国(及び従属国)が自らの力を誇示して互いに競り合う戦国時代であるかのごとく状況を呈している。

蛮勇は真の勇気にあらず-敵や「悪」を憎むことが勇気だと言われ・・・

 我々は,日曜日には,自分を愛するように隣人を愛するべきであると言われる(しかし)一週間のうちの他の6日間は,隣人を憎むことを熱心に勧められる。あなたは,我々が憎むのを強く勧められるのは隣人ではないので,これはナンセンス(無意味なたわごと)だというかもしれない。しかしあなたは,この教えが「サマリア人は我々の隣人である」という格言によって例示されているのを記憶しているだろう。(注:聖書「汝の隣人を愛せよ」というイエスの言葉があるが,「サマリア人が隣人でなければサマリア人を愛する必要はないことにならないか」という問いに対し,イエスは,ある人が同胞のユダヤ人の誰からも助けられなかったが,道で出逢ったサマリア人に助けられたという喩え話をだして,「そのサマリア人こそあなたの隣人だ」と言ったという言い伝えに基づく格言。)
 人々はもはやサマリア人を憎むことを望んでおらず,それゆえこのたとえ話の要点を見失いがちである。その要点をつかみたいなら,サマリア人の代わりに,事情によって,共産主義者あるいは反共主義者に置き換えて考えるべきである。害を加える者を憎むのは正しいという異議が出されるかもしれないが,私はそうは思わない。あなたが彼らを憎むならば,あなたもまた,害を加える者となるだけである。即ち,あなたが彼らに悪しきやり方を放棄させるように導くようにならない可能性が大きい。悪を憎むことは,それ自身,一種の悪への屈従(悪にとらわれること)である。悪から抜けだす道(方法)は理解(による方法)であって,憎悪(による方法)を通してではない。私は無抵抗を擁護しているのではない。だが,私は,抵抗が悪の広がりを阻止するのに効果的であるためには,最大限の(対象についての)理解,我々が保持したい良いものが生き残ることと両立する最小限の力とを結び付けられるべきであると言っているのである。

私が擁護しているような見解は行動における勇気と両立しないと一般的に力説されている。私は,歴史がこの見解を確証している(裏付けている)とは思わない。英国のエリザべス一世とフランスのアンリ四世とは,ほとんどすべての人がプロテスタント側か,カトリック側に立ち,狂信的であった時代に生きていた。二人とも,当時の過誤からは免れており,両方とも自由人であり続けながら,慈愛深く,しかも確かに相当な成果をおさめた。アブラハム・リンカーンは,私が知恵と呼んできたものから(決して)離れることなく,大規模な戦争を指導した。

We are told on Sundays that we should love our neighbors as ourselves. On the other six days of the week, we are exhorted to hate. You may say that this is nonsense, since it is not our neighbour whom we are exhorted to hate. But you will remember that the precept was exemplified by saying that the Samaritan was our neighbour. We no longer have any wish to hate Samaritans and so we are apt to miss the point of the parable. If you want to get its point, you should substitute Communist or anti-Communist, as the case may be, for Samaritan. It might be objected that it is right to hate those who do harm. I do not think so. If you hate them, it is only too likely that you will become equally harmful; and it is very unlikely that you will induce them to abandon their evil ways. Hatred of evil is itself a kind of bondage to evil. The way out is through understanding, not through hate. I am not advocating non-resistance. But I am saying that resistance, if it is to be effective in preventing the spread of evil, should be combined with the greatest degree of understanding and the smallest degree of force that is compatible with the survival of the good things that we wish to preserve.
It is commonly urged that a point of view such as I have been advocating is incompatible with vigour in action. I do not think history bears out this view. Queen Elizabeth I in England and Henry IV in France lived in a world where almost everybody was fanatical, either on the Protestant or on the Catholic side. Both remained free from the errors of their time and both, by remaining free, were beneficent and certainly not ineffective. Abraham Lincoln conducted a great war without ever departing from what I have called wisdom.
出典: Knowledge and Wisdom (1952).
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1073_KW-050.HTM

<寸言>
蛮勇(野蛮な勇気)は真の勇気ではない。そこのところを理解しない人が多い。

無知を純粋と混同しない ー 生涯,公平無私に近づく努力が重要

 私は,知恵の本質はここ(この場所)と今(現在)の暴政からの可能な限りの解放(できるだけ解放されること)である,と考える。我々人間は,感覚(器官)の利己主義なしですます(まぬがれる)ことはできない。視覚,聴覚,触覚は(注:もちろん味覚や臭覚も),我々自身の肉体と結びついており非個人的なものにするはことはできない。我々の感情(情緒)は,同様に,我々自身(自分自身)から出発する。幼児は餓えや不快を感ずるが,自己の肉体的条件以外には影響されない(注:親が言葉で何か理解させたり,影響を与えたりしようとしても,幼児は親が言っていることをまだ理解できないので,影響を受けないということ)。 年がたつにつれて,幼児の感覚器官が扱える範囲(能力の地平線)は次第に広がってゆく。彼の思考や感情が個人的であることが少くなり,自分の肉体的状態に関心をもつことが減るに従って,幼児の知恵は次第に増していく。もちろんこれは程度問題である。世界を完全な公平さでみることのできる人はいない。即ち,もしもそれができるとすれば,その人はほとんど生き続けることができないだろう(注:なぜなら,身に迫った危険を察知できないため)。しかし,一方では、時代や場所がいくらか隔っている物事について知ったり,他方では,そのような物事に我々の感情における正当な(適切な)重みを与えたりすることによって,公平無私に絶えず近づくことが可能である。知恵の増大とは,このような公平無私への接近である

I think the essence of wisdom is emancipation, as fat as possible, from the tyranny of the here and now. We cannot help the egoism of our senses. Sight and sound and touch are bound up with our own bodies and cannot be impersonal. Our emotions start similarly from ourselves. An infant feels hunger or discomfort, and is unaffected except by his own physical condition. Gradually with the years, his horizon widens, and, in proportion as his thoughts and feelings become less personal and less concerned with his own physical states, he achieves growing wisdom. This is of course a matter of degree. No one can view the world with complete impartiality; and if anyone could, he would hardly be able to remain alive. But it is possible to make a continual approach towards impartiality, on the one hand, by knowing things somewhat remote in time or space, and on the other hand, by giving to such things their due weight in our feelings. It is this approach towards impartiality that constitutes growth in wisdom.
出典: Knowledge and Wisdom (1952).
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1073_KW-040.HTM

<寸言>
子どもは世間体を考えず思ったことをそにまま言うので「子どもは正直だ」「子どもはは純真だ」と我々は褒め称える。確かにそれは貴重であるが、無知を純粋と混同してはならない。人間世界や物的世界(宇宙)を客観的に理解することに務め、より広く世界や人間に対する理解を広げること、また,そのような努力の過程で精神が汚れないこと、自分を保ち続けることが重要である。「現実に即して」「等身大で考える」ことは重要ではあるが、同時に「理想を失わず」「世界の中に、時には宇宙的視野で」人間社会や宇宙について考える習慣をつける必要があるであろう。

知恵は追求すべき目的の選択においても必要

 知恵が必要なのは,公的な方面ばかりで,私的生活においても同様である。知恵は追求すべき目的の選択においても,個人的偏見からの解放においても(解放のためにも),必要である。達成可能なものであれば追求することは高貴であろう目的でさえも,それが本質的に達成不可能な目的であるならば,追求することは賢明ではないだろう。過去の時代の多くの人たちは,生涯を賢者の石(the philosopher’s stone:中世ヨーロッパの錬金術師が,鉛などの卑金属を金に変える際の触媒となると考えた霊薬)や不老不死の霊薬の探求に捧げた。疑いもなく,彼らがそのようなものを発見できていたならば,偉大な利益を人類に与えたことであろう。しかし,実際は,彼らの人生は浪費されたのである。
 それほど英雄的ではない(身近な)問題(事柄)に降りるために,相互に憎しみ合い,そのために相手に破滅をもたらす二人の人間A氏とB氏について考えてみよう。あなたがA氏のところへ行き,「なぜあなたB氏を憎むのですか」と言ったと,想定してみよう。疑いもなく彼はB氏についての,一部は事実で一部は嘘の,すさまじい悪徳のリストを見せるだろう。そして今度はB氏のところへ行くと想定しよう。B氏はA氏に関するまったく同じような,虚実混合の悪徳のリストを見せるだろう。今度はA氏のところへ戻って「B氏はあなたが彼について言っているのと同じことをあなたについていっているのを知ったら,驚くことでしょう」と言い,またB氏のところへ行って同じうようなことを言うと想定してみる。両方とも相手の不正にとてもぞっとするであろうことから,最初の効果は,疑いもなく,相互の憎しみを増すことであろう。しかし,あなたが十分に忍耐心と説得力(対話力)とを持っていれば,恐らく,お互いが人間の普通の程度の悪さ(の分前)を持っており,憎み合うことはお互いに害があることを首尾よく確信するかもしれない。あなたがこのことに成功すれば,ある種の知恵の断片を自らに注入したことになるのである。

It is not only in public ways, but in private life equally, that wisdom is needed. It is needed in the choice of ends to be pursued and in emancipation from personal prejudice. Even an end which it would be noble to pursue if it were attainable may be pursued unwisely if it is inherently impossible of achievement. Many men in past ages devoted their lives to a search for the philosopher’s stone and the elixir of life. No doubt, if they could have found them, they would have conferred great benefits upon mankind, but as it was their lives were wasted. To descend to less heroic matters, consider the case of two men, Mr A and Mr B, who hate each other and, through mutual hatred, bring each other to destruction. Suppose you go to the Mr A and say, ‘Why do you hate Mr B?’ He will no doubt give you an appalling list of Mr B’s vices, partly true, partly false. And now suppose you go to Mr B. He will give you an exactly similar list of Mr A’s vices with an equal admixture of truth and falsehood. Suppose you now come back to Mr A and say, ‘You will be surprised to learn that Mr B says the same things about you as you say about him’, and you go to Mr B and make a similar speech. The first effect, no doubt, will be to increase their mutual hatred, since each will be so horrified by the other’s injustice. But perhaps, if you have sufficient patience and sufficient persuasiveness, you may succeed in convincing each that the other has only the normal share of human wickedness, and that their enmity is harmful to both. If you can do this, you will have instilled some fragment of wisdom.
出典: Knowledge and Wisdom (1952).
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1073_KW-030.HTM

<寸言>
ラッセルの発言「達成可能なものであれば追求することは高貴であろう目的でさえも,それが本質的に達成不可能な目的であるならば,追求することは賢明でないだろう。」に直ぐに反発かつ思考停止し、「それでもそれを追い求めることは重要である」と言う人がいたりする。ラッセルはそういう行為は「正しくない」とは言っておらず、「賢明ではない」と言っていることに注意する必要がある。ラッセル自身、成功するかどうかわからないことでも追求することはあったが、その場合でもうまくいかない場合はその目的自体に間違いはないか、間違いがなくても追求の仕方は間違っていないか等、常に反省は怠らなかった。いけないのは、信じ込んで、思考停止になって、無駄な努力をすることである。

自分の情熱という歪んだ媒介物を通して事実を見る

 けれども(知識の)包括性(comprehensiveness)だけでは知恵を構成するに十分ではない。そこには人生の目的に対する一定の自覚もなければならない。このことは,歴史を研究することによって例示されよう。多くの著名な歴史家は,自らの情熱というゆがんだ媒介物を通して事実を見ることによって,益よりも害を多くなしてきた。ヘーゲルは(知識の)包括性の欠如によって傷つくことがまったくない歴史哲学をもっていた。なぜなら,ヘーゲルの歴史哲学は太古の時代から出発して不明確な未来にまで続いたものであったからである。しかし,ヘーゲルが教えこもうとした歴史の主要な試練は,西歴紀元四百年からドイツがもっとも重要な国家であり世界における進歩の旗手であった彼が生きていた時代までのことであった(注:つまり,ドイツが世界をリードする最重要な国であるという前提でしか歴史を考えなかった,ということ)。おそらく,知恵を形づくっている包括性を,知性だけでなく感性も含めるように拡張することはできるであろう。知識は広いが感情は狭い人間をみつけるのは決してまれなことではない。このような人は私の言うところの知恵に欠けているのである。

Comprehensiveness alone, however, is not enough to constitute wisdom. There must be, also, a certain awareness of the ends of human life. This may be illustrated by the study of history. Many eminent historians have done more harm than good because they viewed facts through the distorting medium of their own passions. Hegel had a philosophy of history which did not suffer from any lack of comprehensiveness, since it started from the earliest times and continued into an indefinite future. But the chief lesson of history which he sought to inculcate was that from the year 400AD down to his own time Germany had been the most important nation and the standard-bearer of progress in the world. Perhaps one could stretch the comprehensiveness that constitutes wisdom to include not only intellect but also feeling. It is by no means uncommon to find men whose knowledge is wide but whose feelings are narrow. Such men lack what I call wisdom.
出典: Knowledge and Wisdom (1952).
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1073_KW-020.HTM

<寸言>
自国を特別視するような歴史哲学や歴史観はゆがんだものであり、事実や真実を偏見なしでみることはできない。従って,歴史の教科書は,国際的な委員会を作って編纂したほうがよい。そういった客観的な世界史のなかに位置づけて、各国が地域史として自国の歴史をまとめるとよいであろう。

知識の探求は知恵と結びつかない限り有害なものとなる

 大部分の人は,我々の時代(現代)は,知識においては以前のどの時代にも優っているが,知恵においては,(知識の増加に)相関的に増えていることはまったくない,ということに同意するだろう。しかし,「知恵」を定義しようとしたり,知恵を増やす方法について考えようとしたりするやいなや,意見の一致はなくなってしまう
私は,最初に知恵とは何であるか問い,続いて知恵について教えるために何ができるか問いたい。知恵に寄与するいくつかの要素がある,と私は思う。そのなかで,私はまず,バランス感覚(平衡感覚)をあげたい(置きたい)。即ち,当該問題におけるあらゆる重要な要素を考慮に入れ,それぞれに正当な比重を付与する(与える)能力である。これは種々の技術者に必要とされる専門的知識の範囲と複雑さ(が増えた)ために,かつてよりも困難になっている(注:みすず書房版の中村秀吉訳のラッセル『自伝的回想』では「これは種々の専門的技能家を要する専門知識のひろがりと複雑さとによって・・・」と訳されており,required of の of の役割を勘違いしている)。
 たとえば,あなたが科学的医療の研究(注:臨床医学のことか?)に従事していると仮定してみよう。仕事は困難であり,あなたの知的エネルギーの全てを吸いとってしまいそうである。あなたの発見や発明が医学の領域外で持つ結果(効果)についてはあなたは考える時間がない。(たとえば)現代医学が成功したきたように,あなたは幼児死亡率を,欧米においてばかりでなく,アジア・アフリカにおいても,はるかに低めること成功するとしよう。このことによって(人口が増えたころにより)食糧の供給が不十分となり,世界のもっとも人口密度の高い地域における生活水準を低下させるという,全く意図しない結果を招いてしまう。今日の全ての人の心に存在しているもっと劇的な例をとってみよう。即ち,あなたが知識に対する無私な欲求から,原子の構造について研究し,たまたま権力を持つ狂人たちの手中に,人類を破滅させる手段(注:原水爆)を渡してしまう(といった例である)。そのようにして,知識の探求は知恵と結びつかない限り有害なものとなるかも知れない。また,全体的視野(comprehensive vision 包括的ヴィジョン)という意味での知恵は,知識の探求をする専門家には必ずしも現存していない

Most people would agree that, although our age far surpasses all previous ages in knowledge, there has been no correlative increase in wisdom. But agreement ceases as soon as we attempt to define `wisdom’ and consider means of promoting it. I want to ask first what wisdom is, and then what can be done to teach it. There are, I think, several factors that contribute to wisdom. Of these I should put first a sense of proportion: the capacity to take account of all the important factors in a problem and to attach to each its due weight. This has become more difficult than it used to be owing to the extent and complexity of the specialized knowledge required of various kinds of technicians. Suppose, for example, that you are engaged in research in scientific medicine. The work is difficult and is likely to absorb the whole of your intellectual energy. You have not time to consider the effect which your discoveries or inventions may have outside the field of medicine. You succeed (let us say), as modern medicine has succeeded, in enormously lowering the infant death-rate, not only in Europe and America, but also in Asia and Africa. This has the entirely unintended result of making the food supply inadequate and lowering the standard of life in the most populous parts of the world. To take an even more spectacular example, which is in everybody’s mind at the present time: You study the composition of the atom from a disinterested desire for knowledge, and incidentally place in the hands of powerful lunatics the means of destroying the human race. In such ways the pursuit of knowledge may becorem harmful unless it is combined with wisdom; and wisdom in the sense of comprehensive vision is not necessarily present in specialists in the pursuit of knowledge.
出典: Knowledge and Wisdom (1952).
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1073_KW-010.HTM

<寸言>
たとえば、ノーベル賞をもらうような優れた科学者(人文科学も含む)が政府の権力者に従順で、結果的に権力者の悪巧みに加担することになるような事態がめずらしくないこと。

未来に対して盲目であった時代-英国ビクトリア朝時代の想い出

祖父の住んでいたベンブローク・ロッジはロンドンの中心から約十マイルのところにあるリッチモンド・パークの中心にある家であった。その家は,ビクトリア女王からの贈り物であり,祖父母が生きている間住むために与えられたものであった。この家でたびたび閣議(内閣の会合)が行われ,また,多くの有名人がやってきた。ある時,ペルシャ国王がやってきた。そこで,祖父は家が狭いことを詫た(わびた)。ペルシャ国王は丁寧にこう言った(そうである)。「いや,家は小さいけれども,偉大な人が住んでいます」。
 この家で私は二歳の時にヴィクトリア女王に会った。当時の中国の儀式用の正装をした3人の中国人外交官やリベリアからきた2人の黒人の使者の訪問に非常に興味を抱いた。応接間には日本政府から祖父に贈られた非常に美しい象眼がほどこされた和机(日本製の机)があった。食堂の食器戸棚には2つの大きな磁器の花瓶が置いてあり,それはザクセン王(注:在位から見て,ザクセン王ヨハンと思われる。)からの贈物だった。テーブルと陶器の飾り棚の間には狭いスペースがあり,そこを無理に通るのは厳しく禁じられていた。そうして,狭いため,そこは常にダーダネルス(海峡)と呼ばれていた。家のどの角も、ドードー(鳥)と同じように,今では遠い昔の何らかの19世紀の事件や制度と結びついていた。私の子供時代のあらゆるものは今では完全に消え去った世界のものであった。(たとえば)だだっぴろいヴィクトリア時代の屋敷は,今ではもはや国王からの贈り物(下賜されたもの)ではなく、ティーショップ(喫茶室)に変ってしまっている庭は,以前には子供が隠れることができるような隅(角々)がいっぱいあったが,今では一般に公開されている(公開されてそういう場所はなくなっている)(注:添付写真は,現在のペンブローク・ロッジの庭,1980年8月に松下撮影)。国家の元首を代理(代表)する(優雅な)宮廷外交官は,今では消え失せるか,(一つの独立国家ではなく)共和国になっている。いかなる決まり文句も深遠にみえる謹言かつ尊大な文人(文学者)たち,とりわけ,安定に対する絶対的な確信は(確信をもっていたので),英国とまったく同じような政体に向かって,世界が秩序立った漸進的な発展をすることは別として,そのほかには,この世界にはいかなる変化も予想されないことは疑いのない自明の理(公理)である,としていた。
かつてこのように幸福にも未来に対して盲目であった時代があったであろうか? カサンドラ(注:ギリシア神話に登場するトロイアの王女で悲劇の予言者)は大惨事を正しく予言し,そうして信じられなかった。(我々の)父の世代の人たちは繁栄を間違って予言し,そうして信じられた。彼(ラッセルの祖父)が現在の我々の世界に生まれ帰ってくることができたなら,彼の祖父が19世紀に生き返った時に困惑した場合よりも,(現代の状況を見て)より困惑したことだろう(注:みすず書房刊の<b>ラッセル『自伝的回想』の中村秀吉訳</b>では「彼が現在の我々の世界にもどることができたら,彼の祖父が19世紀に出逢った場合よりもずっと困惑したことだろう。」となっており,19世紀より前の時代に生きたラッセルの祖父の祖先が19世紀に生き返った場合に困惑する場合と比較すると・・・という主旨をつかみにくい)。
強い伝統の雰囲気の中に育った人にとっては,現在の世界に適合することは困難である。この困難を自覚すれば,長年の間存続してきた過去及び現在の帝国や立派な諸制度が,それらが体得している政治的経験が突然役に立たなくなったり,適用できなくなったりして,一掃されることがありえることを理解することができる。この理由により,我々の時代(現代)は多くのものに困惑を生み出しているが,同時に,新しい思考と新しい想像力の可能な人たちに対し,実りの多い挑戦(状)を提供しているのかも知れない。

Pembroke Lodge, where my grandfather lived, was a house in the middle of Richmond Park about ten miles from the center of London. It was in the gift of the Queen, and was given by her to my grandfather for his lifetime and that of my grandmother. In this house many Cabinet meetings took place and to this house many famous men came. On one occasion the Shah of Persia came and my grandfather apologized for the smallness of the house. The Shah replied politely, “Yes, it is a small house, but it contains a great man”. In this house I met Queen Victoria when I was two years old. I was much interested by the visit of three Chinese diplomats in the correct Chinese ceremonial costume of that day; also by the visit of two Negro emissaries from Liberia. There was in the drawing room an exquisite inlaid Japanese table given to my grandfather by the Japanese Government. On sideboards in the dining room there were two enormous porcelain vases, which were presents from the King of Saxony. There was a narrow space between a table and a china cabinet which I was strictly forbidden to squeeze through, and, on this ground, it was always called the Dardanelles. Every corner of the house was associated with some nineteenth-century event or institution which now seems as remotely historical as the dodo. Everything belonging to my childhood was part of a now completely vanished world — the rambling Victorian house, now no longer in the gift of the sovereign, but turned into a tea shop; the garden, formerly full of nooks and crannies in which a child could hide, but now wide open to the general public; the courtly diplomats representing sovereigns of States now vanished or turned into republics; the solemn pompous men of letters, to whom every platitude seemed profound; and above all, the absolute conviction of stability which made it an unquestioned axiom that no changes were to be expected anywhere in the world, except an ordered and gradual development toward a constitution exactly like that of Britain. Was ever an age so blessedly blind to the future? Cassandra truly prophesied disaster and was not believed; the men of my grandfather’s age falsely prophesied prosperity and were believed. If he could come back into our present world he would be far more bewildered than his grandfather would have been by the nineteenth century. For those who have grown up in the atmosphere of a strong tradition, adaptation to the world of the present is difficult. Awareness of this difficulty makes it possible to understand how in the past and in the present great empires and great institutions, which have stood for ages, can be swept away because the political experience that they embody has suddenly become useless and inapplicable. For this reason our age produces bewilderment in many, but offers at the same time a possibly fruitful challenge to those who are capable of new thought and new imagination.
出典: Lord John Russell (1952).
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1003_L-JR040.HTM

<寸言>
ラッセルは幼児(二歳)の時に、ヴィクトリア女王とあっている。ラッセルはまた、若い時に大宰相であるグラッドストーンとも会っている。その時は、邸内に男性はラッセルしかいないということで、ラッセル一人で対応しているが、グラッドストーンは目つきがするどく威圧的なため、とても緊張したと『自伝』で述べている。

貴族的改革者としての祖父ジョン・ラッセル

 私の祖父は,現代ではほとんど死に絶えたタイプ,即ち,その熱意が,いかなる最近の源泉よりも,むしろデモステネスやタキトゥスのような古典(の源泉)に由来しているような貴族主義的改革者のタイプであった,彼らは「自由」という女神を崇拝したが,その顔立ち(輪郭/特徴)はかなり曖昧であった。また,「暴政(圧政)」という悪魔もいた。彼(の顔立ち)はかなりはっきりしていた。悪魔は,王や僧侶や警官によって代表された。彼らが異邦人(外国人)の場合には特にそうであった。この信条は,断頭台のロラン夫人(Madame Roland,1754- 1793)はやや単純すぎると気づいたけれども,フランスの知的な革命家たちを鼓舞した。バイロンをはげまし,彼をギリシアのための戦いに導いたものは,この信条であった。またマッツィーニ(Giuseppe Mazzini, 1805-1872:イタリア統一運動時代の政治家)やガリバルディ(Giuseppe Garibaldi, 1807-1882:イタリア統一運動の指導者)や,彼らの英国における崇拝者を鼓舞したのもこの信条であった。それは,一つの信条として,文学的かつ詩的かつ浪漫的であった。それは,現代(近代)の政治的思考を支配している困難な経済的事実にはまったく関係ない(触れない)ものである。祖父は,子供の時,家庭教師として,動力織機の発明者であるカートライト博士をつけてもらったが,彼は産業革命の主要要因のひとつであった。祖父は彼がこの機械の発明をしたことを決して知らなかったが,博士の優雅なラテン語や,道徳的感覚の高貴さや,著名な急進的扇動家の兄弟であるということ(事実)から,彼を崇拝した。
祖父は理想としてのデモクラシーには賛成したが,民主主義への接近はともかくも急ぐべきだといったことを決して切望はしなかった。彼は選挙権(参政権)の漸進的拡大に賛成した。しかし,選挙権の拡大が可能だとしても(if = even if),英国の改革政党はいつもその指導者を偉大なるホイッグの家族のなかに見いだすだろうと確信していたと私は思う。彼は意識的にこれを確信していたというのではないが,このことは彼が呼吸する空気のように日常的なものになっており,議論の必要なく,当然のこととされていたのである。

My grandfather belonged to a type which is now quite extinct, the type of the aristocratic reformer whose zeal is derived from the classics, from Demosthenes and Tacitus, rather than from any more recent source. They worshiped a goddess called Liberty, but her lineaments were rather vague. There was also a demon called Tyranny. He was rather more definite. He was represented by kings and priests and policemen, especially if they were aliens. This creed had inspired the intellectual revolutionaries of France, though Madame Roland on the scaffold found it somewhat too simple. It was this creed that inspired Byron, and led him to fight for Greece. It was this creed that inspired Mazzini and Garibaldi and their English admirers. As a creed it was literary and poetic and romantic. It was quite untouched by the hard facts of economics which dominate all modern political thinking. My grandfather, as a boy, had as tutor Dr. Cartwright, the inventor of the power loom, which was one of the main factors in the Industrial Revolution. My grandfather never knew that he had made this invention, but admired him for his elegant Latinity and for the elevation of his moral sentiments, as well as for the fact that he was the brother of a famous radical agitator.
My grandfather subscribed to democracy as an ideal, but was by no means anxious that the approach to it should be in any way precipitate. He favored a gradual extension of the franchise, but I think he was convinced that, however it might be extended, English reforming parties would always find their leaders in the great Whig families. I do not mean that he was consciously convinced of this, but that it was part of the air he breathed, something which could be taken for granted without discussion.
出典: Lord John Russell (1952).
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1003_L-JR030.HTM

<寸言>
昔は「素朴な」自由主義の崇拝でよかったが,現代は社会が複雑になり、そんなに単純にはいかないということ。自由が非常に制限されている時は「自由の拡大」が最大の目標となるが、格差や不平等が非常に大きくなっている時は「格差の解消」が最大の目標になる。