知恵は追求すべき目的の選択においても必要

 知恵が必要なのは,公的な方面ばかりで,私的生活においても同様である。知恵は追求すべき目的の選択においても,個人的偏見からの解放においても(解放のためにも),必要である。達成可能なものであれば追求することは高貴であろう目的でさえも,それが本質的に達成不可能な目的であるならば,追求することは賢明ではないだろう。過去の時代の多くの人たちは,生涯を賢者の石(the philosopher’s stone:中世ヨーロッパの錬金術師が,鉛などの卑金属を金に変える際の触媒となると考えた霊薬)や不老不死の霊薬の探求に捧げた。疑いもなく,彼らがそのようなものを発見できていたならば,偉大な利益を人類に与えたことであろう。しかし,実際は,彼らの人生は浪費されたのである。
 それほど英雄的ではない(身近な)問題(事柄)に降りるために,相互に憎しみ合い,そのために相手に破滅をもたらす二人の人間A氏とB氏について考えてみよう。あなたがA氏のところへ行き,「なぜあなたB氏を憎むのですか」と言ったと,想定してみよう。疑いもなく彼はB氏についての,一部は事実で一部は嘘の,すさまじい悪徳のリストを見せるだろう。そして今度はB氏のところへ行くと想定しよう。B氏はA氏に関するまったく同じような,虚実混合の悪徳のリストを見せるだろう。今度はA氏のところへ戻って「B氏はあなたが彼について言っているのと同じことをあなたについていっているのを知ったら,驚くことでしょう」と言い,またB氏のところへ行って同じうようなことを言うと想定してみる。両方とも相手の不正にとてもぞっとするであろうことから,最初の効果は,疑いもなく,相互の憎しみを増すことであろう。しかし,あなたが十分に忍耐心と説得力(対話力)とを持っていれば,恐らく,お互いが人間の普通の程度の悪さ(の分前)を持っており,憎み合うことはお互いに害があることを首尾よく確信するかもしれない。あなたがこのことに成功すれば,ある種の知恵の断片を自らに注入したことになるのである。

It is not only in public ways, but in private life equally, that wisdom is needed. It is needed in the choice of ends to be pursued and in emancipation from personal prejudice. Even an end which it would be noble to pursue if it were attainable may be pursued unwisely if it is inherently impossible of achievement. Many men in past ages devoted their lives to a search for the philosopher’s stone and the elixir of life. No doubt, if they could have found them, they would have conferred great benefits upon mankind, but as it was their lives were wasted. To descend to less heroic matters, consider the case of two men, Mr A and Mr B, who hate each other and, through mutual hatred, bring each other to destruction. Suppose you go to the Mr A and say, ‘Why do you hate Mr B?’ He will no doubt give you an appalling list of Mr B’s vices, partly true, partly false. And now suppose you go to Mr B. He will give you an exactly similar list of Mr A’s vices with an equal admixture of truth and falsehood. Suppose you now come back to Mr A and say, ‘You will be surprised to learn that Mr B says the same things about you as you say about him’, and you go to Mr B and make a similar speech. The first effect, no doubt, will be to increase their mutual hatred, since each will be so horrified by the other’s injustice. But perhaps, if you have sufficient patience and sufficient persuasiveness, you may succeed in convincing each that the other has only the normal share of human wickedness, and that their enmity is harmful to both. If you can do this, you will have instilled some fragment of wisdom.
出典: Knowledge and Wisdom (1952).
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1073_KW-030.HTM

<寸言>
ラッセルの発言「達成可能なものであれば追求することは高貴であろう目的でさえも,それが本質的に達成不可能な目的であるならば,追求することは賢明でないだろう。」に直ぐに反発かつ思考停止し、「それでもそれを追い求めることは重要である」と言う人がいたりする。ラッセルはそういう行為は「正しくない」とは言っておらず、「賢明ではない」と言っていることに注意する必要がある。ラッセル自身、成功するかどうかわからないことでも追求することはあったが、その場合でもうまくいかない場合はその目的自体に間違いはないか、間違いがなくても追求の仕方は間違っていないか等、常に反省は怠らなかった。いけないのは、信じ込んで、思考停止になって、無駄な努力をすることである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です