知恵は教育において教えられる?


 私は,ある程度,知恵は教える(授ける)ことができると(さきほど)述べた。知恵の教授は,道徳教育について(これまで)考えられてきたものにおいて通例であったものよりも,もっと知的な要素を含むべきである,と私は考える。憎悪や狭量さ感ずる人たちに対し,彼らの憎悪や狭量がもたらす悲惨な結果は,知識を与える過程で,附随的に指摘できると思う。私は知識と道徳は切り離しすぎてはならないと考える。確かに,種々の技能に必要な専門的な知識は,知恵とはほとんど関係を持っていない。しかし,知識は,人間活動の全体のなかで適切な場所に置くことを意図するより広い調査研究によって,教育の中で補われなければならない。最も優れた技術者も良き市民でなければならない。また,私が「市民」と言う時,それは世界の市民を意味しているのであり,あれこれの宗派や国家の市民を意味しているのではない。知識や技能(技術)が増加するにつれて知恵はますます必要となる。というのは,そのような知識や技術における増大は我々の目的を実現する能力を増し,それゆえ,我々の目的が賢くないものであるならば悪に対する力(悪をなす能力)を増すからである。世界は現在,これまで決して必要とされてこなかった知恵を必要としている。即ち,知識が増大し続けるならば,世界は将来において,現在以上に知恵を必要とするであろう。

I have said that in some degree wisdom can be taught. I think that this teaching should have a larger intellectual element than has been customary in what has been thought of as moral instruction. I think that the disastrous results of hatred and narrow-mindedness to those who feel them can be pointed out incidentally in the course of giving knowledge. I do not think that knowledge and morals ought to be too much separated. It is true that the kind of specialized knowledge which is required for various kinds of skill has very little to do with wisdom. But it should be supplemented in education by wider surveys calculated to put it in its place in the total of human activities. Even the best technicians should also be good citizens; and when I say ‘citizens’, I mean citizens of the world and not of this or that sect or nation. With every increase of knowledge and skill, wisdom becomes more necessary, for every such increase augments our capacity of realizing our purposes, and therefore augments our capacity for evil, if our purposes are unwise. The world needs wisdom as it has never needed it before; and if knowledge continues to increase, the world will need wisdom in the future even more than it does now.
出典: Knowledge and Wisdom (1952).
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1073_KW-060.HTM

<寸言>
知識は多いが知恵や思いやりがかける現代人。
知恵もあわせてもっていてほしい各国の権力者は、(それぞれの国で)権力者に上り詰める過程で感覚が麻痺し、知恵を身につけることができず、力こそ最重要と思うようになってしまった者が多い。
その結果、表面上は紳士気取りをしていても、その実、暴力団の権力闘争であるかのごとく、論理ではなく、大国(及び従属国)が自らの力を誇示して互いに競り合う戦国時代であるかのごとく状況を呈している。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。