子どもに対する親の感情と親に対する子どもの感情-時代とともに変化する

from_cradle_to_grave しかし,(これに対し)反応を求めるのは,親の愛情の本質ではない。
自然なままで,素朴な(素のままの)親の本能は,子供に対して,自分の肉体の一部が外在化されたものに対するように,同じ感情をいだくものである。自分の足の親指の具合が悪ければ,あなたは自分の利益から(利益のために)手当てをするけれども,親指が(総体としての人間に)感謝することを期待することはない。
想像するに,未開種族の女性も,これと非常によく似た感情をわが子に対して持っているのではないか,と思う。彼女は,自分の幸せを願うのとまったく同様に,我が子の幸せを願う。子供がまだごく幼いときには,特にそうである。彼女は,自分の面倒を見るときと同様に,子供の面倒を見るときも,自己否定の感情を持っていない。まさにそういった理由で,(我が子に対し)感謝を求めないのである。
子供は,無力な間は,母親を必要とする,それだけで十分な反応なのである。やがて,子供が大人になり始めると(注: grow up 動物は赤ん坊の時から成長し続ける。 ‘up’ がついているので,ここでは 大人になり始める=大人に近づく),彼女(母親)の愛情は少なくなり,要求が増えるかもしれない。
動物の場合は,子供が大人になると,親の愛情はなくなるが,子供にはなんの要求もしない(注:年老いた親の面倒をみろ,とか)。しかし,人間の場合は,未開の種族であっても,そうはいかない。屈強な戦士になった息子は,親が年老いてよぼよぼになれば,養い,保護することを期待される。アエネアスとアンキセスの物語(注:ギリシャ軍の「トロイの木馬」の計略によって落城するトロイの街を脱出するアエネアスとその肩の上に載る老父アンキセスの物語)は,もっと高次の文化(注:未開社会との比較で)におけるこの感情を具現化している。
将来を考える(心配する)気持ちが発達するとともに,年老いてから子供に面倒を見てもらうために,子供の愛情を利用しようとする傾向が強まっていく。こうして,親孝行の原理が生まれてくる。この原理は,世界中至るところにこれまで存在してきたものであり,「十戒」の第五番目に具体的に述べられている。
私有財産と秩序ある政治の発達とともに,親孝行の重要性はより小さくなってくる(であろう)。即ち,何世紀かたち,人びとがこの事実に気づくようになり,親孝行の感情は時代遅れとなる。現代世界では,50歳の男が80歳の親のすねをかじっていることもある。そこで,重要なのは,いまだに,親に対する子供の愛情ではなくて,むしろ,子供に対する親の愛情である(というしだいである)。もちろん,これは,主に有産階級にあてはまることである。即ち,賃金労働者の間ではまだ古い関係(年老いた親が子供に頼る関係)があいかわらず生き残っている。しかし,その場合も,老齢年金や類似の方策が導入された結果,この関係は次第になくなりつつある。それゆえ,親に対する子供の愛情は,基本的な徳目の一つではなくなりつつあるのに対し,子供に対する親の愛情はいまだ重要であり続けている。

But it is not of the essence of parental love to seek a response. The natural unsophisticated parental instinct feels towards the child as towards an externalized part of the parent’s body. If your great toe is out of order you attend to it from self-interest, and you do not expect it to feel grateful. The savage woman, I imagine, has a very similar feeling towards her child. She desires its welfare in just the same way as she desires her own, especially while it is still very young. She has no more sense of self-denial in looking after the child than in looking after herself ; and for that very reason she does not look for gratitude. The child’s need of her is sufficient response so long as it is helpless. Later, when it begins to grow up, her affection diminishes and her demands may increase. In animals parental affection ceases when the child is adult, and no demands are made upon it ; but in human beings, even if they are very primitive, this is not the case. A son who is a lusty warrior is expected to feed and protect his parents when they are old and decrepit ; the story of Aneas and Anchises embodies this feeling at a higher level of culture. With the growth of foresight there is an increasing tendency to exploit children’s affections for the sake of their help when old age comes. Hence the principle of filial piety, which has existed throughout the world and is embodied in the Fifth Commandment. With the development of private property and ordered government, filial piety becomes less important ; after some centuries people become aware of this fact, and the sentiment goes out of fashion. In the modern world a man of fifty may be financially dependent upon a parent of eighty, so that the important thing is still the affection of the parent for the child, rather than of the child for the parent. This, of course, applies chiefly to the propertied classes ; among wage-earners the older relationship persists. But even there it is being gradually displaced as a result of old-age pensions and similar measures. Affection of children for parents, therefore, is ceasing to deserve a place among cardinal virtues, while affection of parents for children remains of enormous importance.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 11: Affection and Sympathy
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE11-020.HTM

[寸言] ★一億総活躍
子どもに対する親の感情と親に対する子どもの感情は時代とともに変化していく。世界的な流れは、(大きく見れば)「ゆりかごから墓場まで」、社会や国家が面倒を見る割合が大きくなってきている。北欧や英国などはその考え方に立っている。
ichioku-sokatuyaku_abe これに対し、自由競争を信奉する米国や(その真似を好んでする)日本などでは、「拡大し続ける社会保障費を抑制しなければならない」ということで、逆の動きもしているが、格差拡大(非正規労働者は労働者全体の約4割!)や貧困対策(日本の子どもの貧困率は先進国で最悪!)に力を入れずに、「頑張った者が報われる社会」(安倍総理)などと言い続けている。そういった総理を支持している国民が多いのだから、被虐的な国民が少なくないのかも知れない。