同じ種類の問題が関連する(あてはまる)もうひとつの事項(respect 点)は、「無限の公理」(the axiom of infinity’)と私の呼んだものである。有限の物のみを含んでいる世界においては、その数(その有限の物の数)は、物の集合にとっての最大可能数となるであろう(訳注:無限を認めない世界においては、世界の存在する物の数が、最大数となる)。そういう世界においては、高等数学の全体が崩壊するであろう(訳注:無限数を扱えないことは高等数学にとって致命的)。しかし、世界にどれだけの数の物が存在するかは、純粋に経験的な問題であると私には思われた。そうして、論理学者は、論理学者自体としては(as such 倫理学者の資格として)、その問題について何らかの意見をさしはさむことを許容すべきであるとは考えなかった(許容すべきではないと思った)。それゆえ(論理学者としての)私は、無限数の物を必要とするような数学の部門の全てを仮説的なものとしてとり扱った。これら全てがウィトゲンシュタインを怒らせた。彼によれば「ロンドンにどれだけの数の人間がいるか」とか「太陽にはどれだけの数の分子が含まれているか」とか問うことはできるが、世界の中に少なくともそれだけの数(訳注:ロンドンの住民数や太陽の分子数)のものが存在する、と推論することは無意味なのである。彼の学説の中のこの部分ははっきり言って間違っている、と私には思われる。
Chapter 10 The Impact of Wittgenstein, n.12
Another respect in which the same kind of question was relevant was as to what I had called ‘the axiom of infinity’. In a world containing only a finite number of things, that number would be the greatest possible for a collection of things. In such a world, all higher mathematics would collapse. It seemed to me to be a purely empirical question how many things there are in the world, and I did not think that the logician, as such, ought to permit himself an opinion on the subject. I therefore treated all those parts of mathematics which require an infinite number of things as hypothetical. All this outraged Wittgenstein. According to him, you could ask ‘How many people are there in London?’ or ‘How many molecules are there in the sun?’ but to infer that there are at least that number of things in the world was, according to him, meaningless. This part of his doctrine is to my mind definitely mistaken.
Source: My Philosophical Development, chap. 10:1959.
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バートランド・ラッセル『私の哲学の発展』第10章 「ヴィトゲンシュタインの衝撃」 n.11
非常に重要なもう一つの点(point 要点/主張)がある。それはウィトゲンシュタインが、世界(world 宇宙)の全てのものについて(の)いかなる陳述も認めようとしないことである。『数学原理(プリンキピア・マテマティカ)』においては、ものの全体とは、x = x であるような全ての x の集合である(訳注:同一性の原理)、と定義され、その集合には、他のいかなる集合とも同じく、ひとつの数を割りあてることができる。(ただし、)もちろんその集合に割りあてることができる正しい(適切な)数が何であるかを我々は知らないが。(しかし)ウィトゲンシュタインはこのことを認めようとしない。「世界には3つ以上のものがある(存在する)」というような命題は無意味である、と彼は言う。1919年に(オランダの)ハーグにおいて、私が彼と(彼の)『論考』について議論していた時、私は眼の前に一枚の白紙をおいて、それにインクのしみを3つつけた。(そうして)次のことを認めてほしいと彼に懇願した(besought)。即ち、ここに3つの斑点があるのだから世界には少なくとも3つのものがある(存在する)、ということを認めてほしい、と。しかし、彼は断固として拒絶した。彼は、紙の上に3つの斑点があることは認めた。それは有限な主張(a finite assertion)だからである。しかし彼は、世界全体(宇宙全体)についていかなることも語ることはできるとは認めようとしなかった(語ることはできないとした)。このことは彼の神秘主義と結びついているが、彼が同一性を認めることを拒絶することに根拠づけられている。
Chapter 10 The Impact of Wittgenstein, n.11 There is another point of very considerable importance, and that is that Wittgenstein will not permit any statement about all the things in the world. In Principia Mathematica, the totality of things is defined as the class of all those x’s which are such that x = x, and we can assign a number to this class just as to any other class, although of course we do not know what is the right number to assign. Wittgenstein will not admit this. He says that such a proposition as ‘there are more than three things in the world’ is meaningless. When I was discussing the Tractatus with him at The Hague in 1919, I had before me a sheet of white paper and I made on it three blobs of ink. I besought him to admit that, since there were these three blobs, there must be at least three things in the world ; but he refused, resolutely. He would admit that there were three blobs on the page, because that was a finite assertion, but he would not admit that anything at all could be said about the world as a whole. This was connected with his mysticism, but was justified by his refusal to admit identity.
Source: My Philosophical Development, chap. 10:1959.
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バートランド・ラッセル『私の哲学の発展』第10章 「ヴィトゲンシュタインの衝撃」 n.10
たとえば、数2の定義をとってみよう。ある集合が x とy という要素をもち、x は y と同一でなく、かつもし z がその集合の要素であるならば z は x または y と同一である場合に、その集合は二つの要素をもつ、と我々は言う。この定義をウィトゲンシュタインが要求する規約(convention) - (つまり))‘x = y’ や ”x ≠ y’ とかいう形の表現を決して用いてはならず、異なったものを表すには異なった文字を用いるべきであり、また同一のものを表すのに二つの異なる文字を用いてはならない(という規約)- に適合させることはきわめて困難である。このような技術上の困難は別としても、前述した理由により、もし二つのものがその全ての特性を共通にもつなら、それらを二つと「数える」ことはできない。なぜなら、二つと数えることは、それらを区別することを(必然的に)伴っており、それによってそれらに相異なる特性を賦与するからである。 ウィトゲンシュタインの考えはさらなる結果(帰結)をもたらす。即ち、一組の枚挙された対象に共通でありかつそれらの対象にのみ特有なひとつの内包(注:intension 論理学における内包的規定)を作り出すことができない(という結果をもたらす)。たとえば、三つの対象 a, b, c があるとすると、a と同一であるかまたは b と同一であるかまたは c と同一」であるという特性は、これら三つの対象が共有しかつこれら対象のみに属する特性である。しかし、ウィトゲンシュタインの体系ではこの方法を用いることができなくなる。
Chapter 10 The Impact of Wittgenstein, n.10 Take, for example, the definition of the number 2. We say that a class has two members if it has members x and y and x is not identical with y, and, if z is a member of the class, then z is identical with either x or y. It is very difficult to adapt this definition to Wittgenstein’s convention which requires that we should never use an expression of the form ‘x = y’ or ‘x ≠ y’ but that we should use different letters to represent different things and never use two different letters to represent the same thing. Apart from such technical difficulties, it is obvious, for the reason mentioned above, that, if two things have all their properties in common, they cannot be counted as two, since this involves distinguishing them and thereby conferring different properties upon them. There is a further consequence, namely, that we cannot manufacture an intension which shall be common and peculiar to a given set of enumerated objects. Suppose, for example, we have three objects, a, b, c, then the property of being identical with a or identical with b or identical with c is one which is common and peculiar to these three objects. But, in Wittgenstein’s system, this method is not available.
Source: My Philosophical Development, chap. 10:1959.
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バートランド・ラッセル『私の哲学の発展』第10章 「ヴィトゲンシュタインの衝撃」 n.9
(ウィトゲンシュタインは言う。)「大雑把に言えば、2つのものについて、それらは同一であると言うことは無意味であり、一つの物について、それがそれ自身と同一であると言うことは、何も言わないことである」(『論考』5.5302 および 5.5303)。一時、私はこの批評を受けいれたが、間もなくこの批評は数学的論理学(記号論理学)を不可能にするものであり、かつ、事実、ウィトゲンシュタインの批評は正しくない(invalid 有効でない)という結論に達した。このことは、数えるということ(counting)を考察すれば特に明らかになる。もしa と b とがその全ての特性を共有しているならば、aのことを言うとき同時にbのことも言わざるをえないのであり、あるいは言い換えれば(or) aを数えるとき同時に b も数えざるをえないのであり、それは aを数えることと b を数えることとは別のことでなく、同一の数える行為である。だから、aとbとが二つのものであることを恐らく(conceivably 考えられるところでは)決して発見しえないであろう。ウィトゲンシュタインの立場は、異他性(diversity 多様性)を定義不可能な関係であることを仮定している。もっとも彼自身この仮定をしていることに気づいていたとは私は思わないが(although)。しかしもし彼がこの仮定をしていないとしたら、いかなる根拠によって彼が「二つの対象がその全ての特性を共通に持つ」という命題を(彼が言うように)有意味と主張できるのか理解できない(しかもかれは実際そうだと主張しているのである)。けれども、もし異他性(diversity)を認めると、其の場合には、a と b とが二つのものであるとすると、aは b が持っていない特性をもっている、即ち、「 b とは異なっている」(being diverse from b)という特性をもつ(ことになる)(訳注:従って、a と b とは全ての性質を共通に持っているわけではないことになる)。従って、同一性についてのウィトゲンシュタインの議論は誤まっている、と私は考える。そしてもしそうなら、彼の体系の大きな部分が正しくないことになる(invalidate 無効化する)。
Chapter 10 The Impact of Wittgenstein, n.9 ‘Roughly speaking: to say of two things that they are identical is nonsense, and to say of one thing that it is identical with itself is to say nothing’ [Tractatus, 5.5302 and 5.5303). At one time I accepted this criticism, but I soon came to the conclusion that it made mathematical logic impossible and, in fact, that Wittgenstein’s criticism is invalid. This appears especially if we consider counting: if a and b have all their properties in common, you can never mention a without mentioning b or count a without at the same time counting b, not as a separate item but in the same act of counting. You could, therefore, never conceivably discover that a and b were two. Wittgenstein’s position assumes that diversity is an indefinable relation, although I do not think that he knew he was making this assumption. But if he is not making it, I do not see on what grounds he can say, as he does, that it is significant to say that two objects have all their properties in common. If, however, diversity is admitted, then, if a and b are two, a has a property which b has not, namely, that of being diverse from b. I think, therefore, that Wittgenstein’s contention as to identity is mistaken. And, if so, it invalidates a large part of his system.
Source: My Philosophical Development, chap. 10:1959.
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バートランド・ラッセル『私の哲学の発展』第10章 「ヴィトゲンシュタインの衝撃」 n.8
次に、ウィトゲンシュタインが同一性(identity)について言いたかったこと(←言わなければならなかったこと)に移る。これはすぐにはそうだとはわからないかも知れないが(明らかではないかも知れないが)、重要な問題である。ウィトゲンシュタインのこの理論を説明するためには、まず(ホワイトヘッドとの共著の)『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)』における同一性の定義についていくらか述べなければならない。一つの対象が持ちうる諸特性のうちのあるものを、ホワイトヘッドと私は、「述語的」(predicative)と呼んで(名付けて)、他と区別した。「述語的」特性とは、諸特性の全体への言及をまったく含まない特性のことであった。たとえば、「ナポレオンはコルシカ人であった」とか「ナポレオンは太っていた」とか言う時に(言うことにおいては)、我々は述語の何らかの集合(assemblage 集まり)については何も言及していない。しかし、「ナポレオンは偉大な将軍の持つ全ての性質(qualities)を持っていた」とか「女王エリザべス一世はその父と祖父との全ての美徳を持ちかつ両者の悪徳を持たなかった」とか言えば、我々は諸性質の全体に言及している(ことになる)。このように一つの全体への言及を含む特性(properties)を、ある種の論理的矛盾を避けるために、我々(ラッセルとホワイトヘッド)は述語的関数(predicative functions)から区別した。そこで我々は「x が y と同一である」を、「y は x の持つ全ての述語的特性を持つ」を意味すると定義した。そして我々の体系(プリンキピア・マテマティカの体系)では、このことから、y は、述語的であるか否かに関係なく、x の持つ任意の特性を持つ、という結果になった(It followed that ~)。これに対し、ウィトゲンシュタインは次のように反対(反論)した。「ラッセルの “=”(注:同一を表す記号)の定義はいけない。なぜなら、それが正しいとすれば、我々は『二つの対象は全ての特性を共通に持つ』と言うことができなくなるからである。(たとえこの命題がいかなる場合にも真でないとしても、それはやはり有意味である(significant)はずである。)」と。
Chapter 10 The Impact of Wittgenstein, n.8
I come next to what Wittgenstein had to say about identity, which has an importance that may not be obvious at once. To explain this theory, I must first say something about the definition of identity in Principia Mathematica. Among the properties that an object may have, Whitehead and I distinguished some as what we called ‘predicative’. These were properties which did not refer to any totality of properties. You may say, for instance, ‘Napoleon was Corsican’ or ‘Napoleon was fat”, and, in saying such things, you do not refer to any assemblage of properties. But if you say ‘Napoleon had all the qualities of a great general” or ‘Queen Elizabeth I had all the virtues of her father and grandfather and the vices of neither’ you are referring to a totality of qualities. Properties that in this way refer to a totality we distinguished from predicative functions in order to avoid certain contradictions. We defined ‘x is identical with y’ as meaning ‘y has all the predicative properties of x’ and, in our system, it followed that y had any property that x had, whether predicative or not. To this, Wittgenstein objected as follows: ‘Russell’s definition of ‘=’ won’t do; because according to it one cannot say that two objects have all their properties in common. (Even if this proposition is never true, it is nevertheless significant.)
Source: My Philosophical Development, chap. 10:1959.
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バートランド・ラッセル『私の哲学の発展』第10章 「ヴィトゲンシュタインの衝撃」 n.7
彼(ウィトゲンシュタイン)が構造の重要性を強調したのは正しかったと私は今でも考えているが、真なる命題は当該事実の構造を再現しなければならないという学説については -私は当時それを受けいれたが- 今では非常に疑わしいと考えている。いずれにせよ、そのこと(事実の再現)は、たとえある意味で真であるとしても、何らかの大きな重要性を持っているとは考えない。けれども、彼にとって、それは根本的(基本的)な学説(全ての基礎になる考え)であった。彼はこの考えを奇妙な種類の論理的神秘主義の基礎とした。(即ち)彼はこう主張した。真なる命題がそれに対応する事実と共通にもつ「形式」(form)は、示すことが可能であるだけであり(only shown)、語ることはできない(not said)。なぜならそれは(その形式とは)言語における(言語の中の/言語内の)別の語(言葉)ではなく、多くの語(言葉)またはそれらに対応する物の持つ(ひとつの)配列だからである、と。(即ち)「命題は実在全体を表現することが可能である。しかし、命題は、実在を表現しうるためにそれ(命題)が実在と共有しなければならないところのものを -つまり、論理的形式を- 表現することはできない(のである)。」 (また)「論理的形式を表現しうるためには、我々は、命題とともに(with the proposition 命題を携えて)論理(学)の外に、即ち、世界の外に出ることができなければならいだろう」(『論考』4.12)。これは(この主張は)、私がウィトゲンシュタインと最も意見が一致した時期において納得できなかった唯一の論点(問題)を引き起こしている(raises the only point)。彼の『論考』のために書いた序文の中で私は、いかなる所与の言語においても、その言語が表現しえない事物があが、そういう事物について語りうるところのより高次の言語を構成することは常に可能である、という考えを提示した。もちろんその新たな言語の中にも、それの語りえない事物がやはり存在するであろうが、それは次の(さらに高階の)言語において語ることが可能であり、そのようにして無限に(point )進む。この考えは、当時は新しいものであったが、いまでは論理学において当然のこととして一般に認められるようになっている。この考えはウィトゲンシュタインの神秘主義を片づけてしまうものであり、またゲーデルの提出したもっと新しい難問をも片付けるものだと、私は考えている。
Chapter 10 The Impact of Wittgenstein, n.7
In emphasizing the importance of structure, I still think he was right, but as to the doctrine that a true proposition must reproduce the structure of the facts concerned, I now feel very doubtful, although at the time I accepted it. In any case, I do not think that, even if it be in some sense true, it has any great importance. For Wittgenstein, however, it was fundamental. He made it the basis of a curious kind of logical mysticism. He maintained that the form which a true proposition shares with the corresponding fact can only be shown, not said, since it is not another word in the language but an arrangement of words or corresponding things: ‘Propositions can represent the whole reality, but they cannot represent what they must have in common with reality in order to be able to represent it — the logical form. ‘To be able to represent the logical form, we should have to be able to put ourselves with the propositions outside logic, that is outside the world.’ (Tractatus, 4.12 .) This raises the only point on which, at the time when I most nearly agreed with Wittgenstein, I still remained unconvinced. In my introduction to the Tractatus, I suggested that, although in any given language there are things which that language cannot express, it is yet always possible to construct a language of higher order in which these things can be said. There will, in the new language, still be things which it cannot say, but which can be said in the next language, and so on ad infinitum. This suggestion, which was then new, has now become an accepted commonplace of logic. It disposes of Wittgenstein’s mysticism and, I think, also of the newer puzzles presented by Gödel.
Source: My Philosophical Development, chap. 10:1959.
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バートランド・ラッセル『私の哲学の発展』第10章 「ヴィトゲンシュタインの衝撃」 n.6
恐らく、『論考』の哲学における基本的な学説は、命題(と)はその命題が主張する事実の画像(picture 写し絵)であるという説(注:模写説)であろう。地図は(何らかの)情報を -それが正しいにせよ正しくないにせよ- 伝える。そうして、情報が正しい場合には、それは地図とその地図が該当する地域との間に、構造上の類似性があるためである。同じことが、事実を言語で主張することについてもあてはまるとウィトゲンシュタインは考えた(注:the same is true of ~;~についてもそれは同様である)。たとえば、彼は、a が b に対して R という関係をもつという事実を表すために、aRb という記号を用いるとき、この記号がその事実を表現しうるのは、その記号が a という文字と、b という文字との間に a という物と b という物との間の関係を表現するような,ひとつの関係を確立しているからである、と言った。この説は構造の重要性の強調をともなった。たとえば、彼はこう言う。「蓄音機のレコード、楽想(musical thought 音楽思想)、楽譜、音波は全て、相互に、言語と世界との間に成り立つのと同じような絵画的な内面的な関係の中に立っている。論理的構造はそれら全て共通である」。 「物語の中の二人の青年や彼らの二匹の馬や彼らの百合のごとく、それらは全てある意味で一つのもの(一体)である)」(『論考』4.014)
Chapter 10 The Impact of Wittgenstein, n.6 Perhaps the basic doctrine in the philosophy of the Tractatus is that a proposition is a picture of the facts which it asserts. A map clearly conveys information, correct or incorrect; and when the information is correct, this is because there is a similarity of structure between the map and the region concerned. Wittgenstein held that the same is true of the linguistic assertions of a fact. He said, for example, that, if you use the symbol ‘aRb’ to represent the fact that a has the relation R to b, your symbol is able to do so because it establishes a relation between ‘a’ and ‘b’ which represents the relation between a and b. This doctrine went with an emphasis upon the importance of structure. He says, for example, ‘The gramophone record, the musical thought, the score, the waves of sound, all stand to one another in that pictorial internal relation, which holds between language and the world. To all of them the logical structure is common.’ ‘(Like the two youths, their two horses and their lilies in the story. They are all in a certain sense one.)’ (Tractaius 4.014.)
Source: My Philosophical Development, chap.108:1959.
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バートランド・ラッセル『私の哲学の発展』第10章 「ヴィトゲンシュタインの衝撃」 n.5
1918年の始めに、私はロンドンで連続講義をし、それは後に雑誌「モニスト(Monist)」に1918年から1919年に渡って発表された(印刷にふされた)。私は「モニスト誌」掲載された論文の冒頭に、自分がウィトゲンシュタインに負うところある旨(負っていることを認めて)を、次のように書いた(prefaced)。「以下の論文は、1918年始めの数ケ月にロンドンで行われた全8回の連続講義のうち始めの2回の講義です。それらは主として、以前私の学生であり,(現在)友人であるルードウィッヒ・ウィトゲンシュタインから学んだある考えを説明するものに大部分関係しています。私は1914年8月以降の彼の見解を知る機会をまったくもたず、彼が(現在)生きているかどうかも知りません。従って、彼らは、これら2つの講義で述べられていることに対し、講義に含まれている理論の多くを最初に(私に)与えたということ以上に、責任を持っていません。残りの6つの講義はモニスト誌に今後3号に渡って掲載される予定です。」 自分の哲学を言い表すのに「論理的原子論(Logical Atomism)」という名称を初めて採用したのは、この講義においてであった。しかし、ウィトゲンシュタインの学説は1914年にはまだ未完成(未成熟)の状態にあったので、この段階にこれ以上とどまる価値はない(not worth while to linger upon this phase)。重要なのは『論理的哲学論考(Tractatus)』であり、そのタイプ原稿をウィットゲンシュタインは、第一次世界大戦休戦(1918年11月11日)後直ぐに -まだ彼が捕虜してイタリヤのモンテ・カッシノにいたときに- 私のところへ送って来た(郵送してきた)。私は『論考』の学説を、まずそれらの学説が当時の私に影響したものとして、また次に、それ以降、私がその学説をどう考えるようになったことについて、考察することにしよう。
Chapter 10 The Impact of Wittgenstein, n.5 At the beginning of 1918, I gave a course of lectures in London which were subsequently printed in The Monist (1918 and 1919). I prefaced these lectures by the following acknowledgement of my indebtedness to Wittgenstein: ‘The following articles are the first two lectures of a course of eight lectures delivered in London in the first months of 1918, and are very largely concerned with explaining certain ideas which I learnt from my friend and former pupil Ludwig Wittgenstein. I have had no opportunity of knowing his views since August 1914, and I do not even know whether he is alive or dead. He has therefore no responsibility for what is said in these lectures beyond that of having originally supplied many of the theories contained in them. The six other lectures will appear in the three following numbers of The Monist. It was in these lectures that I first adopted the name ‘Logical Atomism’ to describe my philosophy. But it is not worth while to linger upon this phase, since Wittgenstein’s doctrines in 1914 were in an immature stage. What was important was the Tractatus, of which Wittgenstein sent me the typescript very soon after the Armistice, while he was still a prisoner at Monte Cassino. I shall consider the doctrines of the Tractatus, first as they affected me at the time, and then as I have since come to think of them.
Source: My Philosophical Development, chap. 10:1959.
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バートランド・ラッセル『私の哲学の発展』第10章 「ヴィトゲンシュタインの衝撃」 n.4
ウィトゲンシュタインの学説(doctrines)は私に深い影響を与えた。(今では)、多くの点で私はかれに賛成しすぎたと考えるにいたっている。しかし、まず争点(points at issue 論争となっている点)は何であったか説明しなければならない。 ウィトゲンシュタインの私に対する衝撃は二つの波となってやって来た。第一派は第一次世界大戦前にやってきた。第二波は大戦直後のウィトゲンシュタインが彼の『論考』(Tractatus)の原稿を私に送ってきた時のことであった。彼の後の学説 -彼の後の著書『哲学的探究』(Philosophical Investigation に現われているような学説- は、私には何の影響をも与えなかった。 1914年の始め、ウィトゲンシュタインは、さまざまな論理学上の問題についての覚え書(notes)からなる短いタイプ原稿(注:typescript タイプライターで打った原稿。みすず書房の野田訳の「タイプ刷りの原稿」では印刷したと誤解される。)を私にくれた(送ってくれた)。この原稿は、何度も彼と(手紙で)話し合ったことが合わさって、戦争中の私の思索に影響した。(ただし)その間、彼はオーストリヤ軍に加わっており、従って、私は彼との接触を全く断たれていた。この時、私が彼の学説について持っていた知識は、全く未発表の情報源に由来するもの(得られたもの)であった。この時にまた後になっても、私自身が彼から得たと思っていた諸見解が、実際に彼の見解であったかどうか、私にははっきりしない。彼は、他人による自分の学説の解説(expositions)を、その人が彼の熱心な弟子(ヴィトゲンシュタイン)である場合でも、常にはげしく否認していた。私の知る唯一の例外は、ラムゼー(注:Frank Pl. Ramsey, 1903-1930:ケンブリッジ大学トリニティ・こレッジ出身の数学者で数学・哲学・経済学に大きく貢献)であった。ラムゼーのことはまもなく(presently)取り上げるであろう。
Chapter 10 The Impact of Wittgenstein, n.4 Wittgenstein’s doctrines influenced me profoundly. I have come to think that on many points I went too far in agreeing with him, but I must first explain what were the points at issue. Wittgenstein’s impact upon me came in two waves: the first of these was before the First World War; the second was immediately after the War when he sent me the manuscript of his Tractatus. His later doctrines, as they appear in his Philosophical Investigations have not influenced me at all. At the beginning of 1914, Wittgenstein gave me a short typescript consisting of notes on various logical points. This, together with a large number of conversations, affected my thinking during the war years while he was in the Austrian army and I was, therefore, cut off from all contact with him. What I knew of his doctrines at this time was derived entirely from unpublished sources. I do not feel sure that, either then or later, the views which I believed myself to have derived from him were in fact his views. He always vehemently repudiated expositions of his doctrines by others, even when those others were ardent disciples. The only exception that I know of was F. P. Ramsey, whom I will consider presently.
Source: My Philosophical Development, chap. 10:1959.
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バートランド・ラッセル『私の哲学の発展』第10章 「ヴィトゲンシュタインの衝撃」 n.3
争点(issue)は上の数学の例に見られるよりもはるかに一般的なものである。争点は次のとおりである。「ある命題が真であるか偽であるか(二者択一 the alternative)を決定する方法が存在しないとき、その命題は真であるか偽であるかどちらかであると言うことは何らかの意味があるか?」 あるいは、別の形で言い表わすと、「『真(であること)は『検証可能』であるということと同一視すべきか?」 、我々はひどく無益な論理的矛盾(パラドクス)を冒すことなく、こういう同一視をすることはできないと考える(そのような同一視をすれば、ひどい無益な論理的矛盾を冒すことになる、と私は考える)。(たとえば)次のような命題をとりあげよう。「西暦一年一月一日にマンハッタン島に雪が降った」。この命題が真であるか偽であるかを発見しうるいかなる方法もない。しかしそれが真でも偽でもないと主張することは不合理(preposterous 馬鹿げている)と思われる(訳注:1年単位あるいは、数ヶ月単位であればその土地に当時雪が降ったかどうかわかるかも知れないが、その数ヶ月の中の特定のある日に雪が降ったかどうかは確かめることはできない)。私はこの問題を今はこれ以上追求しないことにする。(というのは)私の著書『意味と真理の研究』(Inquiry into Meaning and Truth)の第20章と第21章で詳しく論じており、本書の後の章でそれについてまた言及する(からである)。それまでの間、私は直観主義者の理論はしりぞけられるべきであると想定(仮定)することにしよう。 直観主義者も形式主義者も『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)』の学説を外側から攻撃しており、彼らの攻撃を撃退することは大して困難とは思われなかった。ウィトゲンシュタイン及びウィトゲンシュタイン学派からの批評は別の問題であった。それは内側からの攻撃であり、全ての点において尊重に値した(検討の価値があった)。
Chapter 10 The Impact of Wittgenstein, n.3 The issue is much more general than it appears in the above mathematical examples. The issue is: ‘Is there any sense in saying that a proposition is either true or false when there is no way of deciding the alternative?’ or, to put the matter in a different form, ‘Should “true” be identified with “verifiable”?’ I do not think we can make such an identification unless we commit ourselves to gross and gratuitous paradoxes. Take such a proposition as the following: ‘It snowed on Manhattan Island on the 1st January in the year 1 A. D.’. There is no conceivable method by which we can discover whether this proposition is true or false, but it seems preposterous to maintain that it is neither. I will not now pursue this matter further, as I discussed it in detail in Chapters XX and XXI of the Inquiry into Meaning and Truth to which I shall return in a later chapter. Meantime, I shall assume that the Intuitionists’ theory is to be rejected. Both the Intuitionists and the Formalists attacked the doctrines of Principia Mathematica from without, and it did not seem very difficult to repel their attacks. It was another matter with the criticisms of Wittgenstein and his school, which were attacks from within and deserving of all respect.
Source: My Philosophical Development, chap. 10:1959.
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