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バートランド・ラッセル 私の哲学の発展 第10章 (松下彰良 訳) - My Philosophical Development, 1959

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第10章 「ヴィトゲンシュタインの衝撃」 n.12 - 世界に存在する物の数


ラッセル英単語・熟語1500
 同じ種類の問題が関連する(あてはまる)もうひとつの事項(respect 点)は、「無限の公理」(the axiom of infinity')と私の呼んだものである。有限の物のみを含んでいる世界においては、その数(その有限の物の数)は、物の集合にとっての最大可能数となるであろう(訳注:無限を認めない世界においては、世界の存在する物の数が、最大数となる)。そういう世界においては、高等数学の全体が崩壊するであろう(訳注:無限数を扱えないことは高等数学にとって致命的)。しかし、世界にどれだけの数の物が存在するかは、純粋に経験的な問題であると私には思われた。そうして、論理学者は、論理学者自体としては(as such 論理学者の資格として)、その問題について何らかの意見をさしはさむことを許容すべきであるとは考えなかった(許容すべきではないと思った)。それゆえ(論理学者としての)私は、無限数の物を必要とするような数学の部門の全てを仮説的なものとしてとり扱った。これら全てがウィトゲンシュタインを怒らせた。彼によれば「ロンドンにどれだけの数の人間がいるか」とか「太陽にはどれだけの数の分子が含まれているか」とか問うことはできるが、世界の中に少なくともそれだけの数(訳注:ロンドンの住民数や太陽の分子数)のものが存在する、と推論することは無意味なのである。彼の学説の中のこの部分ははっきり言って間違っている、と私には思われる。

Chapter 10 The Impact of Wittgenstein, n.12


Another respect in which the same kind of question was relevant was as to what I had called 'the axiom of infinity'. In a world containing only a finite number of things, that number would be the greatest possible for a collection of things. In such a world, all higher mathematics would collapse. It seemed to me to be a purely empirical question how many things there are in the world, and I did not think that the logician, as such, ought to permit himself an opinion on the subject. I therefore treated all those parts of mathematics which require an infinite number of things as hypothetical. All this outraged Wittgenstein. According to him, you could ask 'How many people are there in London?' or ‘How many molecules are there in the sun?' but to infer that there are at least that number of things in the world was, according to him, meaningless. This part of his doctrine is to my mind definitely mistaken.
(掲載日:2020.01.15/更新日: )