良い形(望ましい形)での現実逃避 the desire to escape from reality

kibou-br 精神分析家は,現実逃避の欲求は非常に悪いものだと言うが,私には,それは誇張であり,ある種の重要な区別がなされていないように思われる。現実逃避は,それによって妄想を生み出したり,自分の仕事をなまけたりするような場合には,悪いものとなる。・・・。
しかしこれとは異なり,まったく望ましい形の現実逃避がある。モーツァルトは,想像の世界に逃げ込むことによって,借金取りと借金を忘れるために,よく作曲した。もしもモーツァルトが,著名な精神分析家たちの助言に従っていたならば,作曲をするかわりに,収入と支出からなる貸借対照表を注意深く作成し,収支のバランスをとることによって,節約の工夫をする仕事にとりかかっただろう。モーツァルトがそうしたならば彼自身は収入を失ない,我々は彼の音楽を失なったであろう。

We are told by psychoanalysis that the desire to escape from reality is a very bad thing, but to my mind they exaggerate and fail to make some necessary distinctions….
But there are other forms of escape from reality which are wholly desirable. Mozart used to compose music in order to forget his duns and his debts by escaping into a world of phantasy. If he had followed the advice of eminent psychoanalysts, he would instead have drawn up a careful balance sheet of receipts and expenditures and set to work to devise economies by which the two could be made to balance. If he had done this, he would have lost his income, and we should have lost his music.
出典:Flight from Reality, Mar. 2, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/FLIGHT-R.HTM

[寸言]
何が「現実」であるかは人によって一様ではない。この世の中は「生きるか死ぬかの生存競争の世界だ」と信じきっている人は,「競争(を通じての成功)“を過大評価し,「努力をしなかった(努力が足りなかった)」人間が経済的に苦しむことはいたしかたないことだと考え,経済的格差は(人間を怠惰にさせないためにも)必要だと内心考える。そうして,「競争崇拝」によって,落ちこぼれ,苦しむ人々を生み出しているという側面を見て見ぬふりをする。
「競争」をひとくくりにするのではなく,「悪い」競争と,比較的「良い」競争との区別をしっかりする必要がある。限られた資源を奪い合う(所有欲に基づく)「競争」はよくないが,新しいものを生み出そうとする(創造欲に基づく)「競争」はよい。特に,精神的な創造行為は,他人を傷つけることはないので,望ましい人間的営みである。
ラッセルの次の言葉を味わいたい。与謝野晶子ほか,大正時代の日本の知識人の多くに影響を与えた言葉である。(大正時代にラッセルが日本に訪れた前後に期間に,日本にも「ラッセル・ブームが起こったことを若い人にも知ってもらいたい。
次のページにラッセル来日時に毎日日本の新聞に掲載されたラッセルの動静をまとめてある。
http://russell-j.com/R4HOME.HTM#mark4

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最良の生活とは,創造的衝動が最大限に発揮され,所有衝動が最小限に現れる生活です
(共有しえない物を入手したり,保有したりしようとする「所有衝動」と,隠したりまたは私有する必要のないものをこの世の中にもたらしたいという「創造衝動」)
The best life is one in which the creative impulses play the largest part and the possessive impulses the smallest.
出典:ラッセル「所有衝動と創造衝動」(Bertrand Russell: Political Ideals, 1917, chapt. 1)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/2-IMPULS.HTM
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現代人が大部分の事柄についてあえて自分の意見を持とうとしないのは・・・

RATIONAL 人間が受動的になったのは,娯楽面ばかりではなく,自分が専門家でないありとあらゆる技術と知識の形態においてそうである。昔の農民は天候に詳しかったが,現代人は明日の天気について自分の意見をもちたいときには(新聞掲載の)公的な天気予報を読む。現代人は新聞(注:今でいえばテレビなど)を見なければ,「現在」雨が降っているか晴れているかさえわからないらしい、という印象を私は時折持ったことがある(皮肉)。現代人はまちがいなく新聞(注:テレビなど)を通して政治や世界情勢や昔の厳格な美徳にもどる必要性について自分の意見をつくりあげる。現代人が大部分の事柄についてあえて自分の意見を持とうとしないのは,特別な学識や経験を持つ人々の権威の保障のもとに物を言ったほうが安全だ,と確信しているからである。

It is not only in regard to amusements that men have grown passive, but also in regard to all those forms of skill and all those departments of knowledge in which they are not themselves experts. The old-fashioned farmer was weather-wise, whereas the modern man, if he wishes to form an opinion as to what the weather is going to be, reads the official weather forecast. I have sometimes had the impression that he cannot even tell whether it is wet or fine at the moment without the help of his newspaper. Certainly it is from his newspaper that he derives his opinions on politics and the state of the world and the need of a return to the rugged virtues of a former age. On most matters he does not trouble to have opinions at all, since he is convinced that they can safely be left to those whose special study or experience entitles them to speak with authority.
出典:Are we too passive? Feb. 3, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/PASSIVE.HTM

[寸言]
世の中はますます複雑になるばかりであり,専門的な知識や経験が必要な分野についてはなかなか自分独自の意見や判断を持つことが困難になってきている。
そこで,識者(学識経験者),タレント評論家,あるいは(自分にとっての)アイドルの意見を知りたがり,あの人が言っているのならと,とりあえず自分の意見らしきものとして採用する。
果として自分が選んだ判断が間違っていても,あの人も間違ったのだからと,簡単に自分を許し(赦し),深刻な反省の機会にするようなことはしない,人が少なくない。 

世論を無視する勇気 Indifference to public opinion

DOKUSH60 肉体的な危険以外の事柄について勇気のある男性は,それがどのような事柄であれ,良くは思われない。たとえば,世論を無視することは,一つの挑発(行為)とみなされ,その権威をあえて馬鹿にした人を,世間は,あらゆる手段をつくして罰しようとする。これらはすべて,あるべき姿にまったく反することである。
(しかし)男女を問わず,あらゆる形の勇気は,軍人において肉体的な勇気が称賛されるのと同様に,称賛されなければならない。

The man who is courageous in any matter except physical danger is also thought ill of. Indifference to public opinion, for example, is regarded as a challenge, and the public does what it can to punish the man who dares to flout its authority. All this is quite opposite to what it should be.
Every form of courage, whether in men or women, should be admired as much as physical courage is admired in a soldier.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chapt. 5: Fatigue.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA15-070.HTM

[寸言]
多数意見に従っておけば安心」ということで,あくまでも自分の頭で考え,自分で判断するということをしない人が少なくない。その深層心理は,多数意見に従っておけば,間違っていることが後からわかっても,多くの人が間違ったのだからと,自分を簡単に許すことができるからかも知れません。(街頭インタビューの答えがつまらない理由はこの態度で多くの人が答えるから。)

他国と戦争になった時に,反戦の立場に立つと,「臆病者」よばわりされたり,「非国民」のレッテルを貼られたりします。戦争というのは極端な場合ですが,世間の多数意見に反対するときにはかなりのエネルギーや勇気が必要です。しかし,残念ながら,日本社会はそういったものに対する寛容度がまだ低いと言わざるをえません。(反戦デモをしていたことがわかると就職に不利とか・・・。

「無意識に」有益な仕事をさせる the unconscious can be led to do a lot of useful work

BR-WOW意識的な思考を無意識の中に植えつけることは可能である,と私は信じている。無意識の大部分は,かつては非常に情緒的な意識的思考であったが現在では意識下に埋め込まれてしまったもので成り立っている。この意識下に埋め込む過程を意図的にやってみることは可能であり,このようにして,無意識に有益な仕事をいろいろさせることができる。たとえば,私があるかなり難しい話題について書かなければならないとした場合,最良の方法は,その話題について,非常に強烈に,自分に可能なかぎりの最大級の強度(集中力)をもって数時間ないし数日間考え,その期間の最後に,いわば,この作業を地下で続行せよと命令する,というやり方である。何ケ月か経過してから,その話題に意識的に立ち返ってみると,その作業はすでに終わっているのを発見する。

My own belief is that a conscious thought can be planted into the unconscious if a sufficient amount of vigour and intensity is put into it. Most of the unconscious consists of what were once highly emotional conscious thoughts, which have now become buried. It is possible to do this process of burying deliberately, and in this way the unconscious can be led to do a lot of useful work. I have found, for example, that if I have to write upon some rather difficult topic the best plan is to think about it with very great intensity – the greatest intensity of which I am capable – for a few hours or days, and at the end of that time give orders, so to speak, that the work is to proceed underground. After some months I return consciously to the topic and find that the work has been done.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chapt. 5: Fatigue
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA15-050.HTM

[寸言]
現実を直視するのが怖くていやなものから目をそらしたり,考えないようにしたりするのではなく,考えるべきときに徹底的に考える習慣をつければ,難しい問題も知らないうちにふと解決策を思いついたりできるようになる,というのが,ラッセルが経験から学んだことであり,皆さんも是非実践してみてください,という勧めです。

意識の無意識への働きかけの活用 the operation of the unconscious upon the conscious

brain-300x225 無意識の意識への働きかけについては,これまで,心理学者による研究がかなりなされてきているが,意識の無意識への働きかけについては,研究があまりなされてきていない。しかし,後者(意識の無意識への働きかけ)は,精神衛生の分野で非常に大きな重要性を持っており,もし理性的な確信が無意識の領域で(も)いつも働くべきであるとするならば,理解されなければならない。

There has been a great deal of study by psychologists of the operation of the unconscious upon the conscious, but much less of the operation of the conscious upon the unconscious. Yet the latter is of vast importance in the subject of mental hygiene, and must be understood if rational convictions are ever to operate in the realm of the unconscious.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.5: Fatigue
http://russell-j.com/beginner/HA15-050.HTM

[寸言]
ラッセルは,無意識を無理やり押さえつけるために,無意識の世界に現在の意識を植え込もうと主張しているわけではありません。,よい習慣(良い思考習慣も含む)をたくさん身につけることによって,不合理な無意識(ばくぜんとした不安や心配も含む)が人間に悪い影響を与えないようにしようと言っています。

年をとり,要職についた人は・・・

KAMI-ST 組織が現代社会において不可欠である以上、要職にある人たち若者のとっぴな考えを大目に見る心を養わないかぎり、この不幸から抜け出す道はまったくない。人は重要なポストにつくと忠告の言葉に耳を傾けなくなるので、自分の考えを改める望みがなくなる。不幸なことに通例、若者の(資質や能力の)向上は、年をとり要職についた人たちの手で行なわれている。30歳以上の人間を学校の校長にしてはいけないと私は提案したい。しかし、この賞賛すべき改革案が採用されることはほとんどないだろうと思う。

Since organisation is inevitable in the modern world, there is every no way out of this trouble except to imbue the men in important positions with toleration for the vagaries of the young. When men have already become important there is, of course, no hope of improving them, since they will no longer listen to advice. Unfortunately, the improvement of the young is generally left to those who have already become old and important. I can only suggest that no school should have a head more than thirty years of age. But I hardly expect to see this admirable reform adopted
出典:On being good, Nov. 18, 1931. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/BEING-G.HTM

[寸言]
裸の王様に対し側近我慢・保身を第一とすると,多くの人が迷惑をこうむります。
あんなに大変な人の下でよく我慢できた → どんなところでもやっていける → 優秀だ ということで役人(官僚)昇進していきます。しかしそういった裸の王様に諫言しないことにより,多くの人(部下)が迷惑を被るという側面があります。あの上司が,保身を考えずに,裸の王様にしっかり言ってくれていたならば・・・。
やはり「優等生であること」は,特に国の機関では偉くなるための必要条件ですね。
そこで先日,「ラッセルの言葉366」で配信した、ラッセルの次の格言(ひどい上司や権力者に従順な理由)が活きてきます。
理由としては2と3が該当します。

人と協力するには三つの理由がある。一つは相手を愛するからであり,★一つは相手を恐れるからであり,★もう一つは不正な利得にあずかりたいと望むからである。これらの三つの動機は,人間の協力が必要なそれぞれの領域において,それぞれ異った重要性を持つ。第一の動機は’生殖’を支配し,第三の動機は’政治’を支配する。」

権力(者)に従順な人間は、自分より力のない者に対しては必ず権力を振るう

SACRI-F かなり昔、多分古代ローマの愚かな人間が、「人の上に立つ人間はまず人に服従することを知らなければならない」と言っているが、真理はそのまったく逆である。人に従うことを覚えた人間は、自分の個人的創意を全部失うか、あるいは,権力に対する怒りでいっぱいになり、破壊的かつ残忍な人間となる

Some fool, long ago – probably a Roman – said that to know how to command, a man must first learn how to obey. This is the opposite of the truth. The man who has learnt to obey will either have lost all personal initiative or will have become so filled with rage against the authorities that his initiative will have become destructive and cruel.
出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「優等生について」
詳細情報:http://russell-j.com/BEING-G.HTM

[寸言]
自尊心を持っている人間なら誰も誰かに服従したいとは思わない。にもかかわらず服従するのは,自分より権力を持っている人間に服従するかわりに、自分より弱い人間に対して権力を振るいためであろう。だから、そういった人間は、自分に従順な人間以外に対しては、「弱い者いじめ」をして埋め合わせをしているのである。

組織の中の「良い子」the ‘good’ boy in the organization

VIRTUE しかし,今日の若者のほとんどは,巨大な組織の末端の地位から職業人生を始めなければならない。彼の上司が経験豊かな学校の先生が持っている’寛容の精神の持主‘であるのは稀であり,組織の中の「良い子」に昇進の道を与えがちである。
不幸なことに,従順という性質は,創意(イニシアティブ)と指導力を持った人間が持っていることは稀である。

But nowadays almost every young man has to begin with a very subordinate post in some vast organisation. His superiors seldom have the tolerance of the experienced schoolmaster and are likely to give promotion to the ‘good’ boy.
Unfortunately docility is not a quality which is often found in the man capable of initiative or leadership.
出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「優等生について」
詳細情報:http://russell-j.com/BEING-G.HTM

知恵が少しずつ’蒸留される’ゆったりと考える時間 slow thoughts

DOKUSH34 今の世の中には,時間のゆとりがほとんどないが,それは,昔よりも人々が忙しく働いているからではなく,楽しみを持つことが仕事同様に’努力を要する事柄’になってしまっているためである。その結果,人間は小利口にはなったが,知恵が少しずつ’蒸留’される’ゆったりと考える時間(余裕)’を持てないために,知恵は減少してしまった。

In the modern world there is hardly any leisure, not because men work harder than they did, but because their pleasures have become as strenuous as their work. The result is that, while cleverness has increased, wisdom has decreased because no one has time for the slow thoughts out of which wisdom, drop by drop, is distilled.
出典:The decay of meditation, Nov. 7, 1931. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/MEDITATE.HTM

他人と協力する三つの理由 three reasons for which you may co-operate with a man

VIRTUE (ところで,)人と協力するには三つの理由がある。一つは相手を愛するからであり,一つは相手を恐れるからであり,もう一つは不正な利得にあずかりたいと望むからである。これらの三つの動機は,人間の協力が必要なそれぞれの領域において,それぞれ異った重要性を持つ。第一の動機は’生殖’を支配し,第三の動機は’政治’を支配する。

Now there are three reasons for which you may co-operate with a man: because you love him, because you fear him, or because you hope to share the swag. These three motives are of differing importance in different regions of human co-operation: the first governs procreation, and the third governs politics.
出典:The advantages of cowardice, Novt. 2, 1931. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/COWARD.HTM

[寸言]
自分を反省してみて,権力や権限をもっている人間に対し,どのような態度で応対(「協力!」)することが多いでしょうか?
ラッセルがあげた3つの協力の形態のなかでは,第一番目の理由が望ましいわけですが,勤め人(経済人)であれば,そうでない場合も少なくありません。
特に政治の世界では第三の理由(不正な利得にあやかるため)から「協力」する場合も少ないとはいえないですが,第二の理由から「協力」する場合がかなりあるのではないかと思われます。

2022年はラッセル生誕150年