デマゴーグ(扇動政治家)の常套手段

hasimoto_toru 天才になるための秘訣の最重要要素の一つは,非難の技術の習得である。あなた方は必ず,この非難の対象になっているのは自分ではなくて他人であると読者が考えるような仕方で非難しなければならない。そうすれば,読者はあなたの気高い軽蔑に深く感銘するだろうが,非難の対象が他ならぬ自分自身だと感じたと同時に,彼はあなたを粗野で偏屈だと非難するだろう。

One of the most important elements of success in becoming a man of genius is to learn the art of denunciation. You must always denounce in such a way that your reader thinks that it is the other fellow who is being denounced and not himself; in that case he will be impressed by your noble scorn, whereas if he thinks that it is himself that you are denouncing, he will consider that you are guilty of ill-bred peevishness.
出典: How to become a man of genius (written in Dec. 28, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:https://russell-j.com/GENIUS.HTM

[寸言]
hitler_seiji-senden デマゴーグ(扇動政治家)と言われる人(橋本徹など)が悪態をつくのに適当な対象・相手を見つけ糾弾すると,「そうだそうだ」と多くの人が同意し、快感を覚える。しかし、そう言った人物は,自分の名声や影響力を高められると思ったら、あなた自身やあなたに似た集団を攻撃するだろうことに多くの人々は思い至らない。
いつも攻撃できる立場にいることは快感かも知れないが、いつ何時(世間の)攻撃対象になるかわからないということをよく理解すべきである。

欺瞞(の「努力」)を要する職業は高給保証-政治家,御用評論家・・・

hypocrite 我々(人間)は,もちろん皆高潔であるべきではあるが,自分の美徳をどの程度まで公言すべきかは職業によって異なる。’馬喰’(バクロウ)や’競馬ののみ屋’は信心深い態度を示すことを期待されていないし,’船乗り’の言葉遣いが,’かかりつけの医者’ほど丁寧であることも期待されていない。
自分の思うままに自然に振る舞える職業は,概して,かなりの欺瞞を要する職業に比べて,金銭的利益が少なくなるのは当然のことである。企業の顧問弁護士,腐敗した政治家や人気のある精神科医は,道徳的な感想(や意見)を,ごく真面目に頻繁に述べなければならないが,こういった困難な仕事の見返りに,彼らはそれ相応の報酬が与えられる。

br-quote_who-desire-own-happiness-thanWe all ought, of course, to be highly virtuous, but the degree to which we ought to proclaim our own virtue depends upon our profession. A horse dealer or a bookmaker is not expected to have an air of piety, a sailor is not expected to be as nice in his diction as a family physician.
The professions in which a man is allowed to behave in a natural manner are, of course, on the whole less lucrative than those in which a high standard of humbug is required. The corporation lawyer, the corrupt politician, and the popular psychiatrist are expected to utter moral sentiments with profound earnestness and great frequency, but in return for this hard work, they are allowed a suitable remuneration.
出典: On being edifying (written in June 11, 1931 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:https://russell-j.com/EDIFY.HTM

[寸言]
我が子の教育にあたる教師は,高い道徳的な観念を持っていてほしいと多くの親が望みます。しかし,ラッセルが言うように,「正しいことを教える(あるいは説教する)」ことばかりに力をいれる教師は余り良い教師とは言えません。現代日本ではむしろ,受験を意識した「知識の詰め込み」教育をしている教師の方が多いかもしれませんが,ラッセルがこのエッセイでのべているような ,教化(善導)を主張する教育関係者の悪意や迫害性を自覚している人はどれだけいるでしょうか?

教育者の場合、自分が正しいと思ってひどい教育を行う者がいますが、政治家の場合は、権力を得るために、あるいは権力を保持し続けるために、偽善者を演じ通す人間が少なくありません。
自分の偽善を自覚している人と、自分の偽善に気づかない人の、どちらがより罪が重いでしょうか?

「確信過剰な」愚かな人々が世にもたらす害悪

abe_sanakunin 揉め事(トラブル)の根本原因は,現代世界においては知的な(聡明な)人々が懐疑心でいっぱいである一方,愚かな人々が確信過剰である(cocksure)ということである。

The fundamental cause of the trouble is that in the modern world the stupid are cocksure while the intelligent are full of doubt.
出典:The Triumph of Stupidity (written in May 10, 1933 and pub. in Mortals and Others: Bertrand Russell’s American Essays, 1931-1935, v.2:p.28.)
詳細情報:https://russell-j.com/0583TS.HTM

[寸言]
Bertrand Russell Quote Fools and Fanatics この一文は,上記の Mortals and Others と題されたラッセルのアメリカン・エッセイ集の第2巻(本邦未訳)に収録されています。これを詳細情報にあげた URL に掲載したところ、昨年11月27,28日の2日間で2万件近くのアクセスが海外からありました。その原因は、このページがハッカー(注:悪いハッカーではなくよいハッカー=クラッカー)のためのホームページ(サイト)でとりあげられたことであることが後からわかりました。

ところで、ピコ太郎のショート・ムービ(ギャグ)のように億単位のアクセスが海外からあるなど、インターネット上では思いもかけないことが発生します。(ピコ太郎のショート・ムービは YouTube にのせたため数千万の収入があるらしいですが、もちろん私が掲載した記事からの利益はゼロ円です。)

例外的特権に依存する安心・安全は’不正’

bonbon_sekensirazu 世の中の大多数の人々に比べて,恒常的により快適な境遇のもとに生きる人々は,通常,自分よりも不幸な人々への同情を感じない。彼らは,時折あからさまに’無感覚’であり,時折,人間の幸福は魂のみにかかわり,物質的福祉とは無関係であるから(正当な)取り分以上の財貨を自分たちが得たとしても貧乏人に実害を及ぼすことにはならないといった’嫌悪感を抱かせる見解‘を採用する。
例外的特権に依存する安心・安全は’不正’であり,それゆえ,自分に都合のよい社会的不正のための口実を見いだそうとする人間は,必ず,’ゆがんだ道義的感覚’を身につけることになる。他方,自由競争の勝者である現代世界の支配者たちは,競争での成功を実現する冷酷さや様々な行為の価値を過大評価する。

Men whose circumstances have always been more comfortable than those of the majority are, as a rule, incapable of sympathy with those who are less fortunate. Sometimes they are frankly callous, sometimes they adopt the more nauseous view that happiness depends upon the soul and is independent of material well-being, so that they are doing no real harm to the poor in taking more than their share of this world’s goods. Security depending upon exceptional privilege is unjust, and the man who has to find excuses for an injustice by which he profits is bound to acquire a distorted moral sense. On the other hand, the powerful men of the present day who are the victors in a free fight overestimate the value of ruthlessness and of the various acts by which success in competition is achieved.
出典: On economic security (written in Dec. 16, 1931 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:https://russell-j.com/ESECRITY.HTM

[寸言]
今日の状況を招いた「競争の哲学」(競争至上主義)に対する批判

ロシアの共産主義体制は一度瓦解した。中国の一党独裁もいずれ崩壊するかも知れない。しかし、社会主義体制にもいろいろあり,スウェーデなど北欧の社会主義体制は,米国などの資本主義社会よりも優れている(と思っている人が多い)。

untitled - 31735066248802 世界中の資本主義国家は,大企業を支援するだけでなく,自由競争(市場主義や新自由主義)を金科玉条のように信奉し推進した結果,企業間格差や国民の経済格差は格段に進んでしまった。米国においては1,2%の国民が米国の富の40%を握る状況までなっており、日本は米国ほどの格差はないにしても,世界第2位か第3位の格差国家になってしまっている。(昨日のNHKの資本主義の諸問題に関する特集番組では、国民の経済博はは、米国、英国に続いて第三位だそうですが、第二になるのはそう遠くない将来でしょう。)

「我々は我々にふさわしい政治家を選ぶ」- 天に唾する者

abe_sin-ichimanensatuもし悪魔と堕天使党公認の候補に指名され,大天使ガブリエル無所属立候補するならば,ガブリエルに当選の見込みはないのはなぜだろうか? 不思議だと思うかもしれないが,それが現実である。これはどうしてだろうか。不思議だと思うかもしれないが,それが現実である。
理由の一つは,無所属の候補者は公認候補のように巨額の選挙資金を使えず,そのため「政治家」の得意な権謀術策を使って大衆の熱狂を生み出すことができないからである。しかしこの説明もやはり十分ではない。世間が無所属の候補に選挙資金を寄付したがらないのはなぜかという疑問が解消されないからである。疑いもなく,無所属の人間は当選する見込みがないというのがその答えであり,またそのことが彼らに投票しない理由でもある。しかしそれは,なぜ彼らが選挙に勝てないのかという最初の問題にひきもどしてしまう。・・・。
jakusha-hottoke_yoron ともかく民主主義国家において,自分たちが選んだ政治家を批判することは,我々自身を批判することであるということを肝に銘じよう。我々は我々にふさわしい政治家を選ぶのである。

Why is it that, if Satan and Beelzebub were nominated as the official candidates and the Archangel Gabriel stood as an independent, the Archangel would have no chance of being elected ? For that is the fact, strange as it may seem.
One reason is that an independent candidate does not command such large campaign funds and therefore cannot generate mass enthusiasm by the techniques in which politicians are adepts. But this reason, again, does not take us all the way, since it leaves us wondering why men are so unwilling to subscribe to the campaign funds of independents. The answer, no doubt, is that independents are not likely to be elected, which is also a reason for not voting for them. But that only brings us back to our first question : why are they not likely to be elected ?  …
Meanwhile, let us remember that in a democracy criticism of our politicians is criticism of ourselves – we have the politicians we deserve.
出典: On politician (written in Dec. 16, 1931 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:https://russell-j.com/POLITICI.HTM

[寸言]
もちろんラッセルは自分が選んだ政治家を批判してはいけないと言っているわけではありません。
石原氏,猪瀬氏及び舛添氏を都知事に選んだ都民も,「裏切られた」と言ってばかりいないで,自分の見る目のなさも反省してみる必要があるだろうということです。
天に唾する者は・・・。

生活を変動させる要素は希望と恐怖生み出す

Cartoon boss man looking greedily at a pair of money bags.
Cartoon boss man looking greedily at a pair of money bags.

われわれの生活には,実際には変更不可能な要素と,幸か不幸か,変動を被りやすい要素がある。生活における変更不可能な要素は,われわれの心を動かさないが,変動する要素は希望と恐怖を生みだす。それゆえ,人間の感情生活の性格は,その人が住んでいる社会組織の影響を直接受けて決まる。人間の感情は確かなものよりも不確かなものに向けられるからである。 収入が変動しなければ,人間は金銭についてあまり考えないだろうし,社会的地位が変らなければ家柄を鼻にかける俗物などにならないだろうし,自国の偉大さが(他国から見ても)議論の余地がなければ,熱狂的な愛国者にならないであろう。

In the life of every man there are some elements that are practically inalterable while there are others which are subject to fluctuations, fortunate or unfortunate. The inalterable elements are taken for granted while those that fluctuate are matters for hope and fear. The character of a man’s emotional life is therefore intimately dependent upon the social system under which he lives, since his emotions will be directed toward what is doubtful rather than toward what is certain. If a man’s income is fixed, he will not think much about money; if his social position is inalterable, he will not be a snob; if he believes his country’s greatness to be unassailable, he will not be a vehement nationalist.
出典: Hope and fear (written in Oct. 7, 1931 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.)
詳細情報:https://russell-j.com/HOPEFEAR.HTM

[寸言]
panama-papers_kyoshano-tengoku 資本主義社会においては,個人の社会的地位や経済状態は不安定であり,変動がはげしい。
変動するものは希望と恐怖の源泉となる。拝金主義(金銭崇拝)の生まれる土壌ともなる。「諸悪の根源」といわれる拝金主義(金銭崇拝/金権政治)をなくしたいのならば,その第一歩として,だれもが十分に持ち,持ちすぎた人間がいない社会組織をつくり出さなけれならない」,というラッセルの主張。

「目的地に到着することよりも,希望を持って旅することのほうが・・・」

utopia_creating 当面ほとんど実行されそうもないある種の改革を唱えることで現在生計を立てている知的かつ高潔な無数の男女が,万一魔法使いの一撃で彼らの唱道する種々の施策が達成された際には,一体どういう境遇になるかを考えると身震いする。失業者数は危険なまでに増えるだろう。団体の幹事(注:’常務理事’など)のモットーは,「希望を持って旅することは,目的地に到着することよりも良いことである」とすべきである。なぜなら,’到着’は破滅を意味するからである。

follow-blindlyI shudder to think what would become of immense numbers of intelligent and high-minded men and women who at present earn their livelihood by advocating some reform which is very unlikely to be carried, if, by some magician’s stroke, all their various measures were to be achieved. The ranks of the unemployed would be swelled most dangerously. The motto of the secretary of a society should be ‘To travel hopefully is a better thing than to arrive’, for arrival spells ruin.
出典: On societies (written in June 8, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.)
詳細情報:http://russell-j.com/SOCIETY.HTM

[寸言]
世の中にはなくてもよいと思われる団体や組織がかなりあり,理事などの役員をつとめている人たちも非常にたくさんいます。しかし,その団体の目的を達成してしまえば,その団体の存立理由がなくなり,役職者は失職してしまいます。したがって,そのようなことはもちろんやりません。
なお,ラッセルが書いている皮肉や冗談を字句通りに受け取る人が時々います。このエッセイについてはそのように受け取る人はいないだろうとは思いますが・・・?

ラベル(レッテル,タグ)を貼りたがる人

labelling_retteruhari 隣人を愛することは我々の義務であることは疑いないことであるが,それは常に容易に実行できる義務ではなく,また一部の隣人は,この困難を多少とも軽減する努力を少しも示さないという事実を認めなければならない。隣人を不快に感ずる場合はいろいろな点であるが,私見では,我々にとって最悪なのは,あらゆる人間を分類して(仕分けして)明瞭なレッテル(ラベル)を貼ること(行為)である。この不幸な習性の持主は,自分が相手に適切だと思うタグ(札)を貼りつける時に,その相手について(タグをはりつけるに足る)完全な知識をもっていると考える。

While it is undoubtedly our duty to love our neighbours, it is a duty not always easily performed, and some neighbours, it must be admitted, do nothing to make it less difficult. There are many ways in which they may be irritating, but one of the worst (to my way of thinking) is that of classifying everybody with some obvious label. People who have this unfortunate habit think that they have complete knowledge of a man or woman when they have pinned on the tag that they consider appropriate.
出典: On labelling people (written in Aug. 10, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/LABEL.HTM

[寸言]
abe_manuplate 他人にレッテルを貼りたがる人も、自分がレッテル(例:詮索好き)を貼られると憤慨する。他人はレッテルを貼れるような単純な人間だと考えるが,自分自身は簡単なレッテルを貼れない複雑な感情を持っている奥深い人間だと思う。評論家の多くがレッテル貼りが好き。

「社会とともに生きる」ことは「社会のために生きる」ことにあらず

nekonote-mo-karitai 協力は,一つの理想としては欠点がある。自分ひとりのためではなく,社会とともに生きることは正しい。しかし,社会のために生きるということは,社会(一般)がやることと同じことを自分も行うということを意味しない。たとえばあなたが劇場にいて,火災がおこり,観客が出口に向かって殺到したとしてみよう。いわゆる‘協力 (の美徳)’以上の道徳観を持ち介わせない人は,群衆に抵抗することを可能とするような気迫を持たないために,群集と一緒になって逃げるだろう。戦争に乗り出す国民の心理(状態)は,すべての点でこれと同じである。

Co-operativeness, as an ideal, is defective: it is right to live with reference to the community and not for oneself alone, but living for the community does not mean doing what it does. Suppose you are in a theatre which catches fire, and there is a stampede : the person who has learnt no higher morality than what is called ‘co-operation’ will join in the stampede since he will possess no inner force that would enable him to stand up against the herd. The psychology of a nation embarking on a war is at all points identical.
出典: Of co-operation (written in May 18, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/KYORYOKU.HTM

[寸言]
集団主義(組織の維持管理優先)は良い点もあるが,悪い点も多い。上に立つものは,従順な組織人を好みやすい。経営者の場合は,組織がうまくいっているだけではいけないので,集団主義をこわしても,利益を追求する場合も少なくない。しかし,うまくいけばよいが,失敗すれば,会社が傾き,多くの人を不幸にする。
abe_20160926-yorokobigumi 政権をになっている者にとっても,従順な国民は御しやすく,権力の維持にはうってつけだが,為政者が「由らしむべし知らしむべからず」の姿勢で政権運営をしたり,(戦中の大本営発表のように)自分たちの都合のよいことばかり言い,マスコミも権力者へのリップサービスをし,権力者が裸の王様になると,国民が気がついた時には,・・・。
アベノミクスにより格差がますます進んで弁解が難しくなった場合,国民の不満をかわすために,(中国や北朝鮮が今やっているように)日本政府も外国との間の緊張関係を利用することにでもなったら・・・。

賢者の愚かな側近はやはり愚か-愚か者の証言は・・・

クセノフォン(クセノポン:古代ギリシアの軍人、著述家)は真実でないことを考えだすほど知恵を持っていないので,クセノフォンが言ったこと(書いたこと)は全て真実に違いないと考える傾向があった。これはまったく説得力のない論拠である。
(訳1)賢い人間が言ったことを愚かな人間が伝えると(とき),正確であったためしがない。なぜなら,愚かな人間は,自分が聞いたことを自分が理解できる内容(もの)に無意識に翻訳(誤変換)してしまうからである。
momota-naoki_baka (私の意見が伝えられる場合には)私は哲学に無知な友人によってではなく,むしろ哲学者の中で私を最も厳しく批判する人によって伝えてもらいたい。それゆえ,クセノフォンの言うことが、哲学上の難しい点に関係しているか,あるいは,ソクラテスは不当に断罪されたということを証明しようとする議論の一部である場合には,我々はその証言を受け入れることはできない。

(訳2)
利口な人の言ったことに関する愚かな人の記録は,決して正確であったためしがない。なぜなら愚かな人は,自分の聞いたことを自分が理解できる何物かに,無意識のうちに反訳(誤訳)してしまうからである。

There has been a tendency to think that everything Xenophon says must be true, because he had not the wits to think of anything untrue. This is a very invalid line of argument. A stupid man’s report of what a clever man says is ★ never accurate, because he unconsciously translates what he hears into something that he can understand. I would rather be reported by my bitterest enemy among philosophers than by a friend innocent of philosophy. We cannot therefore accept what Xenophon says if it either involves any difficult point in philosophy or is part of an argument to prove that Socrates was unjustly condemned.
出典:A History of Western Philosophy, 1945, chap. 11 (Socrates), p.101(第3パラグラフ)

[寸言]
* 佐々木高政著『(新訂)英文解釈考』p.77の注: ‘never’ は,’not at all, in no way’ ではなく,’in no instance’ の意味

2022年はラッセル生誕150年