バートランドラッセル「政治家について」(1931年12月16日)(松下彰良・訳)* 原著:On politician, by Bertrand Russell* Source: Mortals and Others, v.1, 1975 |
* 改訳及びHTML修正をしました。(2010.9.19) 政治家,特に国会議員の場合は,選挙区や特定のグループへの利益誘導ではなく,国全体あるいは他国との関係も考慮に入れて,大局的見地から発言・行動することが望まれます。しかし,どこの国でも地元や支持グループへの利益誘導型の候補者に投票する選挙民が少なくありません。そうである以上,政治家の悪口をいろいろ言い,政治家の道徳観のなさを諸悪の根元のように言っても「天に唾をする」ような感じがいなめません。もちろん,日本に比べれば民主主義がはるかに定着しているイギリスやアメリカにおいても同じような傾向はないわけではありません。とにかく,「我々は,我々にふさわしい政治家を選ぶ」というラッセルの言葉は,時々思い出してみる必要がありそうです。(2001.02.25: 松下) 国家が民主的になると国民がその統治者に敬意を表さなくなるのは,奇妙ではあるが事実である。貴族や外国人支配者は,憎まれることはあっても軽蔑されることはない。自分たちを統治する人間を選ぶ国民は,国民全体から賞賛され親しまれる人間を選ぶものと期待されてきた。即ち,他人の関心事の管理というデリケートで責任の重い使命を果たすために,最も賢明かつ最良の人物と思われる人たちが選ばれるだろうと考えられてきた,と言うことも可能であろう。 けれども,現実は違っている。大部分の民主主義国において,「政治家」という呼び方には,人を嘲笑するニュアンスがある。ごく少数の例外を除いて,社会的評価の高い人が進んで選挙民の票を得ようと努めることはないし,試みたとしても失敗するであろう。一方,票を得る人は,余り良いとは言えない種類の政治プロである場合が多い。(ただし,私は最高の地位を得る人々のことを念頭においているのではない。) これに対して,誰もすぐにこう答えるだろう。「それは'(社会)機構'(machine)のせいである。」 だがこの答えは十分な答えではない。なぜなら,我々が'(社会)機構'の奴隷になっている理由を説明していないからである。もし悪魔と Beelzebub(堕天使,サタンの次の悪魔)が党公認の候補に指名され,大天使ガブリエル(Archangel Gabriel)が無所属で立候補するならば,ガブリエルに当選の見込みはない。これはどうしてだろうか。不思議だと思うかもしれないが,それが現実である。 理由の一つは,無所属の候補者は公認候補のように巨額の選挙資金を使えず,そのため「政治家」の得意な権謀術策を使って大衆の熱狂を生み出すことができないからである。しかしこの説明もやはり十分ではない。世間が無所属の候補に選挙資金を寄付したがらないのはなぜかという疑問が解消されないからである。疑いもなく,無所属の人間は当選する見込みがないというのがその答えであり,またそのことが彼らに投票しない理由でもある。しかしそれは,なぜ彼らが選挙に勝てないのかという最初の問題にひきもどしてしまう。 究極的な理由はせいぜい人間の習慣にあるにすぎない,と私は信じている。大部分の人は,特定の候補の長所短所などに無関心なまま,それまで投票してきたように(惰性で)投票するのであり,彼らの父親たちがいつも投票してきたように彼らも投票しているにすぎない。このことは,保守主義者にも革新主義者にも当てはまる。 私自身,英国において,父が急進思想の持ち主であったので,労働党に投票している。父は,祖父(彼の父親)が自由党員だったので急進主義者になった。祖父は曾祖父がホイッグ党員であったので自由党員になった。そして曾祖父は,先祖がヘンリー八世から(僧院の)所領を下賜されたので,ホイッグ党員になった。 私の急進思想がそのような'欲得づくの源泉'に由来する以上,私は保守党員に変わるべきだろうか? そのような考えはぞっとする。人間は皆,習慣の力に束縛される。たとえ自分の習慣にうち勝ったとしても,何事もなし得ないという疑念の状態に陥るであろう。依然として,習慣が支配する限り,善良な人間は政治の世界では成功するチャンスはないだろう。 それでは,解決策はないのだろうか。あることはある。しかしそれは程度問題である。我々はある程度まで習慣に支配されざるを得ないが,その程度を現状より少なくすることは可能である。そして程度を低下させることは決定的なことである。ともかく民主主義国家において,自分たちが選んだ政治家を批判することは,我々自身を批判することであるということを肝に銘じよう。我々は我々にふさわしい政治家を選ぶ(選んでいる)のである。 |
This, however, is not the case. In most democratic countries to call a man a politician is to say something derisive about him. The men who enjoy the good opinion of the community, with few exceptions, do not seek to win its votes and would be unsuccessful if they did, while the men who win votes are apt to be professionals of a not wholly admirable kind. (I am not thinking of those who obtain the highest offices.) This is a paradox which was not foreseen by the pioneers of democracy. Indeed, it was not true in their day. When democracy is new it usually brings great men to the fore but it loses this merit as it becomes well established. Why is this ?
One reason is that an independent candidate does not command such large campaign funds and therefore cannot generate mass enthusiasm by the techniques in which politicians are adepts. But this reason, again, does not take us all the way, since it leaves us wondering why men are so unwilling to subscribe to the campaign funds of independents. The answer, no doubt, is that independents are not likely to be elected, which is also a reason for not voting for them. But that only brings us back to our first question : why are they not likely to be elected ? The ultimate reason, I believe, is nothing more recondite than habit. Most men, without inquiring into the merits of the particular candidate, vote as they always have voted, and always have voted as their fathers always voted. This applies to reformers just as much as to conservatives. I myself, in England, vote for the Labour Party because my father was a Radical ; my father was a Radical because his father was a Liberal ; my grandfather was a Liberal because his father was a Whig ; and he was a Whig because his ancestors obtained abbey land from Henry VIII. Having derived my radicalism from such a mercenary source, shall I turn Conservative ? The very idea appals me. No one can free himself from the force of habit, and if he could he would be reduced to such a condition of doubt that he would achieve nothing. Yet so long as habit holds sway, good men will have little chance in politics. Is there, then, no solution ? Yes, but it is a matter of degree; we must be dominated by habit to some extent but we might be less so than we are. And that lessening might make all the difference. Meanwhile, let us remember that in a democracy criticism of our politicians is criticism of ourselves - we have the politicians we deserve. |
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