‘拱手傍観’の口実?

winarwin_those-who-only-watch-evil インテリ層の懐疑主義は彼らの無力観の原因であり,それ自体は彼らの怠慢の結果である。即ち,行動に価するものがこの世に何も存在しないのであれば,それは’拱手傍観’の口実となる。しかし,破滅が切迫している時には,それでもなお傍観するいかなる口実も正当な根拠を持たない。インテリ層は,彼らの懐疑主義から脱却し,全ての人々が嘆き悲しんでいる悪についての責任を分担しなければならない。そうして,彼らは学術上の不平や,ひねくれた衒学的態度を捨てなければならない。なぜなら,民主主義が正当に評価できる言葉を語る方法を,彼らが学ばないかぎり,彼らが何を言おうとも,何の役にも立たないということを彼らは悟るべきである。

The scepticism of the intelligent is the cause of their impotence, and is itself the effect of their laziness : if there is nothing worth doing, that gives an excuse for sitting still. But when disaster is impending, no excuse for sitting still can be valid. The intelligent will have to shed their scepticism, or share responsibility for the evils which all deplore. And they will have to abandon academic grumblings and peevish pedantries, for nothing that they may say will be of any use unless they learn to speak a language that the democracy can appreciate.
出典:On modern uncertainty, June 20, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)7
詳細情報:http://russell-j.com/MODERN-U.HTM

<寸言>
研究者の数が飛躍的にに増大した現代にあっては,個々の学者や研究者が世の中に与えることのできる影響力はごく小さなものになっている。それに比べ,政界や財界等で実権をにぎっている権力者の力は非常に強く,やりたいほうだいであるかのような気がしてしまい,無力感にとらわれる。しかし,実際は,それは半分は錯覚であり,責任逃れの口実(’拱手傍観’の口実)である面も少なくないであろう。

積極的意見を持っている世界の指導者は愚か者ばかり?

3baka-leader_putin-kim-trump_02 現代(=第二次世界大戦前夜の1930年代)においては,積極的意見の持主は,非常に愚かなために自分の意見が馬鹿らしいものであってもそのことに気づくことのできない愚かな人々だけである。その結果,世界は愚者によって支配され,国際会議でも知性のある者の発言は,何の重みも持たない。この状態が今後も継続するならば,世界はますます取り返しのつかない不幸に落ち込むに違いない。
The only people left with positive opinions are those who are too stupid to know when their opinions are absurd. Consequently the world is ruled by fools, and the intelligent count for nothing in the councils of the nations.
This state of affairs, if it continues, must plunge the world more and more deeply into misfortune
出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「不確実性の時代(現代)」
詳細情報:http://russell-j.com/MODERN-U.HTM

<寸言>
SACRI-F 権力を持っていない人間であれば多少愚かであっても,他者に広範な被害をもたらすことはないので,恐れることはありません。しかし,自分の愚かさに気づかない人間が権力を握ると,権力が増大すればするほど側近は諫言することがなくなり,権力者は裸の王様になり,社会に大きな被害をもたらすまで,事が進行してしまいます。現代も1930年代と同様な状況でなければよいですが・・・。
もう一度大災害(東京直下型大地震,南海トラフ大地震,富士山の大噴火,再稼働する原発や日本がトルコなど海外に売り込む原発の大事故,中国との軍事衝突など)がおこらない限り,「前向きに」,「未来思考を」,という掛け声ばかりで,真剣な対応をとらずに,事態だけが進行していくような気がします。

ラッセル曰く
All movements go too far.
物事は全て行き過ぎるものである。
行き過ぎて始めて,事の善し悪しがわかり,反省する。)

子どもや若者に,「感じていない情緒」を示すように要求してはいけない

gizen_aida-mituo 若者を相手にする場合,我々は決して特定の情緒を彼らに要求してはならないということを記憶していることは非常に重要なことである。子供が平生なついているならば,あなたが旅行を終えて家に帰った時は,通常自発的な喜びを表わすだろう。しかしたまたま誰かに子犬をもらったところであったり,たまたまパズルに夢中だったかの事情で,子供たちがあなたの帰宅に対して,まったく無関心かもしれない。もしもあなたががそういった状況のもと,情緒を表すことを彼らに要求するならば,あなたは彼らに偽善的行為をする機会を与えていることになる。そうして,我々の時代が,以前よりも向上したと言われる何らかの特徴があるとすれば,それは若者がこの種の偽善的ごまかしを,明らさまに嫌悪するようになったことである。

In dealing with the young, it is of great importance to remember that one must never demand an emotion. Your children, if they are fond of you, will usually show a spontaneous pleasure when you return from a journey. But it may happen that someone has just given them a dog, or that they are absorbed in a puzzle, and in that case they may be completely indifferent to your arrival. If, in these circumstances, you demand a display of emotion, you are giving a lesson in humbug. And if there is anything in which our age is better than its predecessors, it is the dislike of humbug that characterises the young.
出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「情緒の予知」
詳細情報:http://russell-j.com/EXPECTED.HTM

<寸言>
偽善的行為をしてはいけないと子どもや若者に普段言いながら、(自分に対しては)偽善的行為を要求してはいけない。気付かずにそういった偽善的感情を要求しているようなことはないか? これは子どもや若者に対してだけではないが・・・

武器輸出を容認する(あるいは見て見ぬふりをする)平和主義

ohashi-kyosen_yuigon02 戦争には反対であるが,各国政府が紛争時において自己の立場の最終的判定者である現在のシステムに賛成であるという意見には,いかなる論理の見せかけすらないことは確かである。もしも戦争が永久に廃絶されるべきであるならば,抵抗できない軍事力を備えた国際的な政府の樹立以外には不可能であろう。

But you cannot say, with any semblance of logic, that you are against war but in favour of the present system, according to which, in a dispute, every government is the ultimate judge in its own case. If war is ever abolished, it will have to be by the establishment of an international government possessed of irresistible armed forces.

<寸言>
戦争は反対と言いながら,いかに多くの力を持っている国が、戦争や紛争に導く政策をおこなっていることか。日本も例外ではない。
国際問題の解決は武器によるべきではない,と言いながら,どうして武器の輸出を解禁できるのか? 政府だけでなく、「平和を愛する国民だと自称する」日本国民がどうしてそういう政府を支持し続けることができるのか? 経済第一(アベノミクス命)であり,平和の問題は二番手の問題にすぎないのか?

明治の始めに廃藩置県をやったように,廃「主権国家」置「世界連邦」が必要。各国には警察力だけ認めて,他国を攻撃する能力を剥奪し,強力な軍事力は世界連邦政府に集中する必要がある。旧主権国家は世界連邦のなかの自治領のようなものであるから,それぞれの文化や個性は保たれる

楽観,悲観;希望,絶望 - 人類の行く手は奈落の底か,共存共栄の道か?

rockclim 希望叫ぶ
「もう一ふんばりだ。多分これが必要な最後の努力となるだろう。」
皮肉言い返す
「愚か者! お前はずっと希望のいうことを聞いてきたんじゃないのか。その結果,どこにつれてこられたというのか。」

楽観は言う。
「生命のある間は希望はある。」
悲観は怒って言う。
「生命のある限り苦痛がある。」

疲労しきったこの登山家ははたしてもう一歩の努力をするのか,それとも,奈落の底に落ちるに身をまかせてしまうのか。その答えは,数年して,その時生き残るっている者が知るであろう。

Hope calls: ‘one more effort – perhaps it will be the last effort needed.’ Irony retorts: ‘Silly fellow! Haven’t you been listening to hope all this time, and see where it has landed you.’ Optimism says: ‘While there is life, there is hope.’ Pessimism growls: ‘While there is life, there is pain.’ Does the exhausted climber make one more effort, or does he let himself sink into the abyss ? In a few years, those of us who are still alive will know the answer.’
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-310.HTM

<寸言>
世の中が自分の望まない方向に向かっている時や、努力がなかなか成果に結びつかない時に感ずるあせり。<br>
登山家は,いくら苦しくても目標がかならず存在するという確信を抱いていられるが、目標そのものが実は存在しないものであるかも知れない(あるいは目標設定が不適切だったかも知れない)という不安にかられると、迷いや苦しみはいっそう増していく。<br>

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2世、3世は当たり前? - 世襲議員だらけの日本の国会

bonbon_sekensirazu 父親の七光りで特別扱いされる人間は,有益な努力をしようとする正常な動機を失なってしまう。そのような人間は名家に偶然生れたという事実に不当な重要性を与える人生観を身につけがちであり,また,自分が存在するだけで周囲の尊敬を受ける資格があると考えがちである。自分は他の人間よりもかなり優れていると信じるがゆえに,逆に彼らよりずっと劣ることになる。

The man who is respected merely for being the son of his father loses one of the normal incentives to useful effort. He is likely to develop views of life which attach undue importance to the accident of birth and to think that by merely existing he does enough to command respect. He believes himself rather better than other men and therefore becomes rather worse. All distinctions not based upon intrinsic merit have this bad effect upon character and on this ground, if on no other, deserve to be abolished.
出典: On snobbery (written in Dec. 30, 1931 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975)
詳細情報:https://russell-j.com/SNOB.HTM

<寸言>
isihara-nobeteru_abe 世襲議員(2世,3世議員)や,政治的・経済的あるいは社会的に成功すると次は閨閥によって箔をつけたがる権力エリートたちによくみられる俗物根性。(家柄崇拝は俗物根性としばしば同居)。
日本でも家柄崇拝流行の兆し? 貧富の差の拡大が続く日本。
天皇「制」の意味合い, 人間を序列化する叙位叙勲制度(天皇が最高勲位,国民の大部分は無冠)・・・。
英国屈指の名門に生まれたラッセル「伯爵」ゆえに,より説得力を持つ(イギリス国王を筆頭とする)「家柄崇拝」批判。

社会的迫害 -悪事は摘発しないといけないが寛容の心も重要

dokush47 けれども,この害悪(注:社会的迫害マスコミによる特定の個人に対する集団リンチなど)に対する究極的な治療法は,唯一,一般大衆側の寛容さを増大させることであり,寛容さを増す最善の方法は,真の幸福を享受し,仲間の人間に苦痛を与えることを主な楽しみとしない個人の数を増やすことである。

The only ultimate cure for this evil (social persecution) is, however, an increase of toleration on the part of the public. The best way to increase toleration is to multiply the number of individuals who enjoy real happiness and do not therefore find their chief pleasure in the infliction of pain upon their fellow-men.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.9:Fear of public opinion
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA19-070.HTM

<寸言>
shudan-rinchi_miura-9dan マスコミが特定の個人やグループを魔女狩りのごとくたたくことができるのは一定の世論の支持があるからであり,マスコミもその心を汲み取り,正義の味方であるかのごとく,過剰な「◯◯たたき」にはげむ。売れている週刊誌であれば,訴えられて罰金を払うことになっても,売れ行きがのびることによる利益のほうが大きいのでビクともしない
不幸な人々がたくさんいるかぎりこういった現象はなかなかなくならない。結局,できるだけ差別や格差のない社会をつくっていく努力が重要ということになる。
しかし,現実は,経済成長の美名のもとに,格差を拡大させる諸政策が推進され・・・。

「不可知論者」は「罪」の概念を信じないので復讐的な刑罰を認めない

meniwameo-fukushyu-keibatu ・・・ しかし,不可知論者ラッセルもその一人)は,望ましくない行為を罰することは,(望ましくない行為の)防止または改善のためだけになされるべきであって,悪者が苦しむべきだということそれ自体が善いことだと考えて,罰せられるようなことがあってはならないと考える。人間に地獄を信じさせたのは,このような復讐的な刑罰を信じることによるのである。
… but he (= the agnostic) holds that the punishment of undesirable kinds is only to be commended when it is deterrent or reformatory, not when it is inflicted because it is thought a good thing on its own account that the wicked should suffer. It was this belief in vindictive punishment that made men accept Hell. This is part of the harm done by the notion of ‘sin’.
出典: What is an Agnostic? , Nov. 3, 1953]
詳細情報:https://russell-j.com/cool/agnostic_1953.html

<寸言>
agnostic_musinron 欧米で「不可知論者(an agnostic)」と言えば,神の存在は不可知だとする立場一神教の国ではおなじみの言葉でも多神教の日本などではピンとこない言葉のようである。
即ち、神がいると信じている人は「有神論者」。 神なんて存在しない、ありえないと強く主張する人は「無神論者」,神はいるかもしれないし、いないかもしれない、自分にはどちらも証明することは出来ないという立場を取る人は「不可知論者」ということになる。
ラッセルは理論上は「不可知論者」であるが,実質的には「無神論者」と言える。

「多様性や個性の尊重」 対 「画一化,悪平等化」

UNIFORMITY 第一級の名声を勝ちうるのは,オールラウンドの教育や幅広い興味によってではない。感情と知性の両面における,精神力の集中と目標の限定が必要である。すべての若者が同じ環境にあり,同一の基準を受けいれなければならない世界においては,このような条件は容易に起こらない。傑出した人物を生み出すには多様性が必要であり,画一的な教育は,平凡な大人を生みだす傾向がある。従って今後は,昔と違い,個人的名声を得ることはより稀なものになるだろう。

t is not by an all-round education or by catholicity of interests that first-rate eminence is achieved: it is achieved by concentration and a certain narrowness both emotional and intellectual. In a world where all young people have the same environment, and the same standards presented for their acceptance, this does not easily happen. Diversity is necessary to distinction, and uniformity in education tends to produce mediocrity in adult life. We must therefore expect that individual eminence will be rarer in the future than it has been in the past.
出典:The influence of fathers, June 1, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:https://russell-j.com/FATHER.HTM

<寸言>
uniformity-many-same-people 先進国(北欧、英国など)においては、社会福祉の対象は「ゆりかごから墓場まで」というように人間生活全般に拡大しつつある。従来であれば親や家族(あるいは親類縁者)が担っていた役割のかなりの部分を社会(国や地方自治体)が果たすようになってきている。それにつれて親(特に父親)の影響力が相対的に大幅に低下していっている。そのこと自体は望ましい面が多く悪いことではないが、(引用した文章の前の方で)ラッセルが指摘するような画一化、悪平等化の危険もひそんでいる。多様性や個性を尊重しない社会は、たとえ社会福祉が充実していても生き甲斐のある社会とはならない。

権力者は多くの人間(国民)が受動的であることを好む-由らしむべし

yorasimubesi_shirasimubekarazu 過度の受動的な態度をさけることは,教育上の課題である。それには,子供の遊びにおいては手のこんだ用具を与えるべきではなく,特別な技能に対して決して過度にほめないようにする必要がある。勉強においては,講義によって与えられる知識ばかりに耳を傾けず,自分で能動的に調べて勉強することを勧めなければならない。不幸にして権力者は,自分にとって都合が良いため,(多くの人間が)受動的であることを好む。

To avoid too much passivity is an educational problem. It demands, in play, the absence of elaborate apparatus and no undue respect for exceptional skill; in work, encouragement of active investigation rather than mere listening to knowledge imparted by means of lectures. Unfortunately the authorities like passivity because it is convenient.
出典:Are we too passive? (written in Feb. 3, 1932 and published in Mortals and Others, v.1, 1975)
詳細情報:https://russell-j.com/PASSIVE.HTM

<寸言>
gca_xenophobia 権力者は受動的で情緒的な人間(被支配者)を好みます。
雄弁にすぐのりやすい選挙民・国民は政治家にとって御し易い対象です。
国民(選挙民)を持ち上げているように見えて,実は,「由らしむべし知らしむべからず」が基本の保守政治家

2022年はラッセル生誕150年