インテリ層の懐疑主義は彼らの無力観の原因であり,それ自体は彼らの怠慢の結果である。即ち,行動に価するものがこの世に何も存在しないのであれば,それは’拱手傍観’の口実となる。しかし,破滅が切迫している時には,それでもなお傍観するいかなる口実も正当な根拠を持たない。インテリ層は,彼らの懐疑主義から脱却し,全ての人々が嘆き悲しんでいる悪についての責任を分担しなければならない。そうして,彼らは学術上の不平や,ひねくれた衒学的態度を捨てなければならない。なぜなら,民主主義が正当に評価できる言葉を語る方法を,彼らが学ばないかぎり,彼らが何を言おうとも,何の役にも立たないということを彼らは悟るべきである。
The scepticism of the intelligent is the cause of their impotence, and is itself the effect of their laziness : if there is nothing worth doing, that gives an excuse for sitting still. But when disaster is impending, no excuse for sitting still can be valid. The intelligent will have to shed their scepticism, or share responsibility for the evils which all deplore. And they will have to abandon academic grumblings and peevish pedantries, for nothing that they may say will be of any use unless they learn to speak a language that the democracy can appreciate.
出典:On modern uncertainty, June 20, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)7
詳細情報:http://russell-j.com/MODERN-U.HTM
<寸言>
研究者の数が飛躍的にに増大した現代にあっては,個々の学者や研究者が世の中に与えることのできる影響力はごく小さなものになっている。それに比べ,政界や財界等で実権をにぎっている権力者の力は非常に強く,やりたいほうだいであるかのような気がしてしまい,無力感にとらわれる。しかし,実際は,それは半分は錯覚であり,責任逃れの口実(’拱手傍観’の口実)である面も少なくないであろう。