子どもや若者に,「感じていない情緒」を示すように要求してはいけない

gizen_aida-mituo 若者を相手にする場合,我々は決して特定の情緒を彼らに要求してはならないということを記憶していることは非常に重要なことである。子供が平生なついているならば,あなたが旅行を終えて家に帰った時は,通常自発的な喜びを表わすだろう。しかしたまたま誰かに子犬をもらったところであったり,たまたまパズルに夢中だったかの事情で,子供たちがあなたの帰宅に対して,まったく無関心かもしれない。もしもあなたががそういった状況のもと,情緒を表すことを彼らに要求するならば,あなたは彼らに偽善的行為をする機会を与えていることになる。そうして,我々の時代が,以前よりも向上したと言われる何らかの特徴があるとすれば,それは若者がこの種の偽善的ごまかしを,明らさまに嫌悪するようになったことである。

In dealing with the young, it is of great importance to remember that one must never demand an emotion. Your children, if they are fond of you, will usually show a spontaneous pleasure when you return from a journey. But it may happen that someone has just given them a dog, or that they are absorbed in a puzzle, and in that case they may be completely indifferent to your arrival. If, in these circumstances, you demand a display of emotion, you are giving a lesson in humbug. And if there is anything in which our age is better than its predecessors, it is the dislike of humbug that characterises the young.
出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「情緒の予知」
詳細情報:http://russell-j.com/EXPECTED.HTM

<寸言>
偽善的行為をしてはいけないと子どもや若者に普段言いながら、(自分に対しては)偽善的行為を要求してはいけない。気付かずにそういった偽善的感情を要求しているようなことはないか? これは子どもや若者に対してだけではないが・・・

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