fear of others と fear for others の違い

A woman with medium length red hair, wearing a pink shirt, light blue leggings and gray shoes, kneels on a kneeler with soft beige cushion, as she closes and bows her head to pray, both hands together in praying position and resting on top of a beige confessional, that is separating her from a seated priest with balding gray hair, wearing a black clergy gown, white collar, a violet stole worn around his neck, black pants and black shoes, both of his eyes are closed in concentration

以下は、バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)の幸福論(The Conquest of Happiness)に出てくる英文と、DeepL、Google 翻訳、及び、私による日本語訳(合計3種類)です。
このなかで、「Fear for others」を、DeepL、Google 翻訳も、「他者への恐怖」と日本語訳していますが、これは誤訳と思われます。「Fear for others」は「他人に対し恐怖心を抱いている」のではなく、「他人について心配している」あるいは「他人に対して不安を抱いている」というのであり、従って、「他人を心配する(こと)」(注:fear 心配する)と訳すべきだと考えますが、どうでしょうか?
つまり、「fear of A」は「Aの恐れ」「Aを恐れること」(ここでは fear は名詞 noun)であるのに対し、「fear for A」は「Aを心配する」(ここでは fear は動詞verb)ということではないでしょうか?
大学受験予備校の英語の講師の立場で、わかりやすく説明してください。

<ラッセルの英文>
Fear for others is only a shade better than fear for ourselves. Moreover it is very often a camouflage for possessiveness. It is hoped that by rousing their fears a more complete empire over them can be obtained. This, of course, is one of the reasons why men have liked timid women, since by protecting them they came to own them.

<<DeepLによる日本語訳>>
他者への恐怖は、自分への恐怖に比べれば、ほんの少しましです。しかもそれは、独占欲のカモフラージュであることが非常に多い。恐怖心を煽ることで、より完全な支配を得ようとするのである。もちろん、これは男性が臆病な女性を好む理由の一つであり、彼女たちを守ることによって、彼女たちを所有するようになったからである。

<<Google 翻訳による日本語訳>>
他人への恐怖は、自分自身への恐怖よりもわずかに優れています。 さらに、それは独占欲をカモフラージュする場合が非常に多いです。 彼らの恐怖を呼び起こすことによって、彼らに対するより完全な帝国が得られることが期待されています。 もちろん、これが、男性が気弱な女性を好きになる理由の 1 つです。なぜなら、女性を守ることで彼女を自分のものにするようになるからです。

<<私の日本語訳>>
他人に対する心配(他人のために心配すること)は、自分自身について心配するよりも、ほんの少しだけ(only a shade)ましなだけである。さらに、それ(他人に対する心配)は、しばしば、所有欲のカムフラージュになっている。(即ち)他人の不安をかき立てることによって、他人をもっと完璧に支配する力を得られると期待されるからである。これは、これまで男性が臆病な女性を好んできた理由のひとつであることは言うまでもない。なぜなら、男性は女性を保護する(守る)ことによって女性を所有するに至ったからである。

<ChatGPTの回答
Fear for others」という表現は、「他人に対して心配や不安を抱く」という意味です。日本語で「恐怖」と訳されることがありますが、正確には「恐怖」ではなく、「心配」や「不安」といった感情です。

Fear of A」という表現は、「Aを恐れること」と訳されます。ここでの「fear」は名詞として使われています。例えば、「fear of heights(高所恐怖症)」のように使われます。

一方、「fear for A」は、「Aを心配する」と訳されます。ここでの「fear」は動詞として使われています。例えば、「I fear for his safety(彼の安全を心配している)」のように使われます。

したがって、Bertrand Russellの文で言及されている「Fear for others」は、「他人について心配している」という意味です。これは「他人への恐怖」と訳されることがありますが、正確には誤解を招く表現です。

その文脈では、他人を心配することが自己の独占欲を隠すためのカムフラージュであると述べられています。また、男性が臆病な女性を好む理由の一つは、女性を守ることで彼女たちを所有するようになるからだとも述べられています。

したがって、「Fear for others」は、「他人を心配する(こと)」と訳すのが適切です。