知的戯言の概要(1943) n.44

 我々(男性)の最も強い愛と憎みの対象としての女性は複雑な情緒をかきたてるが、これらの情緒は、諺の「知恵」の中に具現化されている。
 ほとんど皆、男女とも、女性の問題に関して何らかの全く正当化できない一般化を自分自身に許している(allows himself or herself)。既婚の男は、この問題にかんして一般化する際、自分の妻によって判断する。女性は自分自身によって判断する。男性の女性観の歴史を執筆することは面白いことだろう。古代においては、男性の(女性に対する)優位が疑問とされず、キリスト教倫理がまだ知られていなかった時には、女性は害がないものであるがかなり愚かである[とされ〕、女性についてまじめに考える男はいくらか軽蔑された。プラトンは、劇作家が女性の役を創作する際に、女性を模倣(マネ)なければならないのは、演劇に対する重大な異議(a grave objection)であると考えている。キリスト教の到来とともに女性は一つの新しい役割を得た。それは誘惑する女(the temptress)という役割である。しかし同時に、女性はまた聖人にもなることもできることを発見した(自己発見)。ビクトリア朝時代には、女性は、誘惑する女性としてよりも、聖人としての方が、ずっと強調された(訳注:ビクトリア女王が国王だったことが影響したか?)。ビクトリア朝時代の男は自分は誘惑されやすいなどと認めることはできなかった。女性の(男性よりも)優れた美徳は、女性を(汚い)政治から遠ざけておく理由の一つにされた。政治の世界は高尚な美徳は不可能であると考えられたのである。しかし、初期のフェミニスト達(女権拡張論者達)はこの論法をひっくり返し(逆にして)、女性の政治参加は政治を高尚なものにするだろうと主張した。それが幻想であることがわかってからは、女性の優れた美徳のことはあまり話題にされなくなったが、いまだなお、、女は誘惑するものだという、修道僧的な女性観に固執している男性が多数存在している。女性達自身は、大部分、自らを分別ある性(sensible sex)であると考え、 男達の衝動的な愚行から生じる害を取り除くことが自分達の役割だと考えている。私としては、 女性についてあらゆるの一般化を、それが女性に対して好意あるものであろうとなかろうと、また男性の側からのものであろうと女性の側からのものであろうと、あるいは昔のものであろうと現代のものであろうと、いずれも信頼しない。いず 不足からするものな のであろうと、いずれも信頼しない。これらはすべて同様に、経験不足から生じるものだと言うべきだあろう。

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.44
Women, as the object of our strongest love and aversion, rouse complex emotions which are embodied in proverbial “wisdom.” Almost everybody allows himself or herself some entirely unjustifiable generalization on the subject of woman. Married men, when they generalize on that subject, judge by their wives; women judge by themselves. It would be amusing to write a history of men’s views on women. In antiquity, when male supremacy was unquestioned and Christian ethics were still unknown, women were harmless but rather silly, and a man who took them seriously was somewhat despised. Plato thinks it a grave objection to the drama that the playwright has to imitate women in creating his female roles. With the coming of Christianity woman took on a new part, that of the temptress; but at the same time she was also found capable of being a saint. In Victorian days the saint was much more emphasized than the temptress; Victorian men could not admit themselves susceptible to temptation. The superior virtue of women was made a reason for keeping them out of politics, where, it was held, a lofty virtue is impossible. But the early feminists turned the argument round, and contended that the participation of women would ennoble politics. Since this has turned out to be an illusion, there has been less talk of women’s superior virtue, but there are still a number of men who adhere to the monkish view of woman as the temptress. Women themselves, for the most part, think of themselves as the sensible sex, whose business it is to undo the harm that comes of men’s impetuous follies. For my part I distrust all generalizations about women, favorable and unfavorable, masculine and feminine, ancient and modern; all alike, I should say, result from paucity of experience. Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943  Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7: More info.: http://www.ditext.com/russell/rubbish.html       https://russell-j.com/cool/UE_07-440.HTM

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