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バートランド・ラッセル 権力 第4章 (松下 訳) - Power, 1938, by Bertrand Russell

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第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.16 - 処刑されたアルノルド・ダ・ブレシア

 グレゴリウス七世は,決して平和主義者ではなかった。彼が好んでいた(聖書の)文句(一節)は「(自分の)剣(つるぎ)を押えて血を流さない者は呪われる」という箇所であった。しかし,彼は,この文句は情欲的な人間に対する説教の言葉を控えることを禁じること(趣旨)であると説明しており,それは宣伝の力に関する彼の見解の正しさを示している。

 かつて教皇に就任(1154-1159)した(注:occupied the Papal Chair 教皇座に座った)唯一の英国人のニコラス・ブレイクスピア(Nicholas Breakspear ローマ教皇ハドリアヌス四世のこと)は,教皇の神学上の権力を,これとはいくらか違った意味で示している。アベラールの弟子のアルノルド・ダ・ブレシア(注:Arnaldo da Brescia, 1090-1155, 中世イタリアの宗教改革者)は,「土地を所有している教会書記,領地を所有している司教,財産を所有する修道僧は,(いずれも)救われない(天国に入るわけにはいかない)」という教義を説教した。この教えは,もちろん,正統主義的なもの(教義)ではなかった。聖ベルナールアルノルド・ダ・ブレシアについて次のように語っている。
「食べもしなければ飲みもしない人間,このような人間のみが,悪魔のように,魂の血のために,飢え,喉を渇かすのだ。」
 それにもかかわらず,聖ベルナールは,アルノルド・ダ・ブレシアが信心深いこと(注:his exemplary piety 模範的な信心)を認めており,そのことは,ローマ市民たちが教皇や枢機卿たちと争った際 -ローマ市民たちは,1143年に(既に)教皇と枢機卿たちを追放することに成功していた- アルノルド・ダ・ブレシアローマ人たちの役に立つ同盟者にした。聖ベルナールは,彼の教義の中の道徳的制裁(moral sanction)を求めた(ところの)復活したローマ共和制(?)(the revived Roman Republic)を支持した。しかし、教皇アドリアン四世(つまり,ブレイクスピア=ハドリアヌス四世。/ハドリアヌスはラテン語の呼称)は,ある枢機卿の殺害(事件)を利用して,聖週間(Holy Week :復活祭前の1週間)の間,ローマ全体を禁制下に置いた。聖金曜日(Good Friday 復活祭前の金曜日)が近づいた頃には,元老院(メンバー)神学的恐怖(神に対する恐怖)に襲われ,彼らは卑屈な服従ぶりを見せた。皇帝フレデリック・パルバッサの手助けによって,アルノルド・ダ・ブレシアは捕らえられた。彼は,絞首刑に処せられ,死体は焼かれ,その灰はテヴェレ川に投棄された。このようにして,聖職者(僧侶)裕福になる権利があることが立証された。教皇皇帝の労に報いるために,サン・ピエトロ大聖堂(St. Peter's)で,彼に王冠を与えた。皇帝の軍隊は役には立ったが,しかし,カトリックの信仰ほど役には立たなかった。カトリック教会は,その権力と富を,俗界の支持よりも,カトリック信仰により多く負っていたのである。

Chapter IV: Priestly Power, n.16

Gregory VII was no pacifist. His favourite text was: "Cursed be the man that keepeth back his sword from blood." But he explained this as prohibiting keeping back the word of preaching from carnal men, which shows the justice of his views on the power of propaganda.

Nicolas Breakspear, the only Englishman who ever occupied the Papal Chair (1154-1159), shows the theological power of the Pope in a somewhat different connection. Arnold of Brescia, a pupil of Abelard, preached the doctrine that "clerks who have estates, bishops who hold fiefs, monks who possess property, cannot be saved." This doctrine, of course, was not orthodox. St. Bernard said of him.
"A man who neither eats nor drinks, he only, like the Devil, hungers and thirsts for the blood of souls."
St. Bernard none the less admitted his exemplary piety, which made him a useful ally for the Romans in their conflict with the Pope and Cardinals, whom, in the year 1143, they had succeeded in driving into exile. He supported the revived Roman Republic, which sought moral sanction in his doctrine. But Adrian IV (Breakspear), taking advantage of the murder of a Cardinal, placed Rome under an interdict during Holy Week. As Good Friday approached, theological terrors seized upon the senate, which made abject submission. By the help of the Emperor Frederick Barbarossa, Arnold was captured; he was hanged, his body was burnt, and his ashes were thrown into the Tiber. Thus it wast proved that priests have a right to be rich. The pope, to reward the Emperor, crowned him in St. Peter's. The Emperor's troops had been useful, but not so useful as the Catholic Faith, to which, much more than to secular support, the Church owed both its power and its wealth.
(掲載日:2017.05.26/更新日: )