ラッセル『結婚論』第五章 キリスト教倫理 n.7

ラッセル『結婚論』第五章 キリスト教倫理 n.7:カトリック教会の結婚観

 この主題(結婚や出産などに関するカトリックの教えには,二重の基礎がある。(即ち)一方では,すでに聖パウロに見たように(見出しているように)禁欲主義に基づいており,他方では,できるだけ多くの魂をこの世にもたらすことは -あらゆる魂は救済可能であることから- 善であるとする見解に基づいている。どういう理由からか私にはわからないが,魂は(みな救済可能であるのと)同様に,地獄に墜ちる恐れ(可能性)もある,ということは考慮に入れられていない(注:皮肉)。それでも,このことはかなり関係していると思われる(決して無関係とは思われない)。たとえば,カトリック教徒は,政治的影響力を行使して,新教徒が産児制限をするのをさまたげようとしているが,それにもかかわらず,彼らは,その政治的活動(注:産児制限をさせない活動)によって生まれてくる新教徒の子供の大多数が,来世で永遠の(終わることのない)苦しみに耐えることになる,と考えなければならない。そうすると,カトリック教徒の行為はやや不親切に思われてくるが(注:地獄に陥る予定の新教徒の子どもをなぜ生まれさせるのか? 生まれてこなければ苦しむ必要がないのに,という皮肉),もちろん,これらのことは疑いもなく,俗人(キリスト教の聖職者以外)には理解できそうもない神秘である。

Chapter V Christian Ethics、n.6

Catholic teaching on this subject has a twofold basis : it rests, on the one hand, upon the asceticism which we already find in St. Paul; on the other, upon the view that it is good to bring into the world as many souls as possible, since every soul is capable of salvation. For some reason which I do not understand, the fact that souls are equally capable of damnation is not taken into account, and yet it seems quite as relevant. Catholics, for example, use their political influence to prevent Protestants from practising birth control, and yet they must hold that the great majority of Protestant children whom their political action causes to exist, will endure eternal torment in the next world. This makes their action seem somewhat unkind, but doubtless these are mysteries which the profane cannot hope to understand.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM05-070.HTM

<寸言>
信じる者は救われる」と言いながら、「他宗教を信じる者は地獄に墜ちる」と言うことのいい加減さや自分勝手さ。