ラッセル『結婚論』第二章「母系社会」n.5:◯ちゃんは△に似ているね?

第二章 母系社会 n.5

トロブリアンド諸島では)大変不思議なことに,子供とその母親の夫との間には血のつながりはないと信じられているにもかかわらず,子供は自分の母親あるいは兄弟姉妹よりも,むしろ,母親の夫に似ると考えられている。事実,兄と妹(弟と姉/or 兄弟と姉妹)あるいは,子供と母親が似ているとほのめかすことは,はなはだしい無作法なことである(とされる)。また,この上もなくはっきりと似ている場合でも,はげしく否定される。
 マリノフスキーの見解は,(こうした)母親よりも父親に似ているという信念によって,父親の子供に対する愛情は刺激される,というものである。マリノフスキーは,(トロブリアンド諸島における)父と子の関係は,文明人の間で往々見られるよりも,一段と調和がとれており(仲むつまじく)情愛深いものであることを発見した。また,予測されたとおり,彼はエディプス・コンプレックス(フロイトが提示した概念で,フロイトの言う「男根期」に生じ始める無意識的葛藤/ラッセルはそのような概念に否定的)の形跡をまったく発見しなかった。
マリノフスキーは,論理的に説明しようといろいろ努力したが,父性(注:ここでは,父親の精子によって受精して妊娠しないと子どもは生まれないということなので,ウィキペディアの「父性」の説明は不適切と思われる。)というものがあるということを,トロブリアンド諸島の友人たちに納得させることはまったくできなかった。彼らは,これ(父性)を宣教師によって作り上げられた(捏造された)ばかばかしい話だとみなした。キリスト教は,家父長的な宗教であるから,父権(fatherhood)というものを認めない人びとには,感情的にも知的にもキリスト教(の考え方)を理解させることができないのである。「父なる神」(“God the Father”)の代わりに,「母方のおじなる神」(“God the Maternal Uncle”)という言い方をする必要があるであろうが,これでも正しい意味あいが十分伝わらない。なぜなら,父性(fatherhood 父親であること)は,権力と愛情の双方を含意しているのに対して,メラネシアにおいては,母方のおじが権力(のみ)を持ち,父親が愛情(のみ)を持っているからである。人間は神の子であるという観念は,トロブリアンド諸島民には伝えることのできない観念である。彼らは,誰にせよいかなる人間も任意の男性の子供(男性がいないと子どもは生まれない)とは考えていないからである。その結果,宣教師たちは,宗教の伝道ができるようになる前に,まず,生理学的な事実と取り組むことをしいられる。マリノフスキー(の著作)から推して,宣教師たちは,この当初の仕事にまったく成功せず,そのために,福音の教えまで進むことがまったくできなかったようである。

Chapter II Matrilineal Societies,n.5

Strangely enough, in spite of the belief that there is no blood tie between the child and its mother’s husband, it is supposed that children resemble their mothers’ husbands rather than their mothers or their brothers and sisters. Indeed, it is very bad manners to suggest a resemblance between a brother and sister, or between a child and its mother, and even the most obvious resemblances are fiercely denied. Malinowski is of opinion that the affection of fathers for their children is stimulated by this belief in a resemblance to the father rather than to the mother. He found the relation of father and son a more harmonious and affectionate one than it often is among civilized people, and, as might have been expected, he found no trace of the Oedipus complex.
Malinowski found it quite impossible, in spite of his best argumentative efforts, to persuade his friends on the islands that there is such a thing as paternity. They regarded this as a silly story invented by the missionaries. Christianity is a patriarchal religion, and cannot be made emotionally or intellectually intelligible to people who do not recognize fatherhood. Instead of “God the Father” it would be necessary to speak of “God the Maternal Uncle”, but this does not give quite the right shade of meaning, since fatherhood implies both power and love, whereas in Melanesia the maternal uncle has the power and the father has the love. The idea that men are God’s children is one which cannot be conveyed to the Trobriand Islanders, since they do not think that anybody is the child of any male. Consequently, missionaries are compelled to tackle first the facts of physiology before they can go on to preach their religion. One gathers from Malinowski that they have no success in this initial task, and have, therefore, been quite unable to proceed to the teaching of the Gospel.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM02-050.HTM

<寸言>
一神教の国々や地域においては(キリストやマホメットなど)預言者(教祖さま)はほとんど男性であるのに対し、多神教(豊穣!の神々)の国々や地域においては、女性の教祖様はめずらしくない。雌雄の別がないはずの「神」でさえ、(一神教の世界では)男性のイメージが大きい。