年をとり,要職についた人は・・・

KAMI-ST 組織が現代社会において不可欠である以上、要職にある人たち若者のとっぴな考えを大目に見る心を養わないかぎり、この不幸から抜け出す道はまったくない。人は重要なポストにつくと忠告の言葉に耳を傾けなくなるので、自分の考えを改める望みがなくなる。不幸なことに通例、若者の(資質や能力の)向上は、年をとり要職についた人たちの手で行なわれている。30歳以上の人間を学校の校長にしてはいけないと私は提案したい。しかし、この賞賛すべき改革案が採用されることはほとんどないだろうと思う。

Since organisation is inevitable in the modern world, there is every no way out of this trouble except to imbue the men in important positions with toleration for the vagaries of the young. When men have already become important there is, of course, no hope of improving them, since they will no longer listen to advice. Unfortunately, the improvement of the young is generally left to those who have already become old and important. I can only suggest that no school should have a head more than thirty years of age. But I hardly expect to see this admirable reform adopted
出典:On being good, Nov. 18, 1931. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/BEING-G.HTM

[寸言]
裸の王様に対し側近我慢・保身を第一とすると,多くの人が迷惑をこうむります。
あんなに大変な人の下でよく我慢できた → どんなところでもやっていける → 優秀だ ということで役人(官僚)昇進していきます。しかしそういった裸の王様に諫言しないことにより,多くの人(部下)が迷惑を被るという側面があります。あの上司が,保身を考えずに,裸の王様にしっかり言ってくれていたならば・・・。
やはり「優等生であること」は,特に国の機関では偉くなるための必要条件ですね。
そこで先日,「ラッセルの言葉366」で配信した、ラッセルの次の格言(ひどい上司や権力者に従順な理由)が活きてきます。
理由としては2と3が該当します。

人と協力するには三つの理由がある。一つは相手を愛するからであり,★一つは相手を恐れるからであり,★もう一つは不正な利得にあずかりたいと望むからである。これらの三つの動機は,人間の協力が必要なそれぞれの領域において,それぞれ異った重要性を持つ。第一の動機は’生殖’を支配し,第三の動機は’政治’を支配する。」