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知的戯言の概要(1943) n.52

自尊心の他に(besides ~に加えて)、それ以外の情熱も過ちの一般的な源泉(common sources ありふれた源泉)である。それらのなかで恐らく最も重要なのは恐怖心であろう(注:perhaps を使っているので断定まではしていない)。恐怖心は、時には、戦時に大惨事の噂を捏造(ねつぞう)したり、あるいは、恐怖の対象、たとえば幽霊、を想像したりすることによって、直接的に作用する。また時には、なにか慰めになるもの、たとえば不老不死の霊薬(elixir of life)といったものへの信仰とか、我々自身のための天国や我々の敵のための地獄への信仰を創り出すことによって、恐怖心、は間接的に作用する。恐怖心には多様な形態がある。死に対する恐怖(心)、暗闇に対する恐怖(心)、未知なものに対する恐怖(心)、群衆に対する恐怖(心)、及び、もっと具体的で明確な恐怖(specific terrors)から自ら隠している(目を隠している)人達に訪れる漠然とした一般的な恐怖心である。自分自身へのその人固有の恐怖(心)を自分で認めるまでは、また、そうして、それらの恐怖(心)の持つ神話造りの力に対して、困難な意志の努力によって自分自身を守るまでは、非常に重要な多くの事柄、特に、宗教的信念に関係するような事柄について、 真に考えることを期待することはできない。恐怖心は迷信の主要な源泉であり、また残酷さの主要な源泉の一つである。恐怖心を克服することは知慧の始まりである。それは、真理の探究においてもそうであるし、また価値ある人生態度をとろうとつとめる場合においても同様である。

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.52

Other passions besides self-esteem are common sources of error; of these perhaps the most important is fear. Fear sometimes operates directly, by inventing rumors of disaster in war-time, or by imagining objects of terror, such as ghosts; sometimes it operates indirectly, by creating belief in something comforting, such as the elixir of life, or heaven for ourselves and hell for our enemies. Fear has many forms — fear of death, fear of the dark, fear of the unknown, fear of the herd, and that vague generalized fear that comes to those who conceal from themselves their more specific terrors. Until you have admitted your own fears to yourself, and have guarded yourself by a difficult effort of will against their mythmaking power, you cannot hope to think truly about many matters of great importance, especially those with which religious beliefs are concerned. Fear is the main source of superstition and one of the main sources of cruelty. To conquer fear is the beginning of wisdom, in the pursuit of truth as in the endeavor after a worthy manner of life.

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「知的戯言の概要」(1943年発表)」n.51

 あなたの自尊心に媚びへつらう(お世辞をいう)意見にはくれぐれも用心(警戒)しよう(be wary of)。 男女とも、十中八九、自分自身の性のほうが(自分と異なる性よりも)優れていると堅く信じている。両方(両性)の側に証拠は豊富にある。もし、あなたが男性であれば、大部分の詩人や科学者は男性であると指摘することができる。もし、あなたが女性であれば大部分の犯罪者は男性であるとやり返すことができる。 これは本質的に解決不能な問題である。自尊心が(は)このこと(事実)を大部分の人々に気づかせない(conceal 隠す)。私達は皆、世界のどの部分(地域)からやってきたにせよ、自国民が他の全ての国民よりも優れていると信じている。各々の国民がそれぞれ特有の長所と短所( its characteristic merits and demerits)を持つことから(seeing that)、私達は、自分達の価値基準を調整し、自国民が持つ長所は真に重要なものであり、一方、その短所は比較的とるにたらないものであるとする(make out みせかける、ふりをする)。ここで再び理性的な人間は(なら)これは明白な正解のない問題だということを認めるであろう。人間が人間としての自尊心(self esteem)を扱うことはなおいっそう困難である。 なぜなら我々は何らかの人間でない精神(例:地球外の高等生命の精神/知性)でこの問題を徹底的に論じることができないからである。この一般的な人間のうぬぼれを扱う方法で私の知っている唯一のものは、人間(に関すること)は、宇宙の片隅の小さな惑星の生命における一つの短いエピソードにすぎないこと、そうして、詳しいことはわからないが(for aught we know)、宇宙の他の部分には、私達がクラゲよりもすぐれているのと同様に、私達よりも優れた存在(注:彼らからみれば人類はクラゲ程度)を含んでいるかもしれない(可能性がある)ということを自分に言い聞かせる(remind ourselves)ことである。

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.51
Be very wary of opinions that flatter your self-esteem. Both men and women, nine times out of ten, are firmly convinced of the superior excellence of their own sex. There is abundant evidence on both sides. If you are a man, you can point out that most poets and men of science are male; if you are a woman, you can retort that so are most criminals. The question is inherently insoluble, but self esteem conceals this from most people. We are all, whatever part of the world we come from, persuaded that our own nation is superior to all others. Seeing that each nation has its characteristic merits and demerits, we adjust our standard of values so as to make out that the merits possessed by our nation are the really important ones, while its demerits are comparatively trivial. Here, again, the rational man will admit that the question is one to which there is no demonstrably right answer. It is more difficult to deal with the self-esteem of man as man, because we cannot argue out the matter with some non-human mind. The only way I know of dealing with this general human conceit is to remind ourselves that man is a brief episode in the life of a small planet in a little corner of the universe, and that, for aught we know, other parts of the cosmos may contain beings as superior to ourselves as we are to jellyfish.
Source: Outline of Intellectual Rubbish (1943)
     Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
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知的戯言の概要(1943) n.50

 心理的想像力が十分ある人にとっては、自分と異なるバイアス(偏見/先入見)を持つ人との議論を想像することは良い案(plan)である。これは、論敵と実際に会話することと比較して、一つの、また、唯一の利点がある。(つまり)この一つの利点というのは、この方法は相手と時と場所とを同一にしなければならないという制限に服しなくてもよいということである。 マハトマ・ガンジーは鉄道や蒸気船や機械を嘆いている。(即ち)彼は(可能であれば)産業革命全体を御破算にしたい(なかったことにしたい/産業革命以前にもどりたい)のである。あなたはこのような意見を抱く人間にはまったく実際に会う機会を決してないかも知れない。なぜなら、西欧の国々ではたいていの人々は 近代技術を当たり前のここととして活用しているからからである。しかし、もしあなたがこの支配的な意見に同意するのが正しいかどうか確かめたいのであれば、あなたの心にうかんでくる論拠(arguments)を、ガンジーがそれらの論拠に反発していったかもしれない(可能性のある)ことを考慮してみることによって、テストするのが一つの良案であると気づくであろう。私はこの種の想像上の対話の結果として、実際に、自分の考えを変えさせられたことが時々あった。そして、そうでなくとも(short of this)、私は仮想の論敵が持っている可能性がある道理(reasonableness 合理性)を理解することによって、しだいにより独断的でなくなり、また過度な確信を持つことがより少なくなっていく自分を発見した(自分に気づいた)ことがしばしばあった(のである)。

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.50
For those who have enough psychological imagination, it is a good plan to imagine an argument with a person having a different bias. This has one advantage, and only one, as compared with actual conversation with opponents; this one advantage is that the method is not subject to the same limitations of time or space. Mahatma Gandhi deplores railways and steamboats and machinery; he would like to undo the whole of the industrial revolution. You may never have an opportunity of actually meeting any one who holds this opinion, because in Western countries most people take the advantage of modern technique for granted. But if you want to make sure that you are right in agreeing with the prevailing opinion, you will find it a good plan to test the arguments that occur to you by considering what Gandhi might say in refutation of them. I have sometimes been led actually to change my mind as a result of this kind of imaginary dialogue, and, short of this, I have frequently found myself growing less dogmatic and cocksure through realizing the possible reasonableness of a hypothetical opponent.
Source: Outline of Intellectual Rubbish (1943)
Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
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知的戯言の概要(1943) n.49

ある種の独断論を免れるよい方法は、自分自身が属する社会集団とは異なる社会集団(social circles)によって支持されている意見を知るようになる(become aware of 気づく)ことである私は若い頃、フランス、ドイツ、イタリア及び、アメリカ合衆国(など)、国外での暮らすことが多かった。私はこのことは(英国の)島国根性の強さを軽減するにはとても有益であることがわかった。もしあなたが旅行することができないならば、意見の一致しな人々を探しなさい。(また)あなた自身の支持政党でない政党に属する新聞を読みなさい。もし、それらの人々や新聞が気が狂っていて、ひねくれていて(perverse)、そして不道徳である(wicked 邪悪である)と思われるなら、あなたも、彼らからはそう思われるのだということを自分に言い聞かせなさい(remind yourself)。 この意見にかんしては両方の側が正しいのかもしれない。 しかし、両方がまちがっていることはありえない。こうした反省はある種の警戒心を生み出すはずである。

  けれども、外国の慣習を知るようになることは、 常に有益な効果(effect 結果/影響)をもつとは限らない。 17世紀に満州人(the Manchus)が中国を征服した時、] 中国人の間では女性が小さな足をもつこと(纏足 てんそく)が、また満州人の間では男性が辮髪(べんぱつ)にすること(wear pigtails)が慣習となっていた。各々がそれぞれの愚かな慣習をたちきるかわりに、お互いに相手の愚かな慣習をとりいれ、中国人は、1911年の革命において満洲人の支配をふりきるまで、 辮髪を続けた(のである)。

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.49
A good way of ridding yourself of certain kinds of dogmatism is to become aware of opinions held in social circles different from your own. When I was young, I lived much outside my own country in France, Germany, Italy, and the United States. I found this very profitable in diminishing the intensity of insular prejudice. If you cannot travel, seek out people with whom you disagree, and read a newspaper belonging to a party that is not yours. If the people and the newspaper seem mad, perverse, and wicked, remind yourself that you seem so to them. In this opinion both parties may be right, but they cannot both be wrong. This reflection should generate a certain caution. Becoming aware of foreign customs, however, does not always have a beneficial effect. In the seventeenth century, when the Manchus conquered China, it was the custom among the Chinese for the women to have small feet, and among the Manchus for the men to wear pigtails. Instead of each dropping their own foolish custom, they each adopted the foolish custom of the other, and the Chinese continued to wear pigtails until they shook off the dominion of the Manchus in the revolution of 1911.
Source: Outline of Intellectual Rubbish (1943) Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
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知的戯言の概要(1943) n.48

 けれども、多くの事柄(問題)は経験というテスト(検査/試験)にかけることがもっと容易ではない。もしあなたが大部分の人類と同様に、多くのそういった(経験というテストにかけることが容易でない)事柄について情熱的な確信をもっているとしたら 、あなたが自分自身の偏見に気づくこと(気づかせること)ができる方法がいくつかある。もしあなた自身の意見に反するある意見があなたを立腹させるとしたら、それはあなたがそのように考える十分な理由を持っていないことをあなたは意識下では気づいている印(兆候)である。もし誰かが、2かける2は5であるとか、アイスランドは赤道の上にあるとか主張すれば、あなた怒りよりもむしろ哀れみを(相手に)感じる(であろう)。ただし、あなたが算数(算術)あるいは地理をほとんど知らないためにその人の意見があなた自身の反対の確信を揺さぶることがないならばの話である(が)。もっとも殺伐とした(野蛮な)論争は、どちらの側にも十分な証拠がないような事柄に関する論争である。迫害は神学では使用されるが、算数(算術)では使用されない。なぜなら、算数(算術)においては(事実確認できる)知識が存在している、神学においてははただ意見が存在しているだけだからである。それゆえ、あなたが意見の相違に怒りを抱いているのがわかった時にはいつも、用心しなさい。多分、吟味してみれば、あなたの信念が、証拠の保証する以上にまで進んでいることに気づくであろう。

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.48
Many matters, however, are less easily brought to the test of experience. If, like most of mankind, you have passionate convictions on many such matters, there are ways in which you can make yourself aware of your own bias. If an opinion contrary to your own makes you angry, that is a sign that you are subconsciously aware of having no good reason for thinking as you do. If some one maintains that two and two are five, or that Iceland is on the equator, you feel pity rather than anger, unless you know so little of arithmetic or geography that his opinion shakes your own contrary conviction. The most savage controversies are those about matters as to which there is no good evidence either way. Persecution is used in theology, not in arithmetic, because in arithmetic there is knowledge, but in theology there is only opinion. So whenever you find yourself getting angry about a difference of opinion, be on your guard; you will probably find, on examination, that your belief is going beyond what the evidence warrants.
 Source: Outline of Intellectual Rubbish (1943) Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
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知的戯言の概要(1943) n.47

 人類が陥りやすい種々の愚かな見解を避けるためには、超人間的な才能は必要ではない。2,3の単純な規則で(規則を守るだけで)、あなたは全ての誤りをさけることはできないが、愚かな誤りから逃れることができるであろう。

 もし問題が観察によって決着できるものであるならば、自分自身で観察をしなさい。 アリストテレスは、女性は男性よりの歯の数が少ないと考える過ちを、アリストテレス夫人に、彼が彼女の歯の数を数えている間,口を開けていてくれるよう頼むという単純な工夫によって、さけることができたであろう。(しかし)彼はそうしなかった。自分は(既に)知っていると考えていたからである。実際知っていないのに知っていると考えることは致命的な誤りであり、我々は皆、この誤りをしがちである。私は自分では、 ハリネズミ(hedgehogs)は黒いカブトムシを食べると信じているが、それはハリネズミはカブトムシを食べると人から(これまでずっと)聞いてきたからである。しか、しもし私がハリネズミの習性について一冊の本を執筆していたとしたら、このあまりおいしそうに思えない食事をしているハリネズミを見るまでは、私は立場を明らかにする(commit myself)べきではない。けれども、アリストテレス は、少し注意が不足していた。古代及び中世の著者達は、一角獣(ユニコーン)と火蛇(サラマンダー)についてあらゆることを知っていた(=知っているとされていた)。それらについて一度も見たことがないからという理由で、独断的な陳述をさけることが必要だと考える者は、彼らの内に誰もいなかった。

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.47
To avoid the various foolish opinions to which mankind are prone, no superhuman genius is required. A few simple rules will keep you, not from all error, but from silly error. If the matter is one that can be settled by observation, make the observation yourself. Aristotle could have avoided the mistake of thinking that women have fewer teeth than men, by the simple device of asking Mrs. Aristotle to keep her mouth open while he counted. He did not do so because he thought he knew. Thinking that you know when in fact you don’t is a fatal mistake, to which we are all prone. I believe myself that hedgehogs eat black beetles, because I have been told that they do; but if I were writing a book on the habits of hedgehogs, I should not commit myself until I had seen one enjoying this unappetizing diet. Aristotle, however, was less cautious. Ancient and medieval authors knew all about unicorns and salamanders; not one of them thought it necessary to avoid dogmatic statements about them because he had never seen one of them. Source: Outline of Intellectual Rubbish (1943) Reprinted in: Unpopular Essays, 1950 More info.: https://russell-j.com/cool/UE_07-470.HTM

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知的戯言の概要(1943) n.46

 国民性についての一般化は、女性についての一般化とまったく同様によくあることであり、また、まったく同様に、根拠のないものである(unwarranted)。1870年までドイツ人は眼鏡をかけた学者先生の(ような)国民であり、あらゆるものを自分達の内なる意識から発展させ、外部の世界(外界)についてはほとんど知らない国民である、と考えられていた(訳注:観念的な国民であり、頭でっかちということ)。しかし、、1870年より以降(訳注:1871年以後/1871年にプロイセンを中心としたドイツ帝国成立)はこの概念(考え)はきわめて急角度に修正さなければならなかった。フランス人は大部分の米国人から、絶えず好色な不義密通にふけっていると思われているようである。(たとえば)ウォルト・ホイットマン(Walter Whitman, 1819-1892:米国の民衆詩人で詩集『草の葉』は有名)は、彼のカタログの一つのなかで、「密かに(on the sly)長椅子(settee)で姦通するフランス人カップル」のことをのべている。
(訳注 catalogue:ホイットマンはその多くの詩において過剰とも言うべき物事の羅列-いわゆる「カタログ」と呼ばれる文体を試みているとのことです/「on the sly settee」という表現がよく理解できず、ChatGPTに質問してみましたが、納得のいく回答がありませんでした。普通の文ではなく、詩の中の一部なので、補って想像をたくましくするようにするよりなさそうです。「長椅子でフランス人カップルがひっそりと不倫にふけているというシチュエーションであることは確かなようです。) フランスにいってすむアメリカ人は、家庭生活の強さ(家族の絆の強さ)に驚き、もしかすると(奔放な恋愛を求めて渡仏したフランス人は)失望するかも知れない。 ロシア革命以前、ロシア人は神秘的なスラブ魂をもっていると信じられており、。このスラブ魂は、(一方では)ロシア人に普通の分別ある行動をとることができないようにしたけれども、(他方では)ロシア人に、より実際的な国民が到達することを望むことがでできない一種の深い知恵を与えた、と信じられていた。(しかし)突然、全てのものが変わった。(即ち)(革命後のロシアでは)神秘主義は禁制(タブー)となった。そしてただ最も世俗的な理想だけが許容された(were tolerated)。一つの国民か らみて、他国民の国民性とみえるものは、少数の目立った個人か、あるいはたまたま権力を持つようになる階級によるものだ、というのが真相である。それゆえ、この問題についての一般化は何らかの重大な政治的変化によって完全にくつがえされやすいのである。
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.46
Generalizations about national characteristics are just as common and just as unwarranted as generalizations about women. Until 1870, the Germans were thought of as a nation of spectacled professors, evolving everything out of their inner consciousness, and scarcely aware of the outer world, but since 1870 this conception has had to be very sharply revised. Frenchmen seem to be thought of by most Americans as perpetually engaged in amorous intrigue; Walt Whitman, in one of his catalogues, speaks of “the adulterous French couple on the sly settee.” Americans who go to live in France are astonished, and perhaps disappointed, by the intensity of family life. Before the Russian Revolution, the Russians were credited with a mystical Slav soul, which, while it incapacitated them for ordinary sensible behavior, gave them a kind of deep wisdom to which more practical nations could not hope to attain. Suddenly everything was changed: mysticism was taboo, and only the most earthly ideals were tolerated. The truth is that what appears to one nation as the national character of another depends upon a few prominent individuals, or upon the class that happens to have power. For this reason, all generalizations on this subject are liable to be completely upset by any important political change.
Source: Outline of Intellectual Rubbish (1943)
Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
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知的戯言の概要(1943) n.45

 女性に対する、男女それぞれの、根深い不合理な態度は、小説のなかに – 特に駄作の(くだらない)小説のなかに- 見ることができるだろう(見られるだろう)。男によって書かれた下らない小説(駄作)のなかには、その作者が愛している女性が登場するが、彼女は、通常は、あらゆる魅力を備えているが、いくらか頼りなく、そうして(従って)男性による保護を必要とする。けれども、時折、シェイクスピアのクレオパトラのように、その女性は激しい憎悪の対象であり、非常に絶望的に邪悪であると考えられる。(小説の中の)ヒロイン(女主人公)を描写するにあたって、男性の作家は観察をもとにして書くのではなく、単に彼自身の情緒を(表現することを)目指すにすぎない。
訳注:objectives」を名詞としてとると、この一文(In portraying the heroine, the male author does not write from observation, but merely objectives his own emotions.)は何か単語が脱落してているのではないかと思えてしまいます。手元にある大きな英和辞典や英英辞典を見ても「objective」には名詞と形容詞の意味しか載っていない。そこで、ChatGPTに「objective」を動詞として使う例を尋ねると、以下の回答がありました。
【”Objective”は一般的に形容詞として使用されることが多いですが、一部の文脈では動詞としても使用されることがあります。その場合、“objective”は目標を立てる、目指す、または客観的に評価するなどの意味を持ちます。 例文: We need to objective our goals before we start working on the project.(プロジェクトに取り組む前に、目標を立てる必要があります。)】
 need to の後ろに来るこの例なら「objective」が動詞としてつかわれているのではないかと想像できますが、この例ではなかなか気づけません。】

 (ヒロイン以外の)その他の女性の登場人物(characters)については、彼はもっと客観的であり、彼は自分の手帳(創作ノート/メモ帳)に頼ることさえあるかもしれない。 しかし、彼(作者)が恋している時には、彼の情熱が彼と彼の熱愛対象との間に霧をかけるのである。 女性の小説家にも また、彼女の小説のなかに二種類の女性を登場させる。一種類は彼女自身で、性的魅力があり、優しく、邪悪な人間にとっては肉欲の対象、善良な人間にとっては愛情の対象であり、感じやすく、心は気高く、そうしていつも誤解される(のである)。もう一種類は、自分以外の全ての女性によって示されるものであり、通常は(多くの場合)けちで、意地が悪く、残忍で、人を騙す人間として描かれる。(訳注:ラッセルは、あくまでも駄作=三文小説の場合について言っています。)先入観なく女性を見ることは、男性にとっても女性にとっても容易なことではないように思われるであろう。

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.45 T
he deeply irrational attitude of each sex toward women may be seen in novels, particularly in bad novels. In bad novels by men, there is the woman with whom the author is in love, who usually possesses every charm, but is somewhat helpless, and requires male protection; sometimes, however, like Shakespeare’s Cleopatra, she is an object of exasperated hatred, and is thought to be deeply and desperately wicked. In portraying the heroine, the male author does not write from observation, but merely objectives his own emotions. In regard to his other female characters, he is more objective, and may even depend upon his notebook; but when he is in love, his passion makes a mist between him and the object of his devotion. Women novelists, also, have two kinds of women in their books. One is themselves, glamorous and kind, and object of lust to the wicked and of love to the good, sensitive, high-souled, and constantly misjudged. The other kind is represented by all other women, and is usually portrayed as petty, spiteful, cruel, and deceitful. It would seem that to judge women without bias is not easy either for men or for women.  Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7: More info.: http://www.ditext.com/russell/rubbish.html

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知的戯言の概要(1943) n.44

 我々(男性)の最も強い愛と憎みの対象としての女性は複雑な情緒をかきたてるが、これらの情緒は、諺の「知恵」の中に具現化されている。
 ほとんど皆、男女とも、女性の問題に関して何らかの全く正当化できない一般化を自分自身に許している(allows himself or herself)。既婚の男は、この問題にかんして一般化する際、自分の妻によって判断する。女性は自分自身によって判断する。男性の女性観の歴史を執筆することは面白いことだろう。古代においては、男性の(女性に対する)優位が疑問とされず、キリスト教倫理がまだ知られていなかった時には、女性は害がないものであるがかなり愚かである[とされ〕、女性についてまじめに考える男はいくらか軽蔑された。プラトンは、劇作家が女性の役を創作する際に、女性を模倣(マネ)なければならないのは、演劇に対する重大な異議(a grave objection)であると考えている。キリスト教の到来とともに女性は一つの新しい役割を得た。それは誘惑する女(the temptress)という役割である。しかし同時に、女性はまた聖人にもなることもできることを発見した(自己発見)。ビクトリア朝時代には、女性は、誘惑する女性としてよりも、聖人としての方が、ずっと強調された(訳注:ビクトリア女王が国王だったことが影響したか?)。ビクトリア朝時代の男は自分は誘惑されやすいなどと認めることはできなかった。女性の(男性よりも)優れた美徳は、女性を(汚い)政治から遠ざけておく理由の一つにされた。政治の世界は高尚な美徳は不可能であると考えられたのである。しかし、初期のフェミニスト達(女権拡張論者達)はこの論法をひっくり返し(逆にして)、女性の政治参加は政治を高尚なものにするだろうと主張した。それが幻想であることがわかってからは、女性の優れた美徳のことはあまり話題にされなくなったが、いまだなお、、女は誘惑するものだという、修道僧的な女性観に固執している男性が多数存在している。女性達自身は、大部分、自らを分別ある性(sensible sex)であると考え、 男達の衝動的な愚行から生じる害を取り除くことが自分達の役割だと考えている。私としては、 女性についてあらゆるの一般化を、それが女性に対して好意あるものであろうとなかろうと、また男性の側からのものであろうと女性の側からのものであろうと、あるいは昔のものであろうと現代のものであろうと、いずれも信頼しない。いず 不足からするものな のであろうと、いずれも信頼しない。これらはすべて同様に、経験不足から生じるものだと言うべきだあろう。

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.44
Women, as the object of our strongest love and aversion, rouse complex emotions which are embodied in proverbial “wisdom.” Almost everybody allows himself or herself some entirely unjustifiable generalization on the subject of woman. Married men, when they generalize on that subject, judge by their wives; women judge by themselves. It would be amusing to write a history of men’s views on women. In antiquity, when male supremacy was unquestioned and Christian ethics were still unknown, women were harmless but rather silly, and a man who took them seriously was somewhat despised. Plato thinks it a grave objection to the drama that the playwright has to imitate women in creating his female roles. With the coming of Christianity woman took on a new part, that of the temptress; but at the same time she was also found capable of being a saint. In Victorian days the saint was much more emphasized than the temptress; Victorian men could not admit themselves susceptible to temptation. The superior virtue of women was made a reason for keeping them out of politics, where, it was held, a lofty virtue is impossible. But the early feminists turned the argument round, and contended that the participation of women would ennoble politics. Since this has turned out to be an illusion, there has been less talk of women’s superior virtue, but there are still a number of men who adhere to the monkish view of woman as the temptress. Women themselves, for the most part, think of themselves as the sensible sex, whose business it is to undo the harm that comes of men’s impetuous follies. For my part I distrust all generalizations about women, favorable and unfavorable, masculine and feminine, ancient and modern; all alike, I should say, result from paucity of experience. Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943  Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7: More info.: http://www.ditext.com/russell/rubbish.html       https://russell-j.com/cool/UE_07-440.HTM

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知的戯言の概要(1943) n.43

 避妊に対する最も一般的な反論は、それが「自然」に反しているということである。(なんらかの理由で、我々は独身は自然に反すると言うことは許されない。私が考えることのできる唯一の理由は、独身ということが新しいものではないということである。=注:長い間存続してきたものは存続する理由があるということ)。マルサス(1766-1834:人口論で有名な英国の経済学者)は人口増加を抑制する方法として三つだけ考えた(注:”see”:検討する、考える)。(即ち)道徳的抑制(moral restraint)、悪徳(vice,)、及び貧窮(misery)の3つである。道徳的抑制は恐らく 大規模に実施されることはないと、マルサスも認めた。「悪徳」即ち、避妊(産児制限)は、彼は牧師として、嫌悪感をもって眺めた。残るは貧窮である。快適な牧師館(parsonage)のなかで、彼は、人類の大多数の貧窮を平静な心で(with equanimity)瞑想し、そうして、彼は、それを緩和しようという希望を持つ社会改革家の誤りを指摘した。現代の神学の立場から避妊(産児制限)に反対する人達は、 (マルサスに比べて)もっと不誠実である。彼らは、食べ物を供給されるべき口(人口)がたとえどれだけ多くても、神は与えられるだろうと考えているふりをする。彼らは次の事実を無視している。即ち、神はこれまで決してそうしてこなかった(人々に食べ物を与えてこなかった)し、それどころか、人類を定期的に飢饉にさらされ、それによって何百万の人々が餓死した(という事実である)。彼らは、もし自分達が信じてることを(素直に)言っているのなら、神がこれまで必要ないと考えてきた(ところの)バン(loaves)と魚について、今後ずっと神は奇蹟を働かせ続けるだろうと、彼らは考えていると見なされなければならない(must be deemed to hold )。あるいは、もしかすると(perhaps )彼らは、この世(下界)における苦しみは重要ではない、(即ち)大事なのあの世(来世)である、と言うかも知れない。彼ら自身の 神学によって(神学によれば)、彼らが避妊(産児制限)に反対したために生まれてくることになるであろう子供達の大部分は(彼らの神学によれば)地獄にゆくことになるであろう。それゆえ、かれらが地上の生活の改善(amelioration)に反対するのは、何百万の人間が(地獄での)永遠の拷問を受けるのは善いことだと彼らが考えるからだと想像せざるをえない。彼らとくれべればマルサスの方が慈悲深いように見える。
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.43 The commonest objection to birth control is that it is against “nature.” (For some reason we are not allowed to say that celibacy is against nature; the only reason I can think of is that it is not new.) Malthus saw only three ways of keeping down the population; moral restraint, vice, and misery. Moral restraint, he admitted, was not likely to be practised on a large scale. “Vice,” i.e., birth control, he, as a clergyman, viewed with abhorrence. There remained misery. In his comfortable parsonage, he contemplated the misery of the great majority of mankind with equanimity, and pointed out the fallacies of reformers who hoped to alleviate it. Modern theological opponents of birth control are less honest. They pretend to think that God will provide, however many mouths there may be to feed. They ignore the fact that He has never done so hitherto, but has left mankind exposed to periodical famines in which millions died of hunger. They must be deemed to hold — if they are saying what they believe — that from this moment onward God will work a continual miracle of loaves and fishes which He has hitherto thought unnecessary. Or perhaps they will say that suffering here below is of no importance; what matters is the hereafter. By their own theology, most of the children whom their opposition to birth control will cause to exist will go to hell. We must suppose, therefore, that they oppose the amelioration of life on earth because they think it a good thing that many millions should suffer eternal torment. By comparison with them, Malthus appears merciful. Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943  Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7: More info.: http://www.ditext.com/russell/rubbish.html       https://russell-j.com/cool/UE_07-430.HTM