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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(16)」

 信条に関する自尊心(高慢さ/うぬぼれ)は,(階級的差別感情)と同様の感情のもう一つの変種である。私は,中国(注:1920~1921年にかけて約1年滞在)から戻って間もない頃,アメリカの多くの婦人クラブで,中国について講演を行った。いつも(毎回),講演中には居眠りしていたようでありながら,終りにやや尊大に次のような質問をする一人の年配の婦人がいた(注:以下のことをラッセル及び聴衆に言いたいために,ラッセルが講演するところ全てにかけつけた,と想像される)。即ち,中国人は異教徒(heathen)なんだから,いうまでもなく有徳であるはずがないことについてなぜ私が言及しなかったか,という質問であった。ソルトレーク・シティのモルモン教徒たちは,非モルモン教徒が初めて仲間入りを許されたときには,同様な態度をとったにちがいない,と私は想像する。中世の全期間を通じて,キリスト教徒とマホメット教徒とは,互いに相手の邪悪さを確信しており,自分たちの宗教(信条)の優越性を疑うことができなかったのである。
 すべて以上のようなことは,自ら(or 自分たち)を「素晴らしい(grand)」と感じる愉快なやり方である。我々は幸福であるためには,自尊心(うぬぼれ)に対するあらゆる支えが必要である。我々は人間だ,従って,人間が天地創造の目的である。また,我々はアメリカ人だ,従って,アメリカは神の国であるとか,我々は白人だ,従って,神は黒人であるハム族やその子孫を呪ったのだとか,我々はプロテスタント(あるいはカトリックだ,従って,カトリック(あるいはプロテスタン)は嫌悪すべき対象であるとか,我々は男性だ,従って,女性は理性的でない,あるいは私は女性だ,従って,男性は獣だとか,我々は東洋人だ,従って,西洋人は乱暴であり,毛むくじやであるとか,我々は西洋人だ,従って,東洋は衰退している,などという。(また)我々は頭脳で労働している,従って,重要なのは教育を受けた階級であるとか,あるいは、我々は手を使って労働している,従って,手を使った労働(筋肉労働/肉体労働)のみが尊厳である,とかいう。最後に,とりわけ,我々の各々が,我々は「自己」(ユニークな自己を持つ存在)であるという,まったく独自の長所を一つもっている。以上のような心慰める内省(熟考)をいだいて,我々は,外に出て世間(世界)と闘かうのであり,そのような内省がなければ,吾々の勇気は挫けるかもしれないのである。現状のままでは,そのような内省がなければ,我々は,平等という感情を学んでいないので,劣等感を感じることだろう。もしも我々が,自分は隣人と平等であり,彼等に優越するものでも劣るものでもない,ということを真に感じることができるならば,恐らく,人生はより闘争的でなくなるだろうし,また空元気(Dutch courage)を出すために自分たちを酔わせるような神話を必要とする度合はより少なくなるであろう。

Pride of creed is another variety of the same kind of feeling. When I had recently returned from China I lectured on that country to a number of women’s clubs in America. There was always one elderly woman who appeared to be sleeping throughout the lecture, but at the end would ask me, somewhat portentously, why I had omitted to mention that the Chinese, being heathen, could of course have no virtues. I imagine that the Mormons of Salt Lake City must have had a similar attitude when non-Mormons were first admitted among them. Throughout the Middle Ages, Christians and Mohammedans were entirely persuaded of each other’s wickedness and were incapable of doubting their own superiority.
All these are pleasant ways of feeling ‘grand’. In order to be happy we require all kinds of supports to our self-esteem. We are human beings, therefore human beings are the purpose of creation. We are Americans, therefore America is God’s own country. We are white, and therefore God cursed Ham and his descendants who were black. We are Protestant or Catholic, as the case may be, therefore Catholics or Protestants, as the case may be, are an abomination. We are male, and therefore women are unreasonable; or female, and therefore men are brutes. We are Easterners, and therefore the West is wild and woolly; or Westerners, and therefore the East is effete. We work with our brains, and therefore it is the educated classes that are important; or we work with our hands, and therefore manual labor alone gives dignity. Finally, and above all, we each have one merit which is entirely unique, we are Ourself. With these comforting reflections we go out to do battle with the world; without them our courage might fail. Without them, as things are, we should feel inferior because we have not learnt the sentiment of equality. If we could feel genuinely that we are the equals of our neighbors, neither their betters nor their inferiors, perhaps life would become less of a battle, and we should need less in the way of intoxicating myth to give us Dutch courage.
 Source: Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946 Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(15)」

 急速になくなりつつあるもう一つの種類の優越性は,階級における優越性であり,これは,現在ソビエト・ロシアにだけ生き残っている(注:1946年時点のこと。共産主義中国が成立したのは1949年であることに注意)。その国においては,プロレタリア(無産階級/賃金労働者)の息子(子孫)は,ブルジョアの息子(子孫)よりも有利な点(強み)をもっている。しかし(他の国々にあっては,)どこにおいても,そのような世襲による特権不公正なものと考えられている。けれども,階級による区別の消滅は,完璧にはほど遠い状態である。アメリカでは,万人は平等であるという考えから,あらゆる人々が自分には社会的優越者(自分よりも「社会的に」優越する者)は存在しない,という意見をもっているけれども,自分よりも社会的に劣る者はいない,ということは容認しない。なぜなら,万人は平等であるという教義はジェファーソンの時代以来,自分よりも上の方には適用されるが下の方には適用されないからである。この間題については,人々が一般論で言う場合には常に,深刻かつ広範な偽善が存在している。本当に(実際に)彼らが考えかつ感じていることは,二流の小説を読むことで発見できる。そこからわかるのは,不適切な側(注:貧乏な側など)に生まれることがどれほど恐ろしいかということであり,またかつてドイツの小法廷でよくあったように,配偶のしまちがい(注:mesalliance 身分の低い者との結婚)に関して大騒動があるということである。富(財産)の大きな不平等が残存する限り,そのような状態を改める方法を理解するのは簡単ではない。家柄崇拝が深くしみついている英国においては,戦争(注:両大戦)によってもたらされた収入の平等化は,甚大な影響を及ぼしてきており,そうして,若者の間,年長の人たちの家柄崇拝はいくらか馬鹿げたことだと思われ始めている。現在でもいまだなお英国では,悲しむべき家柄崇拝(注:snobbery 俗物根性/紳士気取り/上流気取り)が非常に広範に見られるが,それは収入やかつての意味における社会的地位よりは,むしろ教育や言葉遣いに関連したものとなっている。Another kind of superiority which is rapidly disappearing is that of class, which now survives only in Soviet Russia. In that country the son of a proletarian has advantages over the son of a bourgeois, but elsewhere such hereditary privileges are regarded as unjust. The disappearance of class distinction is, however, far from complete. In America everybody is of opinion that he has no social superiors, since all men are equal, but he does not admit that he has no social inferiors, for, from the time of Jefferson onward, the doctrine that all men are equal applies only upwards, not downwards. There is on this subject a profound and widespread hypocrisy whenever people talk in general terms. What they really think and feel can be discovered by reading second-rate novels, where one finds that it is a dreadful thing to be born on the wrong side of the tracks, and that there is as much fuss about a mesalliance as there used to be in a small German Court. So long as great inequalities of wealth survive it is not easy to see how this can be otherwise. In England, where snobbery is deeply ingrained, the equalization of incomes which has been brought about by the war has had a profound effect, and among the young the snobbery of their elders has begun to seem somewhat ridiculous. There is still a very large amount of regrettable snobbery in England, but it is connected more with education and manner of speech than with income or with social status in the old sense.
  Source: Ideas That Have Harmed Mankind,1946
     Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 1
  More info.: https://russell-j.com/beginner/0861HARM-150.HTM

「”then”の正体」 (佐藤ヒロシ『関係詞の底力』p.207から)

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「”then”の正体」 (佐藤ヒロシ『関係詞の底力』p.207から)

しかし、“then”の訳語には「次に」当時」「してみると(それゆえ)」と いろいろあって、とらえどころがないように思うかも知れません。”then”の 正体 は「場面を切り替える」です。何台ものカメラが「1カメから2カメ へ」と切り替わる感じをイメージするとわかりやすいと思います。・・・。
 (1)「次に」→「次」に場面を切り替え
  (2)「当時」→「昔」に場面を切り替え
  (3)「それゆえ,従って」→「結論」に場面切り替え」
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1.ラッセルの用例

(1) Here, then, is the problem which I present to you, stark and dreadful and inescapable: Shall we put an end to the human race ; or shall mankind renounce war?
「次に,私が皆さんに示す厳しくて恐ろしい避けがたい問題があります。それは 人類に終 止符を打つか,それとも戦争を放棄するか,ということです。
出典:バートランド・ラッセル「人類の危機-1954.12.23 BBCクリスマス放送」
詳細:https://russell-j.com/MansPeril.htm

(2) But I do remember the beginning of the Great War, and everybody’s
mood then was almost exactly what it is in a bad fog – one of hilarious and excited friendliness.
「だが私は,第一次世界大戦が勃発した時のことをはっきり覚えている。その時(当時)の世間の人の気分(心理状態)は,まさにひどい霧に見舞われた
時と同じであり,お互い浮かれ騒ぎ,はしゃぎ合う気分であった。」
出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「なぜ災難がうれしいのか」]
詳細:https://russell-j.com/MISHAPS.HTM

(3) Whatever may be an object of thought, or may occur in any true or
false proposition, or can be counted as one, I call a term. This,
then, is the widest word in the philosophical vocabulary.
「思考の対象となるもの、真偽を問わずいかなる命題にも現れるもの、1つとして数えられるもの、すべてを「項」と呼ぶことにする。従って、これは哲学用語の中で最も広い意味を持つ言葉である。」
出典:ラッセル『私の哲学の発展』第14章 普遍者、個別者、固有名
詳細:https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_14-050.HTM


2.参考

01. He is tall, then Jack.
「彼は背が高い。次に高いのはジャックだ。
出典:佐藤ヒロシ『関係詞の底力』p.207

02. We lived in the country then.
Source: Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

03. If x=5 and y=3, then xy=15.
Source: Longman Dictionary of Contemporary English, new ed.

ラッセル「人類に害を与えてきた思想(14)」

 男性支配は,ある種のきわめて不幸な結果をもたらしてきた。それは人間関係のうちでもっとも親密な関係,すなわち結婚の関係を,平等な配偶者関係のかわりに,主人と奴隷の関係にしてしまった。それは,女性を妻として獲得するために喜ばせることを不必要にさせ,そのことによって求愛の技術を,正常でない関係(注:不倫関係など)に限らせたのである。またそのことが品行方正な女性(婦人)たちに閉じこもった生活を強いたことから,彼女たちは活気がなく面白味のない人間となり,面白味があり冒険心をもつことのできる唯一の女性は,社会的な追放者であった。品行方正な女性(婦人)たちの活気のなさのために,最も文明化された国の最も文明化された男性たちは,しばしば,同性愛者となったのである。また結婚に平等性がまったくないために,男たちは支配的な習慣を確証する(正しいと思う)ようになった。これらのことは全て,現在では文明諸国では多かれ少なかれ終りを告げたが,男性あるいは女性が,自分たちの行動をこの新らしい事態に完全に適応させるようになるまでには,まだ長い時間がかかるだろう。解放というものは,常に,最初は一定の悪い結果をもたらす。即ち,それは,以前の優越者の感情を害し,以前の劣等者を自己主張的にさせる。しかし他の事柄におけると同様に,この問題についても,時間(の経過)が,調節作用をもたらしてくれるものと期待される。
Male domination has had some very unfortunate effects. It made the most intimate of human relations, that of marriage, one of master and slave, instead of one between equal partners. It made it unnecessary for a man to please a woman in order to acquire her as his wife, and thus confined the arts of courtship to irregular relations. By the seclusion which it forced upon respectable women it made them dull and uninteresting; the only women who could be interesting and adventurous were social outcasts. Owing to the dullness of respectable women, the most civilized men in the most civilized countries often became homosexual. Owing to the fact that there was no equality in marriage men became confirmed in domineering habits. All this has now more or less ended in civilized countries, but it will be a long time before either men or women learn to adapt their behavior completely to the new state of affairs. Emancipation always has at first certain bad effects; it leaves former superiors sore and former inferiors self-assertive. But it is to be hoped that time will bring adjustment in this matter as in others.

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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(13)」

 男性の(女性に対する)優越性の信念は,今では公的には西洋諸国で死に絶えている(消滅してい)るが,それは高慢(うぬぼれ)という罪の好奇心をそそる(興味深い)一例である。男性がより優れた筋肉をもつこと以外には,男性が生まれつきに何らかの優越性をもっていると信じる理由はまったくない,と私は考える。私はかつて多数の血統証付き(系図付き)の牡牛を飼っているところへいった時のことを記憶しているが,その牡牛を有名にしたのは,その牝(めす)の系統(注:母方)の祖先がいちじるしい授乳能力(milk-giving qualities 乳を与える優秀さ)をもつことであった。もしも牛たちが(自ら)系図をつくっていたとすれば,それは非常に違ったものになっていたことであろう。牝(めす)の祖先についてはおとなしくて有徳であったということ以外にはなにも書かれず,しかるに,牡(おす)の祖先たちは戦闘能力に優れていたと讃えられるであろう。牛の場合には,我々は両性の相対的長所について,公平な見方ができるが,我々自身の種(人間)については,それがずっと困難だということがわかる。昔は,男性の優越性は簡単に証明された。なぜなら,もし女性が自分の夫の優越性を疑ったならば,夫は妻をなぐることができたからである。このような点における優越性から,他の点における優越性もまた当然でてくると考えられた。男は女より理性的であり,より発明の才をもち,感情に動かされることがより少ない,などということになる。解剖学者たちは,女性が選挙権を獲得するまで,男性の知的能力は女性の知的能力に勝ることを示そうとして,大脳の研究から種々の巧妙な議論を展開していた。それらの議論は次々に誤りであることが証明されていったが,いつも同種の(男の方がすぐれているという)結論がひきだされる新らしい論拠が出されるのであった。たとえば男の胎児(fetus)は,生後6週間に魂を獲得するが,女性胎児は3ケ月後に(ようやく)魂を獲得する,と考えられたものである。この意見もまた,女性が投票権を得てからは,捨て去られてしまった。(中世の哲学者)トマス・アクィナスは,まったく明白なことのように,男は女よりも理性的である,と挿入句の中で述べている。私自身は,その証拠をまったく見つけられない。ある少数の個人は,ある種の若干の方向に合理性のかすかなひらめきをもっているが,私が観察する限り,そのようなひらめきは女性よりも男性の方により広範にみられることはまったくない。
The belief in the superiority of the male sex, which has now officially died out in Western nations, is a curious example of the sin of pride. There was, I think, never any reason to believe in any innate superiority of the male, except his superior muscle. I remember once going to a place where they kept a number of pedigree bulls, and what made a bull illustrious was the milk-giving qualities of his female ancestors. But if bulls had drawn up the pedigrees they would have been very different. Nothing would have been said about the female ancestors, except that they were docile and virtuous, whereas the male ancestors would have been celebrated for their supremacy in battle. In the case of cattle we can take a disinterested view of the relative merits of the sexes, but in the case of our own species we find this more difficult. Male superiority in former days was easily demonstrated, because if a woman questioned her husband’s he could beat her. From superiority in this respect others were thought to follow. Men were more reasonable than women, more inventive, less swayed by their emotions, and so on. Anatomists, until the women had the vote, developed a number of ingenious arguments from the study of the brain to show that men’s intellectual capacities must be greater than women’s. Each of these arguments in turn was proved to be fallacious, but it always gave place to another from which the same conclusion would follow. It used to be held that the male fetus acquires a soul after six weeks, but the female only after three months. This opinion also has been abandoned since women have had the vote. Thomas Aquinas states parenthetically, as something entirely obvious, that men are more rational than women. For my part, I see no evidence of this. Some few individuals have some slight glimmerings of rationality in some directions, but so far as my observations go, such glimmerings are no commoner among men than among women.
Source: Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946 Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(12)」(松下彰良・訳)

 人種的高慢(うぬぼれ)は,国民国家的高慢よりももっと有害でさえある。私は中国に滞在していたとき,教養ある中国人が幸運にも私が会うことのできた他のいかなる人間よりも,おそらく、より高度に文明的である事実に,心を打たれたものである。それにもかかわらず,私は,皮膚が黄色いということだけで,最良の中国人をも軽蔑する多くの粗野で無知な白人を見いだしたのである。一般的に言って,この点では,英国人の方がアメリカ人よりもより非難さるべきであったが(注:あくまでも1946年時点),それには例外もあった。かつて私は,とても博学なある中国人の学者と一緒だった。彼の学識は伝統的な中国のものばかりでなく,西洋の大学で教えられているような種類の学問をも含んでおり,その教養の広さは,とうてい私が匹敵しうるところでない人物であった。彼と私は自動車を借りるために,ある車庫へ一緒に入っていった。そこの車庫の所有者は悪いタイプのアメリカ人であり,私のこの中国人の友人を不潔なものであるかのように扱い,日本人だろうと言って軽蔑するように非難し(たので),その無知な悪意で私の血は怒りで煮えくり返った。インド在住の英国人の同様な態度は,彼らの政治的権力のためにより悪化しており,インドにおいて英国人と教養あるインド人との間に起る摩擦の主要な原因の一つであった。
ある人種の他の人種に対する優越は,いまだかつて十分な理由から信じられたことはほとんどない。そのような信念が執拗に存続しているところでは,その信念は軍事的優越によって活かし続けられているのである。日本人が(軍事的に)勝利を続けている限りは,日本人は白人に対し軽蔑心を抱いて楽しんだのであり,それは日本人が弱かった間に白人が日本人に対して感じていた軽蔑心の裏返し(対応物)であった。しかし,時々,優越感が軍事力となんの関係ももたない場合がある。ギリシャ人たちは,野蛮人ら(barbarians 異国の民・蛮族)が戦闘力において自分たちより勝っていた時でさえ,彼等を軽蔑したのである。ギリシャ人の間でより啓蒙された人々は,主人がギリシャ人で奴隷が野蛮人である限りは奴隷制を正当化できるものとみなしたが,そうでなければ自然に反するものであると考えた。古代のユダヤ人は,彼等自身の人種的優越性について,まったく特異な信仰をもっていた。キリスト教が国家宗教となって以降,異教徒たち(注:Gentiles ユダヤ人から見た「異教徒」。ここではキリスト教徒のこと)はユダヤ人に対する自分たちの優越性への同様に非合理的な信念をもってきた。この種の信念はまさに限りない弊害を生じさせるものであり,それを根絶させることは教育の目的の一つでなければならないが,現在,実際にはそうなっていない。少し前の方で,私は,英国人がインド住民を扱うさいにとる優越的態度にふれたが,それは当然のこと,インドにおいて憤激をひき起したものである。しかし,(インドの)カースト制度は北方の「優越した」諸民族があい次いで侵入してきた結果,発生したものであり,その制度のいかなるものも,白人の傲慢さと同様に嫌悪すべきものである。
Pride of race is even more harmful than national pride. When I was in China I was struck by the fact that cultivated Chinese were perhaps more highly civilized than any other human beings that it has been my good fortune to meet. Nevertheless, I found numbers of gross and ignorant white men who despised even the best of the Chinese solely because their skins were yellow. In general, the British were more to blame in this than the Americans, but there were exceptions. I was once in the company of a Chinese scholar of vast learning, not only of the traditional Chinese kind, but also of the kind taught in Western universities, a man with a breadth of culture which I scarcely hoped to equal. He and I went together into a garage to hire a motor car. The garage proprietor was a bad type of American, who treated my Chinese friend like dirt, contemptuously accused him of being Japanese, and made my blood boil by his ignorant malevolence. The similar attitude of the English in India, exacerbated by their political power, was one of the main causes of the friction that arose in that country between the British and the educated Indians. The superiority of one race to another is hardly ever believed in for any good reason. Where the belief persists it is kept alive by military supremacy. So long as the Japanese were victorious, they entertained a contempt for the white man, which was the counterpart of the contempt that the white man had felt for them while they were weak. Sometimes, however, the feeling of superiority has nothing to do with military prowess. The Greeks despised the barbarians, even at times when the barbarians surpassed them in warlike strength. The more enlightened among the Greeks held that slavery was justifiable so long as the masters were Greek and the slaves barbarian, but that otherwise it was contrary to nature. The Jews had, in antiquity, a quite peculiar belief in their own racial superiority; ever since Christianity became the religion of the State Gentiles have had an equally irrational belief in their superiority to Jews. Beliefs of this kind do infinite harm, and it should be, but is not, one of the aims of education to eradicate them. I spoke a moment ago about the attitude of superiority that Englishmen have permitted themselves in their dealings with the inhabitants of India, which was naturally resented in that country, but the caste system arose as a result of successive invasions by ‘superior’ races from the North, and is every bit as objectionable as white arrogance.
Source: Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946 Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
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ラッセル「人類に害を与えてきた思想」n.11

 

 政治的に有害である誤まった信念を生じさせるもう一つの情熱は高慢(pride うぬぼれ)  -国籍,人種,性,階級,あるいは,信条に対する高慢(うぬぼれ)- である。私が小さい時,フランスはいまだ英国の伝統的な敵国とみなされており,また、1人の英国人は3人のフランス人をやっつけることができるということを,疑問の余地のな い真理である,と思った。(だが)ドイツが敵国となると,この信念は修正され,英国人はフランス人が,蛙を喰う傾向があるのを嘲笑することを止めてしまった(注:フランスはドイツと戦ってくれる「味方」になったため)。しかし、英国政府のさまざまな努力にもかかわらず,フランス人を自分たちと同等な人間であると本当に考えるようになった英国人は,ごくわずかしかいなかった,と私は思う。アメリカ人や英国人は,バルカン諸国についてよく知るようになると,ブルガリア人とセルビア人との間に,あるいはハンガリア人とルーマニア人との間に,相互に敵意をもっていることを学ぶと,驚くととみに軽蔑心を感じる。彼ら(アメリカ人と英国人)にとって,それらの(小国同士の)敵意は馬鹿げたものであり,またそれら小国のそれぞれがみずからの(相手国に対する)優越を信じていることには,まったく客観的根拠がないことはあきらかだと思う。しかし彼ら(英米人)の大部分は,大国の国民的自尊心(高慢/うぬぼれ)が.バルカン半島の小国のそれと同様に,本質的に正当化しえないものであることにまったく気づくことができないのである。
Another passion which gives rise to false beliefs that are politically harmful is pride – pride of nationality, race, sex, class, or creed. When I was young France was still regarded as the traditional enemy of England, and I gathered as an unquestionable truth that one Englishman could defeat three Frenchmen. When Germany became the enemy this belief was modified and English people ceased to mention derisively the French propensity for eating frogs. But in spite of governmental efforts, I think few Englishmen succeeded in genuinely regarding the French as their equals. Americans and Englishmen, when they become acquainted with the Balkans, feel an astonished contempt when they study the mutual enmities of Bulgarians and Serbs, or Hungarians and Rumanians. It is evident to them that these enmities are absurd and that the belief of each little nation in its own superiority has no objective basis. But most of them are quite unable to see that the national pride of a Great Power is essentially as unjustifiable as that of a little Balkan country.
 Source: Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946
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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(10)」

 これは作り話であり,私がこれまで語ってきた町は架空のものである。しかし,町のかわりに世界に,個人のかわりに国家に置き換えれば,現在(注:1946年の時点でのこと)いたるところで追求されている経済政策の完璧な描写(描像)ができあがるだろう。あらゆる国家が,自国の経済的利益(注:国益!)は他のすべての国家の経済的利害(国益)と対立しており,他の諸国家が窮乏に陥れば,自国はかならず利益を得るに違いない,と信じ込んでいる。最初の大戦(第一次世界大戦)中に,私はよく英国人が次のように言うのをよく聞いたものである。即ち,英国の貿易(trade 通商)は,ドイツの貿易(通商)の崩壊によって莫大な利益を得るだろう。そしてそれは,我が英国(注:あるいは連合国側)が勝利することによって得られる主要な成果の一つでなければならない,と。第一次世界大戦後になって,英国はヨーロッパ大陸に市場を見出すことを歓迎すべきであったが,また,西ヨーロッパの産業生活は(ドイツの)ルール地方の石炭に依存していたけれども,英国はルールの石炭業がドイツの敗北前の生産高のごくわずかの割合以上に生産することを許容する気になれなかったのである。今や世界中を通じて見られる経済的ナショナリズムの全哲学は,次のような誤まった信念に基礎をおいている。すなわち一国の経済的利害は必然的に他国のそれと対立するという信念である。この誤まった信念は,国際的な憎悪と対立を生み出すことによって,戦争の原因となり,そうしてみずから(誤った信念)を真ならしめる(真理だと思わせる)傾きをもつ。なぜなら,ひとたび戦争が勃発すれば,国家的利害の衝突はあまりにも現実的なものになるだけだからである。たとえば製鉄業に従事する誰かに,他の諸国の繁栄がおそらくあなたにとっても有利となるだろう,ということを説明しようとしても,当人にその議論(論拠)をわからせることはまったく不可能であることがわかるだろう。なぜなら彼がいきいきと意識している唯一の外国人というのは製鉄業に従事している競争相手だからである。(競争相手以外の)他の外国人などは,彼がまったく情緒的的関心を抱かない影のような存在なのである。これが,経済的ナショナリズムや戦争や人為的な飢餓などの心理的根源であり,また,人々が自分たちお互いの関係について,より視野が広くよりヒステリックでない見方をするように導びけない限り,我々の文明に悲惨で恥ずべき終えんにもたらすような,その他あらゆる悪弊の根源となっているのである。
This is a fable, and the town of which I have been speaking never existed, but substitute for a town the world, and for individuals nations, and you will have a perfect picture of the economic policy universally pursued in the present day. Every nation is persuaded that its economic interest is opposed to that of every other nation, and that it must profit if other nations are reduced to destitution. During the first World War, I used to hear English people saying how immensely British trade would benefit from the destruction of German trade, which was to be one of the principal fruits of our victory. After the war, although we should have liked to find a market on the Continent of Europe, and although the industrial life of Western Europe depended upon coal from the Ruhr, we could not bring ourselves to allow the Ruhr coal industry to produce more than a tiny fraction of what it produced before the Germans were defeated. The whole philosophy of economic nationalism, which is now universal throughout the world, is based upon the false belief that the economic interest of one nation is necessarily opposed to that of another. This false belief, by producing international hatreds and rivalries, is a cause of war, and in this way tends to make itself true, since when war has once broken out the conflict of national interests becomes only too real. If you try to explain to someone, say, in the steel industry, that possibly prosperity in other countries might be advantageous to him, you will find it quite impossible to make him see the argument, because the only foreigners of whom he is vividly aware are his competitors in the steel industry. Other foreigners are shadowy beings in whom he has no emotional interest. This is the psychological root of economic nationalism, and war, and man-made starvation, and all the other evils which will bring our civilization to a disastrous and disgraceful end unless men can be induced to take a wider and less hysterical view of their mutual relations.
 Source: Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946 Reprinted in: Unpopular Essays, 1950 More info.: https://russell-j.com/beginner/0861HARM-100.HTM

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佐藤ヒロシ『関係詞の底力』p.68から(構文を正しくとらえる)

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 佐藤ヒロシ『関係詞の底力』p.68:
 次の英文はどうでしょうか?
 The most scientists are willing to say is that the weather in Pakistan and Russia is consistent with predictions of what will happen in a warming climate, driven by greenhouse gas increases.

 (”The most scientists are willing to say”全体を主語、その次の”is”を述語と考えて )「最も多くの科学者が口にするのをいとわないのは・・・」とされた方は、残念ながら完全な大誤訳と言わざるを得ません。正しくは、「”The most” +(SV)+ is …」という構文であり、「科学者が口にするのをいとわないことは、せいぜい、パキスタンとロシアの天気が温室効果ガスの増加が拍車をかけている温暖化気候において起こることの予測と一致していることくらいである。」ということになります。(なお、「口にすることをいとわない最大限のことは・・・」というのは、「口にすることをいとわないことはせいぜい・・・」という意味です。)
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<ラッセルの用例1>
The most we can hope is that the oftener things are found together, the more probable becomes that they will be found together another time, and that, if they have been found together often enough, the probability will amount almost to certainty.
「我々が期待できることは、せいぜい、事物が一緒に見出されることが多いほど、他のときにも一緒に見出される確率は大きくなるだろうということ、そうして、それが十分なほど(何度も)見出されれば、その確率はほとんど確実性にまで達すること、である。」
Source: The Problems of Philosophy, 1912, chapter VI: On Induction
More info.: https://russell-j.com/07-POP06.HTM

<ラッセルの用例2>
The most (that) I can do is to relate some things about my own attempts.
「私のできることは,せいぜい,自分自身でやってみたことについて語ること(だけ)である。」
Source: How I Write, 1951, by Bertrand Russell
More info.: https://russell-j.com/beginner/0951_HIW-010.HTM

“age”に続く関係副詞が”when”ではなく”where”になる場合

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佐藤ヒロシ『関係詞の底力』p.62から:

age”に続く関係副詞が”when”ではなく”where”になる場合

先行詞が、「”時”関係」なら”when”を、「”場所”関係」なら、(通常)”where”を用いますが、微妙なケースがあります。例えば、”age”という語は、「年齢、時代」という語義では、明らかに「”時”関係」と思われますが、次の例のように実際には”where”を用いる場合がよくあります。
We are living in a complex age where we have to deal with problems which we have never faced before.(我々はこれまで直面したことのない問題を扱わなければならない複雑な時代に暮らしている。」
これは、察するに、”in a complex age”のように前置詞”in”がもちいられていることからも、「時代」というのは「瞬間的な時」というよりも、「ある程度広がりのある期間」と感じられ・・・「場所的な感じ」がするためと思われます。実際、この”where”は言い換えるなら、”in a complex age in which we have to …”となり、そうなると、いっそう場所的な”ワク”というイメージになります。
//以上引用
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ラッセルの用例は次の一例しか見つかりませんでした。

He ( = My son) is nearing the age where it is usual for boys to
steal sweet things and lie about it.
[息子は現在,お菓子を盗み食いしてそのことで嘘を言うのが男の子に
とって普通の年頃に近づいている。]
Source: Bertrand Russell On Education, 1926
More info.: https://russell-j.com/beginner/OE08-030.HTM