歴史に名を残したいという欲求(=虚栄心) ”Look at me”

hasimoto_toru 虚栄心は非常に大きな力を有している動機(原動力)である。子供と多くの関わりを持っている人であれば,彼らは常に何かふざけたことをやっては,「ほら,見て!」と言うのを見知っている。「ほら,見て!」(見て欲しい)というのは人間の心の最も基本的な欲求の一つである。それは,ふざけた行為から死後の名声の追求まで,数限りない形態をとりうる。ルネサンス期イタリアに一人の小公子(小君子)がいて,死の床で聖職者から何か懺悔しなければならないことはないか(あるか)と尋ねられた。彼は,次のように応えた。「はい,一つあります。私は,ある折に,皇帝と教皇との訪問を同時に受けました。私の邸宅内の塔のてっぺんからの眺めを見せるためにお二人を塔のてっぺんに案内しましたが,二人とも同時に投げ落として不滅の名声を自分に与える(不滅の名声を得る)機会を見逃して(怠って)しまいました。」 歴史(書)は,その聖職者がその小公子に赦免を与えたかどうかは物語っていない。虚栄心の厄介なことの一つは,虚栄心がエサとするもの(を食べる)とともに虚栄心も成長して大きくなるということである。話題にされればされるほど,ますます話題にされたがる。有罪を宣告された殺人犯は,新聞に掲載された自分の裁判記事を見ることを許され,もし報道の仕方が不適切なもの(注:ここでは内容よりは取り扱いが小さいもの)を見つけると,憤慨する。そして他のいろいろな新聞にも自分のことが載っているのを見つければ見つけるほど,報道が貧弱であったその新聞に対して,彼はますます腹を立てる。政治家や文士も事情は同じである。彼らが有名になればなるほど,新聞切抜き業者は彼らを満足させることがますます難しくなることがわかる。3歳の幼児から,渋面(しかめっつら)を示せば世界中が震え上がる(昔の)君主にいたるまで,人間生活の全領域に及ぶ虚栄心の影響力は,いくら誇張しても誇張し過ぎることがないほどである。人間は,同じような欲求が神にもあるとする不敬を犯してさえおり,神は不断の礼賛を渇望していると思いこんでいるしだいである。(注:これは冗談)

Vanity is a motive of immense potency. Anyone who has much to do with children knows how they are constantly performing some antic, and saying “Look at me”. “Look at me” is one of the most fundamental desires of the human heart. It can take innumerable forms, from buffoonery to the pursuit of posthumous fame. There was a Renaissance Italian princeling who was asked by the priest on his deathbed if he had anything to repent of. “Yes”, he said, “there is one thing. On one occasion I had a visit from the Emperor and the Pope simultaneously. I took them to the top of my tower to see the view, and I neglected the opportunity to throw them both down, which would have given me immortal fame”. History does not relate whether the priest gave him absolution. One of the troubles about vanity is that it grows with what it feeds on. The more you are talked about, the more you will wish to be talked about. The condemned murderer who is allowed to see the account of his trial in the press is indignant if he finds a newspaper which has reported it inadequately. And the more he finds about himself in other newspapers, the more indignant he will be with the one whose reports are meagre. Politicians and literary men are in the same case. And the more famous they become, the more difficult the press-cutting agency finds it to satisfy them. It is scarcely possible to exaggerate the influence of vanity throughout the range of human life, from the child of three to the potentate at whose frown the world trembles. Mankind have even committed the impiety of attributing similar desires to the Deity, whom they imagine avid for continual praise.
出典: Human Society in Ethics and Politics, 1954,pt.2,chap.2: Politically Important Desires (Nobel Prize Acceptant Speech)
詳細情報:http://russell-j.com/cool/47T-020201.HTM

ラッセル(作)「形而上学者の悪夢」 The Metaphysician’s Nightmare

TP-NOEP私(バンブロウスキー)はおべっか使いの形而上学者達と議論を始めました。

‘あなたがた(注:おべっか使いの形而上学者)の言っていることは馬鹿げている’,と私はいさめました。’あなたがたは無の存在こそが唯一の実在だと言う,あなたがたが崇拝している,このブラック・ホール(注:black hole 宇宙論に言うブラックホールではないことに注意))は存在しているとあなたがたは偽って言う。あなたがたは,非存在(存在しないもの)が存在するということを私(バンブロウスキー)に説得しようとしている。だがこれは矛盾だ。それに‘地獄の炎’がどんなに熱くなろうとも,私は矛盾を容認するほど,論理学上の存在を堕落させるようなことは決してしません。’
ここでおべっか使いの代表が議論にわってはいってきました。`あなた(バンブロウスキー)はせっかち過ぎる`,と彼は言いました。’あなたは非存在が存在することを否定するのですか?’ だが,あなたが存在を否定しようとするものは何ですか。もし非存在であるとするならば,それについての如何なる陳述も無意味となります。従って,非存在が存在しないというあなたの陳述も無意味ということです。あなたが文章の論理的分析(注:「ラッセルが非難したオックスフォードの日常言語学派が行った意味での」論理分析/ラッセルが行った論理分析でないことに注意)に余りにも少ししか注意を払わなかったのではないかと思います。この事は,あなたが子供の時に教えられているべきことでした。あなたは全ての文には主語があり,もし主語が無だとしたら,文は無意味となることは,ご存じではありませんか。そういうわけで,あなたが高潔なる熱情をもって悪魔-非存在なるもの-が存在しないと宣言するなら,明らかに矛盾したことを言っています(自己矛盾していることになります。)。
私(バンブロウスキー)は答えた。’あなたは,疑いもなく,地獄に来てからしばらく経っていて,やや古風な学説を受け入れ続けています。あなたは文章には主語があるなどむだ口をたたいていますが,そういった話は時代遅れです。私が非存在である悪魔は存在しないという時,私は,悪魔や非存在そのものについて言っているのではなく,ただ「悪魔(サタン)」という語,「非存在」という語に言及します。あなたの誤謬は,私に偉大なる真実を明らかにしてくれました。その偉大なる真実とは,「~でない(否)」という語は必要ないということです。今後私は「~でない(否)」という語は使わないことにします。’

I began to argue with the metaphysical sycophants:
‘What you say is absurd,’ I expostulated. ‘You proclaim that non-existence is the only reality. You pretend that this black hole which you worship exists. You are trying to persuade me that the non-existent exists. But this is a contradiction: and, however hot the flames of Hell may become, I will never so degrade my logical being as to accept a contradiction.’
At this point the President of the sycophants took up the argument: ‘You go too fast, my friend,’ he said. ‘You deny that the non-existent exists? But what is this to which you deny existence? If the non-existent is nothing, any statement about it is nonsense. And so is your statement that it does not exist. I am afraid you have paid too little attention to the logical analysis of sentences, which ought to have been taught you when you were a boy. Do you not know that every sentence has a subject, and that, if the subject were nothing, the sentence would be nonsense? So, when you proclaim, with virtuous heat, that Satan – Who is the non-existent- does not exist, you are plainly contradicting yourself.’
‘You,’ I replied, ‘have no doubt been here for some time and continue to embrace somewhat antiquated doctrines. You prate of sentences having subjects, but all that sort of talk is out of date. When I say that Satan, Who is the non-existent, does not exist, I mention neither Satan nor the non-existent, but only the word ‘Satan’ and the word ‘non-existent.’ Your fallacies have revealed to me a great truth. The great truth is that the word ‘not’ is superfluous. Henceforth I will not use the word ‘not.”
出典: Nightmares of Eminent Persons, 1945, Introduction.
詳細情報:http://russell-j.com/cool/47T-PREF-01.HTM

正気と狂気 a synthesis of insanities

1961C100 いかなる隔離された情熱も,隔離された状態のままでは(一種の)狂気である。正気とは,種々の狂気を総合(統合)したものとして定義してよいだろう。いかなる支配的な情熱も,(その情熱の対象を)達成できないという,支配的な恐怖を引き起こす。いかなる支配的な恐怖も,時には明白かつ意識的な狂信の形で,時には人を無力にさせる臆病のために,時には夢の中にのみ現れる無意識あるいは意識下の恐怖のために,悪夢を引き起こす。危険な世界において正気を保持したいと思う者は,自分の心のなかで恐怖の議会を招集し,そこにおいて,個々の恐怖を順にとりあげ,他の全ての恐怖によって,不合理であるとして票決されるべきである。
(右写真:英国防省前で核兵器反対座り込みデモをしている百人委員会=ラッセルが総裁)

(意訳)
 「正気」というのは,平凡かつ起伏のない感情の寄せ集めでできているものではない。それぞれの情熱(強い感情)を一つ一つとりあげれば「狂気」に映るかもしれないが,それらの情熱(+の狂気と-の狂気)をまとめると,全体としてみれば,プラスマイナス零となる。そういった状態が「正気」というのであろう。
Every isolated passion is, in isolation, insane; sanity may be defined
as a synthesis of insanities. Every dominant passion generates a
dominant fear, the fear of its non-fulfilment. Every dominant fear
generates a nightmare, sometimes in the form of an explicit and
conscious fanaticism, sometimes in a paralysing timidity, sometimes
in an unconscious or subconscious terror which finds expression only in dreams. The man who wishes to preserve sanity in a dangerous world should summon in his own mind a Parliament of fears, in which each in turn is voted absurd by all the others. …
出典: Nightmares of Eminent Persons, 1945, Introduction.
詳細情報: http://russell-j.com/cool/46E-INTR01.HTM

善人なおもて往生す,いわんや悪人をや ninety-nine just men

(ラッセル作の小説「郊外(町)の悪魔」から抜粋)

DOKUSH30 マラコ博士は応えた。「ああ,残念ながら,恐らく,我々の神聖なる宗教(キリスト教)には,あなたが十分に理解していないことが,たくさんあります。何ひとつ懺悔をする必要のない九十九人の正しい人間が,神のふところに帰った一人の罪人よりも,天国では喜びを得ることが少ないという寓話を,よくよく考えたことがおありでしょうか? ・・・ まず罪を犯さなくては罪を悔むことはできないということを,今まで思い浮かんだことはありませんか? さらに,これは福音書ではっきり教えているところです。神を喜ばす心構えに人を導きたいと望むなら,人間はまず罪を犯さなければなりません。・・・そうして,我々の神聖なる宗教の教えを信ずるなら,彼らの方が非の打ちどころのないまっすぐな人間よりも,造物主がお気に召す者になるのです。・・・
この論理は私を混乱させ,すっかり困惑してしまった。

‘Alas,’ Dr. Mal1ako replied, ‘there is, I fear, much in our holy  religion that you have failed adequately to understand. Have you  reflected upon the parable of the ninety-nine just men who needed no repentance, and caused less joy in Heaven than the one sinner who returned to the fold? … Has it ever occurred to you that one  cannot be contrite without first sinning? Yet this is the plain teaching of the Gospels. … and if we are to believe the teachings of our holy religion, they will then be more pleasing to their Maker than the  impeccably righteous, among whom hitherto you have been a notable  example.’
This logic confounded me, and I became perplexed in the extreme.
出典: Satan in the Suburbs, and Other Stories, 1953.
詳細:http://russell-j.com/cool/45T-0101.HTM

日本の警察も昔は自白に頼っていたが・・・ a confession

Sign_here カトリックの異端審問(注:正統信仰に反する教え(異端)を信じている
との容疑をかけられた者に対するカトリック教会による宗教裁判)における拷問の根底にあったものは,自白させたいという欲求であった。古代中国では,容疑者を拷問にかけるのは,習慣的なものになっていたが,それは人間性豊かなある皇帝が,いかなる者も,自白したのでなければ,有罪の判決を受けることはないと布告したからであった。警察の権力を飼いならす(おさえておだやかなものにさせる)ために必須のことは,いかなる状況においても,決して自白を証拠として採用してはならないということである。・・・。

The desire to obtain a confession was the basis of the tortures of the Inquisition. In Old China, torture of suspected persons was habitual, because a humanitarian Emperor had decreed that no man should be condemned except on his own confession. For the taming of the power of the police, one essential is that a confession shall never, in any circuttmstances, be accepted as evidence.
* inquisition (名):審理;(大文字 The Inquisiiton)で(異端審理の)宗教裁判(所) / decree (動):(法律として)布告する;定める / prima facie 一見したとこ ろでの /plead (動):弁護する ;嘆願する / Counsel (名):勅撰法廷弁護士 / acquittal (名):無罪放免,釈放 / convict (動):有罪と宣告する;有罪と決する / law-abiding 遵法の,法を守る
出典: Power, a new social analysis, 1938, chap. 18: The Taming Power

怠惰を促進するために大規模な公的宣伝が必要 far too much work done in the world

DOKUSH34 私と同じ世代の人々と同様,私も「何もしないでなまけている者のところには,悪魔がやってきて,何か不幸の種を見つけ出す」(注:宗教詩人 Issac Watts, 1674-1748 の句。Moral songs for children にある。)という格言に則って,(いつも何かしているように)育てられた。私は非常に善良な子供だったので,言われたことは何でも信じ,良心の持ち主になり,私はその良心によって現在まで一生けんめい働き続けてきた。しかし,私の良心は,私の「行為」を支配してきたけれども,私の「考え」はすっかり変ってしまっている。私は次のように考えている。即ち,これまで,世界中で,あまりにも多くの仕事(労働)がなされており,仕事は善いものだという信念が,恐ろしく多くの害をひきおこしており,(それゆえ)現代の産業国家で教えさとす必要のあることは,今までいつも説教されてきたこととはまるきり違うものである,と。
日なたぼっこをしている12人の乞食を見つけ(ムッソリーニの時代以前のことであった。),その中で最もなまけものに1リラをやろうと申し出た,あのナポリの旅行者の話を知らない人はいないだろう。。11人の乞食がそれをもらおうと飛び上がったので,その旅行者は,じっとしている12人目のものにお金を与えた。この旅行者のやったことは,正しい。しかし地中海の陽光のめぐみを享受できない寒い国々においては,何もせずに怠惰でいることははるかに難しいので,怠惰を始めるには,大規模な公的な宣伝が必要となるだろう。キリスト教青年会の指導者諸君は,以下のページを読まれた後は,善良な青年たちを,何もしないように導く運動を始めてくださることを希望する。もしそうなれば,私としては生き甲斐があったことになろう。

Like most of my generation, I was brought up on the saying: ‘Satan finds some mischief still for idle hands to do.’ Being a highly virtuous child, I believed all that I was told, and acquired a conscience which has kept me working hard down to the present moment. But although my conscience has controlled my actions, my opinions have undergone a revolution. I think that there is far too much work done in the world, that immense harm is caused by the belief that work is virtuous, and that what needs to be preached in modern industrial countries is quite different from what always has been preached. Everyone knows the story of the traveller in Naples who saw twelve beggars lying in the sun (it was before the days of Mussolini), and offered a lira to the laziest of them. Eleven of them jumped up to claim it, so he gave it to the twelfth. This traveller was on the right lines. But in countries which do not enjoy Mediterranean sunshine idleness is more difficult, and a great public propaganda will be required to inaugurate it. I hope that, after reading the following pages, the leaders of the Y.M.C.A. will start a campaign to induce good young men to do nothing. If so, I shall not have lived in vain.
出典: In Praise of Idleness, 1935, chap.1.
詳細情報:http://russell-j.com/cool/32T-0101.HTM

「慈善」の可能性(及び必要性)のない世界 no possibility of ‘charity’

R-BRONZ1 今から100年前の,現在では消滅した社会における(人々の)自立よりも(貧しい人々への)慈善を優先する考え方は,今日の我々にはグロテスクに映る。しかしそれは 新しい形態では依然として現在でも残っており,いまだ政治的に有力である。失業者たちは公的権威による支援を求める法的権利を持つよりも,私的慈善によって生存を保たれた方がより良い,と多数の人たちに考えさせるのは,まさにこの種の物の見方である。(正義が行き渡った)正しい世界では,「慈善」の可能性はなくなるだろう。

A hundred years ago, in a society now extinct, the point of view which puts charity above independence now seems to us grotesque. But in newer forms it still survives and is still politically powerful. It is this very same outlook which makes large numbers of people think it better that the unemployed should be kept alive by private benevolence than that they should have the legal right to support by the public authorities. In a just world, there would be no possibility of ‘charity’.
出典:Bertrand Russell: On charity,Nov. 2, 1932.  In: Mortals and
Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/CHARITY.HTM

[寸言]
最低限度の文化的生活を営む権利(生存権)は,憲法によって保障されていることになっているが,歴代の政府はいろいろ理由をつけて守っていない。憲法は時の政府の都合のよいように解釈されるようでは,憲法に値しない。非正規労働者をどんどん生み出すのを助長した責任が政府にはあるが,まったく反省をしていない。
低賃金の非正規労働者は,正規労働者とくらべて,景気のよいときに雇用し,景気の悪い時に解雇しやすいので,企業の望むところであるが,政府は企業の利益を第一に考えているとしか言えないのではないか

永遠(なるもの)を追求する努力 striving after eternity

DOKUSH30-300x242 時の急速な経過,森羅万象のはかなさ,死の世界は,悲劇的感情のもとである。人類が人生について深い考察をめぐらし始めて以後,人類は様々な逃避方法を探してきた。宗教,哲学,詩,歴史において,これら全てにおいて,移りゆく物事(事象)に’永遠の価値’を与えようと試みている。個人の記憶が存続する間は,幾分か時の(流れの)勝利を遅らせ,時々刻々の出来事も少なくとも’思い出の中で’持続させる。同様の衝動がいっそう強くなると,諸国の王は戦勝記念の石碑を彫らせ,詩人たちは自分の名を不朽にするような美しい言葉で昔の悲話を物語り,哲学者は時(間)は単なる幻影(仮象)にすぎないと立証する哲学体系を発明する。むなしい努力よ! 石碑は崩れ,詩人の言葉は読解不能となり,哲学者の体系は忘れられる。にもかかわらず,永遠(なるもの)を追求する努力は,移りゆく瞬間を価値あるものとしている。

The flight of time, the transitoriness of all things, the empire of death, are the foundations of tragic feeling. Ever since men began to reflect deeply upon human life, they have sought various ways of escape: in religion, in philosophy, in poetry, in history – all of which attempt to give eternal value to what is transient. While personal memory persists, in some degree, it postpones the victory of time and gives persistence, at least in recollection, to the momentary event. The same impulse carried further causes kings to engrave their victories on monuments of stone, poets to relate old sorrows in words whose beauty (they hope) will make them immortal, and philosophers to invent systems providing that time is no more than illusion. Vain effort! The stone crumbles, the poet’s words become unintelligible, and the philosopher’s system are forgotten. Nonetheless, striving after eternity has ennobled the passing moment.
出典: On old friends (written in Jan. 4, 1933 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/O-FRIEND.HTM

[寸言]
「親しかった旧友に,長い年月を経て偶然出会った時に感じる喜び」に関するエッセイの一部です。短い文章のなかにもラッセルの世界観,人生観,人間観,真理の探究(哲学)に対する基本的姿勢がよく表現されていると思います。年をとるとありふれた昔話になぜふけるのか,旧友をどうして「過度」に懐かしがるのか。そのような感情がわき上がってくる原因について反省してみると,遅かれ早かれ死ななければならない「孤独な人間の姿」が見えてきます。

欲望・欲求を刺激して消費者に過大消費させようとして・・・

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近年,販売抵抗(sales resistance)を乗り越えるために,即ち,控えめな人たちに働きかけ,彼(彼女)等の財布のひもをゆるませ,自ら欲しいと全然思わない物品を購入させようと,厖大なお金と時間と頭脳が費やされてきた。そしてこういった事柄(たくさん物を売って営業成績をあげること)が立派なことであるかのように考えられるのが,我々の時代(現代)の1つの特徴である。

Throughout recent years, a vast amount of money and time and brains has been employed in overcoming sales resistance, i.e. in inducing unoffending persons to waste their money in purchasing objects which they had no desire to possess. It is characteristic of our age that this sort of thing is considered meritorious.
出典: On sales resistance (written in June 22, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/SALES-R.HTM

[寸言]
このエッセイ(「販売抵抗について」)は,80年前に書かれたものですが,現代でもほぼそのままあてはまる内容だろうと思います。来年の流行の色,流行の服,流行の○○は,これにしようと考える,(主として)企業関係者が現在多数いますが,その術中にはまる(あるいは違和感なく素直に受け入れる)人が少なくありません。多くの人々が本当に望むものであるならば,それも悪いことではありませんが,いつのまにか感覚が麻痺して,与えられることばかり望む(自主性の欠如する)ようになっているとしたら,不幸な事態といわなければなりません。

[寸言2]
「すぐに買いたい」とは思わないまでも,「あると便利そう」「コスト・パーフォンマンスがよさそう」とか思って,通販サイトで買う人はけっこういるようです。買って最初はよく使ってもしばらくするとほとんど使わなくなる。家にそういったものがいっぱいあるという家庭もすくなくないとのこと。
売る側も巧妙になっており,1年前から来年の流行の色は◯◯にしよう,来年のファッションはこれをはやらせようということを決めて,いろいろ宣伝活動(サブリナル効果醸成)をしていきます。そうするうちに自然に消費者がそういったものを選んだかのように思わせて,作られた流行に飛びつかせる。これは日本だけではなく,世界的な現象。その流行をつくり出すために YouTube の利用など,ITがフルに活用されています。そういったことは悪いことばかりではないですが,自分の頭や心で考えたり感じたりする習慣がしだいになくなっていきますので,いずれ虚しく感じる時がきそうです。

専門家(学識経験者)の意見に頼り過ぎる一般市民

 「ラッセルの言葉366(Word Press 版)」(2015.09.17)

KNOWLEDG-233x300 現代社会においては,専門家の重要性がしだいに増してきているが,その予期しない,また意図しない結果の1つは,かつては自分の力を発揮しえた人間生活のほとんどの分野で,’平均的な普通の人間’は皆「受身」になっているということである。

One of the unforeseen and unintended results of the increasing importance of experts in the modern world is that, in a great many departments of life, the ordinary man has become passive where he used to be active.
出典: Are we too passive? (written in Feb. 3, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975)
詳細情報:http://russell-j.com/PASSIVE.HTM

[寸言]
テレビや新聞を全然見ない(あるいはみない主義の)人もいますが,大部分の人々は毎日マスコミづけとなっており,それらのメディアから多くの情報を得たり,種々の娯楽を享受したりしています。これには国民の共通理解のスピードアップ(ただし,あくまで可能性)というプラス面もありますが,自分の頭で考える,またそのために主体的に情報を収集するという,一個の独立した市民として一番重要な能力の一つを身につけることがおろそかになる危険性もあります。