満腹時にはご馳走も・・・ 

 私は,自分がディナーの約束を忘れ,(自宅で・自前の)ディナーを丁度食べ終わるやいなやその約束を思い出した時のことを,今でも罪悪感とともに思い出す。私は慌てて駆けつけ,かなり遅刻して到着し,二度目のディナーを食べようとしたが,非常に苦しい拷問であった。(写真:イレーヌ・ジョリオ=キュリーと/1950年ノーベル文学賞受賞時)

I still remember with a profound sense of guilt an occasion on which I forgot a dinner engagement and remembered just as I had finished my own dinner. I rushed round, arriving very late, and tried to eat a second dinner, which I found to be an agonising torture.
出典:Bertrand Russell: On Feeling Ashamed, Nov. 23, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/ASHAMED.HTM

<寸言>
大食いの人(大食漢)だったら平気でしょうが・・・。

遠い昔の旧友に会う喜び

 我々は,年をとるにつれて我々の日常関係に入ってこない(要素とならない)人生の割合はいっそう大きくなっていく。大部分の友人たちは自分の一生の長い過去の経過について知らないので,自分の過去の経験のいっそう大きな部分が’日常の個人的つき合い’から除外される。年をとるにつれていっそう孤独を感じるようになるのは避けることのできない結果であり,遠い昔の旧友に会う時にこの孤独感が突然癒されるのである。

As we get older the portions of our life that do not enter into our ordinary relations become greater and greater. Most of our friends know nothing of large passages in our lives, so that an increasing part of our past experience is excluded from most of our personal relations. The inevitable result is that as men grow older they come to feel more solitary, and when they meet a friend of long ago, this feeling is suddenly relieved.
出典:Bertrand Russell: On old friends,Jan. 4th, 1933. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/O-FRIEND.HTM

<寸言> 再掲
過去の時間が最大となり,未来の時間が最小になる時、「」が訪れる。

「職業的な」道徳家ー意識的な自己否定は,人を自己に没入させる

 幸福な人生は,驚くほど,善い人生と同じである。職業的な道徳家は,これまで,自己否定を重視しすぎてきた。そして,それを重視しすぎることによって,強調すべきところを間違えてきた。意識的な自己否定は,人を自己に没入させ,自分が犠牲にしたものをまざまざと意識させる。その結果,自己否定は,しばしばその当面の目的を達成しないばかりか,必ずといってよいほど究極の目的も達成しない。必要なのは,自己否定ではなく --自分の美徳の追求に没頭している人なら意識的な自己否定によってのみ実行できるような行為を自発的かつ自然に可能とするように-- 興味を外へ向けることである。

The happy life is to an extraordinary extent the same as the good life. Professional moralists have made too much of self-denial, and in so doing have put the emphasis in the wrong place. Conscious self-denial leaves a man self-absorbed and vividly aware of what he has sacrificed; in consequence it fails often of its immediate object and almost always of its ultimate purpose. What is needed is not self-denial, but that kind of direction of interest outward which will lead spontaneously and naturally to the same acts that a person absorbed in the pursuit of his own virtue could only perform by means of conscious self-denial.
出典: The Conquest of Happiness, 1930, chap. 17: Th Happy Man.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA28-030.HTM

<寸言> ★再掲(share し忘れていたため)
 宗教も道徳も愛国心もヘイトスピーチ偽善的要素が多く,あえて偽善的言動をすることによって「対価」が支払われるので、御用評論家や御用学者のような個人レベルだけでなく、「ビジネス」にもすることができる。

統治には「偽善」が必要だと開き直る政治家(もちろん公言したら落選するのでそんなことはしない。)も少なくないが、「偽善」(を暗黙の了解/大人の了解)によって社会を維持するよりは,最初は大変でも「正直(あるいは誠実)」を旨としたほうがよいのは、言うまでもない。

自分を過大評価することはよくないが,「自己否定」はもっとよくない。「自己否定」は謙虚なようでいて,「自意識過剰」に陥いる危険が大きく,人を不幸にする

野蛮な(迫害)衝動を「道徳の衣」を着せて発散させること - ヘイトも・・

 ボルネオの首狩り族の間では,(人間に対する)狩猟はいかなる道徳的言い訳の必要なしに満足させられているのに対し,文明化された人々は,高潔な倫理感情の衣裳でおおわずには,自分の低俗な感情の耽溺を愉しむことができない。殺人者に対して首狩り族と同じ野蛮な衝動を解放する時には,民衆はそれを野蛮とも邪悪とも感ぜずに,自分を徳性と善良な市民意識の持主だと信ずる。

Among the head-hunters of Borneo it is indulged without the need of any moral claptrap, but civilised people cannot adequately enjoy the indulgence of their baser passions until they have cloaked them in a garment of lofty ethical sentiments. When people let loose upon a murderer the savage impulses of the head-hunter, they feel neither savage nor wicked but believe themselves to be upholders of virtue and good citizenship.
出典:Bertrand Russell: Interest in crime,Dec. 21st, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/CRIME-I.HTM
<寸言>
 野蛮な衝動を発散している時には,自分に対してそういった攻撃がなされるようなことはまさかあるはずがないと考える。しかし,ひとたびそのような目に遭うと、自分が過去にやってたことを忘れて・・・。

このエッセイに書かれていることは,犯罪心理学,群集心理学の良い題材です。

愛情を受ける人

 愛情の受け手になることは,幸福になるための有力な原因である。しかし,愛情を要求する人は,愛情が与えられる人ではない。愛情を受ける人は,大まかに言えば,愛情を与える人である。
しかし,利子付きで金を貸すようなやり方で,愛情を打算で(計算づくで)与えようとすることは無益である。なぜなら,計算づくの愛情は本物ではないし,受け手からも本物とは思われないからである。

To be the recipient of affection is a potent cause of happiness, but the man who demands affection is not the man upon whom it is bestowed. The man who receives affection is, speaking broadly, the man who gives it. But it is useless to attempt to give it as a calculation, in the way in which one might lend money at interest, for a calculated affection is not genuine and is not felt to be so by the recipient.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 17:The happy man
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA28-010.HTM

<寸言>
は愛情を積極的に与えることも、要求することもほとんどない。それでいて、多くのひとは猫から「ほのぼのとしたもの」(愛情の泉)のようなものを受け取り、猫を愛する人が少なくない。

これとは逆に、自意識過剰な人間は嫌われる。視野が狭く,自分のことばかり考えている人間も嫌われる。打算の上で,他人に親切な行為をする人も好かれない。
事実や現実に目をつぶらず,視野が広く,他人の幸福を,あたかも自分の幸福であるかのように感じられる人は幸福な人間である。

「幸福な人」

 幸福な人とは,(できるだけ先入観を持たず)客観的に生き,自由な愛情と幅広い興味を持ち,またそういう興味と愛情を通して,今度は逆に,他の多くの人びとの興味と愛情の対象になるという事実を通して,自らの幸福を確保する人である。

The happy man is the man who lives objectively, who has free affections and wide interests, who secures his happiness through these interests and affections and through the fact that they, in turn, make him an object of interest and affection to many others.
出典: The Conquest of Happiness, 1930, chap. 17: Th Happy Man.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA28-010.HTM

<寸言>
自分を押さえつけるような努力をしなくても、また、ひがみや嫉妬心をもたずに多くに人々に愛情が持てる人は,多くの人に愛される。そういった人は、最愛の人を失うとか、災害にあってひどいめにあうということがなければ、生涯幸せにくらせる可能性が高い。
結局は、幼児期の幸福がそういった人間を作るのにもっとも力を発揮する。ラッセルは言う。

「幼児期の幸福(幼年期幸福であること)」は,最良のタイプの人間を作り出すためには,必須である。
Happiness in childhood is absolutely necessary to the production of the best type of human being.

現実直視よりも「神話の温かい衣」に包まれていたい・・・

Japan’s Prime Minister Shinzo Abe, center, and his cabinet ministers, escorted by a Shinto priest, arrive at the Grand Shrine of Ise, central Japan, for offering a new year’s prayer Monday, Jan. 5, 2015. Japanese Prime Minister Abe said Monday that his government would express remorse for World War II on the 70th anniversary of its end in August. (AP Photo/Kyodo News) JAPAN OUT, MANDATORY CREDIT

人はなぜ事実を認めたがらないか,またなぜ人は自分たちを神話の温かい衣にくるみたがるか,その理由は,主に恐怖(心)である。しかし,イバラ(のとげ)が温かい衣を引き裂き’冷たい突風が(衣の)裂け目から侵入してくる。そうして,神話の衣の温かさに慣れた人は,最初から冷たい風に対して自己を鍛えてきた人よりも,風の冷たさにずっと苦しむ。さらに,自らを欺いている人びとは,概して,心の奥底ではその事実(自己欺瞞)に気づいており,何か都合の悪い出来事が起きて,歓迎できない事実を認識させられる(せざるを得なくなる)のではないか,と始終懸念(心配)しながら暮らしている

Fear is the principal reason why men are so unwilling to admit facts and so anxious to wrap themselves round in a warm garment of myth. But the thorns tear the warm garment and the cold blasts penetrate through the rents, and the man who has become accustomed to its warmth suffers far more from these blasts than a man who has hardened himself to them from the first. Moreover, those who deceive themselves generally know at bottom that they are doing so, and live in a state of apprehension lest some untoward event should force unwelcome realisations upon them.
出典: The Conquest of Happiness, 1930, chap. 17: Th Happy Man.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA28-010.HTM

<寸言>
  政治家も権力を失ったり,失う危険がせまってはじめて悔やむ。利益(経済)第一の企業家や経済人(エコノミスト)や富裕層も,利益追求第一により,社会からたたかれて利益を得られなくなったり,社会に深刻な危害や弊害を与えるようになってはじめて反省する。

幸・不幸の背景や状況と個々人の信条及び感情 - 相互の因果関係は?

 不幸な人は,概して不幸な信条をいだくのに対して,幸福な人幸福な信条をいだく。どちらも,自分の幸福や不幸を自分の信念のせいにするかもしれないが,真の因果関係はその逆である。

The man who is unhappy will, as a rule, adopt an unhappy creed, while the man who is happy will adopt a happy creed; each may attribute his happiness or unhappiness to his beliefs, while the real causation is the other way round.
出典: The Conquest of Happiness, 1930, chap. 17: Th Happy Man.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA28-010.HTM

<寸言>
不幸(幸福)な状態・状況にある=客観的な状況・状態 (1)
不幸(幸福)に感じる = 主観的な状態 (2)
(結果として,)不幸(幸福)な信条を抱く (3)

(3)だから(2) ではなく,(2)あるいは(1)だから(3)である。
ただし,気持ちの持ち方ひとつで不幸にも幸福にも,どうにでもなるとまで言っているわけではない。

人生いろいろ(島倉千代子),愛もいろいろ

 自分の目的達成の上で相手から得られた援助(に対する感謝の念)から多くの愛情が芽生えている。野心が主たる熱情である男性においては,自分の出世の支援をしてくれた女性を愛する傾向があり,それゆえ,愛情が自己の利益への本能に根ざす場合は本物の愛情ではないと想定することは,非常に浅はかな心理学であろう。

Men in whom ambition is the leading passion are likely to love women who assist them in their career, and it would be very shallow psychology to suppose that the love is not real because it has its instinctive root in self-interest
出典:Bertrand Russell: Love and Money,Dec. 14th, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/LOV-MONE.HTM

<寸言>
人生いろいろ(島倉千代子),愛もいろいろ。
「この道しかない(これしかない)」を連発する安倍総理は浅はか。

信じるものは救われる?→ (嘘つきを)信じるからこそ裏切られる

 日毎に信じがたくなる事柄を日毎信じようとする努力ほど,疲れるものはないし,長い眼でみれば,苦痛をつのらせるものはない。こうした努力をなくすることは,確実かつ永続的な幸福の不可欠の条件である。

Nothing is more fatiguing nor, in the long run, more exasperating than the daily effort to believe things which daily become more incredible. To be done with this effort is an indispensable condition of secure and lasting happiness.
出典: The Conquest of Happiness, 1930, chap. 16: Effort and Resignation.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA27-060.HTM

<寸言>
 国益のために,国民のために,国民の命を守るために,国を富ませるために,このようなポーズまでとっているんですよ、国民の皆さん、私の努力をよく評価してください(安倍マリア)

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