一億人が一億人を監視する社会になる前に・・・

DOKUSH47 隣り近所を恐れることは、疑いもなく、以前よりは少なくなっているが、新しい形の’恐れ’が現在存在している。すなわち、新聞(松下注:現在で言えば、週刊誌やテレビなどのマスコミ)が何か書くかも知れないという恐れである。これは、’中世の魔女狩り‘に結びついているものに劣らず大変恐ろしいものである。新聞(注:「マスコミ」と読み替え)が、まったく無害かも知れない人間をスケープゴート(生け贄)にしようとしたら、その結果はまことに恐ろしいものになる可能性がある。幸いなことに、現在のところ、★大部分の人たちは無名であるために、こうした運命からは、免れているが、しかし、’宣伝’がしだいにそのやり方を完壁なものにするにつれ、この新手の社会的迫害の危険は増大していくだろう。★

Fear of immediate neighbours is no doubt less than it was, but there is a new kind of fear, namely the fear of what newspapers may say. This is quite as terrifying as anything connected with mediaeval witch-hunts. When the newspaper chooses to make a scapegoat of some perhaps quite harmless person, the results may be very terrible. Fortunately, as yet this is a fate which most people escape through their obscurity, but as publicity gets more and more perfect in its methods, there will be an increasing danger in this novel form of social persecution.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chapt. 9: Fear of Public Opinion
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA19-070.HTM

[寸言]
お互いがお互いを監視する社会。(福祉担当の某地方公務員が,介護対象の人のためだったか,勤務時間中にスーパでその人のために代わりに買い物をしたところ,その姿を見た一市民が,市の職員が勤務中に「さぼって」買い物をしていたとの「告発」の投書をしたというのがありました。)
オーム事件の時にマスコミによって犯人扱いされた河野さん・・・週刊誌の記事は,読者が求めるので,針小棒大な記事が多いが・・・。
複数の人間が協力すれば、無実の人を、たとえば「痴漢」にしたてあげることは簡単にできそう。

自国優先主義の民主主義の限界ーメディア・リテラシーに欠けている人々

tv-watching 我々は学校を卒業すると,我々の外国に関する知識は,お寒いことであるが,新聞(注:現代においては「マスコミ」)を通じてであり,新聞(注:TVなどのマスコミ)が我々の外国に関する偏見を満足させない限り(偏見に迎合しない限り),我々はその新聞を買おう(注:TVを見よう)としない。その結果,我々の外国についての知識は,我々の偏見と感情を強めるようなものに限定される。(例:イスラムに対する偏見)
これは,国際問題を正常に扱っていく上での最大の困難の一つである。自国優先主義の民主主義の制限内において,国際問題をどのように処理していったらよいか,私にはわからない。(注:つまり,もっと国際主義的な観点が必要だということ)。

After people leave school their knowledge of foreign countries, such as it is, is derived from the newspapers, and they will not buy a newspaper unless it flatters their prejudices. Consequently, the only knowledge they obtain is such as to confirm their pre-conceptions and passions.
This is one of the great difficulties in the way of a sane conduct of international affairs, and I do not see how it is to be dealt with within the limits of nationalist democracy.
出典:As others see us, Mar. 23, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/AS-O-SEE.HTM

[寸言]
マスコミは貴重な情報源ですので,大いに活用した方がよいと思います。しかし,,そのためには,できるだけ多くの人がメディアリテラシーを身につけなければなりません。そう考えている人も少なくないと思われます。
しかし、それならどうして,日本では,カナダなどでさかんに行われている,具体例にもとづいたメディアリテラシー教育がほとんどなされていないのでしょうか?(カナダでは、過去にマスコミや時の政権によって悪い方向に国民が誘導させられた事例を義務教育の「教材」として活用しています。日本では「偏向教育」として排除されてしまうでしょうが・・・。)

 「由らしむべし知らしむべからず」が基本姿勢の為政者や文教関係者が,公教育で自分たちの不利になるような教育を行うとは期待できません。そういった人たちが政府を形成し,マスコミがそれに迎合したら,たとえば,(国営放送ではない)公共放送のNHKまでもが政府その他の権力者のことを気にしだして,自己規制しだしたら,大変です。すでに、それは始まっていますが・・・。

‘ねたみ’は最悪の結果をもたらしやすい

SITTO ’ねたみ‘が、異なる階級、異なる国家、また異なる性の間に、公正・公平をもたらす主な動因になっていることは事実であるが、同時に、ねたみの結果として期待される公正・公平は、最悪の種類のものになりがちであることもまた事実である。つまり,公正・公平といっても、不幸な人たちの楽しみを増すよりも、むしろ、幸運な人たちの楽しみを減らすようなものになりがちである。
(イラスト:第一次世界大戦中に反戦運動のため収監されたブリクストン監獄内で嫉妬に苦しむラッセル

While it is true that envy is the chief motive force leading to justice as between different classes, different nations, and different sexes, it is at the same time true that the kind of justice to be expected as a result of envy is likely to be the worst possible kind, namely that which consists rather in diminishing the pleasures of the fortunate than in increasing those of the unfortunate.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chapt. 6: Envy
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA16-070.HTM

[寸言]
難しいところですね。恵まれた人々の足をひっぱり,みんな惨めになるだけなら,社会は全体としてもよくなりません。そうかといって,不正や不公平な状態をほっておくのもよくありません。従って,行き過ぎにならないように,少しつづ正していくしかありません。

常に裕福で快適な生活をしている人は民主主義を信じない!?

Madame-Roland2 民主主義理論推進力を与えたのは,疑いもなく,ねたみ’の情熱である。ロラン夫人(フランス革命の時のジロンド派指導者の1人)は,しばしば,民衆に対する献身の念から行動した高貴な女性だとされているが,彼女の『回想録』を読んでみると,彼女をあれほど熱烈な民主主義者にしたのは,ある貴族の館を訪れた折に召使い部屋に案内された経験であったことがわかる。
出典:ラッセル『幸福論』第6章「ねたみ」
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA16-010.HTM

And the passion that has given driving force to democratic theories is undoubtedly the passion of envy. Read the memoirs of Madame Roland, who is frequently represented as a noble woman inspired by devotion to the people. You will find that what made her such a vehement democrat was the experience of being shown into the servants’ hall when she had occasion to visit an aristocratic chateau.

[寸言]
ねたみ(envy)と嫉妬とを混同する人が時々いるようです。
ロラン夫人はフランス市民革命の時にギロチン台で処刑されましたが,次の言葉は有名なのでご存知の方も多いと思います。
 「自由よ、汝の名の下でいかに多くの罪が犯されたことか・・・」
才色兼備だったロラン夫人は,「平民出身だったために貴族に受けいられず、共和主義者になった。」とのことです。ラッセルは「彼女の『回想録』を読んでみると,彼女をあれほど熱烈な民主主義者にしたのは,ある貴族の館を訪れた折に召使い部屋に案内された経験であったことがわかる。」と書いていますが,「名誉」貴族にでもしてもらったら,人民を苦しめる側にたったかも知れないということです。
たとえて言えば,御用学者になれれば,権力者の番犬になる人が少なくないということでしょうか?

人間の「妬み(ねたみ)」を利用する政治家や社会運動家

hasimoto_toru 私生活に荒廃をもたらす’情熱は、公的生活にも同様の荒廃をもたらす。‘ねたみ’のような悪しきものからよい結果が生まれるとは考えられない。それゆえ、理想主義的な理由から、社会組織を根本的に変革し、社会正義を大幅に増やしたいと思う人は、ねたみ以外の力が改革の助け(手段)になることを、望まなければならない。
出典:ラッセル『幸福論』第6章「ねたみ」
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA16-070.HTM

Passions which work havoc in private life work havoc in public life also. It is not to be supposed that out of something as evil as envy good results will flow. Those, therefore, who from idealistic reasons desire profound changes in our social system, and a great increase of social justice, must hope that other forces than envy will be instrumental in bringing the changes about.

[寸言]
公私をはっきりわけていても,私的な悪しき情熱が底にある場合は,公的な生活にも影響を与え,いつかほころびができるということですね。
政治家はよく叩く対象を決めて,(定めて)相手を罵倒し,選挙民(一般大衆)を煽ったりしますが,そういうやりかたからは良い結果が生まれない。従って,そういう政治家には同調しないように,気をつけましょう。たとえば,・橋本徹大阪市長とか・・。
民衆を扇動するデマゴーグのやり方は、ラッセルが言うように次のとおりです。

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「天才になるための秘訣の最重要要素の一つは,非難の技術の習得である。あなた方は必ず,この非難の対象になっているのは自分ではなくて他人であると読者が考えるような仕方で非難しなければならない。そうすれば,読者はあなたの気高い軽蔑に深く感銘するだろうが,非難の対象が他ならぬ自分自身だと感じたと同時に,彼はあなたを粗野で偏屈だと非難するだろう。
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権力と虚栄心-権力は(必ず)腐敗する、なぜなら・・・

TPJBRSHM BBCのインタビュー番組(「ラッセルは語る」)から

質問は,ウッドロウ・ワイアット(BBCテレビ解説者兼労働党下院議員)による。>
・・・前略・・・。

問 立派な事をやりたい(善行をなしたい)と思っている人が,どちらかというと虚栄心から権力を欲しがることもまた,しばしば起こるのではないですか?

ラッセル はい,非常にしばしば起こります。それはみな,あれこれやりたいという願望(思い)よりも,(混ぜ物のない)全くの権力愛が勝るからです。アクトン卿(1834-1902,英国の歴史家)が「権力は腐敗する,なぜなら,権力をふるう喜びは権力を実際に経験する(実際に権力をふるう経験をする)につれて成長して大きくなってゆくものだからである」と言ったのはまったく正しいというのは,そういった理由です。たとえば,クロムウェルの例をとってみましょう。クロムウェルが政界に身を投じた時,まったく立派な動機を持っていたことは疑いありません,なぜなら,そこには英国にとってごく重要と彼が思う一定の事柄があり,それがなされるのを目にしたいと思ったからです。しかし,彼はある一定の期間,権力の座について以後,まぎれもなく権力そのものを欲しがりました。そして,それが,彼が,臨終に際して,自分は神の恩寵に背いたと思う,と言った理由です。いや,確かにそうですね。精力があふれている人は,権力を欲しがると思います。しかし,私の場合は,ただ一種類の権力が欲しいだけです。私は世論に影響を与える権力が欲しいと思います。

問 世論に対してあなたがこれまで持ってきた権力のために,自分が腐敗したとお考えになりますか。

ラッセル さあ,腐敗したかどうかは分りません。それは私が言うべきことではありません。その点については,私以外の他の方々が審判者でなければいけないと,思います。

Woodrow Wyatt: Doesn’t it very often happen that the person who wants the good things also wants power because he’s rather vain?

Bertrand Russell: Yes, it does very often happen, all because the sheer love of power outweighs the wish to get this or that done. That is why Lord Acton was quite right to say that power corrupts, because pleasure in the exercise of power is something that grows with experience of power. Take, for example, Cromwell. I have no doubt that Cromwell went into politics with entirely laudable motives because there were certain things he thought were extremely important to the country that he wanted to see done. But after he’d been in power for a certain length of time he just wanted power, and that is why on his deathbed he said that he was afraid he’d fallen from grace. Oh, certainly, yes. I think every person who shows much energy wants power. But I only want one sort of power. I want power over opinions..

Woodrow Wyatt: Do you think that the power you’ve had over opinions has corrupted you?

Bertrand Russell: Well, I don’t know if it has. It’s not for me to say that. I think other people will have to be the judge of that.
出典: Bertrand Russell Speaks His Mind, 1960.
詳細情報:http://russell-j.com/cool/56T-0601.HTM

[寸言]
多くの人が同意することを権力者(政治家ほか)が実現・実施できたとしても,権力者は満足感をそれほど得ることはできない。むしろ、多くの反対者の意向に反したことを強制することができることで、権力者は自分の権力の大きさを実感し、満足感を得ることができる。

反対する国民の数のほうが多くても安保法制を国会を通過させることができた安倍総理は、自らの権力の強大さに満足している(酔っている)ことであろう。自衛隊が容認されるようになったのと同じように、いずれ、国民にも安保法制は受け入れられていくだろうと思っているのであろう。その証拠に安倍内閣の支持率が現在少しずつあがりつつある,と意を強くしている。

マスコミへの介入(報道規制を通じての自己検閲への誘導)、(義務教育段階における)愛国心教育の強化等を通じての「美しい」日本の建設・・・・。アベノミクスがひどい結果に終わるか、原発がまた大きな事故を起こさない限り、国家権力による情報統制の恐ろしさを実感する国民は大幅に増えることはなさそうである。

知的自由への脅威-「反知性主義」と闘う(現代は1930年代の再現か!?)

DOKUSH56 知的自由への脅威は,1660年以来(注:1660年に英国王政復古)どんな時代より,今日(注:本書は1935年出版!)大きなものとなっている。だが,今日では,それはキリスト教会から生じているのではない。それは政府から生じているのであり,現代の無秩序と混乱から生じた危機のために,以前,教会の権威に属していた神聖にして犯すべからざる性格を,政府が受け継いでいるのである。古い形態の衰退を自己満足で喜ぶより,★迫害の新しい形態に反抗することこそ,科学者や科学的知識を尊ぶすべての者のあきらかな義務である。★そして,この義務は, 迫害が生れる(ような)いかなる特殊な教説を好むことによっても決して軽減されない。共産主義を好むために,ロシアにおいて何が障害であるか認めたがらないということであってならず,また,共産主義のドグマを批判することを許さない体制が,結局,新知識発見の障害になっていることを理解しないようではいけない。また,逆に,共産主義や社会主義に対する嫌悪により,われわれをして,ドイツに於てそれらを抑圧するため行なわれてきた野蛮行為を容認させる結果になってもいけない。科学者がその望むだけの知的自由をほとんど勝ち得ている国々においては,かれらは,公平な非難により,他国で,自由が抑圧される教説が何であろうとも,知的自由が奪われることを好まないことを示すべきである。

The threat to intellectual freedom is greater in our day than at any time since I660; but it does not now come from the Christian Churches. It comes from governments, which, owing to the modern danger of anarchy and chaos, have succeeded to the sacrosanct character formerly belonging to the ecclesiastical authorities. It is the clear duty of men of science, and of all who value scientific knowledge, to protest against the new forms of persecution rather than to congratulate themselves complacently upon the decay of the older forms. And this duty is not lessened by any liking for the particular doctrines in support of which persecution occurs. No liking for Communism should make us unwilling to recognize what is amiss in Russia,or to realize that a regime which allows no criticism of its dogma must, in the end, become an obstacle to the discovery of new knowledge. Nor, conversely, should a dislike of Communism or Socialism lead us to condone the barbarities which have been perpetrated in suppressing them in Germany. In the countries in which men of science have won almost as much intellectual freedom as they desire, they should show, by impartial condemnation, that they dislike its curtailment elsewhere whatever may be the doctrines for the sake of which it is suppressed.
出典: Religion and Science, 1935, chap.10: Conclusion.
詳細情報:http://russell-j.com/cool/33T-1001.HTM

[寸言]
まるで,現在の日本の状況保守層・支配層の反知性主義)のよう。
特定秘密保護法、国立大学運営交付金を餌にした軍事(防衛)研究の促進、マスコミの普段のチェック、NHKトップへの権力志向人間の配置、義務教育担当の教員のしめつけ、「未来志向、機会の均等、一億総活躍、・・・」などと、キャッチフレーズをくりかえして議論をさけようとする反知性主義の横行

我々の本能には残酷さが潜んでおり,狂信は残酷さを隠すカモフラージュである

STALIN 私はボルシェヴィキ(ロシア共産主義者)と同じ希望を共有することはできない。エジプトの隠者の希望を共有できないのと同じである。私は、両者をともに,世界に何世紀にも渡って,暗黒と無益な暴力をもたらすかもしれない悲劇的な妄想の所産と見ている。(キリスト教の)山上の垂訓」(の教え)は立派であるが、それが平均的な人間に与えた影響は意図されたものとは非常に違っていた。キリストに従った人々は敵を愛したり、(なぐられたら)もう一方の頬を向けたりすることを学ばなかった。彼らは,その代わりに学んだのは,宗教裁判や焚刑の使用、人間の知性を無知で非寛容な僧侶たちの支配(くびき)に従属させること、また,一千年にわたって芸術の品位を低下させ、科学を絶滅させることであった。それは,キリストの教えそのものではなく、教えを熱狂的に信じたことによる不可避的な結果であった。共産主義を鼓舞した希望は、概して,山上の垂訓によって教え込もうとした希望と同じく立派なものである。しかし、共産主義の希望はかつてのキリスト教と同じように熱狂的に信奉されており、同じように有害になりそうである。我々の本能には残酷さが潜んでおり、狂信は残酷さをかくすカモフラージュである。狂信主義者はめったに心から人間的であることはなく,残酷さを心から恐れる人はなかなか狂信的な信条を抱かないであろう。ボルシェヴィズム(ロシア共産主義)が世界的権力を握るのを阻止できるかどうか、私には判らない。しかし、たとえ阻止できなかったとしても、旧来の不正を好むためではなく、人間の自由な精神の名においてそれに反対して立ち上った人々は、進歩の種子の運搬人となり、世界の産み月が満ちた時には,その種子から新しい生命が生まれるであろう。
(イラスト出典:Nightmares of Eminent Persons, 1954, by Bertrand Russell)

I cannot share the hopes of the Bolsheviks any more than those of the Egyptian anchorites; I regard both as tragic delusions, destined to bring upon the world centuries of darkness and futile violence. The principles of the Sermon on the Mount are admirable, but their effect upon average human nature was very different from what was intended. Those who followed Christ did not learn to love their enemies or to turn the other cheek. They learned instead to use the Inquisition and the stake, to subject the human intellect to the yoke of an ignorant and intolerant priesthood, to degrade art and extinguish science for a thousand years. These were the inevitable results, not of the teaching, but of fanatical belief in the teaching. The hopes which inspire Communism are, in the main, as admirable as those instilled by the Sermon on the Mount, but they are held as fanatically, and are likely to do as much harm. Cruelty lurks in our instincts, and fanaticism is a camouflage for cruelty. Fanatics are seldom genuinely humane, and those who sincerely dread cruelty will be slow to adopt a fanatical creed. I do not know whether Bolshevism can be prevented from acquiring universal power. But even if it cannot, I am persuaded that those who stand out against it, not from love of ancient injustice, but in the name of the free spirit of Man , will be the bearers of the seeds of progress, from which, when the world’s gestation is accomplished, new life will be born.
出典: The Practice and Theory of Bolshevism, 1920, chap.1:What is hoped from Bolshevism,
詳細情報: http://russell-j.com/cool/15T-1011.HTM

[寸言]
これが書かれたのは、1917年のロシア革命らわずか3年の,1920年だということは注目に値します。ラッセルは1920年革命直後のロシアを,英国労働党代表団にまぎれこんで訪れ、帰国後、自分が見聞きしたことを正直に書くべきとの思いから、『ロシア共産主義の理論と実践』を執筆し、出版しています。

他人(他国,他地域等)を理解する鍵は「愛(情)」ではない!?

ASININE たとえば,インドイギリス人がしていることについて考えてみよう(注:これは1932年に書かれたものです!)。たいていのイギリス人には,インド在住の同胞は,蒙昧主義,不寛容,迷信に抗して,勇敢に文明の恩恵を普及すべく闘っているように映る。他方,ほとんどの外国人には,インドのイギリス人は,権力を振るい,貢ぎ物を強要する残忍な専制君主としてしか映らない。インド在住のイギリス人がどのように感じているかを知りたければ,イギリスの視点に立たなければならない。だが,イギリス人がインドでやっっていることを知りたければ外国人の視点に立たねばならない。同様のことが,ハイチや中央アメリカにおけるアメリカ人の行動や,帝国主義者全体の所業一般についていえるだろう。
(イラスト出典: Bertrand Russell’s The Good Citizen’s Alphabet, 1953)

Take, for example, the behaviour of the British in India. To most English people it seems that Anglo-Indians have been struggling heroically to spread the light of civilisation in the face of obscurantism, intolerance and superstition. To almost everybody who is not British, the British appear in India as brutal tyrants, enjoying power and extracting tribute. If you wish to know how an Anglo-Indian feels, you must adopt the British point of view; whereas if you want to know what he does, you must adopt the point of view of the rest of the world. The same thing may be said of the doings of Americans in Haiti and Central America, and of imperialist doings generally.
出典: As others see us (written in Mar. 23, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/AS-O-SEE.HTM

[寸言]
他人を理解する鍵は「愛(情)」だという人がいますが,ラッセルが言うように,「感情」は誤った判断をする大きな原因でもあります。他国の理解においても同様のことが言えます。我々はマスコミから多くの影響を受けますが,自分の気持ち(好き嫌い)にそった情報ばかりを得やすいという傾向があります。「愛」「好意」の反対は「憎しみ」「悪意」ではなく「無関心」です。外界(人,物,及び国家や社会のような抽象的な対象)を理解するためには,できるだけ多くの視点で考え,総合判断をすることが大切だと思われます。

 「平和擁護=非国民」として糾弾された時代-いずれまた日本でも!?

XENOPHOB (★第一次世界大戦中★におけるラッセルの発言)
我が国の軍国主義者たちは,兵士に投票権を与えることに反対し,成功しています。しかもあらゆる国々において,戦争で疲労しているのは敵側の兵士だけだと一般市民に思い込ませようとしています。殺害された若い人命の毎日の犠牲が,ほとんど耐え難いほどの恐怖となっています。しかし,あらゆるところで,平和を擁護することは兵士たちへの裏切り行為だとして,はげしく非難されます。あらゆる人々のなかで,兵士たちはとりわけ平和を望んでいるのにもかかわらずです。
(イラスト:Bertrand Russell’s The Good Citizen’s Alphabet, 1953))

Our militarists have successfully opposed the granting of votes to soldiers; yet in all the countries an attempt is made to persuade the civilian population that war-weariness is confined to the enemy soldiers. The daily toll of young lives destroyed becomes a horror almost too terrible to be borne; yet everywhere, advocacy of peace is rebuked as treachery to the soldiers, though the soldiers above all men desire peace..
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2, chap. 1, 1968]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB21-220.HTM

[寸言]
今年の秋の叙勲者には自衛隊の関係者が増えている。特に,外国人への旭日大綬章授与者には米国の軍事関係者(アーミテージ、ラムズフェルドその他)がとても多い。(大量破壊兵器をイラクが持っていると決めつけて)イラク戦争を主導した人物であっても,日米軍事同盟関係の主要人物であれば(70歳を越えれば)自動的に叙勲対象になる現実

2022年はラッセル生誕150年