19世紀の理想である自由主義の長所と短所

Stomping_referee 19世紀自由主義のスローガン(合言葉)であった’自由競争‘は,疑いもなく支持すべき多くの長所を持っていた。’自由競争’は諸国民の富を増大させ,手工業から機械工業への移行を加速した。即ち,人為的不正を取り除き,’才能のある者にキャリア形成の道を開くというナポレオンの理想を実現した。しかしそれは一つの大きな不公平 -即ち才能の不平等性にもとづく大きな不公平を救済しなかった。’自由競争’の世界では,精力的で抜け目のない人間は裕福になり,他方その人の長所が競争的でない種類のものである者は貧乏のままとなる。

Free competition, which was the watchword of nineteenth-century liberalism, had undoubtedly much to be said in its favour. It increased the wealth of the nations, and it accelerated the transition from handicrafts to machine industry; it tended to remove artificial injustice and realised Napoleon’s ideal of opening careers to talent. It left, however, one great injustice unremedied – the injustice due to unequal talents. In a world of free competition the man whom Nature has made energetic and astute grows rich, while the man whose merits are of a less competitive kind remains poor.
出典: Success and failure (written in Jan. 11, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/JIYU-KYO.HTM

[寸言]
自分に子供が複数いる場合、子どもたちに対し競争の原理を適用することはないが,よその子供に対しては競争の原理を適用してもかまわない(むしろ適用したほうがよい)と思っているのではないか? 自分からみればよその子であっても、自分にとっては自分の子になることに気づかないと・・・!?
自分の支配下や管理監督の下にある者が競争にあけくれてくれれば,その成果(甘い汁)は自分のところにやってくるので・・・。

成功への技量を持たぬ人々にも権利あり People destitute of the arts of success

Chase-dino 成功への技量を持たぬ人々にも権利はある。そしてこの種の技量の持ち主のみが成功を収める環境において,技量を持たぬ人々が自分たちの権利をいかに確保するかは難しい問題である。自由競争が社会正義の実現のための手段であるという信念を放棄する以外に,この点の解決策はない

People destitute of the arts of success have their rights, and it is difficult to say how they are to secure them when all those who possess these arts achieve success. There is no solution except to abandon the belief that competition is a means of securing justice.
出典: Success and failure (written in Jan. 11, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/JIYU-KYO.HTM

[寸言]
悪い競争と良い競争。即ち、限られたもの(天然資源・土地・その他多様な財貨)をできるだけ多く自分のものにしよう(私有財産=所有物にしよう)とする競争と,世の中に新たなものを生み出す(他人を傷つけることがほとんどない)競争。後者は良いが前者は良くない。両者を区別しないで、自分の利益や権力を増大させるために、支配下の者(社員であったり、国民であったり)を自由競争に駆り立てる権力者
ラッセルの言う「成功の技量」をもたぬ人間は、彼ら権力者にとっては、競争の敗者(負け組)であり、施しの対象にしか映らない。 

民衆に先入観や偏見を吹き込む力の増大 the increased power of the authorities to enforce their prejudices

LIBERTY 我々の時代において新しいこと(の一つ)は,権力者たち(政府その他大きな権力を持っている人たち)が,自分たちの(様々な)偏見を民衆に押し付けることができる力が増したことである。

What is new in our time is the increased power of the authorities to enforce their prejudices.
[From: Quoted on Who Said That? BBC TV, Aug. 8, 1958]

[寸言]
公正な報道かどうか判断する主体が政府や与党であっては(もちろん、野党であっても)まずい。政府を擁護する意見も批判する意見も、両方とも認めなければならない。公正を保つということで、政府に批判的な(個別の)意見を政府関係者が問題視するようになっては、(総務省は放送許可権を持っていることゆえに)マスコミは萎縮し、自己検閲をするようになってしまう。
NHKは今でも優れた番組をたくさん放送しており、有意義な存在であるが、報道関係については、準国営放送のようになりつつある権力者(政財官の保守支配層や富裕層)に不都合な報道がどんどん少なくなっていけば、結果として、一般市民(民衆)は権力者に都合のよい先入観や偏見を身につけていくことになる。
籾井会長(背後に安倍政権の意向あり)は,安倍政権の目の上のたんこぶの一つである「クローズアップ現代」を(やらせ行為などを口実に)来年の3月末に終了させることに決めたようである。7時のNHKニュース(30分わく)も短縮化しようと検討中とのウワサもあるが、果たして・・・!?

国家主義は現代の最も恐ろしい害悪の一つ--知らない間に・・・

BRAINS-B 国家主義的な型の愛国心は,学校教育で教えられなければならない型の愛国心とはかけ離れたものであり,人々が不幸にして陥りやすい集団ヒステリーの一形態だと言わなければならない。また,そのような愛国心(教育)に対し,知的にも道徳的に防備を固めなければならない。国家主義は疑いもなく現代の最も恐ろしい害悪である。

Patriotism of the nationalistic type, so far from being taught in schools, ought to be mentioned as a form of mass-hysteria to which men are unfortunately liable, and against they need to be fortified both intellectually and morally. Nationalism is undoubtedly the most dangerous vice of our time —.
出典: Education and the Social Order, 1932, chap. 10:Patriotism in Education (George Allen and Unwin ed.) p.138.]

[寸言]
郷土愛が延長した形の素朴な愛国心や文化的な愛国心,国家主義的・政治的な愛国心区別しないひとが多すぎないか? 気がついた時にはひどいことになっていた,ということにならないためには, ラッセル曰く

「国家主義的な型の愛国心(教育)に対し,知的にも道徳的に防備を固めなければならない」

歴史教育の主要な目的の一つは国家悪及び集団ヒステリーの危険性を自覚させること

ZU-HSEP2 歴史は,この国とかあの国とか,特定の国の歴史としてではなく,(人類の)文化の進歩の歴史として教えられるペきです。人類全体の見地に立って教えられるべきであり,自国だけを不当に強調して教えてはなりません。いかなる国も例外なく悪いことをやってきたし,その大部分は馬鹿げた過ちであったことを,子供たちに教えなければなりません。集団がヒステリックに興奮すると,どんなふうに国民全体を愚劣な行動に追いこんだりするか,また,波及する気狂い状態にも押し流されずに毅然たる態度をとる少数者をどのように迫害するか子供たちに教えるべきです。

History should be taught as the history of the rise of civilization, and not as the history of this nation or that. It should be taught from the point of view of mankind as a whole, and not undue emphasis upon one’s own country. Children should learn that every country has committed crimes and that most crimes were blunders. They should learn how mass hysteria can drive a whole nation into folly and into persecution of the few who are not swept away by the prevailing madness.
出典: What is Democracy, 1953, the teaching of history より)

[寸言]
自国の戦争犯罪を認めることがなぜ「自虐史観」なのだろうか?
いずれの国も馬鹿げた犯罪行為を過去やってきている。それぞれの,悪さの程度に見合った評価をして非難することは,同じ犯罪を起こさないために必要なことであろう。

楽観主義と悲観主義との闘い-希望にかけるか、絶望に沈むか

ROCKCLIM 私の著書のほとんどに,--ふり返ってみてわかったことであるが--,要点を強調するための’つくり話’が入っている。たとえば,私は最近,自著『社会に対する科学の衝撃』(The Impact of Science on Society, 1952)の中に次の一節を見つけた。

私が強調したいことは,現在珍らしくなくなっているこの無気力な絶望感はまったく不合理なものだという点である。人類はいまや困難かつ危険な断崖絶壁を登っている人間(クライマー)の立場にある。頂上は心地よい草地が広がる台地となっている。一歩一歩登るにつれて,もし彼が墜落すれば,それだけ恐ろしいことになる。一歩進むごとに疲労は増し,登ることはますます困難になる。ついには,あと一歩を残すだけとなる。しかし彼はそのことを知らない。なぜなら,頭上に突き出ている岩の先を見ることができないからである。疲労は極限に達し,彼が望むのは休息のみである。もし彼が手を離せば,死の休息を得るだろう。

希望は叫ぶ。「もう一ふんばりだ。多分これが必要な最後の努力となるだろう。」
皮肉は言い返す。「愚か者! お前はずっと希望のいうことを聞いてきたんじゃないのか。その結果,どこにつれてこられたというのか。」
楽観は言う。「生命のある間は希望はある。」
悲観は怒って言う。「生命のある限り苦痛がある。」

疲労しきったこの登山家ははたしてもう一歩の努力をするのか,それとも,奈落の底に落ちるに身をまかせてしまうのか。その答えは,数年して,その時生き残るっている者が知るであろう。

Most of my books, I find on looking back over them, have myths to enforce the points. For instance, I turned up the following paragraph recently in The Impact of Science on Society: ‘What I do want to stress is that the kind of lethargic despair which is now not uncommon is irrational. Mankind is in the position of a man climbing a difficult and dangerous precipice, at the summit of which there is a plateau of delicious mountain meadows. With every step that he climbs, his fall, if he does fall, becomes more terrible; with every step his weariness increases and the ascent grows more difficult. At last, there is only one more step to be taken, but the climber does not know this, because he cannot see beyond the jutting rocks at his head. His exhaustion is so complete that he wants nothing but rest. If he lets go, he will find rest in death.

Hope calls: ‘one more effort – perhaps it will be the last effort needed.’ Irony retorts: ‘Silly fellow! Haven’t you been listening to hope all this time, and see where it has landed you.’ Optimism says: ‘While there is life, there is hope.’ Pessimism growls: ‘While there is life, there is pain.’ Does the exhausted climber make one more effort, or does he let himself sink into the abyss ? In a few years, those of us who are still alive will know the answer.’

出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-310.HTM

[寸言]
世の中が自分の望まない方向に向かっている時や、努力がなかなか成果に結びつかない時に感ずるあせり。
登山家は,いくら苦しくても目標がかならず存在するという確信を抱いていられるが、目標そのものが実は存在しないものであるかも知れない(あるいは目標設定が不適切だったかも知れない)という不安にかられると、迷いや苦しみはいっそう増していく。

時々のチャリティー・ショーでは世界は救われない! On charity

Socrates 知的な人間の道徳感情において、いわゆる「慈善」(チャリティー)に関してほど変化したものは他にない。乞食の窮乏状態が偽りないものであれば、乞食にお金をめぐむこと(喜捨)を拒否することは困難であるが、喜捨の行為は心地よいものではなく、また赤面を引き起こしがちである。つまり、そこには不可避的に、誰もが物乞いをする必要がないように社会は作られていなければならない、といった反省がある。(従って、)喜捨をすることによって自己満足を感ずるどころか、自分たちは他人をこのような窮乏と屈辱的な状態にしてしまう体制で利益を得ていると感じて、社会的良心が痛むのを感じる。

There are few ways in which the moral sentiments of intelligent people have changed more than as regards what is called ‘charity’. It is difficult to refuse money to a beggar if his need seems genuine, but the act of giving is uncomfortable and inclined to cause a blush: there is inevitably the reflection that society ought to be so organized as to make it unnecessary for anyone to beg. So far from feeling self-satisfied because of giving, we feel our social conscience pricked because we profit by a system which reduces others to such want and humiliation.
出典:Bertrand Russell: On charity,Nov. 2, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/CHARITY.HTM

[寸言]
機会の均等」という謳い文句に安住してはならない。スタート地点に大きな差がある以上,「機会の均等」は最初から存在していない。今富んでいる人は努力した人(あるいは先祖が努力した人)だという都合のよい前提では,社会的弱者を救うことはできないし,そういった人々に対し説得力をもたない。

問題は,富(国民のすべての財産や総所得)の分配あるいは再分配の問題ではないか? 企業であれば(企業としての成長の糧は別にしておくとして,それ以外は)利益を社員にどのように分配するか,国家であれば税金をどのような割合で国民から徴収し,社会の進歩のためにどのようにお金を使うか,また困った人々(社会的弱者・経済的弱者)のためにどのようにお金を使うかという問題,,つまり,国の財産や国民総所得をどのように国民に使うか,また分配するかという問題に帰するのではないか?

最低賃金が低かったり,生活保護の水準が低かったり,生活保護を受ける資格がありながらいろいろな制約や障害から受給できていないとう状況に対してどのような手を打つか? 生活保護費をだまし取る一部の不心得者をなくすためという口実で,生活保護の認定を必要以上に厳しくしたりしているが,結局は弱者を堂々いじめることができる(弱い者いじめのための)「免罪符」として使っていないか?
現代においては,困窮する人々の問題は,社会の富の分配のあり方が適切でないところから生じているのであり,そのような社会制度や社会体制の問題を棚上げにして,時々「24時間愛は地球を救う」といったような番組を放送して気分を高揚させていい気持ちになっているのは,偽善ではないか? そういた番組をやらないよりやったほうがよいと安易に考えていないか? そういったショーをやり高揚感が得られれば普段は社会的弱者のことは忘れていられる,という隠れた気持ちがありはしないか?
時々の慈善ショーではだめだと考える人は,やはり社会制度の根本的な改革が必要だと考えるはずだが・・・?

より狂暴なものを望む人々を満足させること to satisfy those who want something more tigerish

gca_jolly しかし,私が激しい情動を好まないとか,情動以外の何かが行為の原因たり得ると考えている,とされているのならば,私はそういう告発を断固拒否する。私の期待する世界は,情動は強くても破壊的ではない世界,また,情動が情動として認められているので,それが自己をも他人をも欺くことにはならない世界である。そのような世界には,愛と友情があろうし,芸術や知識の追求が所を得るであろう。私には,より狂暴なものを望むひとびとを,満足させることはできそうにない。

But if it is supposed that I dislike strong emotion, or that I think anything except emotion can be a cause of action, then I most emphatically deny the charge. The world that I should wish to see is one where emotions are strong but not destructive, and where, because they are acknowledged, they lead to no deception either of oneself or of others. Such a world would include love and friendship and the pursuit of art and knowledge. I cannot hope to satisfy those who want something more tigerish.
出典:Human Society in Ethics and Politics, 1954, Preface
詳細情報:http://russell-j.com/cool/47T-PREF.HTM

[寸言]
より狂暴なものを望む人々っていうのは,具体的にはどんな人だろうか?
たとえば,橋本(徹)とか、石原(慎太郎)とか、百田(尚樹)とか,いっぱいいますね。こういった人たちは「他人を罵倒すること」を商売としているような感じでわかりやすいですが、もっと危険なのは、(悪いことを隠すために、わざと)良いことしか言わない人々(安倍総理その他大勢)かも知れないですね。

国民の生命を絶対守る(本音:無人島であれ他国による侵害は1ミリたりとも許さない、そのためには自衛官が多少死ぬこともやむえない)

安価な電源(ベース電源)を確保する、アベノミクスの成功のためには原発の維持は絶対必要、世界一の安全基準により・・・(本音:万一大事故がおこったら政府が責任を持つと言えばよい → 謝罪のために為政者の個人的なお金を費やすのではなくあくまでも税金(血税!)をできるだけ支出すると言っているだけ/有事の時には、大量のプルトニウムで核兵器を作ることができる;いざという時には作ることができる「可能性」だけでも,安全保障面で有効だ!)

国に殉じた人を「英霊の御霊に(えいれいのみたまに)・・・」とか呪文のように言えばどんな非難もかわすことができる。外国人によって殺された日本人より、外国人を殺した日本人(兵隊)のほうがずっと多くても数字を言わなければ誤魔化せる(戦争の実相・実態を隠そうとする政治家たち/本音:もしまた他国と軍事衝突が起こった場合には,死ぬことをおそれずに戦う自衛官=軍人が多数いないといけない。戦時において敵=外国人を殺すことは悪いことではない、いや善いことだ,という「錯覚」を持ってもらう必要がある。経済格差は貧しい人たちを自衛隊にいれさせるためには効果的だ)。

ラッセル曰く:
・「超大国(強国)は,今のところ,その気になればいつでも,他の(弱小の)国々の成員を殺す特権を持っている。この自由(人を殺す特権)は,正義と公正を守るために死ぬ英雄的特権として★偽装★させられている。」
・「愛国者は,国(祖国)のために死ぬとは言うが,国(祖国)のために外国人を殺すとは言わない。」

最善の人生-創造的衝動が所有衝動に勝る人生

GREEDY-S 最善の人生とは、創造的衝動が最大限に発揮され、所有衝動が最小限に現れる人生です。

The best life is the one in which the creative impulses play the
largest part and the possessive imuplses the smallest.
出典:Political Ideals, 1917, chap.1
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/2-IMPULS.HTM

[寸言]
所有衝動(所有欲)を最大限に発揮することが善い人生だと考える人間が少なくない世の中。また,(有権者の)所有欲や偏見・先入観に訴える政治家たち。

多くの偉人に見られる残酷的な要素 the happiness of the pig

Pig_roast 明らかにナポレオンが若い時に貧困のため屈辱を受けていなければ,あれほど俗物的にも,好戦的にもならなかったと思われる。ナポレオンが豚の幸福に満足するように導かれていたら,人類にとって幸いだったであろう。多くの偉人の理論と実践(実践と理論)に見られる残酷的な要素は,彼らの生涯(経歴)が,彼らには自覚されないが,若い時になめた不幸に対する世間への復讐に他ならぬという事実に,帰することができる。

Certainly Napoleon would have been neither so snobbish nor so bellicose if he had not in his youth suffered humiliation through poverty. If Napoleon could have been induced to be satisfied with the happiness of the pig, it would have been well for mankind. The element of cruelty in both the practice and the theory of many great men is attributable to the fact that their career, unconsciously to themselves, is their revenge upon the world for what it made them suffer in youth. 出典:hould children be happy? June 1932.
詳細情報:http://russell-j.com/CHILDHAP.HTM

2022年はラッセル生誕150年