「倫理学は知識の一部門ではない」

倫理学について著述をしようと私を導いたものは,頻繁に私に対してなされた非難 -即ち,私が知識の他の諸分野については多かれ少なかれ懐疑的な探求を行っているのに,倫理(学)の問題については,(自分の)初期の論文の中でムアの『倫理学原理(プリンキピア・エティカ)』について詳しく述べている以外は,避けている- という非難にあった。それに対する私の答えは,倫理(学)は知識の一部門ではないということである。

tpj-hsep そこで私は今や,この倫理問題の探求を別のやり方で着手した。私はこの本(Human Society in Ethics and Politics, 1954)の前半の第一部(注:2部構成)で,倫理学の基本概念(根本概念)をとり扱った。第二部で,これらの概念を政治の実際に適用する問題をとり扱った。第一部では,善悪,罪,迷信的な倫理,倫理的制裁といった概念を倫理規則(道徳律)として分析している。即ち,これらすべてのなかで,伝統的に倫理的として分類づけされている主題における倫理的要素を探求している。私が現在到達している結論は,倫理(学)は独立(自立)している要素ではなく,どこまでも分析していくと最後には政治(政治学の問題)に還元できるというものである。

たとえば,(両)当事者(注:国,地域,民族,宗教など)が互角に対抗している戦争(の問題)について,われわれは何を言うべきであろうか。そのような情況では,どちらの側も,自分たちの側が正しい(正義であること)は明らかであり,自分たちの側(注:国,地域,民族,宗教など)が敗れるのは’人類の不幸’である,と主張するだろう。この主張を証明する方法としては,他の倫理的概念,たとえば’残酷(な行為)に対する憎悪‘,あるいは’知識あるいは芸術に対する愛‘といったような概念に訴える以外に方法はないであろう。セント・ピータース寺院を建立したことでルネッサンス時代を皆讃美するかも知れない。しかし中には,自分は セント・ポール寺院のほうがよいと思うといって皆をまごつかせる者がいるかもしれない。あるいはまた一方の側がついた嘘から戦争が勃発してしまったかもしれず,その嘘もついには他方の側にも同じような虚偽があったことが明らかになるまでは戦いのための賞賛されるべき根拠であるように思われるかもしれない。

gca_jolly この様な性質の議論に対しては純粋に合理的な結論というものはまったく存在しない。もしある人が地球は丸いと信じ,他の人が地球は平らだと信じているのであれば,彼らは一緒に航海に出てこの問題を合理的に決めることができる。しかしもし,ある者がプロテスタントを信じ,他の者がカトリックを信じる場合は,合理的(理性的)な結論に達する方法というものは何一つ知られていない。

そのような理由から,私は,倫理的な「知識」というものはまったく存在しないと主張するサンタヤーナと意見に同意するようになったのである。しかしそれにもかかわらず,倫理的概念は歴史的にみて非常に重要性をもってきたのであり,倫理をぬきにして人間の問題を概観することは不適切であり,かつ部分的なものになってしまうと感じないわけにはいかないのである。

What led me to write about ethics was the accusation frequently brought against me that, while I had made a more or less sceptical inquiry into other branches of knowledge, I had avoided the subject of ethics except in an early essay expounding Moore’s Principia Ethica. My reply is that ethics is not a branch of knowledge. I now, therefore, set about the task in a different way. In the first half of the book, I dealt with the fundamental concepts of ethics ; in the second part, I dealt with the application of these concepts in practical politics. The first part analyses such concepts as moral codes; good and bad, sin, superstitious ethics, and ethical sanctions. In all these I seek for an ethical element in subjects which are traditionally labelled ethical. The conclusion that I reach is that ethics is never an independent constituent, but is reducible to politics in the last analysis. What are we to say, for example, about a war in which the parties are evenly matched ? In such a context each side may claim that it is obviously in the right and that its defeat would be a disaster to mankind. There would be no way of proving this assertion except by appealing to other ethical concepts such as hatred of cruelty or love of knowledge or art. You may admire the Renaissance because they built St Peter’s, but somebody may perplex you by saying that he prefers St Paul’s. Or, again, the war may have sprung from lies told by one party which may seem an admirable foundation to the contest until it appears that there was equal mendacity on the other side. To arguments of this sort there is no purely rational conclusion. If one man believes that the earth is round and another believes that it is flat, they can set off on a joint voyage and decide the matter reasonably. But if one believes in Protestantism and the other in Catholicism, there is no known method of reaching a rational conclusion. For such reasons, I had come to agree with Santayana that there is no such thing as ethical knowledge. Nevertheless, ethical concepts have been of enormous importance in history, and I could not but feel that a survey of human affairs which omits ethics is inadequate and partial.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB31-250.HTM

[寸言]
倫理学は知識論の一分野ではないという主張
この世に人間が一人しかいなければ倫理学の出る幕はない。また、人間がかなりいても、交流できない距離を保っていても倫理学の出る幕はない。人間が集団で住み、社会を形成して初めて倫理及び倫理学の必要性が出てくる。従って、倫理及び倫理学の問題は、社会学や政治学と密接に関わってくることになる。
aikoku-onna_seijikatachi そのことをよく理解しないで、人間の倫理を「真空の中で」「絶対的なもの」として考える者は暴走する。そういう者は、人間や国家が対立する場合には、どちらか(の国家)が絶対的に正しいと考えがちであるが、それは間違っているということを歴史が証明している。しかし、歴史を軽視する者(あるいは歴史を知らない者)は、自らの無知に気づかずに、同じ過ちを繰り返すことになる。

同じことを言っても,時代により、非難されたり賞賛されたり・・・

私の講演(や講義)が聴衆の受けがよかったということで驚いたことは,間違っていたと思う。大学の若い聴衆の大部分は自由主義的(リベラル)であり,自由主義的かつ一見革命的にさえ思われる意見が誰か権威ある人間によって述べられるのを聴くことを好むものである。彼らは,また,正統主義的であろうとなかろうと,一般の通念として受け入れられているいかなる見解も嘲笑することを好む
logicomix_br-lecture たとえば,私は,(講演のなかで)アリストテレスをからかうことでしばらく時間を費やし,「馬がトガリネズミに噛みつかれるのは危険なことだ、特に,トガリネズミが妊娠しているときはなおさらそうである」と言った。聴衆は不遜な連中であり,私自身もまたそうであった。そのことが,彼らが私の講義を好んだ主な基礎をなしていたと思う。
私が一般の通説(正統主義)に従わないのは政治問題に限ったことではなかった。1940年に私の身に起こったニューヨークでの性道徳の問題に関する揉め事(ゴタゴタ)は忘れ去られていたが,(1951年のコロンビア大学での講演においては)どの聴衆の心の中にも,年寄りや一般の通説を重んずる人たち(正統主義者たち)がショックを受けそうな事を私が話すの聞けるだろうという期待があった。人間の科学的繁殖(品種改良)に関する議論のなかにはそのような要素がたくさんあった。だいたいにおいて私は,以前(1940年のニューヨークにおける事件の時)には非難排斥される結果となった話とまったく同じことを言って拍手喝采を受けるという愉快な経験をしたのである。

tpj-wic ロンビア大学での最後の講義の末尾で私の言った一節(くだり)でトラブルに巻き込まれてしまった。私はその一節のなかで,「世界が必要としているのは,愛(love),キリストの愛(Christian love),即ち,思いやり(compassion)です」と言った。私がこの「キリストの」という言葉を使ったことで,自由思想家たちからは一般通説の考え方(正統主義)に従ったといって嘆く手紙が,また,キリスト教徒の側からは彼らの教会に歓迎するという手紙が,殺到した。それから10年後に,(反核デモ行進のために収監された)ブリクストン刑務所でそこの教戒師から「あなたが光明を見いだされたことをうれしく思います。」といって歓迎された時,私は彼に,それはまったくの誤解であること,私の考えはまったく変っていないこと,また私なら’暗中模索している’と言うべきところをあなたは’光明を見いだしている’と言っているということを,説明しなければならなかった。あの時の講義で私が「キリストの愛」(Christian love)と言ったのは,その「愛」を普通の’性的な愛’から区別する意味で「キリストの」という形容詞をつけたのであるが,それはまったく自明のことと考えていた。前後の関係(文脈)からしてこれはまったくあきらかであると本当に想っていた。
(松下注:ラッセルは1929年に出版した Marriage and Morals 第9章(p.96)で次のように書いている。Love, when the word is properly used, does not denote any and every relation between the sexes, but only one involving considerable emotion, and a relation which is psychological as well as physical. つまり ‘love’ は。‘love'(男女間の愛情) は,正しく使われた場合は,男女間のどんな関係でも全て指すのではなく,肉体的であると同時に心理的である関係のみを意味する。しかし,誤解をする人もいると思われるために,コロンビア大学の講義では,男女間の愛をいうのではないことを明確にするために ‘Christian’ という形容詞をつけた,ということである。従って,Love を単に「愛情」と訳すと誤解を与えることがあり、「恋愛(感情)」と訳したほうがよい場合がかなりある。

私は続けて,次のように言っている。

「もしこの愛を感じるならば,それは生きる目的(動機),行動の指針,勇気の理由,知的誠実のための不可欠の要素をもつことになります。もしこの愛を感じるならば,それは,誰もが宗教において必要とされる一切を持つことになります。」

tp-wic2上記の発言を,キリスト教について述べていると考える者が誰かいたとしたら,私にはまったく不可解である。キリスト教徒の中には記憶している人もいるだろうが,キリスト教徒がキリストの愛を示してきたのはごく稀にしかなかったということを考えてみればなおさらのことである。私は,うかつにも疑わしい形容詞を使って不測の苦痛を非キリスト教徒たちに与えることになったので,彼らを慰めるために最善を尽くした。この問題に関する私のエッセイや講演(講義)が,ポール・エドワード教授によって,教授自身が1940年のニューヨークにおける私の事件について書いたエッセイととともに,1957年に,『なぜ私はキリスト教徒ではないか』という書名のもと,編集され,出版されている。

I think I was mistaken in being surprised that my lectures were liked by the audience. Almost any young academic audience is liberal and likes to hear liberal and even quasi-revolutionary opinions expressed by someone in authority. They like, also any jibe at any received opinion, whether orthodox or not: for instance, I spent some time making fun of Aristotle for saying that the bite of the shrewmouse is dangerous to a horse, especially if the shrewmouse is pregnant. My audience was irreverent and so was I. I think this was the main basis of their liking of my lectures. My unorthodoxy was not confined to politics. My trouble in New York in 1940 on sexual morals had blown over but had left in any audience of mine an expectation that they would hear something that the old and orthodox would consider shocking. There were plenty of such items in my discussion of scientific breeding. Generally, I had the pleasant experience of being applauded on the very same remarks which had caused me to be ostracized on the earlier occasion.
I got into trouble with a passage at the tail end of my last Columbia lecture. In this passage, I said that what the world needs is ‘love, Christian love, or compassion’. The result of my use of the word ‘Christian’ was a deluge of letters from, Free-thinkers deploring my adoption of orthodoxy, and from Christians welcoming me to the fold. When, ten years later, I was welcomed by the Chaplain to Brixton Prison with the words, ‘I am glad that you have seen the light’, I had to explain to him that this was an entire misconception, that my views were completely unchanged and that what he called seeing the light I should call groping in darkness. I had thought it obvious that, when I spoke of Christian love, I put in the adjective ‘Christian’ to distinguish it from sexual love, and I should certainly have supposed that the context made this completely clear. I go on to say that,
‘If you feel this you have a motive for existence, a guide in action, a reason for courage, and an imperative necessity for intellectual honesty. If you feel this, you have all that anybody should need in the way of religion.’
It seems to me totally inexplicable that anybody should think the above words a description of Christianity, especially in view, as some Christians will remember, of how very rarely Christians have shown Christian love. I have done my best to console those who are not Christians for the pain that I unwittingly caused them by a lax use of the suspect adjective. My essays and lectures on the subject have been edited and published in 1957 by Professor Paul Edwards along with an essay by him on my New York difficulties of 1940, under the title Why I am not a Christian.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB31-220.HTM

[寸言]
ラッセルは、あるエッセイで「面白ければそれだけで真実だと信じられてしまうきらいがある」と書いているが、このような軽信性は、若い人に対してだけあてはまるだけでなく、時代や国や地域をこえて(ただし、日本人にはより)見られる。それをマスコミが助長している。

なお,岩波文庫版の安藤訳でも Love は「愛情」と訳しており、多分誤解して読んでいる人が少なくないと思われる。ラッセル『結婚論』においては,「恋愛(感情)」あるいは「男女間の愛情」と訳さないと誤解を与えそうなところがけっこうある。

心の友 - 肝胆相照らす

conrad-time コンラッド(著名な作家  Joseph Conrad)が英国人の間にあって感じ,厳格な意志の努力でこらえていたこの人間の孤独が,コンラッドにとっていかに大きかったか(ということに気づき),私は時々,驚いたものである。

コンラッドのものの見方は,現代人の物の見方からは,はるかにかけはなれたものであった。現代世界には,2つの哲学がある。1つはルソーから由来するもので,「規律」を不必要なものとして脇に一掃してしまう。もう1つは,--その完全な表現を全体主義のうちに見ることができるが--「規律」を外部から課せられる本質的なものと考える。コンラッドは「規律」は(人間の心の)内部から来るべきものであるという古い伝統に固執した。彼は’規律のなさ’を軽蔑し,また単なる形式的な(外部からの)規律を嫌った。

すべてこうした点で,私は,自分が彼とほとんど一致していることがわかった。私たちは,まさに最初に会った時,語り合うほどに,しだいに親密度を増していった。私たちは,表面の層をしだいに通過し,2人とも,’中心部の炎’に到達したように感じた(注:地球の表面から掘り進み,マグマに達するというイメージか?)。それは,それまで自分が経験したいかなるものとも異なるものであった。私たちは,お互い,相手の目を見つめ合い,そういう場所(中心の炎の中)に一緒にいる自分たちを発見し,半ばぎょっとし,半ば陶酔した。その感動は,’情熱的な恋愛’のごとく強烈であり,同時に,すべてを包含する(包括的な)ものであった。私は,混乱(当惑)した気持ちでその場(コンラッドの家)を離れ,そうして日常的な事柄(雑事)にはほとんど手がつかなかった。

Conrad’s point of view was far from modern. In the modern world there are two philosophies: the one which stems from Rousseau, and sweeps aside discipline as unnecessary, the other, which finds its fullest expression in totalitarianism, which thinks of discipline as essentially imposed from without. Conrad adhered to the older tradition, that discipline should come from within. He despised indiscipline and hated discipline that was merely external.
In all this I found myself closely in agreement with him. At our very first meeting, we talked with continually increasing intimacy. We seemed to sink through layer after layer of what was superficial, till gradually both reached the central fire. It was an experience unlike any other that I have known. We looked into each other’s eyes, half appalled and half intoxicated to find ourselves together in such a region. The emotion was as intense as passionate love, and at the same time all-embracing. I came away bewildered, and hardly able to find my way among ordinary affairs.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 7:Cambridge Again, 1967]
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB17-100.HTM

[寸言]
kaisin ラッセルは(愛人であった)オットリン夫人の勧めに従ってコンラッドに会いにく。 そうして,少し話をしただけで,自分と人生観が一致していることに驚く。
ラッセルはコンラッドと考え方(理論的側面)が一致しているというわけではない。心的態度というか、人生観や世界観が似ているのであり,人間の孤独を両者とも身にしみて実感していた。

ラッセルは3歳までに両親と死に別れ、それ以後ケンブリッジ大学にあがるまで、厳しいが愛情のある祖母に育てられたが、大学にあがって親友を得るまでは孤独であった。いや、大学で多くの友を得ても、長い間につちかった孤独感(天涯孤独感)は消え去ることはなかった。

人間の孤独 -心臓病による激痛で苦しむホワイトヘッド夫人を救えない自分

evelyn2 ホワイトヘッド夫人Evelyn Whitehead)は,当時しだいに病弱になりつつあり,心臓病のために常にはげしい痛みを感じていた。ホワイトヘッドとアリス(ラッセルの妻)と私は,3人とも,彼女のことが心配でならなかった。ホワイトヘッドは妻を深く熱愛していただけでなく非常に彼女を頼りとしていた。それゆえ,もし彼女が死ぬようなことがあれば,彼が今後も良い仕事をすることができるかどうか疑わしく思われた。

ある日,ギルバート・マーレイ(Gilbert Murray, 1866-1957)が,当時まだ出版されていなかった(エウリビデス作の)「ヒッポリュトス(Hippolytus)」(注:Euripides, B.C. 485?-406? 古代ギリシアの三大悲劇詩人のひとり)の(マーレイによる)翻訳の一部を(講義で)講読するために,(ケンブリッジの)ニューナム・コレッジヘ(Newnham)やって来た。アリスと私は,彼の講義を聴講にいった。そうして私は,その詩の美しさに深く感動した。

私たち夫婦が帰宅した時(注:『プリンキピア・マテマティカ』執筆当時,
ラッセル夫妻は,ホワイトヘッド夫妻の家に同居していた。),ホワイトヘッド夫人は,これまでにない激痛の発作に苦しんでいた。彼女は,苦悶の壁によって,全ての人や全てのものから遮断されてしまっているかのように見え,突如として,人間一人一人の魂は孤独であるという感情が私を圧倒した。結婚してから,私の情緒生活は穏やか’であるとともに,浅はかな’ものであった。深遠な問題はすべて忘れており,軽薄な如才なさに満足していた。(しかし)突然,大地が私の足下で崩れ去るように思え,そうしてそれ以前と全く異なった世界に自分がいるのを発見した。

5分もたたないうちに,ほぼ次のような内省が私の頭を駆け抜けた。

人間の魂の孤独は耐えられないものであり,また,宗教的導師が説いたような種類の愛が最高度になくしては,いかなるものも人間の魂に浸透することはできない。この愛の泉からわき出でたものでなければいかなるものも有害か,よくても無用である。その当然の結果として,戦争は間違っており,(英国の)パブリック・スクール式の教育は忌まわしいものであり,暴力の行使は非難されるべきである,また,人間関係において,人は,一人一人の人間の内なる孤独の核心にふれあうべきであり,語りかけるべきである。」

evelynMrs. Whitehead was at this time becoming more and more of an invalid, and used to have intense pain owing to heart trouble. Whitehead and Alys and I were all filled with anxiety about her. He was not only deeply devoted to her but also very dependent upon her, and it seemed doubtful whether he would ever achieve any more good work if she were to die. One day, Gilbert Murray came to Newnham to read part of his translation of The Hippolytus, then unpublished. Alys and I went to hear him, and I was profoundly stirred by the beauty of the poetry. (See letter to Gilbert Murray and his reply, p.159. Also the subsequent letters relating to the Bacchae) When we came home, we found Mrs. Whitehead undergoing an unusually severe bout of pain.
She seemed cut off from everyone and everything by walls of agony,
and the sense of the solitude of each human soul suddenly  overwhelmed me. Ever since my marriage, my emotional life had been calm and superficial. I had forgotten all the deeper issues, and had been content with flippant cleverness. Suddenly the ground seemed to give way beneath me, and I found myself in quite another region. Within five minutes I went through some such reflections as the following: the loneliness of the human soul is unendurable; nothing can penetrate it except the highest intensity of the sort of love that religious teachers have preached; whatever does not spring from this motive is harmful, or at best useless; it follows that war is wrong, that a public school education is abominable, that the use of force is to  be deprecated, and that in human relations one should penetrate to the core of loneliness in each person and speak to that.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6,
Principia Mathematica, 1967]
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB16-030.HTM

[寸言]
愛し合い,お互いを必要としているホワイトヘッド夫妻においても,夫であるホワイトヘッドも,ホワイトヘッド夫人(Evelyn)を慕うラッセルも、、彼女が心臓病による激痛で苦しむ姿を目の当たりにしても,救ってあげることも、苦しみを和らげたりすることもできない。そうして、「人間はもともと孤独な存在だ」,だから「お互い助け合うことが必要だ」と実感するラッセル。

最善の人生とは創造的衝動が最大限に発揮され所有衝動が最小限に現れる人生

possessiveness-dolls この二種類の「もの」に対応して、二種類の衝動があります。即ち、共有しえない物を入手したり、保有したりしようとする「所有衝動」と、隠したりまたは私有する必要のないものをこの世の中にもたらしたいという「創造衝動」があります。・・・。
最善の人生とは、創造的衝動が最大限に発揮され、所有衝動が最小限に現れる人生です。

mothertheresa_loveThere are two kinds of impulses, corresponding to the two kinds of goods. There are possessive impulses, which aim at acquiring or retaining private goods that cannot be shared; these centre in the impluse of property. And there are creative or constructive impulses, which aim at bringing into the world or making available for use the kind of good in which there is no privacy and no possession. The best life is the one in which the creative impulses play the largest part and the possessive imuplses the smallest.
出典:Political Ideals, 1917, chap.1
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/2-IMPULS.HTM

[寸言]
「最善の人生とは、創造的衝動が最大限に発揮され、所有衝動が最小限に現れる人生です。」は,ラッセルの有名な文句ですが、大正デモクラシーの時代には、与謝野晶子ほか、多くの日本の知識人が引用しています。また、同様に、次のラッセルの言葉も名言として、世界中の人が今でもさかんに引用しています。

「善い人生(良い生活)とは、愛に力づけられ、知識によって導びかれた人生(生活)のことである。」(The good life is one inspired by love and guided by knoledge.)
https://russell-j.com/beginner/GOODLIFE.HTM

今は昔 -ラッセル『結婚論』は不道徳な書物として非難される

MARIAGE 1929年に,私は『結婚と(性)道徳』を出版した。この本は,私が百日咳から回復しつつある時期に’口述’したものである。年のせいで,その病気を診断してもらわないうちに,学校のほとんどの児童に感染してしまった。(松下注:成人の場合はかかっても軽症のため,診断が見逃され易く,菌の供給源となって乳幼児への感染源となるとのことです。) 1940年にニューヨークにいた私に対する攻撃材料を提供したのは,主にこの本であった。本書において私は,完全な貞節というものはほとんどの結婚において期待できないが,婚外の恋愛が生じたとしても,夫婦は良い関係を維持できなければならない,という見解を展開した。だが私は,もしも妻がその夫が父でないところの子供を一人あるいは複数持ったしても有益な状態で長続きさせることができるとは主張しなかった。そのような場合は,離婚する方が望ましいと考えた。(松下注:ドーラは別の男性との間に子供をつくったため,ラッセルはドーラと離婚することになる。) 結婚の問題について現在どう考えているか,自分でもはっきりしない。結婚に関する一般理論は全て,克服できない反対意見があるように思える。多分,離婚を容易ならしめる方が,他のどんな制度よりも不幸を少なくしてくれるだろう。しかし,私はもはや結婚問題について独断的な意見を持つことはできない。

In 1929, I published Marriage and Morals, which I dictated while recovering from whooping-cough. (Owing to my age, my trouble was not diagnosed until I had infected most of the children in the school.) It was this book chiefly which, in 1940, supplied material for the attack on me in New York. In it, I developed the view that complete fidelity was not to be expected in most marriages, but that a husband and wife ought to be able to remain good friends in spite of affairs. I did not maintain, however, that a marriage could with advantage be prolonged if the wife had a child or children of whom the husband was not the father; in that case, I thought, divorce was desirable. I do not know what I think now about the subject of marriage. There seem to be insuperable objections to every general theory about it. Perhaps easy divorce causes less unhappiness than any other system, but I am no longer capable of being dogmatic on the subject of marriage.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 4:Second Marriage, 1968]
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB24-100.HTM

[寸言]
ラッセルが1929年Marriage and Morals(結婚と性道徳、いわゆる『結婚論』)を出した時、当時としては過激な書物として、多くの非難を受けた。1940年ニューヨーク市立大学教授として教鞭をとることが内定していたが、ニューヨークに住む一キリスト教徒から,ラッセルは不道徳な人間なので公立大学の教員としてふさわしくない(採用取り消しをせよ)という訴えが出され、(同じくカトリック教徒の)裁判官により、ラッセルの任用は取り消せられることになる。
br_bronz-medal しかし、戦後世界は激変し、ラッセルの主張の半分以上は、今や一般市民の常識となっており、『結婚論』や『西洋哲学史』などの、自由を守るための執筆活動を称えられ、1950年にはノーベル文学賞を受賞している。
つまり、当時の多数意見は現在では少数意見となっているが、このように、少数意見が多数意見になることによって大きな進歩がなされているのである。従って、多数意見は間違っている場合が多いということを肝に銘ずるべきであろう。

親としての(3種類の)感情-49歳にして初めて子どもを持ったラッセル

1921年11月(注:ラッセル49歳の時),初めての子供が生まれると,それまでこらえていた感情が一気に解放されたのを感じ,それに続く10年間は,私の主たる目標は’親たること’であった。親としての感情‘は,私も自分で体験してわかったことであるが,非常に複雑である。
FAM-1924 まず第一に,そして最も主要なのは,全く動物的な愛情であり,幼い子供の振る舞いで魅力的なものを見守る喜びである。
第二に,どうしても逃れることのできない責任感であり,それは懐疑論が容易に異議を唱えることができない日常活動(日常生活)に,一つの目標を与えてくれるものである。
第三に,非常に危険な,利己主義的な要素がある。即ち,(1)自分が失敗したことを自分の子供は成功するかもしれない,(2)自分自身の努力が死や老衰の故に終止符を打たれた時,自分の子供たちがその仕事を引き継いでくれるかもしれない,それから,ともかくも(3)子供を持つことによって生物学的死滅をまぬがれ,自分の生命を大きな生命体の流れの一部とし,自分の生命が未来に向かって流れていかない単なる水溜りにしない,といった希望である。
こうした気持ちを私はことごとく経験した。そして数年の間(松下注:ドーラとの関係が’複雑になる’までの間)それは,私の人生を幸福と平和で満たしたのである。

When my first child was born, in November 1921, I felt an immense release of pent-up emotion, and during the next ten years my main purposes were parental. Parental feeling, as I have experienced it, is very complex. There is, first and foremost, sheer animal affection, and delight in watching what is charming in the ways of the young. Next, there is the sense of inescapable responsibility, providing a purpose for daily activities which scepticism does not easily question. Then there is an egoistic element, which is very dangerous: the hope that one’s children may succeed where one has failed, that they may carry on one’s work when death or senility puts an end to one’s own efforts, and, in any case, that they will supply a biological escape from death, making one’s own life part of the whole stream, and not a mere stagnant puddle without any overflow into the future. All this I experienced, and for some years it filled my life with happiness and peace.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 4:Second Marriage, 1968
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB24-010.HTM

[寸言]
ラッセルは、最初の結婚に失敗したが、その時の妻アリスは子どもを産めない身体であった。そこで、ラッセルは一生子どもを持つことはあきらめようと決意するが、やはり自分の子どもを持ちたいという気持ちは消えていなかった。
ラッセルは1920年から1921年の約1年間、愛人のドーラとともに、中国の北京大学客員教授として中国に滞在した。そうして、その終わり頃にインフルエンザにかかってしまったが、九死に一生を得ることができた。その回復期(ベッドに横たわっている時)に、ドーラの妊娠を知り、まだ病気が治っていないにもかかわらず、この上ない幸福感にひたることができた。
BEACON-2 1921年秋に英国に帰国すると長男が生まれ、ドーラと正式に再婚する。その後、長女も生まれたことから、1921年から約10年間は子どもの教育がラッセルの最大の関心事となる。そうして(自分たちの子どもを入れる適当な幼児学校がないことから)ドーラとともに、幼児学校(Beacon Hill School)の経営にも乗り出すことになる。ラッセル『教育論-特に幼児期における』はそのような背景で生まれた著書であった。

並外れた「親切行為」によって愛情を獲得しようと努力する者

gizen_aida-mituo 自分は愛されていないと感じる人は,その結果,さまざまな態度をとる可能性がある。彼(彼女)は,愛情を得るために,多分,並みはずれた親切な行為によって,必死の(絶望的な)努力をするかもしれない。しかし,そのようなことをしても,失敗する可能性が非常に高い。なぜなら,親切な行為の動機は,その親切を受ける者(恩恵を受ける人)に感得されるからであり,また,人間性は,愛情を最も要求しないように思われる人に最も進んで与える,というようにできているからである。それゆえ,親切行為によって愛情を獲得しようと努力する人は,人間の’忘恩’を経験して,幻滅することになる。
出典:ラッセル『幸福論』第12章「愛情」
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA23-010.HTM

The man who feels himself unloved may take various attitudes as a result. He may make desperate efforts to win affection, probably by means of exceptional acts of kindness. In this, however, he is very likely to be unsuccessful, since the motive of the kindnesses is easily perceived by their beneficiaries, and human nature is so constructed that it gives affection most readily to those who seem least to demand it. The man, therefore, who endeavours to purchase affection by benevolent actions becomes disillusioned by experience of human ingratitude.

[寸言] 24-hour_shogaishaha-kirai_gizen.png
「親切な行い」はもちろんこの世に多くあってほしい。感謝を求めない日常的なささいな親切行為の積み重ねはすがすがしい。しかし,感謝されることを期待して行われる「親切行為」はうとましい。

24-hour_shogaishaha-kirai_gizen だから、たとえば、1年のほとんどは弱者のことは見捨てているのに年に数回だけ「24時間愛は地球を救う」といった番組を放送するマスコミに対しては違和感を覚える人も少なくない(のではないか?)。実際、「24時間テレビ」は健常者には評判が良くても障害者には評判は良くない(右図参照)。どれだけの人がそのことを知っているのか!?
いや、こういった番組は障害者のためというより、日頃,障害者を無視している健常者が自分は本当は心が清いのだと思いたいためのカタルシス番組だと考えれば納得できるかも知れない。そういえば、「24時間愛は地球を救う」を放送しているのは(弱者切り捨ての政策を推し進める安倍政権のヨイショばかりしている)日本テレビや読売テレビでしたね。

「蛮勇」-危険を感知できない人間や無知な人間の危険性及び愚かさ

abe_sanakunin 我々のリストの3番目の性質(注:好ましい人間の特質)としてあげた感受性は,ある意味では,単に勇気を’矯正するものにすぎない。危険を感知することのできない人間にとっては,勇敢な行為は容易であるが,そういった勇気は愚かである場合が多い。無知や怠慢(=忘れっぽさ)に基づく行動(様式)は,いかなるものも満足すべきものと見なすことはできない。なぜなら,最大限充分に知り理解することは,望ましいもの全てにとって不可欠の要素だからである。

Sensitiveness, the third quality in our list, is in a sense a corrective of mere courage. Courageous behaviour is easier for a man who fails to apprehend dangers, but such courage may often be foolish. We cannot regard as satisfactory any way of acting which is dependent upon ignorance or forgetfulness: the fullest possible knowledge and realisation are an essential part of what is desirable.
出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2 The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-160.HTM

[寸言]
4-chara ラッセルは、合わさって「人間の理想的な性格」の基礎を形作ると思われる特質として、活力(Vitality),勇気(Courage),感受性(Sensitiveness),知性(Intelligence)の4つをあげている。
人間にとって不合理・非合理な恐怖心を持たずに「勇気」を持つことは、男女とも必要なものである。しかし,「蛮勇」はそうではない。後先を考えずに、国の為政者が「蛮勇」をふるって国民に大きな犠牲を強いた実例は、歴史上非常にたくさん存在している。ただし、(ドイツなど一部の国を除いて)どの国の為政者も、過去の古傷をさわられたくないために、「未来に目を向けよう」と一見もっともらしい美辞麗句で誤魔化そうとする。少なからぬ国民もそれに騙される人がおり、なげかわしい。

「恐怖」と「激怒」とは,非常に類似した感情

masuzoe_ganmenhoukai-kujyu 心理学や生理学の観点から見ると,恐怖と激怒は,非常に類似した感情である。激怒を感じる人は,最高の勇気を持っていない。黒人暴動,共産主義者の反乱,その他,貴族制度(特権階級)に対する脅威を鎮圧する際に必ず顕になる残酷さは,臆病(な心)から出たものであり,もっと明確な形の臆病に与えられるのと同様の軽蔑に値する。

From the point of view of psychology and physiology, fear and rage are closely analogous emotions; the man who feels rage is not possessed of the highest kind of courage. The cruelty invariably displayed in suppressing Negro insurrections, communist rebellions and other threats to aristocracy, is an offshoot of cowardice, and deserves the same contempt as it bestowed upon the more obvious forms of that vice.
(23)On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2 The Aims of Education
https://russell-j.com/beginner/OE02-140.HTM

[寸言]
ishihara-shintaro_gekido (不都合な事実を暴かれないかと心配する)臆病や恐怖心からくる残酷さは非常に多く見られる。

戦前の不敬罪,治安維持法,思想弾圧,非国民呼ばわり,テロ根絶の名のもとの残虐行為,人種差別,ヘイトスピーチ,天安門事件,イスラム国の問題・・・。

自分の責任を問われそうになった時の石原慎太郎,舛添要一,不都合な事実を指摘された時の橋本徹や安倍総理・・・

2022年はラッセル生誕150年