ChatGPT との対話:ラッセルの英文の日本語訳をお願いし、誤訳ではないかと指摘したら謝った上で正しい訳を提示してくれました(笑)

 質問
 次のバートランド・ラッセルの英文(Bertrand Russell : History as an art (1954年))を正確に日本語に訳してください。
I suppose the trend will remain until the world settles down to some form of progress less helter-skelter than the present race toward the abyss.  
 市井三郎氏の日本語訳では「この傾向は,現在の人類が深淵に向ってあわてふためいているのがなくなってきて世界がある種の進歩の形式に落ち着くまで,続くと思っています。」と、「race」を「人類」と訳しています。
 しかし、「race」はここでは「競争」の意味であり、「この傾向は,奈落の底に向かう現在の競争よりもあわてふためいているのがなくなってきて、世界がある種の進歩の形態に落ち着くまで,続くと思っています。」といった意味ではないでしょうか?
 よろしくお願いいたします。  以下のページにこの英文があります。  https://russell-j.com/beginner/1057_HasA-180.HTM

 ChatGPTからの回答
「このような傾向は、世界が現在の混沌から少しでも進歩のある形式に落ち着くまで、現在の深淵に向かう競争よりも少し落ち着いた進歩に向かうと思われます。」

 質問(続き)
 ありがとうございます。race はどういった時に「競争」と訳し、どういった時に「人類」と訳すのでしょうか?
とりあえず、お礼を述べて、後から誤訳を指摘します!)

 ChatGPTからの回答(続き)
「Race」は、文脈によって異なる訳語が適用されます。一般的に、「race」が「競争」と訳される場合は、競争や競争相手としての意味合いが含まれます。一方、「race」が「人類」と訳される場合は、人種や民族といった意味で用いられます。しかし、文脈によっては、両方の意味を持つ場合もあります。そのため、「race」の正確な意味は、文脈に応じて判断する必要があります。

 質問(ChatGPTの誤訳を指摘)
I suppose the trend will remain until the world settles down to some form of progress less helter-skelter than the present race toward the abyss.
 の日本語訳として、次の訳文を示していただきました。
「このような傾向は、世界が現在の混沌から少しでも進歩のある形式に落ち着くまで、現在の深淵に向かう競争よりも少し落ち着いた進歩に向かうと思われます。 」
 しかし、これは誤訳ではないでしょうか? 「混沌状況は・・・まで続くだろう」と言っている意味が提示された日本語訳にはありません。提示された日本語訳では「・・・落ち着くまで・・・進歩に向かうと思われます。」と論理的におかしな文章になっています。

  ChatGPTからの回答(謝罪及び正解の提示)
  申し訳ありません。確かに、私が提供した日本語訳には誤りがあります。正しい日本語訳は以下のようになります。

「このような傾向は、現在の深淵に向かう競争よりも少し落ち着いた進歩に向かう形式に世界が落ち着くまで続くと思われます。」

これによって、「race」が「競争」と訳され、「helter-skelter」が「深淵に向かう」と訳されたことが明確になります。再度訳文の提供にご協力いただきありがとうございました

 『ラッセル自伝』でよくわかない箇所をCHATGPT に質問その2


 『ラッセル自伝』にでてくる文章なかで、(ずいぶん前のことですが)ある英語のできる人と解釈が異なった英文について、ChatGPTに質問し、以下の回答を得ました。結局、私の解釈がよかったようです。

質問

    Lady Ottoline Morrell

 以下の英文は Bertrand Russell の Autobiography の一節です。この文章のなかで、 「The three days and nights that I spent at Studland remain in my memory as among the few moments when life seemed all that it might be, but hardly ever is.」の意味がいまひとつよくわかりません。 「私がスタッドランドで(オットリンとともに)過ごした3日3晩(3昼夜)は、人生がおよそ可能なかぎり素晴らしいものであるように思われた貴重なひととときの一つとして、私の記億に残っている。実際は、人生はその可能性の全てを開花させることなどめったにないのだが。」と私は訳しました。  特に、「when life seemed all that it might be, but hardly ever is.」の部分の意味合いがよくわかりません。「実際は、人生はその可能性の全てを開花させることなどめったにないのだが。」は誤訳ではないかという人もいます。  この英文はどういう構文なのか、どのように解釈すべきか教えてください。 From this scene I went straight to Studland, still believing that I had cancer. At Swanage, I obtained an old-fashioned fly with an incredibly slow horse. During his leisurely progress up and down the hills, my impatience became almost unendurable. At last, however, I saw Ottoline sitting in a pine-wood beside the road, so I got out, and let the fly go on with my luggage. The three days and nights that I spent at Studland remain in my memory as among the few moments when life seemed all that it might be, but hardly ever is. Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 7: Cambridge Again, 1967 http://russell-j.com/beginner/AB17-040.HTM#r366-c109

ChatGPTからの回答 (2,3秒で回答あり!)
 この文章は、Bertrand Russell ががんを患ったと思い込んでいた時期に、彼の友人 Ottoline Morrell に会いに行ったときの経験を描写しています。彼が「スタッドランド」という場所で過ごした3日間と3晩は、人生が本来持っている可能性を実感できた貴重な瞬間だったと述べています。

「when life seemed all that it might be, but hardly ever is.」という表現は、人生が本来持っている可能性を全て実現したような感覚を表しています。しかしながら、このような状態は現実にはめったに起こりません。つまり、人生が本来持っている可能性を実現することは、困難なものであるということを示唆しています。

「実際は、人生はその可能性の全てを開花させることなどめったにないのだが。」という部分は、人生が本来持っている可能性をすべて実現することが難しいことを強調しています。つまり、Russell は、スタッドランドでの経験が現実的なものではなく、人生における特別な瞬間だったと思っていることが読み取れます。

 『ラッセル自伝』でよくわかない箇所をChatGPT に質問


 質問
 以下の英文は、バートランド・ラッセルの自伝の第2巻の文章ですが、「I said that I should like to disappear like the man in Arnold Bennett’s Buried Alive, provided I could be sure of discovering a widow in Putney as he did.」(私は、アーノルド・ベネットの(小説)「生き埋めにされて」(Buried Alive)の中に出て来る男のように(ロンドン郊外の高級住宅地の)パットニーの未亡人を確実に見つけることができるならば-、 彼のように消え去りたいと思う、と言った。)」は何を言おうとしているのかわかりません。アーノルド・ベネットの小説である「生き埋めにされて」を読んだことのある英国人なら理解できるでしょうが、日本人の私にはわかりません。どういうことを言っているのか、日本人にもわかるように教えてください。 Dora Black, whom I had not seen before, interested me at once. We spent the evening at Shere, and to beguile the time after dinner, I started by asking everybody what they most desired in life. I cannot remember what Dorothy and Nicod saids; I said that I should like to disappear like the man in Arnold Bennett’s Buried Alive, provided I could be sure of discovering a widow in Putney as he did. Dora, to my surprise, said that she wanted to marry and have children. Until that moment I had supposed that no clever young woman would confess to so simple a desire, and I concluded that she must possess exceptional sincerity.


 ChatGPTからの回答 たった2,3秒で返事あり!
この文章は、バートランド・ラッセルが、新しい人物であるDora Blackと会った際のエピソードを描写したものです。バートランド・ラッセルは、夕食後に時間を潰すため、全員に人生で最も望むことを尋ねました。ドロシーとニコドは何を言ったか覚えていないが、バートランド・ラッセルはアーノルド・ベネットの小説「生き埋めにされて」に出てくる男のように消え去りたいと述べました。ただし、その男が未亡人を探し出したように、彼自身もパットニーに住む未亡人を探し出すことができることが条件でした。

この発言は、バートランド・ラッセルが自分の人生についてどのように考えていたかを示しています。彼は、自分が理想とする人生に到達できなかった場合、消えてしまうことを望んでいたようです。この発言は、ドラマチックで、アーノルド・ベネットの小説に登場するキャラクターにちなんでいますが、本質的には、バートランド・ラッセルが自分の生き方に不満を抱いていたことを示しています。一方で、Dora Blackは、簡単な望みを持っていたことで、彼女の素直さと正直さを感じたようです。

Regenerate response

知的戯言の概要(1943) n.16

 他方、罪とは神への不服従であると真剣に考える人々は、神は全能ではないと言わざるをえなくなる。これなら(これまでにあげた)論理的な難問を全て逃れる(get out of all … 抜け出す)。 そうして、これは自由神学者(自由主義的な神学者)達の某一派によって採用されている見解である。けれども、この見解もそれ自身の難点をもっている。(たとえば)神の意志が真に何であるかを我々はいかにして知ることができるだろうか? もし(全能の神だけでなく)邪悪な勢力が一定の権力のわけまえをもっているなら、本当は彼ら(邪悪な勢力)の作品であるものを経典(聖書)として受け入れるように、彼らは我々をあざむくことができるかも知れない(ではないか)。これは、(キリスト教の)グノーシス派の見解であり、彼らは旧約聖書は悪霊の作品であると考えたのである。
 我々が自らの理性を捨て、権威(権力)によりかかることに満足するやいなや、我々は際限なくいろいろな困難(問題)にぶつかる。 誰の権威によりかかればよいのか?  旧約聖書か? 新約聖書か? コーランか?  実際には、人々は自分たちが産まれた社会によって神聖だと考えられている書物を選び、その書物から自分達が好む部分を選び、他の部分は無視する。ある時期においては、聖書のなかでもっとも影響力のある文句は「魔女をして生かしむるなかれ」であった。今日では、人々は、この句を、可能であれば黙って、そうでなければ謝罪して、通り過ぎる。そうして、このように、我々は、神聖な書物を持っていても、なお我々自身の偏見(先入見)にあうものであれば何でも真理として選ぶのである。たとえば、司教(a bishop)は一人の妻の夫であるべきである(妻は一人しかもってはならない)という句(テキスト)を本気でとりあげるカソリックは 一人もいないのである。

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.16 On the other hand, those who are in earnest in thinking that sin is disobedience to God are compelled to say that God is not omnipotent. This gets out of all the logical puzzles, and is the view adopted by a certain school of liberal theologians. It has, however, its own difficulties. How are we to know what really is God’s will? If the forces of evil have a certain share of power, they may deceive us into accepting as Scripture what is really their work. This was the view of the Gnostics, who thought that the Old Testament was the work of an evil spirit. As soon as we abandon our own reason, and are content to rely upon authority, there is no end to our troubles. Whose authority? The Old Testament? The New Testament? The Koran? In practice, people choose the book considered sacred by the community in which they are born, and out of that book they choose the parts they like, ignoring the others. At one time, the most influential text in the Bible was: “Thou shalt not suffer a witch to live.” Nowadays, people pass over this text, in silence if possible; if not, with an apology. And so, even when we have a sacred book, we still choose as truth whatever suits our own prejudices. No Catholic, for instance, takes seriously the text which says that a bishop should be the husband of one wife.  
 Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943  Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7:
 More info.: http://www.ditext.com/russell/rubbish.html