『ラッセル自伝』でよくわかない箇所をCHATGPT に質問その2


 『ラッセル自伝』にでてくる文章なかで、(ずいぶん前のことですが)ある英語のできる人と解釈が異なった英文について、ChatGPTに質問し、以下の回答を得ました。結局、私の解釈がよかったようです。

質問

    Lady Ottoline Morrell

 以下の英文は Bertrand Russell の Autobiography の一節です。この文章のなかで、 「The three days and nights that I spent at Studland remain in my memory as among the few moments when life seemed all that it might be, but hardly ever is.」の意味がいまひとつよくわかりません。 「私がスタッドランドで(オットリンとともに)過ごした3日3晩(3昼夜)は、人生がおよそ可能なかぎり素晴らしいものであるように思われた貴重なひととときの一つとして、私の記億に残っている。実際は、人生はその可能性の全てを開花させることなどめったにないのだが。」と私は訳しました。  特に、「when life seemed all that it might be, but hardly ever is.」の部分の意味合いがよくわかりません。「実際は、人生はその可能性の全てを開花させることなどめったにないのだが。」は誤訳ではないかという人もいます。  この英文はどういう構文なのか、どのように解釈すべきか教えてください。 From this scene I went straight to Studland, still believing that I had cancer. At Swanage, I obtained an old-fashioned fly with an incredibly slow horse. During his leisurely progress up and down the hills, my impatience became almost unendurable. At last, however, I saw Ottoline sitting in a pine-wood beside the road, so I got out, and let the fly go on with my luggage. The three days and nights that I spent at Studland remain in my memory as among the few moments when life seemed all that it might be, but hardly ever is. Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 7: Cambridge Again, 1967 http://russell-j.com/beginner/AB17-040.HTM#r366-c109

ChatGPTからの回答 (2,3秒で回答あり!)
 この文章は、Bertrand Russell ががんを患ったと思い込んでいた時期に、彼の友人 Ottoline Morrell に会いに行ったときの経験を描写しています。彼が「スタッドランド」という場所で過ごした3日間と3晩は、人生が本来持っている可能性を実感できた貴重な瞬間だったと述べています。

「when life seemed all that it might be, but hardly ever is.」という表現は、人生が本来持っている可能性を全て実現したような感覚を表しています。しかしながら、このような状態は現実にはめったに起こりません。つまり、人生が本来持っている可能性を実現することは、困難なものであるということを示唆しています。

「実際は、人生はその可能性の全てを開花させることなどめったにないのだが。」という部分は、人生が本来持っている可能性をすべて実現することが難しいことを強調しています。つまり、Russell は、スタッドランドでの経験が現実的なものではなく、人生における特別な瞬間だったと思っていることが読み取れます。