人間は「単一の」「実体」「ではない」

 自分(人間)は考える物(物質/物体)であるというデカルトの信念の代わりとして何に置き換えるべきだろうか?
二人のデカルトがいることは当然のことであり,その両者の区別は,私が議論したい問題を喚起することになる。(即ち)自分自身に対する(にとっての)デカルトと,彼の友人に対する(にとっての)デカルトとがあった(のである)。彼(デカルト)は,自分は自分自身に対してどうであったかに,関心を持っている。(しかし)自分は自分自身に対して何であるかということは,変化する状態を有する単一の実体としては,十分うまく記述されない(記述できない)。単一な実体(という概念)はまったく無駄な(無用な)ものであり,変化する諸状態(の集合)で十分である。デカルトは,自分に対しては,一連の出来事(event)として現れており,思考(思惟 a thought)という言葉を字義にとらわれないで解釈されるならば,それぞれの(ひとつの)出来事は,ひとつの思考(思惟)であると呼ぶことができるであろう(注:人間は,思考という現象の集合体であるということ)。彼が他人に対してどうであるかは,さしあたって無視することにしよう。デカルトの「精神(心)」を形作ったものはこの「思考(思惟)」系列であったが,彼の精神(心)はもはや単独の実体ではないことは,ニューヨークの全住民はニューヨークの数人の住人を越えた単独の実体でないのと同様である。(そこで)「デカルトは考える」という代わりに,我々は,「デカルトはその各要素が思考(思惟)であるところの思考の系列である」というべきである,そうして「それゆえにデカルトは存在する」という代りに,「デカルトはこの系列の名前であるので,デカルトは一つの名前である」と言わなければならない。しかし「デカルトは考える物(物質/物体)である」という陳述に対しては,この陳述は欠点をもった統語論(シンタックス)以外のなにものをも具現していないので,何物をもそれと入れかえてはならない。

What ought we to substitute for Descartes’ belief that he was a thing that thought? There were, of course, two Descartes, the distinction between whom is what gives rise to the problem I wish to discuss. There was Descartes to himself, and Descartes to his friends. He is concerned with what he was to himself. What he was to himself is not best described as a single entity with changing states. The single entity is quite otiose. The changing states suffice. Descartes to himself should have appeared as a series of events, each of which might be called a thought, provided that word is liberally interpreted. What he was to others I will, for the moment, ignore. It was this series of “thoughts” which constituted Descartes’ “mind,” but his mind was no more a separate entity than the population of New York is a separate entity over and above the several inhabitants. Instead of saying “Descartes thinks,” we ought to say “Descartes is a series of which the members are thoughts.” And instead of “therefore Descartes exists,” we ought to say “Since ‘Descartes’ is the name of this series, it follows that ‘Descartes’ is a name.” But for the statement “Descartes is a thing which thinks” we must substitute nothing whatever, since the statement embodies nothing but faulty syntax.
出典:Bertrand Russell : Mind and Matter (1950?)
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/19501110_Mind-Matter040.HTM

<寸言>
人間は生まれてから(あるいは成年になってから)変わらない実体をもっている(自分は変わらない/変わっていない/変わらないものがある)と思っている人が少なくないが、それは幻想である。また、人間は精神と物質からできている(精神は肉体とは別物)と考えている人もいるがこれも幻想である。
これに対し、精神は実体だが、物質は虚構であると思っている人も少なくないが、これも幻想である。それでは何か。精神と物質は、精神でも物質でもない、中立的なものでできていると考えるほうがよい。それではそれは何か・・・。そこから哲学が始まる。