科学の聖典は -その最も正典として(規準的なものとして)認められた形で- 物理学(生理学を含む)の中に具体的に表現されている。物理学は我々に次のことを保証している。即ち,「対象物の知覚」とは,対象物から出る(始まる)長い因果の連鎖の終端における出来事であり,せいぜい,非常に抽象的な意味で似ていると言えるかもしれないが- 対象物(自体)とは似ているとは思えないものである。我々は, 素朴実在論 -即ち,事物は見える通りのものであるという学説- から出発する。草は緑色をしており,石は固く,雪は冷たいと思っている。しかし,物理学によれば,草の緑,石の固さ,雪の冷たさというものは,われわれが経験から知っている緑や固さや冷たさではなく,それとはずっと異なったものである。観察者は, 自分では石を観察していると思っている時, 実際は -物理学を信ずべきとすれば- 彼自身に対する石の影響を観察しているのである。そうだとすると,科学は,それ自身と戦っているように思われる。つまり,科学は,最大限客観的であろうとする時,意に反して主観に陥ってしまっていることがわかる。素朴実在論から物理学が導かれるが,その物理学に従って考えると,物理学が真なら,素朴実在論は偽だということになる。すると,素朴実在論は,それが真であるなら,同時にそれは偽であるような代物ということになるので,結局,素朴実在論は偽である。ここから考えると,★行動主義者は外的世界について観察を記録していると思っていても,実は,自分自身の中で起っていることを記録しているのである★。
Scientfic scripture, in its most canonical form, is embodied in physics (including physiology). Physics assures us that the occurrences which we call “perceiving objects” are at the end of a long causal chain which starts from the objects, and are not likely to resemble the objects except, at best, in certain very abstract ways. We all start from “naiive realism“, i.e., the doctrine that things are what they seem. We think that grass is green, that stones are hard, and that snow is cold. But physics assures us that the greenness of grass, the hardness of stones, and the coldness of snow, are not the greenness, hardness, and coldness that we know in our own experience, but something very different. The observer, when he seems to himself to be observing a stone, is really, if physics is to be believed, observing the effects of the stone upon himself. Thus science seems to be at war with itself: when it most means to be objective, it finds itself plunged into subjectivity against its will. Naive realism leads to physics, and physics, if true, shows that naive realism is false. Therefore naive realism, if true, is false; therefore it is false. And therefore the behaviourist, when he thinks he is recording observations about the outer world, is really recording observations about what is happening in him.
出典: An Inquiry into Meaning and Truth, 1940,Introduction.
詳細情報:https://russell-j.com/cool/37T-INTRO02.HTM
[寸言]
「外的世界についての観察を(客観的に)記録していると思っていても,実は,自分自身の中で起っていることを記録している」。つまり、「観察者は, 自分では石を観察していると思っている時, 実際は -物理学を信ずべきとすれば- 彼自身に対する石の影響を観察しているのである。」
いや、一人の人間の観察ではなく、非常に多くの人間の観察によっている、と反論する人がいるかも知れない。しかし、その場合でも、やはり、(たとえば、人間よりもっと高等な宇宙人への効果=観察ではなく)、人間に対する効果に基礎をおいていることには代わりはない。
人間の五感がまったく関与しない「客観的な」科学とは何か!? そんなものがあるのだろうか?