ラッセル=アインシュタイン声明発表の舞台裏(3)-ラッセルの記憶違い

Max-Born しかしそれよりももっと悪い事態が起こった。私は新聞を読んで,マックス・ボルン教授(Max Born,1882年-1970年1月5日:ドイツ生まれのイギリスの理論物理学者で,1954年ノーベル物理学賞受賞)の名前を署名者名簿から落としていたことが,また彼が署名することを断わったとさえ言ったことがわかった。事実はまったく逆であった。彼は署名したばかりでなく,最も熱心でありかつ大いに助けになった。これは私の大失態であり,後悔の念が消えることは,これまで,決してなかった。私が自分の間違いを知った時には,誤りを訂正するにはすでに遅すぎたが,自分としてはこの件を正すために考えつくあらゆる手段を即座にまたその後もずっと講じてきている。ボルン教授自身はとても寛大な人であり,ずっと親しく私と交信を続けてくれている。彼以外の大部分の他の署名者たちもそうであるが,ボルン教授のそれと同様,この声明書の企てと達成が,個人的な感情よりも優先したのであった。

But worse was to come. I learned that I had omitted Professor Max Born’s name from the list of signatories, had, even, said that he had refused to sign. The exact opposite was the truth. He had not only signed but had been most warm and helpful. This was a serious blunder on my part, and one that I have never stopped regretting. By the time that I had learned of my mistake it was too late to rectify the error, though I at once took, and have since taken, every means that I could think of to set the matter straight. Professor Born himself was magnanimous and has continued his friendly correspondence with me. As in the case of most of the other signatories the attempt and achievement of the manifesto took precedence over personal feelings.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 2: At home and abroad, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB32-260.HTM

[寸言]
M. ボルン教授に関する勘違い(ラッセル=アインシュタイン声明への署名拒否)は、結果オーライであったにしても、いつまでも悔やまれる大きな失敗であった。このような悔恨はだれにでも起こりそうなことではあるが、この重要な局面における思い違いはへたをすると大変なことになってしまう。ラッセルにとって、反省することしきりの出来事であった。(たぶん、ニールス・ボーア教授が断ったことと混同したのではないだろうか?)