人種の問題では、社会によって異なる信念がある(社会が異なれば信念も異なる)。君主制が確立されているところでは、国王はその臣下よりも人種が高級である(という信念がある)。 ごく最近まで、男は生まれつき女よりも知的であると一般に信じられていた。(たとえば)スピノザのように啓発された人でさえ、そうした理由で婦人参政権に反対している(decide against votes婦人参政権への反対を決意。白人の間では、白人は生まれつき有色人種よりも、とくに黒人よりも、優れていると考えられている(訳注:”white”を「白色」と考えれば、”other colors”は「白色以外)。日本では、逆に、黄色が最も良い色だと考えられている。ハイチでは、キリストとサタン(悪魔神)の彫像を造る時には、キリストは黒色、サタンは白色にする。アリストテレスとプラトンは、ギリシャ人は生得的に(innately)他国人よりもずっと優れているので、主人がギリシャ人で奴隷が夷狄の民(注:古代ギリシャ人・ローマ人からみての”異邦人”)である限り、 奴隷制は正当なものだと考えた。ナチスや移民法を作ったアメリカの立法者達は、北欧人(the Nordics)はスラブ人やラテン人やその他全ての白人よりも優れていると考える。 しかし、ナチスは戦争の強圧下に、ドイツ人以外に真の北欧人はほとんどいないとするにいたった。ノルウェー人はキスリング (注:ナチスに協力した裏切り者)とその少数の後継者以外はフィンランド人 およびラブランド人その他との混血によって堕落してしまったというのだ。かくして政治こそが血統の問題をとくかぎである。 生物学的に純粋な北欧人はヒトラーを愛する。 それでもしあなたがヒッ トラーを愛さなかったとすれば、それは血が汚染している証拠である(ということになる)。
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.26 In the matter of race, there are different beliefs in different societies. Where monarchy is firmly established, kings are of a higher race than their subjects. Until very recently, it was universally believed that men are congenitally more intelligent than women; even so enlightened a man as Spinoza decides against votes for women on this ground. Among white men, it is held that white men are by nature superior to men of other colors, and especially to black men; in Japan, on the contrary, it is thought that yellow is the best color. In Haiti, when they make statues of Christ and Satan, they make Christ black and Satan white. Aristotle and Plato considered Greeks so innately superior to barbarians that slavery is justified so long as the master is Greek and the slave barbarian. The Nazis and the American legislators who made the immigration laws consider the Nordics superior to Slavs or Latins or any other white men. But the Nazis, under the stress of war, have been led to the conclusion that there are hardly any true Nordics outside Germany; the Norwegians, except Quisling and his few followers, have been corrupted by intermixture with Finns and Laps and such. Thus politics are a clue to descent. The biologically pure Nordic loves Hitler, and if you do not love Hitler, that is proof of tainted blood. .
Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943 Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7:
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知的戯言の概要(1943) n.25
「人種」および「血」についての誤った考えは -常に(大衆に)人気があったし、ナチスがその公認の信条において具体化したものであったが- 客観的な正当化(の根拠)をまったく持っていない。(つまり)それらは、自尊心や 残忍な行為に向かう衝動を助長する(minister to)という理由だけで信じられているのである。どのような形にせよ(In one form or another)、これらの信念は文明とともに古いものである。その形は変化するが、その本質は変わらないままである。ヘロドトス (ギリシヤの著名な歴史家)は -キュロス(Cyrus: キュロス1世, 生没年不詳:アケメネス朝のアンシャン王)が自分は王家の血筋であることをまったく知らずに、農民達によってどのようにして育てられたか- 語っている。(そうして)12歳の時、他の百姓の息子達に対する,彼の王者の振る舞いが真実を明らかにしたのであった。これは(この話は)、インド・ヨーロッパ諸国全てに見出される古い物語の一変種(a variant)である。ごく現代的な人々でさえ「血筋が語る」と言う。科学的な生理学者が、ネグロの血と白人の血の間には何の違いもないということを世の中に向かって保証しても何の役にもたたない。米国赤十字社は、アメリカが現在の戦争(第二次世界大戦)に巻き込まれた時、っ当初は、大衆の偏見に屈服し、輸血(blood transfusion)にはネグロの血は決して使用してはならないと、布告した。世論が沸騰した結果、ネグロの血を使用してもよいがネグロの患者向けに限られる、ということが認められた。同様に、ドイツにおいても、輸血を必要としたアーリア人の兵士達は、ユダヤ人の血で汚染されないように注意深く保護されている。(注:こにのエッセイは1943年に発表されているので、その時点では「進行中」であった。)
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.25 The fallacies about “race” and “blood,” which have always been popular, and which the Nazis have embodied in their official creed, have no objective Justification; they are believed solely because they minister to self-esteem and to the impulse toward cruelty. In one form or another, these beliefs are as old as civilization; their forms change, but their essence remains. Herodotus tells how Cyrus was brought up by peasants, in complete ignorance of his royal blood; at the age of twelve his kingly bearing toward other peasant boys revealed the truth. This is a variant of an old story which is found in all Indo-European countries. Even quite modern people say that “blood will tell.” It is no use for scientific physiologists to assure the world that there is no difference between the blood of a Negro and the blood of a white man. The American Red Cross, in obedience to popular prejudice, at first, when America became involved in the present war, decreed that no Negro blood should be used for blood transfusion. As a result of an agitation, it was conceded that Negro blood might be used, but only for Negro patients. Similarly, in Germany, the Aryan soldier who needs blood transfusion is carefully protected from the contamination of Jewish blood. .
Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943 Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7:
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知的戯言の概要(1943) n.24
十八世紀末まで、精神異常(狂気)は悪魔に取り憑かれるため(悪魔の憑依のせい)だという理論があった。患者を苦しめるあらゆる苦痛は、悪魔をもまた苦しめるので、最良の治療法は、悪魔が病人に取り憑くのをやめる決意するほど患者に苦痛を与えることだ、と推論された。精神異常者は、この理論に従って、残酷なぐらいに殴られた。 この治療法は、国王ジョージ三世が精神異常になった時(気が狂った時)に試みられたが、成功しなかった。医療上の愚行の長い歴史を通じて信じられてきた、ほとんど全てのまったく無益な治療法が精神異常の患者に対して激しい苦痛をひきおこすようなものであったということは、奇妙(curious)かつ痛々しい事実である。麻酔剤(麻酔薬)が発見された時、信心深い人々は、それを神の意志から逃れようとする試みだと考えた。けれども、神がアダムの肋骨(あばらぼね)をひきぬいた時、神はアダムを深い眠りにおいたということ(事実)が指摘された。このことは、麻酔剤が男達にとってはさしつかえないということの証明となった。けれども、女達はイヴののろいのせいで苦しまなければならない(とされた)。西欧(欧米)では婦人参政権がこの教義がまちがいであることを証明したが、日本では今日まで(注:1943年時点)、出産時の女性が麻酔剤によって出産の苦痛を軽減することをまったく認められていない。日本人は創世記を信じていないので、このサディズム的行為(this piece of sadism)にはなにか他に正当化の理由があるにちがいない。
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.24
There was, until the end of the eighteenth century, a theory that insanity is due to possession by devils. It was inferred that any pain suffered by the patient is also suffered by the devils, so that the best cure is to make the patient suffer so much that the devils will decide to abandon him. The insane, in accordance with this theory, were savagely beaten. This treatment was tried on King George III when he was mad, but without success. It is a curious and painful fact that almost all the completely futile treatments that have been believed in during the long history of medical folly have been such as caused acute suffering to the patient. When anaesthetics were discovered, pious people considered them an attempt to evade the will of God. It was pointed out, however, that when God extracted Adam’s rib He put him into a deep sleep. This proved that anaesthetics are all right for men; women, however, ought to suffer, because of the curse of Eve. In the West votes for women proved this doctrine mistaken, but in Japan, to this day, women in childbirth are not allowed any alleviation through anaesthetics. As the Japanese do not believe in Genesis, this piece of sadism must have some other justification.
Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943 Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7:
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知的戯言の概要(1943) n.23
強い情緒は全て、それ自身の神話をでっちあげる傾向がある。その情緒が一個人に特有のものである場合には、もしその人が自分で創り出した神話を自ら信用するなら、その人は多少とも頭がおかしい(正気ではない)と考えられる(見なされる)。 しかし、戦争における神話のように、一つの情緒が集団的なものである場合には、自然に生じる神話を訂正する者は誰もいない。その結果、大規模な集団的興奮のあらゆる時に、根拠のない噂話が幅広い信用を獲得する。1914年の9月において、英国ではほとんど全ての人が、ロシアの軍隊は、西部戦線へむかう途中に英国を通り抜けた、と信じた。英国民全てが、ロシアの軍隊を見た(目撃した)と言う誰かを知っていた。ただし、誰も自分でロシアの軍隊をみたものはいなかった。
この神話づくりの能力は、しばしば残酷さと結びついている。中世以来、ユダヤ人は儀式殺人(ritual murder )を行うとして告発(非難)されてきた。この告発(非難)にはほんのわずかな証拠もなく、その告発を吟味した正気の人でそれを信じる者は一人もいない。それにもかかわらず、告発は続いている。私はそれが真実であることを確信している白ロシア人たちに会ったことがあるし、また、多くのナチス党員の間ではそれは疑問なしに受け入れられている。そういった神話は拷問を課することに言い訳を与え、そのような神話を根拠なく信じることは、迫害するなんらかの犠牲者を発見したいという無意識的な欲求(があること)の証拠である。
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.23
Every powerful emotion has its own myth-making tendency. When the emotion is peculiar to an individual, he is considered more or less mad if he gives credence to such myths as he has invented. But when an emotion is collective, as in war, there is no one to correct the myths that naturally arise. Consequently in all times of great collective excitement unfounded rumors obtain wide credence. In September, 1914, almost everybody in England believed that Russian troops had passed through England on the way to the Western Front. Everybody knew someone who had seen them, though no one had seen them himself. This myth-making faculty is often allied with cruelty. Ever since the middle ages, the Jews have been accused of practising ritual murder. There is not an iota of evidence for this accusation, and no sane person who has examined it believes it. Nevertheless it persists. I have met white Russians who were convinced of its truth, and among many Nazis it is accepted without question. Such myths give an excuse for the infliction of torture, and the unfounded belief in them is evidence of the unconscious desire to find some victim to persecute..
Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943 Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7:
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知的戯言の概要(1943) n.22
誤った信念には、自惚れ(うぬぼれ)の他にも、多くの源泉がある。 その一つは驚くべきものに対する愛である。私はかつてある科学的な精神を持ったマジシャン(奇術師/手品師)(conjuror)を知っていた。彼は少数の観客の前で自分の手品をやってみせ、その後で(then)、観客に一人一人別々に(separately)、何が起こっているかそれぞれが見たことをいつも書き留めさせた(訳注:「to write down what they had seen happen: what happen の間に”they had seen”が挿入されているので訳し方に注意が必要」)。ほとんど常に、観客は、実際(に起こったこと)よりもずっと驚くべきことを、そして、たいていはどんなマジシャンもなしとげることのできなかっただろうことを、書き留めた。にもかかわらず、彼らは皆本当に自分の眼で見たことを報告していると考えた。
この種の誤魔化しは、噂話についてはなおさら真実である。(たとえば)AはBに、昨夜著名な禁酒論者の某氏が少し酒に酔っていていつもより見苦しかったと語る。BはCにあの善良な人が酔っ払ってよろめきながら歩いているのを見た(そうだ)と語り、CはDに自分は意識を失って溝のなかに落ちていたのを拾い上げられた(picked up)と語り、DはEに自分は毎晩気絶しているで有名だと語る。ここには、別の動機、即ち、悪意が入ってきていることは確かである。我々は隣人を悪く言うのが好きであり、ほとんど証拠がなくても(隣人について)最悪のことを信じる用意がある。しかし、そのような動機がない場合でも、何か強い偏見に反しない限り、驚異的なものは、容易に信じられる。
十八世紀までの全歴史は、現代の歴史家が無視する非凡な人々(prodigies)や不可思議なことに満ちている。それは、そういった不可思議が歴史達の受け入れる事実に比べて十分に証明されることが少ないからではなく、学識ある人達の間にある現代的な趣味が科学が可能性があると見なすものを好むからである。
シェイクスピアはシーザーが殺害される前夜がどうであったかを、次のように語っている。
「一人の市の奴隷(A common slave)がですね、あなたも顔はよく御存じのはずだが、 それが左手を高く挙げたところが、ぱっと火を発して、 まるで松明(たいまつ)の二十本も合せたように、炎炎と燃え上がった それでいて手は少しも火を感じない、むろん火傷ひとつしないのです。 そればかりじゃない――いや、私はそれからずっと、この身のままでいるのですが、私が丁度キャピトルの前へかかると 一頭の獅子がやって来ました、しかも私の頭をぎょろりと睨むと、 そのままなんの危害も加えずのっそり行ってしまった。 かと思うと恐怖に顔色を変えた、この世の人とは思えない女が百人ばかり一団になって、なんでも全身火になった男が、 街々を練り歩くのを見たと、そう断言するのです。」
シェイクスピアがこれらの驚嘆すべき事柄を発明したのではない。彼はそれらを評判のある歴史家 -我々がジュリアス・シーザーに関する知識を得るために頼りにする歴史家達- のなかに見つけたのである。この種のことは偉大な人間が死んだ場合、あるいは、重大な戦争の開始において、常に起こっていたのである。1914年のように最近においてさえ、「モンスの天使達」(注:angels of Mons :第一次世界大戦の「モンスの戦い」の最中に起きた超常現象といわれているが、実際はアーサー・マッケンの短篇小説「弓兵」(The Bowman) 内容そのままの話) がイギリス軍を励ました(のである)。そのような出来事の証拠は直接手にはいるということはまずめったにない。そうして、現代の歴史家達はそれをみとめることを拒否する。もちろん、その出来事が宗教的意義をもつものである場合は例外であるが(キリスト教などの証拠のない話が信じられているという、ラッセルの皮肉)。
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.22
There are many other sources of false belief besides self-importance. One of these is love of the marvelous. I knew at one time a scientifically-minded conjuror, who used to perform his tricks before a small audience, and then get them, each separately, to write down what they had seen happen. Almost always they wrote down something much more astonishing than the reality, and usually something which no conjuror could have achieved; yet they all thought they were reporting truly what they had seen with their own eyes. This sort of falsification is still more true of rumors. A tells B that last night he saw Mr.____, the eminent prohibitionist, slightly the worse for liquor; B tells C that A saw the good man reeling drunk, C tells D that he was picked up unconscious in the ditch, D tells E that he is well known to pass out every evening. Here, it is true, another motive comes in, namely malice. We like to think ill of our neighbors, and are prepared to believe the worst on very little evidence. But even where there is no such motive, what is marvelous is readily believed unless it goes against some strong prejudice. All history until the eighteenth century is full of prodigies and wonders which modern historians ignore, not because they are less well attested than facts which the historians accept, but because modern taste among the learned prefers what science regards as probable.
Shakespeare relates how on the night before Caesar was killed,
”A common slave — you know him well by sight — Held up his left hand, which did flame and bum Like twenty torches join’d; and yet his hand, Not sensible of fire, remain’d unscorch’d. Besides — I have not since put up my sword — Against the Capitol I met a lion, Who glar’d upon me, and went surly by, Without annoying me; and there were drawn Upon a heap a hundred ghastly women, Transformed with their fear, who swore they saw Men all in fire walk up and down the streets. ”
Shakespeare did not invent these marvels; he found them in reputable historians, who are among those upon whom we depend for our knowledge concerning Julius Caesar. This sort of thing always used to happen at the death of a great man or the beginning of an important war. Even so recently as 1914 the “angels of Mons” encouraged the British troops. The evidence for such events is very seldom first-hand, and modern historians refuse to accept it — except, of course, where the event is one that has religious importance.
Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943 Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7:
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知的戯言の概要(1943) n.21
人間が本当に、進化論を認める神学者が言うようにそんなに光栄あるもの(存在)かどうかという問題は別として この惑星(地球)上での生命がほとんど確実に一時的なものであるというさらに困難な問題が存在している。 地球は寒くなるだろうし、あるいは大気は徐々に飛び去るだろうし、あるいは水は不足してくるだろう。あるいは、ジェームズ・ジーンズ卿が陽気に(genially)予言しているように、太陽は(いずれ)爆発し、あらゆる惑星はガスと化するであろう。以上のうち、いずれが最初におこるかは誰も知らない。しかし、いずれのケースにおいても、人類は最後には死に絶えるであろう。もちろん、そのような出来事は正統派の神学の見地から見ればほとんど重要な意味はもっていない。なぜなら、(正統派の神学によれば)人間は不滅であり、地球上の人間が全員死んだ時には、天国と地獄において存在し続けるだろうからである。 しかし、そうであるなら、なぜこの世の(地球上での)発展について気をもむのか。原始的なスライム(泥のような生命体)から人間への漸進的進歩を強調する人々は、 この世俗的領域「地球」に重きを置くが、それ(地球)は、そういった人達(この世の生活を重視する人々)を、-地球上の全ての生命は星雲(銀河)と永遠の霜の間の(訳注:星雲状のガスが固まって恒星ができるということ)、あるいは恐らく一つの星雲と一つの星雲の間の短い幕間劇に過ぎないという結論から- 尻込みさせる(make shrink)であろう(そういった人々は尻込みするだろう)。人間の重要性(という考え)は- それは神学者にとってなくてはならない一つの教義であるが- 太陽系の将来についての科学的見解からはなんの支持を受けない(得られない)のである。
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.21
Apart from the question whether Man is really so glorious as the theologians of evolution say he is, there is the further difficulty that life on this planet is almost certainly temporary. The earth will grow cold, or the atmosphere will gradually fly off, or there will be an insufficiency of water, or, as Sir James Jeans genially prophesies, the sun will burst and all the planets will be turned into gas. Which of those will happen first, no one knows; but in any case the human race will ultimately die out. Of course, such an event is of little importance from the point of view of orthodox theology, since men are immortal, and will continue to exist in heaven and hell when none are left on earth. But in that case why bother about terrestrial developments? Those who lay stress on the gradual progress from the primitive slime to Man attach an importance to this mundane sphere which should make them shrink from the conclusion that all life on earth is only a brief interlude between the nebula and the eternal frost, or perhaps between one nebula and another. The importance of Man, which is the one indispensable dogma of the theologians, receives no support from a scientific view of the future of the solar system.
Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943 Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7:
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知的戯言の概要(1943) n.20
その結果(注:アダムとイブの楽園追放後に起こった天変地異)がどんなに不愉快なものであったかもしれないとしても、アダムに(神が)一つの教訓を教えるためにそのように巨大な天文学的現象がもたらされたことを、彼(アダム)は光栄に思わないではいられなかった(feel flattered 光栄に思う、気分を良くする)。神学全体は(神学は全体として)、天国に関して同様に地獄に関しても、人間は創造されたこの宇宙において最重要なものであることを当然のこととしている。 神学者は全て男であったので、この仮定はほとんど反対に出会うことはなかった。(訳注:女性は男性であるアダムの肋骨から創られたという前提があることに注意)
進化論が流行し始めて以降、人間の賛美(称賛)は新しい形態をとってきている。(即ち)進化は一つの大いなる(神の)目的によって導かれていると我々は告げられる。すなわち、泥や三葉虫しか存在しなかった何百万年を通じ、また恐竜や巨大なシダ、蜜蜂や野生の花の時代を通して、神は大いなるクライマックスを準備しつつあった。最後に、時満ちて、神は人間を創造し、それらの中にはネロやカリギュラのような面々、またヒトラーやムッソリーニのような人物も含まれており、それらの人達の卓越した栄光は、(それまでの)長い苦難の過程を正当化するものであった(注:ラッセルの皮肉)。(しかし)私としては、全能者の至高の努力として賞讃することを求められるこの説得力がなく(不十分で)無気力な結末よりも、永遠の天罰でさえ、より信じられないものではなく、また、確かにより馬鹿げたものでもないと思う。そして、もし神が全能であるならば、神はなぜそのような、長い退屈なプロローグなしに光栄ある結果を生みだすことができなかったのか?(疑問に思われる。)
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.20 However disagreeable the results may have been, Adam could hardly help feeling flattered that such vast astronomical phenomena should be brought about to teach him a lesson. The whole of theology, in regard to hell no less than to heaven, takes it for granted that Man is what is of most importance in the Universe of created beings. Since all theologians are men, this postulate has met with little opposition. Since evolution became fashionable, the glorification of Man has taken a new form. We are told that evolution has been guided by one great Purpose: through the millions of years when there were only slime, or Trilobites, throughout the ages of dinosaurs and giant ferns, of bees and wild flowers, God was preparing the Great Climax. At last, in the fullness of time, He produced Man, including such specimens as Nero and Caligula, Hitler and Mussolini, whose transcendent glory justified the long painful process. For my part, I find even eternal damnation less incredible, and certainly less ridiculous, than this lame and impotent conclusion which we are asked to admire as the supreme effort of Omnipotence. And if God is indeed omnipotent, why could He not have produced the glorious result without such a long and tedious prologue?
知的戯言の概要(1943) n.19
うぬぼれ(自己過大評価)は、個人のものであれ、全体のもの(generic 種としての;一般的な)であれ、我々のほとんどの宗教的信仰の源泉である。(人間の)罪でさえうぬぼれ(自己過大評価)からでてくる一つの概念である。ボロウ(George Borrow、1803-1881:英国の作家)は、いつも憂鬱そうにしているあるウェールズの説教者(preacher 伝道者)に会った時の様子を語っている。同情して(理由を)聞いたところ、その説教者は彼の自分の悲しみの源泉を告白するにいたった。(即ち、その説教者は)7才の時に彼が聖霊(注:the Holy Ghost 聖霊:三位一体説の第3位; キリストを通して人間に働きかける神の霊のこと)に対して罪をおかしたとのことである。ボロウは(次のように)言った。「わが親しき仲間よ、そんなことで悩まないでください。同様の例(ケース)を何十人も私は知っています。そのことで、あなたがあなた以外の人々から切り離されていると想像しないでください。知れべてみれば、同様の不幸で苦しむ大勢の人がいることに気づくことでしょう」。 その瞬間からその人は救われた。 彼(その説教者)はその時まで(その言葉を聞くまでは)自分が特異であるという感情(feeling singular,)を楽しんでいたのである。しかし、罪びとの群の一人であることにはまったく何の喜びもなかったのである(訳注:こういった悩みをもっているのは自分だけだと思い「その感情をいわば「楽しんで)いたが、同じような感情を多くの人が持っているなら「特異ではなくなり」、喜べなくなったとのことで、ラッセルの皮肉も感じられる)。大部分の罪びとはむしろ、自己のことしか 考えないということは比較的少ない。 しかし、神学者達が、人間は神の愛の対象であるばかりでなく神の怒り特別な対象であるという感情を楽しんでいるに違いない(疑いがない)。(詩人の)ミルトンは、我々に次のように断言している。(即ち、)人間の堕落以後、
(楽園を追放された以後)
太陽は、
初めてその規矩を授けられたり、
その運行し輝くは 地上を耐え難き寒気と暑熱にて苦しめ
北よりは老いぼれたる冬を呼び来たり
南よりは夏至の暑熱を 持たらさんがためなり
【↑ ミルトン『失楽園(楽園喪失)第10話から:岩波文庫版の平井訳をお借りします。 第10巻の概要は、「第10巻:アダムとイヴが罪を犯したことを知った神は、御子を遣わし、彼らに宣告を下す。サタンは自分の成功を報告しに地獄に帰るが、仲間もろとも蛇の姿に変えられる」とのことです。】
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.19 Self-importance, individual or generic, is the source of most of our religious beliefs. Even sin is a conception derived from self-importance. Borrow relates how he met a Welsh preacher who was always melancholy. By sympathetic questioning he was brought to confess the source of his sorrow: that at the age of seven he had committed the sin against the Holy Ghost. “My dear fellow,” said Borrow, “don’t let that trouble you; I know dozens of people in like case. Do not imagine yourself cut off from the rest of mankind by this occurrence; if you inquire, you will find multitudes who suffer from the same misfortune.” From that moment, the man was cured. He had enjoyed feeling singular, but there was no pleasure in being one of a herd of sinners. Most sinners are rather less egotistical; but theologians undoubtedly enjoy the feeling that Man is the special object of God’s wrath, as well as of His love. After the Fall, so Milton assures us —
The Sun
Had first his precept so to move, so shine,
As might affect the Earth with cold and heat
Scarce tolerable, and from the North to call
Decrepit Winter, from the South to bring
Solstitial summer’s heat.
Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943
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知的戯言の概要(1943) n.18
しかし、こういった事柄だけが唯一人間(彼/彼女)が自身を祝福しなければならない(has to congratulate himself)ものではない。というのは、人間はホモ・サピエンス(という高等な種)の一員ではなかったのか? 動物のなかで人間だけ不滅の魂を持っており、かつ、理性的である(はずだ)。即ち、人間は善悪の違いがわかり、九九の表も覚えている。神は神自身の像に似せて(in His own image)人間を創ったのではなかったか?。そうして、あらゆるものは人間の便宜のために創られたのではなかったのか? (たとえば)太陽は日中を照らすために、月は夜を照らすために創られた(のではないか)---ただし、月は何らかの手ぬかりのために(by some oversight)ただ夜間の半分の時間しか輝かないけれども。地上の生(なま)の(いろいろな)果物は人間の栄養のために創られた(のではないか?)。兎の白い尻尾でさえ、一部の神学者(達)によれば、一つの目的、即ち、狩人が兎を撃つのを容易にさせるという目的をもっている(そうである)。いくつか不便なものがあることも、確かである。(たとえば)ライオンや虎は獰猛すぎるし、 夏は暑すぎ、冬は寒すぎる。しかし、これらのことは、アダムがリンゴを食べた以降にのみ始まった(ことである)。 それ以前は、全ての動物は草食(ベジタリアン)であり、そうして、季節は常に春であった。 もしアダムが桃やブドウや西洋ナシやパインアップルだけで満足していたとしたら、これらの恩寵は依然として我々(人間)のものであるはずだろう。
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.18
But these are not the only matters on which he has to congratulate himself. For is he not an individual of the species homo sapiens? Alone among animals he has an immortal soul, and is rational; he knows the difference between good and evil, and has learnt the multiplication table. Did not God make him in His own image? And was not everything created for man’s convenience? The sun was made to light the day, and the moon to light the night — though the moon, by some oversight, only shines during half the nocturnal hours. The raw fruits of the earth were made for human sustenance. Even the white tails of rabbits, according to some theologians, have a purpose, namely to make it easier for sportsmen to shoot them. There are, it is true, some inconveniences: lions and tigers are too fierce, the summer is too hot, and the winter too cold. But these things only began after Adam ate the apple; before that, all animals were vegetarians, and the season was always spring. If only Adam had been content with peaches and nectarines, grapes and pears and pineapples, these blessings would still be ours.
Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943 Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7:
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「知的戯言の概要」(1943年発表)」n.17
人々の抱く信念には様々な原因がある。その一つ(の信念)は、当該信念を抱くための(裏付ける)何らかの証拠があるものである。我々は、これを「誰それの電話番号は何番か」とか「(何かのスポーツの)ワールド・シリーズに誰が勝利したか?」といったような事実に関する事柄(事実問題)に適用する。しかし、問題がもっと議論の余地があるものになるいなや、その信念を引き起こす原因は擁護できないものになる。我々は、まずまっさきに、自分達はいいやつだと感じさせるものを信じる。人間様(Mr. Homo)は、胃の消化がよく(体調が良く)、十分な収入があれば、自分は、気まぐれな女房と結婚しいつも無駄遣いをしている隣人の誰それよりも何と分別があることか、と考える。彼(彼女)は、自分の(住んでいる)市(都市)は、五十マイル離れているところにある他の市よりもなんとすぐれていることか、と考える。即ち、わが市には、(その都市よりも)より大きい商工会議所(Chamber of Commerce 商業会議所)があり、より進取的なロータリー・クラブがある。 そして市長は一度も刑務所に入ったことはない、と。彼(彼女)は、 自国はいかに計り知れないほど他のあらゆる国々よりも勝っていることか、と考える。もし、彼(彼女)が英国人であれば、その気性に応じて、シェイクスピアやミルトン、あるいはニュートンやダーウィン、あるいは(海軍の)ネルソ提督や(陸軍の)ウェリントン元帥のことを考える(思い浮かべる)。もし、彼(彼女)がフランス人であれば、フランスは数世紀に渡って、文化、ファッション及び料理において世界の先頭にたってきたと得意がる(congratulate himself 自分を褒める)。もし、彼(彼女)がロシア人であれば、彼(彼女)は自分が真に国際的な唯一の国家に属していることを自覚する。 もし、彼(彼女)がユーゴスラヴィア人であれば、自国の豚を自慢する。もし、彼(彼女)がモナコ王国の生まれあれモナコがばギャンブルの件(he matter of gambling)で世界をリードしていることを自慢する。
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.17
People’s beliefs have various causes. One is that there is some evidence for the belief in question. We apply this to matters of fact, such as “what is so-and-so’s telephone number?” or “who won the World Series?” But as soon as it comes to anything more debatable, the causes of belief become less defensible. We believe, first and foremost, what makes us feel that we are fine fellows. Mr. Homo, if he has a good digestion and a sound income, thinks to himself how much more sensible he is than his neighbor so-and-so, who married a flighty wife and is always losing money. He thinks how superior his city is to the one 50 miles away: it has a bigger Chamber of Commerce and a more enterprising Rotary Club, and its mayor has never been in prison. He thinks how immeasurably his country surpasses all others. If he is an Englishman, he thinks of Shakespeare and Milton, or of Newton and Darwin, or of Nelson and Wellington, according to his temperament. If he is a Frenchman, he congratulates himself on the fact that for centuries France has led the world in culture, fashions, and cookery. If he is a Russian, he reflects that he belongs to the only nation which is truly international. If he is a Yugoslav, he boasts of his nation’s pigs; if a native of the Principality of Monaco, he boasts of leading the world in the matter of gambling. . Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943 Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7:
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