知的戯言の概要(1943) n.56

 最も洗練された宗教は -たとえばマルクス・アウレリウス(Marcus Aurelius. 121-180 後期ストア派の哲学者)やスピノザの宗教ー 依然として、恐怖心の克服に関心を持っている。 ストア派の教義は単純だった。(即ち)それは、唯一の真なる善は徳(美徳)であり、いかなる敵も私(自分)から徳を奪い取ることはできないと主張した。その結果、敵を恐れる必要はまったくない(ということになる)。困難な問題は、誰も徳(美徳)が唯一の善であるとは信じることができなかったということであり、マルクス・アウレリウスでさえもそうであり、彼は皇帝として、自分の臣下を有徳的たらしめようとしただけでなく、彼らを異邦人(barbarians)、悪疫(pestilences) 及び飢饉から保護しようと努めたのである。スピノザもいくらかこれと似た教義を教えた。 彼によれば、我々の真の善(幸福)は世俗的な運命(運不運)に対して無関心であることにある。アウレリウスもスピノザもともに、肉体的苦痛のようなものは真の悪ではないと装うことによって、恐怖心から逃れようと努めた。これは恐怖から逃れる立派な方法である。しかし、依然として誤った信念に基づいている。そうして、仮に心から(本当に)受け入れてしまえば、人は自分の苦しみだけでなく、他人の苦しみに対しても無関心にさせるという悪い結果をもたらすであろう。

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.56

The most refined religions, such as those of Marcus Aurelius and Spinoza, are still concerned with the conquest of fear. The Stoic doctrine was simple: it maintained that the only true good is virtue, of which no enemy can deprive me; consequently, there is no need to fear enemies. The difficulty was that no one could really believe virtue to be the only good, not even Marcus Aurelius, who, as emperor, sought not only to make his subjects virtuous, but to protect them against barbarians, pestilences, and famines. Spinoza taught a somewhat similar doctrine. According to him, our true good consists in indifference to our mundane fortunes. Both these men sought to escape from fear by pretending that such things as physical suffering are not really evil. This is a noble way of escaping from fear, but is still based upon false belief. And if genuinely accepted, it would have the bad effect of making men indifferent, not only to their own sufferings, but also to those of others.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です