脳を量子力学の言語で眺めるとどうなるであろうか?

 我々は,いまだ,量子物理学(量子力学)の精確な言語で,人間の脳について語ること学んできていない。実際,我々は,この言語を必要とするには,ほとんど人間の脳について知っていない。我々(人間)の問題に対する,量子物理学の(種々の)神秘(不可解さ)の主要な関係は,それらの神秘(不可解さ)が,我々(人間)は物質についてほとんど知っておらず,また,特に人間の脳についてほとんど知っていないということを,示してくれることにある。
生理学者の中には,まだ,顕微鏡を通して脳の組織(そのもの)を見ることができると想像している者がいる。もちろん,これは楽天主義的な幻想である。あなたが椅子を見ていると思うとき,量子遷移を見ている(量子遷移が見えている)わけではない。あなたは,物理的椅子との非常に長くて複雑な因果的関係(因果的連鎖) -(即ち)光子(光のエネルギーが目に届き),(網膜内の)桿体と錐体(rods and cones),視神経を通って脳に至る関係(つながり) -を有している経験を持っている。これらのすべての段階は,あなたが「椅子を見る」という視覚経験を持つためには必要なものである。あなたは目を閉じることによって光子(の衝突)を止める(目に対する刺激を止める)ことができるだろう。視神経は切断できるであろう。脳の(視覚に対応する)適切な部分(該当部分)は,弾丸によって(弾丸を脳に撃ちこめば)壊せるであろう。もしこれらのいずれかのものが起れば,あなたは「椅子を見る」ことはないであろう。
同様な考察は,生理学者が(今)吟味しつつあると思っているにもあてはまる。彼(生理学者)の中には,彼が見ていると思っている脳と,遠く隔たった因果関係(因果的連鎖)を有している経験が存在している。その脳(観察中の他人の脳)に関しては,彼の視覚に再生されるような構造的な諸要素のみを知ることができる(注:ディスプレイ画面に映しだされる脳の電子画像)。構造的でない(物的でない)特性に関しては何であれ,彼(生理学者)は何も知ることができない。脳(物質)の内容はそれに伴う精神の内容とは異なったものだと言う権利を,彼は持っていない。それが生きた脳であるならば,精神がそれにともなって存在することを,証拠や類推によって彼は証拠を持つが,死んだ脳の場合にはどちらの方面においても証拠に欠けている

We have not yet learned to talk about the human brain in the accurate language of quantum physics. Indeed we know too little about it for this language to be necessary. The chief relevance, to our problem, of the mysteries of quantum physics consists in their showing us how very little we know about matter, and, in particular, about human brains. Some physiologists still imagine that they can look through a microscope and see brain tissues. This, of course, is an optimistic delusion. When you think that you look at a chair, you do not see quantum transitions. You have an experience which has a very lengthy and elaborate causal connection with the physical chair, a connection proceeding through photons, rods and cones, and optic nerve to the brain. All these stages are necessary if you are to have the visual experience which is called “seeing the chair.” You may stop the photons by closing your eyes, the optic nerve may be severed, or the appropriate part of the brain may be destroyed by a bullet. If any of these things has happened you will not “see the chair.” Similar considerations apply to the brain that the physiologist thinks he is examining. There is an experience in him which has a remote causal connection with the brain that he thinks he is seeing. He can only know concerning that brain such elements of structure as will be reproduced in his visual sensation. Concerning properties that are not structural, he can know nothing whatever. He has no right to say that the contents of a brain are different from those of the mind that goes with it. If it is a living brain, he has evidence through testimony and analogy that there is a mind that goes with it. If it is a dead brain, evidence is lacking either way.
出典:Bertrand Russell : Mind and Matter (1950?)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/19501110_Mind-Matter130.HTM

<寸言>
2月4日(日曜)に放映されたNHKスペシャル(人体シリーズ)では「」の特集をしていた。脳の中を電気パルスが走り、メッセージ物質が次から次へと次の脳神経や脳細胞に渡されていく様子が映し出されていた。これほど詳細な映像が撮影できたのは初めてだとのことであるが、もちろんこれは量子レベルの話ではない。
科学によって解明できるのは物質(人体などの生命体も含む)の構造や機能に関することにとどまるので、その哲学的意味合いや解釈は人間に残されている。また、そういったすばらしい科学も間違いやすい人間(個々人)が採取したデータに基づいているという制約がある。(即ち、相対性理論も量子力学も絶対的な真理ではない。)