心の友 - 肝胆相照らす

conrad-time コンラッド(著名な作家  Joseph Conrad)が英国人の間にあって感じ,厳格な意志の努力でこらえていたこの人間の孤独が,コンラッドにとっていかに大きかったか(ということに気づき),私は時々,驚いたものである。

コンラッドのものの見方は,現代人の物の見方からは,はるかにかけはなれたものであった。現代世界には,2つの哲学がある。1つはルソーから由来するもので,「規律」を不必要なものとして脇に一掃してしまう。もう1つは,--その完全な表現を全体主義のうちに見ることができるが--「規律」を外部から課せられる本質的なものと考える。コンラッドは「規律」は(人間の心の)内部から来るべきものであるという古い伝統に固執した。彼は’規律のなさ’を軽蔑し,また単なる形式的な(外部からの)規律を嫌った。

すべてこうした点で,私は,自分が彼とほとんど一致していることがわかった。私たちは,まさに最初に会った時,語り合うほどに,しだいに親密度を増していった。私たちは,表面の層をしだいに通過し,2人とも,’中心部の炎’に到達したように感じた(注:地球の表面から掘り進み,マグマに達するというイメージか?)。それは,それまで自分が経験したいかなるものとも異なるものであった。私たちは,お互い,相手の目を見つめ合い,そういう場所(中心の炎の中)に一緒にいる自分たちを発見し,半ばぎょっとし,半ば陶酔した。その感動は,’情熱的な恋愛’のごとく強烈であり,同時に,すべてを包含する(包括的な)ものであった。私は,混乱(当惑)した気持ちでその場(コンラッドの家)を離れ,そうして日常的な事柄(雑事)にはほとんど手がつかなかった。

Conrad’s point of view was far from modern. In the modern world there are two philosophies: the one which stems from Rousseau, and sweeps aside discipline as unnecessary, the other, which finds its fullest expression in totalitarianism, which thinks of discipline as essentially imposed from without. Conrad adhered to the older tradition, that discipline should come from within. He despised indiscipline and hated discipline that was merely external.
In all this I found myself closely in agreement with him. At our very first meeting, we talked with continually increasing intimacy. We seemed to sink through layer after layer of what was superficial, till gradually both reached the central fire. It was an experience unlike any other that I have known. We looked into each other’s eyes, half appalled and half intoxicated to find ourselves together in such a region. The emotion was as intense as passionate love, and at the same time all-embracing. I came away bewildered, and hardly able to find my way among ordinary affairs.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 7:Cambridge Again, 1967]
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB17-100.HTM

[寸言]
kaisin ラッセルは(愛人であった)オットリン夫人の勧めに従ってコンラッドに会いにく。 そうして,少し話をしただけで,自分と人生観が一致していることに驚く。
ラッセルはコンラッドと考え方(理論的側面)が一致しているというわけではない。心的態度というか、人生観や世界観が似ているのであり,人間の孤独を両者とも身にしみて実感していた。

ラッセルは3歳までに両親と死に別れ、それ以後ケンブリッジ大学にあがるまで、厳しいが愛情のある祖母に育てられたが、大学にあがって親友を得るまでは孤独であった。いや、大学で多くの友を得ても、長い間につちかった孤独感(天涯孤独感)は消え去ることはなかった。