老人だけでなく、若い人でも活力が衰えると外界に興味を持てなくなり・・・

depression_in-the-elderly 人間は,(しだいに活力の衰えとともに)自分のことに注意を奪われ,見たり聞いたりすることや自分に直接関係のないものに興味を抱くことができなくなるこれは,人間にとって非常に不幸なことである。なぜなら,それは,よくて退屈を,悪くすれば憂鬱症を伴うからである。

Human beings are prone to become absorbed in themselves, unable to be interested in what they see and hear or in anything outside their own skins. This is a great misfortune to themselves, since it entails at best boredom and at worst melancholia;
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2: The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-110.HTM

[寸言]
官庁で高い役職についていた人の中には、定年退職後に、結局部下が自分に従っていたのは(自分の実力というより)ただ役職(権限)のおかげだったのだと気づき、定年後の暮らしが在職中とあまりにもかけ離れていることに「気落ちする」人が少なくないようである。(ひどい場合は「定年うつ病」あるいは「高齢者うつ病」になる人もいる。ただし、かわいい孫がいてその世話をできる人はあまり病気にかからない。)

その事を予想する者のなかで抜け目のない人間は、定年になるだいぶ前から、定年後も関連機関や監督企業などの理事ポストなどになんとか天下りできるように、その人事権をもっている人間(あるいはその上司)に働きかける。しかし、天下りポストは数が限られているので、多くの人の場合は、監督下にあった企業に「お荷物」として受け入れてもらい、環境や仕事があわずに数年でやめていく。(人事系の官僚で最も評価されるのは,天下りポストを新たに創ることに成功した者であるらしい。ある組織が古くなったので廃止するように勧告が出されると、その組織の人間を別の組織が吸収したり、別の組織から人を移して新しい組織を創ったりして、結局は、旧い組織よりもより大きな組織にして役職ポストを増やすことに成功することは稀ではない。いわゆる「焼け太り」いや、彼らにとっては「災い転じて福となす」である。)

天下りはできそうもない人でも、職場の仕事だけでなく、自分のライフワークを持つことができれば、そのような老人性憂鬱症にかからないようにすることができるであろう。ただし、定年退職が近づいてからでは遅すぎる。少なくとも、定年より10年以上前から準備する必要がある。

neet_hikikomori しかし、外界に関心が持てなくなるという問題は,現代においては、年配の人間だけのものでなく、ごく小数とは言えない一部の若い人の問題ともなっており、「ひきこもり」とか、NEET(ニート)とか呼ばれている。これは社会との関係だけでなく、親との関係においても起こりうることであり、結局は、自分ができることで本当にやりたいことを見つけれらないということが大きな原因となっている。