1945年11月28日,ラッセルは英国上院での演説で水爆の出現を予測し警告

KIHIRA-E 1940年代と1950年代の初期を通して,私の精神状態は,核の問題に関して混乱と動揺の状態にあった。私にとって,核戦争が起これば,人類の文明に終焉をもたらすだろうということは明らかだと思われた。もし東西の両陣営に政策の変化がなければ,遅かれ早かれ核戦争は確実に起こるということもまた明らかだと思われた。そうした危険(の認識)は,実は1920年代の初期から私の頭の片隅にあった(松下注:ラッセルは The ABC of Atoms, 1925 及び The ABC of Relativity, 1925 の著者であることに注意)。しかし,当時は,少数の学識のある物理学者たち来るべき危険についての鑑識眼を持っていたが,大多数の人々は -街頭の人々だけでなく科学者たちでさえも-「人間はそれほど馬鹿ではないだろう」などと気楽に言いながら,原子力戦争(核戦争)の見通しから目をそらしてきた。
1945年の広島と長崎への原爆投下は,初めて科学者と少数の政治家たちの注意を核戦争の可能性に向けさせた。日本のこの2つの都市への原爆投下の2,3ケ月後に,私は,英国国会の上院で演説をし,全面的核戦争が起こる可能性があること,そしてもし核戦争が起これば,全世界に惨事をもたらすことはまちがいないこと,を指摘した(松下注:1945年11月28日に演説)。私は,広島と長崎に投下された原爆よりもはるかに強力な核爆弾,すなわち従来の原子核分裂方式ではなく核融合方式の爆弾,つまり事実上現在の水素爆弾が製造されることを予言し,説明した。あの当時であったら,私が恐れていた軍拡競争はまだ始まっていなかったので,このような怪物を,戦争目的にではなく平和目的のために使用するようある種の統制を強いることもできた。・・・。

Throughout the forties and the early fifties, my mind was in a state of confused agitation on the nuclear question. It was obvious to me that a nuclear war would put an end to civilisation. It was also obvious that unless there were a change of policies in both East and West a nuclear war was sure to occur sooner or later. The dangers were in the back of my mind from the early ‘twenties. But in those days, although a few learned physicists were appreciative of the coming danger, the majority, not only of men in the streets, but even of scientists, turned aside from the prospect of atomic war with a kind of easy remark that ‘Oh, men will never be so foolish as that’. The bombing of Hiroshima and Nagasaki in 1945 first brought the possibility of nuclear war to the attention of men of science and even of some few politicians. A few months after the bombing of the two Japanese cities, I made a speech in the House of Lords pointing out the likelihood of a general nuclear war and the certainty of its causing universal disaster if it occurred. I forecast and explained the making of nuclear bombs of far greater power than those used upon Hiroshima and Nagasaki, fusion as against the old fission bombs, the present hydrogen bombs in fact. It was possible at that time to enforce some form of control of these monsters to provide for their use for peaceful, not war like, ends, since the arms race which I dreaded had not yet begun.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-030.HTM

[寸言}
1945年11月28日,ラッセルは英国上院(貴族院)での演説で★水爆の出現を予測し警告した。(演説内容の全文 http://russell-j.com/cool/SP194511.HTM )だが大衆だけでなく科学者たちでさえも「人間はそれほど馬鹿ではないだろう」などとあまり気に留めなかった。その結果は、米ソによる各軍備競争だけでなく、現在では(わかっているだけでも)核保有国は8ケ国にのぼっており、いずれテロリストが強奪により保有するようになるのではないかと恐れられている。広島型(程度の)原爆であれば、バズーカ砲で撃てるほど小型化が進んでおり、ニューヨークやパリなどの大都会で使用されたら大変悲惨なことになってしまう。世界政府的な強力な核兵器の管理組織がないかぎり、数十年後かもしれないが、いずれ後悔する事態が発生するのではないか・・・!?