米国政府を批判したためにピューリッツァー賞を得る機会を逃す!?

TPJ-WCV 時々私は,北ヴェトナムの人々から,ヴェトナム戦争における多様な展開について意見を言うよう求められてきた。彼らは,ニューヨーク・タイムズ紙の副主幹であるハリソン・ソールズベリー氏(Harrison Evans Salisbury,1908-1993)が新聞記者としてハノイを訪問することを許可することは好ましいかどうか,私の助言を求めてきた。
ソールズベリー氏はかつて,ウォーレン委員会報告書(注:ケネディ暗殺に関する調査委員会の報告書)の紹介記事のなかで私を攻撃したことがあり,彼はその紹介記事の中で,同委員会は「委員会が発見し得るあらゆる微細な証拠をも網羅的に調べあげた」と書いていた。これらのコメントはその後間もなく馬鹿げたものであることがわかった。
しかし,北ヴェトムの一般市民に対する広範にわたる爆撃の証拠を無視することには相当な困難を彼は感じているのではないかと疑った。(そこで)私は,彼のハノイ訪問は引き受ける価値のあるリスクである,と勧めた。そうして,それから何週間かして彼のハノイ報告(記事)を読んでうれしく思った。彼のハノイからの報告はワシントン政府(当局)を狼狽させた。多分それは彼がピューリッツァー賞を得る機会を失わせたであろう.

Occasionally I have been invited by the North Vietnamese to give my opinion about various developments in the war. They asked my advice as to the desirability of permitting Mr Harrison Salisbury, Assistant Managing Editor of the New York Times, to visit Hanoi as a journalist. Mr Salisbury had previously attacked me in his introduction to the Warren Commission’s Report, in which he wrote of the Commission’s ‘exhaustive examination of every particle of evidence it could discover’. These comments were soon seen to be ridiculous, but I suspected that he would have great difficulty in ignoring the evidence of widespread bombardment of civilians in North Vietnam. I recommended that his visit was a risk worth taking, and was pleased to read, some weeks later, his reports from Hanoi, which caused consternation in Washington and probably lost him a Pulitzer Prize.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 ,chap4:The Foundation,(1969)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB34-250.HTM

[寸言}
(注)ソールズベリー(報告)が2回目のピューリッツァー賞の受賞を逃したのは,北ヴェトムの一般市民に対するアメリカによる無差別の爆撃について新聞に書いてアメリカ政府を批判したため(またアメリカの愛国者たちを刺激したため)であろう,という意味。
なお,ソールズベリーは,1955年に1回目のピューリッツァー賞を,1963年にジョージ・ポーク賞を受賞している。