「知的戯言」カテゴリーアーカイブ

“more than one meaning”の日本語訳

 以下は、明日配信予定の(メルマガ)「バートランド・ラッセルの英語 」(n2539)の原稿です。  

 早とちりで不用意な日本語訳をしないように注意 – たとえば、
  ”more than one meaning”を文字面だけで日本語にしたりしいない」===================================================
英語学習の某参考書から引用
 次の英文のなかの ###以降の部分を日本語に訳しなさい

Equivocation means using words ambiguously. Often done with
intent or deceive, it can even deceive the person who is
using the expression. ### Equivocation occurs when words are
used with more than one meaning, even though the soundness of
the reasoning requires that the same use be kept throughout.

 ”Equivocation”は難しい単語ですが、その説明が最初に書かれていますので、この単語の意味が分からなければ解答できないということはありません。”ambiguously”(曖昧に)は意味を知っていなければいけない単語ですが、###以降で言い換えられています。

  ”more than”を「・・・以上」と訳すのは間違いです。「1つ以上」は「1つ」を含みます。従って「複数(←2つ以上)」と訳さないといけません。すると、次のような訳になります。

 「論理の健全性のためには同じ(意味での)使い方を続けることが必要であるにもかかわらず、単語が複数の意味で使用される場合、曖昧さが生じる。
==================================================

 ”more than one” “not more than one” について見ると・・・

1.ラッセルの用例

I think all the great religions of the world – Buddhism, Hinduism,
Christianity, Islam, and communism – both untrue and harmful. It is
evident as a matter of logic that, since they disagree, not more than
one of them can be true.
[世界の全ての偉大な宗教 – 仏教,ヒンズー教,キリスト教,イスラム教及び共産主義(注:ラッセルから見れば狂信的な「共産主義」も宗教の一種)- は,真理でない(虚偽である)と同時に有害である,と私は考える。論理の問題として見れば明らかなことであるが,それらの偉大な宗教はお互い意見が合わない以上(注:いずれも自分たちが「絶対に正しい」と言っている以上),正しい可能性のある宗教は,せいぜい一つだけである(=「可能性」なので,全ての宗教が誤りであることも十分ありうるというニュアンス)。
 出典:ラッセル「なぜ私はキリスト教徒ではないか」
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/reitan-n013.htm

It is also now generally known by those who have taken the trouble to
look into the matter that only an international government can prevent
war, and that civilization is hardly likely to survive more than one
more great war, if that.
[また,問題を(真摯に)研究する労をとった人々の間では,国際的な政府(を創ること)のみが戦争を妨止できるのであり,もし戦争が起これば,さらなる世界大戦が複数回起こった後には,文明が存続することはほとんどありそうもない。]

  • 1回と訳すのと2回と訳すのでは非常に大きな違いがでてきてしまいます。残念ながら、定評のある市井三郎先生の訳(理想社刊『人類の将来』)でも「1回以上」となっています。
     出典:ラッセル「人類に害を与えてきた思想」
     詳細情報:https://russell-j.com/beginner/0861HARM-200.HTM

Such functions can only be generated by the sort of relation which I
call ‘one-many’ – i.e. the sort of relation which not more than one
term can have to any other.
[「一対多」の関係とは、任意の他の項に対して、ただ1つの項のみ(not more than one)が持つことができるような(2つ以上の項を持ち得ない)関係である。]

  • 残念ながら、評判のよい野田又夫先生の訳(みすず書房『私の哲学の発展』でも「1つ以上の項を持ち得ない」と訳されています。これでは「1」つの項しか持っていない「1対多」の関係は存在しなくなります。
     出典:ラッセル『私の哲学の発展』第8章 「数学原理ーその数学的側面」
     詳細情報: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_08-050.HTM

2.参考

  • 現在の版では修正されているでしょうが、下記の評判の良い英和辞典では不適切な誤訳をしています。2年は経過をしていないのなら、1年よりも長く滞在した」とする必要があります。因みに、同じ研究社の英和大辞典ではそんな不注意な訳はしていません。
     She stayed in Paris (for) more than one year.
     「彼女はパリに1年以上滞在した。」
     出典:『研究社中辞典-第4版』p.986

    More than three books 
     [4冊以上の本]
     出典:『研究社新英和大辞典』

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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(22)」(終)

 現代の世界は,二種類のことを必要としている(注:stands in need 必要な状態にある)。一方では,組織が必要であり,戦争をなくすための政治的組織,特に戦争によって荒廃させられた国々において,人々を生産的に働かせるような経済的組織,健全な国際主義を産み出すための教育的組織が必要である。他方で,現代世界は,ある種の道徳的特性(注: moral qualities 倫理的素質/倫理的優良性) -長年の間,モラリストたちによって唱道されてきたけれどもこれまでほとんど身につかなかったような諸特性(素質)- を必要としている。もっとも必要な(倫理的)特性は,慈愛と寛容とであり,種々の激しい主義が提供するような,何らかの形態の狂信的な信念ではない。
私はこれら二つの目的,すなわち組織の目的と倫理的な目的とは,相互に密接に織り合わされていると考える。いずれか一方が与えられれば,他方は間もなく生じてくるであろう。しかし,実際には,もしも世界が正しい方向に動くべきであるとするならば,両面が同時に動かねばならないであろう。戦争の自然な余波である悪しき情熱が,徐々に減少してゆかねばならないであろうし,また人類が相互に助けあえるような組織を,徐々に増やしてゆかねばならないであろう。我々の全てが一つの家族であり,この家族のどの部分の幸福も,他の部分の荒廃の上にしっかりと築くことはできないという, 知的であると同時に道徳的な認識がなければならないであろう。現代においては,道徳的欠陥が明噺な思考を妨げており(注:stand in the way of clear thinking),混乱した思考(明晰な思考ができないこと)が道徳的欠陥に拍車をかけている。私はあえてそれを望もうとするものではないが,ことによると(perhaps)水素爆弾が人類を恐怖させ,人類を正気と寛容さとに追いこむだろう(注:perhaps なので、可能性が大きいわけではない。)。もしもそのようなことになれば,我々は水爆の発明者を祝福していい理由をもつことになろう(注:水爆の存在を評価してわけではなく,「もし万が一でもそういう結果をもたらせば・・・」という,逆説的な言い方をしている)。(終)
The world at the present day stands in need of two kinds of things. On the one hand, organization – political organization for the elimination of wars, economic organization to enable men to work productively, especially in the countries that have been devastated by war, educational organization to generate a sane internationalism. On the other hand it needs certain moral qualities – the qualities which have been advocated by moralists for many ages, but hitherto with little success. The qualities most needed are charity and tolerance, not some form of fanatical faith such as is offered to us by the various rampant isms. I think these two aims, the organizational and the ethical, are closely interwoven; given either the other would soon follow. But, in effect, if the world is to move in the right direction it will have to move simultaneously in both respects. There will have to be a gradual lessening of the evil passions which are the natural aftermath of war, and a gradual increase of the organizations by means of which mankind can bring each other mutual help. There will have to be a realization at once intellectual and moral that we are all one family, and that the happiness of no one branch of this family can be built securely upon the ruin of another. At the present time, moral defects stand in the way of clear thinking, and muddled thinking encourages moral defects. Perhaps, though I scarcely dare to hope it, the hydrogen bomb will terrify mankind into sanity and tolerance. If this should happen we shall have reason to bless its inventors.
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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(21)」

しかもそのこと(多数決原理)を民主主義者が信じるのは,普通の人の英知に関するいかなる神秘的概念からではなく,専制的暴力の支配のかわりに法の支配を代置するための,最良の実際的方策としてである。また民主主義者は,民主主義がいかなる時にもいかなる場所においても最良の体制であると必ずしも信じているわけではない。議会制度が成功するために必要な自制心と政治的経験とを欠いている国民は多くあり,そのようなところにおいては,民主主義者は,自分が必要な政治教育を手に入れることを望む一方,挫折することがほとんど確実であるような(民主主義)体制を,時機尚早に,その国民に無理に押し付けることは無益である,と認識するであろう。他の事においてもそうだが,政治においても物事を絶対的に取り扱うことは適切ではない(it does not do :適切ではない)。ある時期やある場所において良いものも,時と所を変えれば悪いものとなるかもしれないし,ある国民の政治的本能を満足させるものが他の国民にほまったく無益なものに思われるかも知れない。民主主義者の一般的意図は,力による政治を一般の同意による政治で置き換えることであるが,これには,ある種の一定の訓練を経験した民衆が必要となる。ある国民が,相互に憎みあっているようなほぼ同数の二つの部分にわかれていて,互いに相手ののど笛にとびかかりたがっているような状態があるとすれば,半数より少し少ない方の側は,他の側の支配におとなしく従わないであろうし,また半数より少し多い方の側は,勝利のあかつきには,両者の不和を癒やすような穏健な態度を示さないであろう。
And this he believes not from any mystic conception of the wisdom of the plain man, but as the best practical device for putting the reign of law in place of the reign of arbitrary force. Nor does the democrat necessarily believe that democracy is the best system always and everywhere. There are many nations which lack the self-restraint and political experience that are required for the success of parliamentary institutions, where the democrat, while he would wish them to acquire the necessary political education, will recognize that it is useless to thrust upon them prematurely a system which is almost certain to break down. In politics, as elsewhere, it does not do to deal in absolutes; what is good in one time and place may be bad in another, and what satisfies the political instincts of one nation may to another seem wholly futile. The general aim of the democrat is to substitute government by general assent for government by force, but this requires a population that has undergone a certain kind of training. Given a nation divided into two nearly equal portions which hate each other and long to fly at each other’s throats, that portion which is just less than half will not submit tamely to the domination of the other portion, nor will the portion which is just more than half show, in the moment of victory, the kind of moderation which might heal the breach.
Source: Ideas That Have Harmed Mankind,1946
     Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 1
  More info.: https://russell-j.com/beginner/0861HARM-210.HTM

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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(20)」

 道徳的な観点から純粋に知的な観点へ移ることにして,我々は,政治家が政治的決断をする際に助けとなるような因果法則を確立する方向(途上)において社会科学は何をなしうるかと,自問自答しなければならない。現実的な重要性を持つ若干のこと -たとえば前の戦争(注:第二次世界大戦)の後に世界を苦しめたような不況や大規模な失業はどうすれば回避できるか- はすでに認識され始めている。また,問題を(真摯に)研究する労をとった人々の間では,国際的な政府(を創ること)のみが戦争を妨止できるのであり,もし戦争が起これば,さらなる世界大戦が複数回起こった後には,文明が存続することはほとんどありそうもない(注:人類は絶滅しなくても,文明は再生しそうもない,といったニュアンス: more than one more great war :more than one 1回より多く=2回以上→複数回/ more than one more great war : さらなる大戦が複数回/従って「1回以上」(再び)と訳してはいけない),ということは一般に理解されている。しかし,これらのは知られてはいるが,その知識は有効な効果を及ぼしていない。その知識は巨大な大衆には惨透しておらず,また(J. ベンサムの言う)邪悪な利益(注:sinister interests 支配する少数者の既得権益)をコントロールするほどの力をもっていない。実際のところ,政治家たちが進んで適用しようとするあるいは適用できる以上に,多量の社会科学が存在している。このような欠陥を,民主主義のせいにする人々もいるが,私には,独裁主義国(専制主義国)における方が他のどの国よりも,その欠陥が顕著であると思われる。けれども,他のいかなる信念とも同様に,民主主義を支持する信念も,それが狂信的であり従って有害であるような地点にまで,運ばれていってしまうかも知れない(しまうことがありうる)のである。過半数が常に賢明な決定をおこなう,などと民主主義者は信じる必要はない。彼が信じなければならないのは,過半数の決定をそれが賢明であると否とにかかわらず,過半数が異なった決定をする時がくるまで,受け容れなければならない,ということである。
Passing from the moral to the purely intellectual point of view, we have to ask ourselves what social science can do in the way of establishing such causal laws as should be a help to statesmen in making political decisions. Some things of real importance have begun to be known, for example how to avoid slumps and largescale unemployment such as afflicted the world after the last war. It is also now generally known by those who have taken the trouble to look into the matter that only an international government can prevent war, and that civilization is hardly likely to survive more than one more great war, if that. But although these things are known, the knowledge is not effective; it has not penetrated to the great masses of men, and it is not strong enough to control sinister interests. There is, in fact, a great deal more social science than politicians are willing or able to apply. Some people attribute this failure to democracy, but – it seems to me to be more marked in autocracy than anywhere else. Belief in democracy, however, like any other belief, may be carried to the point where it becomes fanatical, and therefore harmful. A democrat need not believe that the majority will always decide wisely; what he must believe is that the decision of the majority, whether wise or unwise, must be accepted until such time as the majority decides otherwise.
Source: Ideas That Have Harmed Mankind,1946
     Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 1
  More info.: https://russell-j.com/beginner/0861HARM-200.HTM

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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(19)」

 私的な生活におけると同様に,公的な生活においても,重要なことは,将来を読みとる超人間的な能力を仮定しない(注:without the presumption of a superhuman ability 超人的な能力があると言う僭越さのない)寛容及び優しさ(親切心)である。
 この小論を「人類に害を与えてきた思想」と名づけるかわりに,「思想は人類に害を与えてきた」と端的に名づけた方が,おそらく,よかったかもしれない。というのは,未来は予言できないこと,また未来に関する可能な信念にはほとんど果てしないと言える多様性があるということ,を理解すると,ある人間が抱くかも知れないいかなる信念も,それが真となりうる見込みはきわめてわずか(slender)であるからである。10年後に起こるであろう,と(我々が)どのようなことを考えても,それが人間関係とはまったく関係がない「明日も太陽が昇る」といったようなことでない限り,我々の考えが誤まりであることはほぼ確実である。私自分自身が性急に行ったいくつかの陰うつな予言を思い出す時,このような考えは,私の心を慰めるものであると感じるのである。
 しかしあなたは言うだろう。将来がある程度予言できるという仮定に立たないとすれば,政治的手腕(政治家の手腕)はどのようにして可能になるのか,と。私は,ある程度の予知(先見)が必要であることを認める。また,我々はまったく無知だということを示唆しているつもりもない。もし諸君がある人に向かって,お前は悪党(knave)で愚かだと言えばその人はあなたを愛さないであろう,というのはまともな予言である。また諸君が同じことを七千万の国民(注:英国民のこと?)に言えば,その国民はあなたを愛さないであろう,というのも正当な予言(fair prophecy)である。お互いの生命を脅やかすような競争が,競争者の間に良い仲間意識(連帯感)という感情を産まないだろう,と仮定することは安全である。もしも,近代的な武装を有する2つの国家が前線で対峙していて,両国の指導者が互いに他を侮辱しあうことに専念するとしたら,両方の国民がそのうちに神経質になり,一方の側が他方の側からの攻撃を恐れて攻撃を始めるということも,とてもありそうなことである。(それから)現代における大規模な戦争は戦勝国側においてさえ繁栄の水準を上げないであろう,と仮定することも安全である。こういった一般化を理解することは,難しいことではない。難しいのは,具体的な政策が長期的にどのような結果をもたらすか,といったことを詳細に予見することである。ビスマルク(注:ドイツの鉄血宰相)は異常な機敏さによって,三度の戦争に勝利してドイツを統一した。(しかし)彼の政策の長期的結果は,ドイツが二度のとてつもなく大きな敗北(注:第一次世界大戦tと第二次世界大戦での敗戦)を被った,ということであった。そのような結果が生じたのは,ビスマルクがドイツ人たちに,自国以外のすべての国々の利害(国益)に無関心であれと教え,侵略的精神を生み出し,そのことが世界中を結束させ,ビスマルクの後継者たちに敵対させるにいたったからである。限度を越えた利己心は,それが個人の場合であれ国家の場合であれ,賢明とはいえない。その利己心が運よく成功をもたらすこともありうるが,それが失敗した場合には,その失敗は恐るべきものとなる。理論によって支えられない限り,このような危険を冒す人々はごく少ないであろう。というのは,人々を完全に慎重でなくさせるものは,理論だけだからである。
In public, as in private life, the important thing is tolerance and kindliness, without the presumption of a superhuman ability to read the future.
Instead of calling this essay ‘Ideas that have harmed mankind’, I might perhaps have called it simply ‘Ideas have harmed mankind’, for, seeing that the future cannot be foretold and that there is an almost endless variety of possible beliefs about it, the chance that any belief which a man may hold may be true is very slender. Whatever you think is going to happen ten years hence, unless it is something like the sun rising tomorrow that has nothing to do with human relations, you are almost sure to be wrong. I find this thought consoling when I remember some gloomy prophesies of which I myself have rashly been guilty.

But you will say: how is statesmanship possible except on the assumption that the future can be to some extent foretold? I admit that some degree of prevision is necessary, and I am not suggesting that we are completely ignorant. It is a fair prophecy that if you tell a man he is a knave and a fool he will not love you, and it is a fair prophecy that if you say the same thing to seventy million people they will not love you. It is safe to assume that cutthroat competition will not produce a feeling of good fellowship between the competitors. It is highly probable that if two States equipped with modern armament face each other across a frontier, and if their leading statesmen devote themselves to mutual insults, the population of each side will in time become nervous, and one side will attack for fear of the other doing so. It is safe to assume that a great modern war will not raise the level of prosperity even among the victors. Such generalizations are not difficult to know. What is difficult is to foresee in detail the long-run consequences of a concrete policy. Bismarck with extreme astuteness won three wars and unified Germany. The long run result of his policy has been that Germany has suffered two colossal defeats. These resulted because he taught Germans to be indifferent to the interests of all countries except Germany, and generated an aggressive spirit which in the end united the world against his successors. Selfishness beyond a point, whether individual or national, is not wise. It may with luck succeed, but if it fails failure is terrible. Few men will run this risk unless they are supported by a theory, for it is only theory that makes men completely incautious.

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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(18)」

 神に与えられた使命だと信じることは,これまで人類を苦しめてきた確信の多くの形態の一つである。恐らく,今までに言われた言葉のうちで,もっとも賢明なものの一つは,ダンバーの戦いの前に,クロムウェルがスコットランド人に言った次のような言葉だと思う。「キリストの慈悲において,あなた(方)に懇願します。自分(たち)が間違っていることもありうる,と考えてください。」しかし,スコットランド人は,そうは考えなかったので,クロムウェルは戦いで彼等を打ち破らねばならなかった。しかし,クロムウェルが,同じ言葉(物言い)を一度も自分自身に対して言わなかったのは,残念なことである。人間が(同じ)人間に対して行ってきた最大の悪の大部分は,実際は誤まっている何事かについて,まったく確実だと感じた人々によって(を通して)行なわれてきたことである。真理を知ることは,大部分の人々が考えるよりももっと難しいことであり,真理を独占するのは自分たちの党派だ,と信じて無慈悲な決意を持って行動することは,大きな災害を招くことである。現在におけるある種の悪は,将来におけるいくらか疑わしい利益のためにあえて行う価値がある,という長期的な推定(計算)は,常に疑いを持って眺めなければならない。なぜなら,シェイクスピアが言っているように,「将来というものは,いまだ確実ではない」からである。最も洞察力のある人でさえ,十年もの将来を予言するような場合には,ひどく外れがちである。このような説を不道徳だと考える人がいるかも知れないが,結局のところ,「明日を思い煩うことなかれ」と述べているのは聖書なのである。
Belief in a Divine mission is one of the many forms of certainty that have afflicted the human race. I think perhaps one of the wisest things ever said was when Cromwell said to the Scots before the battle of Dunbar: ‘I beseech you in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken.’ But the Scots did not, and so he had to defeat them in battle. It is a pity that Cromwell never addressed the same remark to himself. Most of the greatest evils that man has inflicted upon man have come through people feeling quite certain about something which, in fact, was false. To know the truth is more difficult than most men suppose, and to act with ruthless determination in the belief that truth is the monopoly of their party is to invite disaster. Long calculations that certain evil in the present is worth inflicting for the sake of some doubtful benefit in the future are always to be viewed with suspicion, for, as Shakespeare says: ‘What’s to come is still unsure.’ Even the shrewdest men are apt to be wildly astray if they prophesy so much as ten years ahead. Some people will consider this doctrine immoral, but after all it is the Gospel which says ‘take no thought for the morrow’.
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「疑似関係詞としての”as”(as の直後が名詞が欠落した構造のもの)」

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 佐藤ヒロシ『andとasの底力』(プレイス、2015年刊)pp.133-1344から引用

 ”as”の訳語を考えるにあたっては、まず品詞(前置詞か、接続詞)を確認する必要があります。・・・。
 ”as”が(次の例のように)後続に名詞(主語か目的語)の欠落した文を伴う場合は「関係代名詞」とされますが、これ”which”や”who”などの純粋な関係
詞とは異なり、本来の用法である接続詞的な性格が残っています。(よって、疑似関係詞と呼ばれます。) As ● is evident form his accent, he is a German.
(なまりからも明らかだが、彼はドイツ人だ。主語●が欠落k
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 ラッセルの用例

Happiness, as is evident, depends partly upon external circumstances
 and partly upon oneself.
[幸福は--明らかなことであるが--一部は外部の環境に、一部は自分自身に依存している]
 出典:ラッセル『幸福論』第17章「幸福な人」
 詳細:https://russell-j.com/beginner/HA28-010.HTM

Love is an experience in which our whole being is renewed and refreshed
as is that of plants by rain after drought. In sex intercourse without
 love there is nothing of this.
[草木が日照りの後の雨で生きかえるように,愛は,私たちの全存在が新しくよみがえり,生き生きとさせる1つの経験である。]
 出典:ラッセル『幸福論』第4章「退屈と興奮」
 詳細:https://russell-j.com/beginner/HA14-070.HTM

The qualities most needed are charity and tolerance, not some form of
fanatical faith such as is offered to us by the various rampant isms.
[もっとも必要な(倫理的)特性は,慈愛と寛容とであり,種々の激しい主義が提供するような,何らかの形態の狂信的な信念ではない。]
 出典:ラッセル「人類に害を与えてきた思想」
 詳細:https://russell-j.com/beginner/0861HARM-220.HTM

Fear is the source from which all these evils spring, and fear, as is
apt to happen in a panic, inspires the very actions which bring about
 the disasters that are dreaded.
[恐怖(心)はこれらのあらゆる害悪が生じる源泉であり、そうして(しかも)恐怖心は、パニックに陥った時に起こりがちなように,恐れられている惨害をもたらす当該行為を起こさせる(のである)]
 出典:ラッセル「オーウェルの『1984年』の徴候」
 詳細:https://russell-j.com/beginner/1070_SoO-090.HTM

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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(17)」

 人間や国民が服従することがありうる最も興味深くかつ有害な妄想の一つは,自分たちは神の意志(神意)を実行するための特別な器(instruments 道具/手段)である,と想像することである。 (古代)イスラエル人が約束の地に侵入した時,神の目的を達成しつつあるのはイスラエル人であり,(侵入を受けた側の)ヒッタイト人やギラシ人やアモル人やカナン人やペリズ人やヒブ人あるいはジェブス人の方ではない,と(言ったのを)我々は知っている。もしもイスラエル人以外のこれらの種族が長い歴史書を書いていたならば,恐らく,この事柄(事態)は少し異なって描かれたであろう。ヒッタイト人は,事実,若干の碑文を残しており,これらの碑文からは,彼等が神に見放された哀れな人々であるなどとは,けっして推測できない。またローマは,「事実に従って(‘after the fact’)」,神々によって世界を征服するように運命づけられている,ということが(古代ローマ人には)わかった(のである)。その後回教徒たちが次のような狂信的な信念を持ってやってきた。その信念とは,「真の信仰」のために戦死する全ての軍人は直接極楽へいけるのであり,その極楽は,美人が竪琴よりも魅力があるのと同様に,キリスト教徒の天国よりも魅力がある,というものであった。またクロムウェルは,自分はカトリック教徒や造反者(malignants)を弾圧し,正義を達成する器として神の使命を受けた人間である,と確信していた。アンドルー・ジヤクソン(第7代の米国大統領)は,安息日の掟を破る抑圧者スペイン人の重荷から北アメリカを解放するという,「明白な使命(Manifest Destiny 明白な神意)」(注:アメリカの西部開拓を正当化する標語)の代行者だった(のである)。
 我々の時代(現代)においては,神の剣(神剣)はマルクス主義者の掌中にぎられるている。ヘーゲルは,運命論的な論理を伴った弁証法が,ドイツに至高の位置を与えていると考えた。マルクスは言った。(至高の位置を与えられているのは)「ドイツにではなく,プロレタリア階級にである」と。この教義は,「選民」や「あきらかな使命(あきらかな神意)」といったそれ以前の教義に親近性がある。運命論的な性格を有するその教義(注:マルクス主義)は,対立者の闘争を運命にさからう闘争とみなし,そうして賢明な人間はできるだけ早く勝利を得る側につく(身を置く)だろう,と論じた。これが,その議論が政治的に役に立つものとなる理由である。それに対する唯一の異議は,理性的な人間なら誰も主張しない(no rational man can lay claim)ところの神の目的についての知識をその教義は当然のこととしていることであり,また,その目的なるものを達成するに際に,もし我々の綱領がただ単に世俗的起源をもつにすぎないとすれば断罪されるような冷酷な残酷性を,その立場(マルクス主義)が正当化していることである。神が我々の側(味方)だ,と知っている(承知している)ことは気持がよいが,敵もまた同様に逆に自分たちこそそのことを知っていると確信している,ということがわかれば,少し事は面倒である。第一次世界大戦中に,某詩人(注: Ernst Lissaue, 1882-1937/ エルンスト・リサウアー)が書いた不滅の数行を引用しよう。

(ドイツ)の神(Gott)は英国を罰し(strafe),
(英国の)神(God)は英国の国王を救う。
この神,あの神,その他の神
「やれ,やれ」と(本物の)神は言う。
「吾輩の仕事はとりあげられておる。」

One of the most interesting and harmful delusions to which men and nations can be subjected, is that of imagining themselves special instruments of the Divine Will. We know that when the Israelites invaded the Promised Land it was they who were fulfilling the Divine Purpose, and not the Hittites, the Girgashites, the Amorites, the Canaanites, the Perizites, the Hivites, or the Jebbusites. Perhaps if these others had written long history books the matter might have looked a little different. In fact, the Hittites did leave some inscriptions, from which you would never guess what abandoned wretches they were. It was discovered, ‘after the fact’, that Rome was destined by the gods for the conquest of the world. Then came Islam with its fanatical belief that every soldier dying in battle for the True Faith went straight to a Paradise more attractive than that of the Christians, as houris are more attractive than harps. Cromwell was persuaded that he was the Divinely appointed instrument of justice for suppressing Catholics and malignants. Andrew Jackson was the agent of Manifest Destiny in freeing North America from the incubus of Sabbath-breaking Spaniards. In our day, the sword of the Lord has been put into the hands of the Marxists. Hegel thought that the Dialectic with fatalistic logic had given supremacy to Germany. ‘No,’said Marx,’not to Germany,but to the Proletariat’. This doctrine has kinship with the earlier doctrines of the Chosen People and Manifest Destiny. In its character of fatalism it has viewed the struggle of opponents as one against destiny, and argued that therefore the wise man would put himself on the winning side as quickly as possible. That is why this argument is such a useful one politically. The only objection to it is that it assumes a knowledge of the Divine purposes to which no rational man can lay claim, and that in the execution of them it justifies a ruthless cruelty which would be condemned if our programme had a merely mundane origin. It is good to know that God is on our side, but a little confusing when you find the enemy equally convinced of the opposite. To quote the immortal lines of the poet during the First World War:

Gott strafe England, and God save the King.
God this, and God that, and God the other thing.
‘Good God,’ said God, ‘I’ve got my work cut out.’

 Source: Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946 Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
 More info.: https://russell-j.com/beginner/0861HARM-170.HTM

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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(16)」

 信条に関する自尊心(高慢さ/うぬぼれ)は,(階級的差別感情)と同様の感情のもう一つの変種である。私は,中国(注:1920~1921年にかけて約1年滞在)から戻って間もない頃,アメリカの多くの婦人クラブで,中国について講演を行った。いつも(毎回),講演中には居眠りしていたようでありながら,終りにやや尊大に次のような質問をする一人の年配の婦人がいた(注:以下のことをラッセル及び聴衆に言いたいために,ラッセルが講演するところ全てにかけつけた,と想像される)。即ち,中国人は異教徒(heathen)なんだから,いうまでもなく有徳であるはずがないことについてなぜ私が言及しなかったか,という質問であった。ソルトレーク・シティのモルモン教徒たちは,非モルモン教徒が初めて仲間入りを許されたときには,同様な態度をとったにちがいない,と私は想像する。中世の全期間を通じて,キリスト教徒とマホメット教徒とは,互いに相手の邪悪さを確信しており,自分たちの宗教(信条)の優越性を疑うことができなかったのである。
 すべて以上のようなことは,自ら(or 自分たち)を「素晴らしい(grand)」と感じる愉快なやり方である。我々は幸福であるためには,自尊心(うぬぼれ)に対するあらゆる支えが必要である。我々は人間だ,従って,人間が天地創造の目的である。また,我々はアメリカ人だ,従って,アメリカは神の国であるとか,我々は白人だ,従って,神は黒人であるハム族やその子孫を呪ったのだとか,我々はプロテスタント(あるいはカトリックだ,従って,カトリック(あるいはプロテスタン)は嫌悪すべき対象であるとか,我々は男性だ,従って,女性は理性的でない,あるいは私は女性だ,従って,男性は獣だとか,我々は東洋人だ,従って,西洋人は乱暴であり,毛むくじやであるとか,我々は西洋人だ,従って,東洋は衰退している,などという。(また)我々は頭脳で労働している,従って,重要なのは教育を受けた階級であるとか,あるいは、我々は手を使って労働している,従って,手を使った労働(筋肉労働/肉体労働)のみが尊厳である,とかいう。最後に,とりわけ,我々の各々が,我々は「自己」(ユニークな自己を持つ存在)であるという,まったく独自の長所を一つもっている。以上のような心慰める内省(熟考)をいだいて,我々は,外に出て世間(世界)と闘かうのであり,そのような内省がなければ,吾々の勇気は挫けるかもしれないのである。現状のままでは,そのような内省がなければ,我々は,平等という感情を学んでいないので,劣等感を感じることだろう。もしも我々が,自分は隣人と平等であり,彼等に優越するものでも劣るものでもない,ということを真に感じることができるならば,恐らく,人生はより闘争的でなくなるだろうし,また空元気(Dutch courage)を出すために自分たちを酔わせるような神話を必要とする度合はより少なくなるであろう。

Pride of creed is another variety of the same kind of feeling. When I had recently returned from China I lectured on that country to a number of women’s clubs in America. There was always one elderly woman who appeared to be sleeping throughout the lecture, but at the end would ask me, somewhat portentously, why I had omitted to mention that the Chinese, being heathen, could of course have no virtues. I imagine that the Mormons of Salt Lake City must have had a similar attitude when non-Mormons were first admitted among them. Throughout the Middle Ages, Christians and Mohammedans were entirely persuaded of each other’s wickedness and were incapable of doubting their own superiority.
All these are pleasant ways of feeling ‘grand’. In order to be happy we require all kinds of supports to our self-esteem. We are human beings, therefore human beings are the purpose of creation. We are Americans, therefore America is God’s own country. We are white, and therefore God cursed Ham and his descendants who were black. We are Protestant or Catholic, as the case may be, therefore Catholics or Protestants, as the case may be, are an abomination. We are male, and therefore women are unreasonable; or female, and therefore men are brutes. We are Easterners, and therefore the West is wild and woolly; or Westerners, and therefore the East is effete. We work with our brains, and therefore it is the educated classes that are important; or we work with our hands, and therefore manual labor alone gives dignity. Finally, and above all, we each have one merit which is entirely unique, we are Ourself. With these comforting reflections we go out to do battle with the world; without them our courage might fail. Without them, as things are, we should feel inferior because we have not learnt the sentiment of equality. If we could feel genuinely that we are the equals of our neighbors, neither their betters nor their inferiors, perhaps life would become less of a battle, and we should need less in the way of intoxicating myth to give us Dutch courage.
 Source: Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946 Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
More info.: https://russell-j.com/beginner/0861HARM-160.HTM

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ラッセル「人類に害を与えてきた思想(15)」

 急速になくなりつつあるもう一つの種類の優越性は,階級における優越性であり,これは,現在ソビエト・ロシアにだけ生き残っている(注:1946年時点のこと。共産主義中国が成立したのは1949年であることに注意)。その国においては,プロレタリア(無産階級/賃金労働者)の息子(子孫)は,ブルジョアの息子(子孫)よりも有利な点(強み)をもっている。しかし(他の国々にあっては,)どこにおいても,そのような世襲による特権不公正なものと考えられている。けれども,階級による区別の消滅は,完璧にはほど遠い状態である。アメリカでは,万人は平等であるという考えから,あらゆる人々が自分には社会的優越者(自分よりも「社会的に」優越する者)は存在しない,という意見をもっているけれども,自分よりも社会的に劣る者はいない,ということは容認しない。なぜなら,万人は平等であるという教義はジェファーソンの時代以来,自分よりも上の方には適用されるが下の方には適用されないからである。この間題については,人々が一般論で言う場合には常に,深刻かつ広範な偽善が存在している。本当に(実際に)彼らが考えかつ感じていることは,二流の小説を読むことで発見できる。そこからわかるのは,不適切な側(注:貧乏な側など)に生まれることがどれほど恐ろしいかということであり,またかつてドイツの小法廷でよくあったように,配偶のしまちがい(注:mesalliance 身分の低い者との結婚)に関して大騒動があるということである。富(財産)の大きな不平等が残存する限り,そのような状態を改める方法を理解するのは簡単ではない。家柄崇拝が深くしみついている英国においては,戦争(注:両大戦)によってもたらされた収入の平等化は,甚大な影響を及ぼしてきており,そうして,若者の間,年長の人たちの家柄崇拝はいくらか馬鹿げたことだと思われ始めている。現在でもいまだなお英国では,悲しむべき家柄崇拝(注:snobbery 俗物根性/紳士気取り/上流気取り)が非常に広範に見られるが,それは収入やかつての意味における社会的地位よりは,むしろ教育や言葉遣いに関連したものとなっている。Another kind of superiority which is rapidly disappearing is that of class, which now survives only in Soviet Russia. In that country the son of a proletarian has advantages over the son of a bourgeois, but elsewhere such hereditary privileges are regarded as unjust. The disappearance of class distinction is, however, far from complete. In America everybody is of opinion that he has no social superiors, since all men are equal, but he does not admit that he has no social inferiors, for, from the time of Jefferson onward, the doctrine that all men are equal applies only upwards, not downwards. There is on this subject a profound and widespread hypocrisy whenever people talk in general terms. What they really think and feel can be discovered by reading second-rate novels, where one finds that it is a dreadful thing to be born on the wrong side of the tracks, and that there is as much fuss about a mesalliance as there used to be in a small German Court. So long as great inequalities of wealth survive it is not easy to see how this can be otherwise. In England, where snobbery is deeply ingrained, the equalization of incomes which has been brought about by the war has had a profound effect, and among the young the snobbery of their elders has begun to seem somewhat ridiculous. There is still a very large amount of regrettable snobbery in England, but it is connected more with education and manner of speech than with income or with social status in the old sense.
  Source: Ideas That Have Harmed Mankind,1946
     Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 1
  More info.: https://russell-j.com/beginner/0861HARM-150.HTM