「知的戯言」カテゴリーアーカイブ

知的戯言の概要(1943) n.46

 国民性についての一般化は、女性についての一般化とまったく同様によくあることであり、また、まったく同様に、根拠のないものである(unwarranted)。1870年までドイツ人は眼鏡をかけた学者先生の(ような)国民であり、あらゆるものを自分達の内なる意識から発展させ、外部の世界(外界)についてはほとんど知らない国民である、と考えられていた(訳注:観念的な国民であり、頭でっかちということ)。しかし、、1870年より以降(訳注:1871年以後/1871年にプロイセンを中心としたドイツ帝国成立)はこの概念(考え)はきわめて急角度に修正さなければならなかった。フランス人は大部分の米国人から、絶えず好色な不義密通にふけっていると思われているようである。(たとえば)ウォルト・ホイットマン(Walter Whitman, 1819-1892:米国の民衆詩人で詩集『草の葉』は有名)は、彼のカタログの一つのなかで、「密かに(on the sly)長椅子(settee)で姦通するフランス人カップル」のことをのべている。
(訳注 catalogue:ホイットマンはその多くの詩において過剰とも言うべき物事の羅列-いわゆる「カタログ」と呼ばれる文体を試みているとのことです/「on the sly settee」という表現がよく理解できず、ChatGPTに質問してみましたが、納得のいく回答がありませんでした。普通の文ではなく、詩の中の一部なので、補って想像をたくましくするようにするよりなさそうです。「長椅子でフランス人カップルがひっそりと不倫にふけているというシチュエーションであることは確かなようです。) フランスにいってすむアメリカ人は、家庭生活の強さ(家族の絆の強さ)に驚き、もしかすると(奔放な恋愛を求めて渡仏したフランス人は)失望するかも知れない。 ロシア革命以前、ロシア人は神秘的なスラブ魂をもっていると信じられており、。このスラブ魂は、(一方では)ロシア人に普通の分別ある行動をとることができないようにしたけれども、(他方では)ロシア人に、より実際的な国民が到達することを望むことがでできない一種の深い知恵を与えた、と信じられていた。(しかし)突然、全てのものが変わった。(即ち)(革命後のロシアでは)神秘主義は禁制(タブー)となった。そしてただ最も世俗的な理想だけが許容された(were tolerated)。一つの国民か らみて、他国民の国民性とみえるものは、少数の目立った個人か、あるいはたまたま権力を持つようになる階級によるものだ、というのが真相である。それゆえ、この問題についての一般化は何らかの重大な政治的変化によって完全にくつがえされやすいのである。
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.46
Generalizations about national characteristics are just as common and just as unwarranted as generalizations about women. Until 1870, the Germans were thought of as a nation of spectacled professors, evolving everything out of their inner consciousness, and scarcely aware of the outer world, but since 1870 this conception has had to be very sharply revised. Frenchmen seem to be thought of by most Americans as perpetually engaged in amorous intrigue; Walt Whitman, in one of his catalogues, speaks of “the adulterous French couple on the sly settee.” Americans who go to live in France are astonished, and perhaps disappointed, by the intensity of family life. Before the Russian Revolution, the Russians were credited with a mystical Slav soul, which, while it incapacitated them for ordinary sensible behavior, gave them a kind of deep wisdom to which more practical nations could not hope to attain. Suddenly everything was changed: mysticism was taboo, and only the most earthly ideals were tolerated. The truth is that what appears to one nation as the national character of another depends upon a few prominent individuals, or upon the class that happens to have power. For this reason, all generalizations on this subject are liable to be completely upset by any important political change.
Source: Outline of Intellectual Rubbish (1943)
Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
More info.: https://russell-j.com/cool/UE_07-460.HTM

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知的戯言の概要(1943) n.45

 女性に対する、男女それぞれの、根深い不合理な態度は、小説のなかに – 特に駄作の(くだらない)小説のなかに- 見ることができるだろう(見られるだろう)。男によって書かれた下らない小説(駄作)のなかには、その作者が愛している女性が登場するが、彼女は、通常は、あらゆる魅力を備えているが、いくらか頼りなく、そうして(従って)男性による保護を必要とする。けれども、時折、シェイクスピアのクレオパトラのように、その女性は激しい憎悪の対象であり、非常に絶望的に邪悪であると考えられる。(小説の中の)ヒロイン(女主人公)を描写するにあたって、男性の作家は観察をもとにして書くのではなく、単に彼自身の情緒を(表現することを)目指すにすぎない。
訳注:objectives」を名詞としてとると、この一文(In portraying the heroine, the male author does not write from observation, but merely objectives his own emotions.)は何か単語が脱落してているのではないかと思えてしまいます。手元にある大きな英和辞典や英英辞典を見ても「objective」には名詞と形容詞の意味しか載っていない。そこで、ChatGPTに「objective」を動詞として使う例を尋ねると、以下の回答がありました。
【”Objective”は一般的に形容詞として使用されることが多いですが、一部の文脈では動詞としても使用されることがあります。その場合、“objective”は目標を立てる、目指す、または客観的に評価するなどの意味を持ちます。 例文: We need to objective our goals before we start working on the project.(プロジェクトに取り組む前に、目標を立てる必要があります。)】
 need to の後ろに来るこの例なら「objective」が動詞としてつかわれているのではないかと想像できますが、この例ではなかなか気づけません。】

 (ヒロイン以外の)その他の女性の登場人物(characters)については、彼はもっと客観的であり、彼は自分の手帳(創作ノート/メモ帳)に頼ることさえあるかもしれない。 しかし、彼(作者)が恋している時には、彼の情熱が彼と彼の熱愛対象との間に霧をかけるのである。 女性の小説家にも また、彼女の小説のなかに二種類の女性を登場させる。一種類は彼女自身で、性的魅力があり、優しく、邪悪な人間にとっては肉欲の対象、善良な人間にとっては愛情の対象であり、感じやすく、心は気高く、そうしていつも誤解される(のである)。もう一種類は、自分以外の全ての女性によって示されるものであり、通常は(多くの場合)けちで、意地が悪く、残忍で、人を騙す人間として描かれる。(訳注:ラッセルは、あくまでも駄作=三文小説の場合について言っています。)先入観なく女性を見ることは、男性にとっても女性にとっても容易なことではないように思われるであろう。

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.45 T
he deeply irrational attitude of each sex toward women may be seen in novels, particularly in bad novels. In bad novels by men, there is the woman with whom the author is in love, who usually possesses every charm, but is somewhat helpless, and requires male protection; sometimes, however, like Shakespeare’s Cleopatra, she is an object of exasperated hatred, and is thought to be deeply and desperately wicked. In portraying the heroine, the male author does not write from observation, but merely objectives his own emotions. In regard to his other female characters, he is more objective, and may even depend upon his notebook; but when he is in love, his passion makes a mist between him and the object of his devotion. Women novelists, also, have two kinds of women in their books. One is themselves, glamorous and kind, and object of lust to the wicked and of love to the good, sensitive, high-souled, and constantly misjudged. The other kind is represented by all other women, and is usually portrayed as petty, spiteful, cruel, and deceitful. It would seem that to judge women without bias is not easy either for men or for women.  Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7: More info.: http://www.ditext.com/russell/rubbish.html

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知的戯言の概要(1943) n.44

 我々(男性)の最も強い愛と憎みの対象としての女性は複雑な情緒をかきたてるが、これらの情緒は、諺の「知恵」の中に具現化されている。
 ほとんど皆、男女とも、女性の問題に関して何らかの全く正当化できない一般化を自分自身に許している(allows himself or herself)。既婚の男は、この問題にかんして一般化する際、自分の妻によって判断する。女性は自分自身によって判断する。男性の女性観の歴史を執筆することは面白いことだろう。古代においては、男性の(女性に対する)優位が疑問とされず、キリスト教倫理がまだ知られていなかった時には、女性は害がないものであるがかなり愚かである[とされ〕、女性についてまじめに考える男はいくらか軽蔑された。プラトンは、劇作家が女性の役を創作する際に、女性を模倣(マネ)なければならないのは、演劇に対する重大な異議(a grave objection)であると考えている。キリスト教の到来とともに女性は一つの新しい役割を得た。それは誘惑する女(the temptress)という役割である。しかし同時に、女性はまた聖人にもなることもできることを発見した(自己発見)。ビクトリア朝時代には、女性は、誘惑する女性としてよりも、聖人としての方が、ずっと強調された(訳注:ビクトリア女王が国王だったことが影響したか?)。ビクトリア朝時代の男は自分は誘惑されやすいなどと認めることはできなかった。女性の(男性よりも)優れた美徳は、女性を(汚い)政治から遠ざけておく理由の一つにされた。政治の世界は高尚な美徳は不可能であると考えられたのである。しかし、初期のフェミニスト達(女権拡張論者達)はこの論法をひっくり返し(逆にして)、女性の政治参加は政治を高尚なものにするだろうと主張した。それが幻想であることがわかってからは、女性の優れた美徳のことはあまり話題にされなくなったが、いまだなお、、女は誘惑するものだという、修道僧的な女性観に固執している男性が多数存在している。女性達自身は、大部分、自らを分別ある性(sensible sex)であると考え、 男達の衝動的な愚行から生じる害を取り除くことが自分達の役割だと考えている。私としては、 女性についてあらゆるの一般化を、それが女性に対して好意あるものであろうとなかろうと、また男性の側からのものであろうと女性の側からのものであろうと、あるいは昔のものであろうと現代のものであろうと、いずれも信頼しない。いず 不足からするものな のであろうと、いずれも信頼しない。これらはすべて同様に、経験不足から生じるものだと言うべきだあろう。

Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.44
Women, as the object of our strongest love and aversion, rouse complex emotions which are embodied in proverbial “wisdom.” Almost everybody allows himself or herself some entirely unjustifiable generalization on the subject of woman. Married men, when they generalize on that subject, judge by their wives; women judge by themselves. It would be amusing to write a history of men’s views on women. In antiquity, when male supremacy was unquestioned and Christian ethics were still unknown, women were harmless but rather silly, and a man who took them seriously was somewhat despised. Plato thinks it a grave objection to the drama that the playwright has to imitate women in creating his female roles. With the coming of Christianity woman took on a new part, that of the temptress; but at the same time she was also found capable of being a saint. In Victorian days the saint was much more emphasized than the temptress; Victorian men could not admit themselves susceptible to temptation. The superior virtue of women was made a reason for keeping them out of politics, where, it was held, a lofty virtue is impossible. But the early feminists turned the argument round, and contended that the participation of women would ennoble politics. Since this has turned out to be an illusion, there has been less talk of women’s superior virtue, but there are still a number of men who adhere to the monkish view of woman as the temptress. Women themselves, for the most part, think of themselves as the sensible sex, whose business it is to undo the harm that comes of men’s impetuous follies. For my part I distrust all generalizations about women, favorable and unfavorable, masculine and feminine, ancient and modern; all alike, I should say, result from paucity of experience. Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943  Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7: More info.: http://www.ditext.com/russell/rubbish.html       https://russell-j.com/cool/UE_07-440.HTM

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知的戯言の概要(1943) n.43

 避妊に対する最も一般的な反論は、それが「自然」に反しているということである。(なんらかの理由で、我々は独身は自然に反すると言うことは許されない。私が考えることのできる唯一の理由は、独身ということが新しいものではないということである。=注:長い間存続してきたものは存続する理由があるということ)。マルサス(1766-1834:人口論で有名な英国の経済学者)は人口増加を抑制する方法として三つだけ考えた(注:”see”:検討する、考える)。(即ち)道徳的抑制(moral restraint)、悪徳(vice,)、及び貧窮(misery)の3つである。道徳的抑制は恐らく 大規模に実施されることはないと、マルサスも認めた。「悪徳」即ち、避妊(産児制限)は、彼は牧師として、嫌悪感をもって眺めた。残るは貧窮である。快適な牧師館(parsonage)のなかで、彼は、人類の大多数の貧窮を平静な心で(with equanimity)瞑想し、そうして、彼は、それを緩和しようという希望を持つ社会改革家の誤りを指摘した。現代の神学の立場から避妊(産児制限)に反対する人達は、 (マルサスに比べて)もっと不誠実である。彼らは、食べ物を供給されるべき口(人口)がたとえどれだけ多くても、神は与えられるだろうと考えているふりをする。彼らは次の事実を無視している。即ち、神はこれまで決してそうしてこなかった(人々に食べ物を与えてこなかった)し、それどころか、人類を定期的に飢饉にさらされ、それによって何百万の人々が餓死した(という事実である)。彼らは、もし自分達が信じてることを(素直に)言っているのなら、神がこれまで必要ないと考えてきた(ところの)バン(loaves)と魚について、今後ずっと神は奇蹟を働かせ続けるだろうと、彼らは考えていると見なされなければならない(must be deemed to hold )。あるいは、もしかすると(perhaps )彼らは、この世(下界)における苦しみは重要ではない、(即ち)大事なのあの世(来世)である、と言うかも知れない。彼ら自身の 神学によって(神学によれば)、彼らが避妊(産児制限)に反対したために生まれてくることになるであろう子供達の大部分は(彼らの神学によれば)地獄にゆくことになるであろう。それゆえ、かれらが地上の生活の改善(amelioration)に反対するのは、何百万の人間が(地獄での)永遠の拷問を受けるのは善いことだと彼らが考えるからだと想像せざるをえない。彼らとくれべればマルサスの方が慈悲深いように見える。
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.43 The commonest objection to birth control is that it is against “nature.” (For some reason we are not allowed to say that celibacy is against nature; the only reason I can think of is that it is not new.) Malthus saw only three ways of keeping down the population; moral restraint, vice, and misery. Moral restraint, he admitted, was not likely to be practised on a large scale. “Vice,” i.e., birth control, he, as a clergyman, viewed with abhorrence. There remained misery. In his comfortable parsonage, he contemplated the misery of the great majority of mankind with equanimity, and pointed out the fallacies of reformers who hoped to alleviate it. Modern theological opponents of birth control are less honest. They pretend to think that God will provide, however many mouths there may be to feed. They ignore the fact that He has never done so hitherto, but has left mankind exposed to periodical famines in which millions died of hunger. They must be deemed to hold — if they are saying what they believe — that from this moment onward God will work a continual miracle of loaves and fishes which He has hitherto thought unnecessary. Or perhaps they will say that suffering here below is of no importance; what matters is the hereafter. By their own theology, most of the children whom their opposition to birth control will cause to exist will go to hell. We must suppose, therefore, that they oppose the amelioration of life on earth because they think it a good thing that many millions should suffer eternal torment. By comparison with them, Malthus appears merciful. Source: Bertrand Russell : An Outline of Intellectual Rubbish, 1943  Reprinted in: Unpopular Essays, 1950, chapter 7: More info.: http://www.ditext.com/russell/rubbish.html       https://russell-j.com/cool/UE_07-430.HTM