礼儀正しく接するのは同じ階層の相手に対してだけ?

 しかし,この18世紀の洗練された社交界の表面下をほんの少しでも見通してみると,別の光景が現れてくる。同じ階級内の交際に関しては洗練され,礼儀正しいこれらの人々も,他の階級に対しては,民主主義の今日では考えられないほど冷酷であった。

But when one penetrates ever so little below the surface of the polished societies of the eighteenth century, another side of the picture presents itself. These men, so urbane, so polite, so civilised in their dealings within their own class, were toward other classes ruthless to a degree which democracy has now rendered impossible.
出典:Bertrand Russell: On economic security, July 1, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:https://russell-j.com/ESECRITY.HTM

<寸言>
民主主義の今日では考えられないほど冷酷であった」と「過去形」になっているが、それは現在ではなくなっているということではない。
過去においては、身分の高い者が身分の低いものを見下す態度をとっても「公的に」非難されることはほとんどなかったが、現在ではそのようなことをすれば、へたをすれば公的な地位を失ういことになりかねない。だから、表向きは(言葉の上では)丁寧な言葉を使っている者がほとんどであるが、私的な場面になると本音がでて、貧しいものや地位の低いものを見下すような言葉を吐いている者がけっこういる。
そういった人間も、言葉の上だけは、「国民のために」,「国民の命を守るために」,「国益のために」,「可及的すみやかに」,「真摯にうけとめ」等々、お守り言葉を連発する。そういった言葉に騙されて、見識も品性も劣る人間を選挙でいっぱい選んでいる国民も少なくないのであるから、自業自得という面もあるが・・・?