法律を破らないと「共犯の罪」を犯すことになるかもしれないような事態

とにかく,アメリカにおいて,(米国の)体制(側)の権力を例証するとても興味深い事件は,クロウド・イーザリー(Claude Eatherly, 1918-1978)の事件である。彼は,広島に爆弾を投下するための信号を送った。彼の事件は,また,現代世界においては,法律を破ることによってのみ兇暴な罪を犯すことを免れることができるという事態が,しばしば起こることを例証している。彼は,その爆弾がどのような効果をもたらすか告げられていなかった。そうして,彼の行為の結果がわかった時,彼は全く恐れおののいた。
彼は,核兵器の残酷さに注意を喚起するために,また,もし彼がそうしなかったら,彼を押しつぶしてしまうであろう罪を償うために,長年に渡り,多様な市民的不服従運動に献身した。米当局(政府・国防省その他)は,彼は気が狂った者として考えられるべきだと決定し,また,著しく政府(権力)に従順な精神病学者たちのグループが,その公式見解を裏書した(支持した)
イーザリーは,後悔したために,精神に異常があると証明された。(これに対し),トルーマン(大統領)は後悔しなかったので,精神に異常があるとは証明されなかった。私は,彼の動機を説明するかなり多数のイーザリーの声明文を読んできた。これらの声明文は,全く正常なものである。しかし,私自身を含めて,ほとんどすべての者が彼は気が狂ってしまったと信じたほど,虚偽の宣伝の力は大きかった。
Eatherly por Miguel Brieva
An extraordinarily interesting case which illustrates the power of the Establishment, at any rate in America, is that of Claude Eatherly, who gave the signal for the dropping of the bomb at Hiroshima. His case also illustrates that in the modern world it often happens that only by breaking the law can a man escape from committing atrocious crimes. He was not told what the bomb would do and was utterly horrified when he discovered the consequences of his act. He devoted himself throughout many years to various kinds of civil disobedience with a view to calling attention to the atrocity of nuclear weapons and to expiating the sense of guilt which, if he did not act, would weigh him down. The Authorities decided that he was to be considered mad, and a board of remarkably conformist psychiatrists endorsed that official view. Eatherly was repentant and certified; Truman was unrepentant and uncertified. I have seen a number of Eatherly’s statements explaining his motives. These statements are entirely sane. But such is the power of mendacious publicity that almost everyone, including myself, believed that he had become a lunatic.
出典: Has Man a Future? (1961),chap.4.
詳細情報:http://russell-j.com/cool/58T-0401.HTM

<寸言> (再掲)
国家を支配する権力は強大である。一般人が言ったことであれば無視されたり、訴えられたりすることも、大統領や首相になれば無視できず、反論を押さえつけることができる。
トランプ次期大統領Twitter で自分の言いたいことを言い、企業や国家を自分の思う方向に誘導しようとすれば、通常は訴えられてしかるべきである。つまり法の下の平等があるはずであるが、実際はそうはなっていない。確かに訴えることはできるが、大統領を訴えて勝訴するためには、非常にたくさんの支援者と莫大な訴訟関連費用が必要となる。普通の人間にそんなことはできない。
そのことは、かなり影響力の程度は下がるとしても日本の首相に対してもも当てはまる。