(ミル『政治経済学原理』の中の)「労働者階級の起こりそうな(ありそうな)未来」と題する章で,彼は自分が期待するユートピア(社会の姿)を展開している。彼は,生産(活動)が自発的な労働者からなる社会の手中にあるのを見ることを期待する。生産(活動)は,マルクス主義社会主義者が主張しているように国家の手中にあるべきではない,と彼は考える(注:マスクス主義者は,主要な生産活動は国家が管理すべきだと主張)。ミルの期待する社会主義は,サン・シモンや,フーリエの(描く)社会主義である。(ロバート・オーエンは,私の考えでは,ミルによって充分強調されていない。)ミルの書いているマルクス主義以前の社会主義は,国家権力を増大させることを目的とはしなかった(注:因みに,『共産党宣言』が出版されたのは1848年のこと)。ミルは,社会主義(社会)のもとにおいてさえも,競争相手の資本家相互ではなく,競争相手の労働者者相互でのことになるであろうが,競争はあるべきであろう,と力強く論じている。彼は,自分が擁護するような社会主義者の体制では,商品の総生産高は資本主義のもとでよりも少なくなる可能性があることを認める方に心が傾いているが,このことは,全ての人々が合理的かつ安楽な暮しができるならば,大して悪いことではないと主張する。
In his chapter on “The Probable Futurity of the Laboring Classes” he develops a Utopia to which he looks forward. He hopes to see production in the hands of voluntary societies of workers. Production is not to be in the hands of the State, as Marxian Socialists have maintained that it should be. The Socialism to which Mill looks forward is that of St. Simon and Fourier. (Robert Owen, to my mind, is not sufficiently emphasized.) Pre-Marxian Socialism, which is that of which Mill writes, did not aim at increasing the power of the State. Mill argues emphatically that even under Socialism there will still have to be competition, though the competition will be between rival societies of workers, not between rival capitalists. He is inclined to admit that in such a Socialist system as he advocates the total production of goods might be less than under capitalism, but he contends that this would be no great evil provided everybody could be kept in reasonable comfort.
出典: John Stuart Mill,1955.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/1097_JSM-070.HTM
<寸言>
2~3%の人々(国民)が国家の富のほとんどを所有し,大部分の人々(国民)が貧しい生活をしているとしても,そのほうがよい社会だという考えに「洗脳」されている人々。宝くじに対する期待も似たようなもの。ほとんどの人が「はずれる」のはわかりきっているのに、「アメリカン・ドリーム」のように、もしかすると自分が「当たる」(成功するかも知れない!(夢や希望が大事!)と自らに言い聞かせる人々・・・。