ショーの科学に対する軽蔑 - ショーの知的限界

 ショーは,(他の)多くのウイットに富んだ人と同じく,ウィット(機知)を知恵の適切(十分)な代用物と考えた。彼は,それがどんなに馬鹿げた考えであっても,その考えに賛成しない人を愚か者に見せるほど,とても巧妙に擁護することができた。私は,かつてサミュエル・バトラー(注:Samuel Butler, 1835-1902:ユートピア小説 Erehon で有名。また,生涯に渡って進化論の批判を続けた。因みに Erewhon は Nowhere のアナグラム)を讃える「エレホン晩餐会」で彼に会い,驚いたことに,彼はその聖人(バトラー)が発したすべての言葉を,さらには,オデュッセイア(注:Odyssey オデッセイ。ホメロス作と伝えらているギリシア叙事詩)はある婦人が書いたものだというような,冗談のつもりでのべた説さえも,絶対の真理(福音)として受け取っているのを知った。ショーに対するバトラーの影響は,大部分の人が思っているよりもはるかに大きい。ショーのダーウィンに対する反感は,バトラーに由来しており,そのことが後に彼をベルグソンの讃美者にしたのである。ダーウィンと闘う言い訳としてバトラーが採用した見解が,ソビエト連邦において公式に強要された正統主義(注:遺伝ではなく,環境因子が形質の変化を引き起こし,その獲得形質が遺伝するというルイセンコ学説のこと。)の一部になったというのは奇妙な事実である。
ショーの科学に対する軽蔑は,弁護しがたいものであったトルストイと同じく,ショーは,自分が知らないいかなるものについてもその重要性を信じることができなかった。また,生体解剖にはげしく反対した(注:人間に対するものではなく,医学の進歩に必要なマウスなどの生体解剖のこと)。私は,その反対の理由は動物に対する同情ではなく,生体解剖が提供する科学的知識に対する不信の念だと考える。彼の菜食主義もまた,博愛家的な動機によるものでなく,むしろ『メトセラ』(ショー作の戯曲)の最後の幕で彼が十分な表現を行なったような,彼の禁欲主義的衝動によるものと思われる。

Shaw, like many witty men, considered wit an adequate substitute for wisdom. He could defend any idea, however silly, so cleverly as to make those who did not accept it look like fools. 1 met him once at an “Erewhon Dinner” in honor of Samuel Butler and I learned with surprise that he accepted as gospel every word uttered by that sage, and even theories that were only intended as jokes, as, for example, that the Odyssey was written by a woman. Butler’s influence on Shaw was much greater than most people realized. It was from him that Shaw acquired his antipathy to Darwin, which afterward made him an admirer of Bergson. It is a curious fact that the views which Butler adopted, in order to have an excuse for quarreling with Darwin, became part of officially enforced orthodoxy in the U.S.S.R.
Shaw’s contempt for science was indefensible. Like Tolstoy, he couldn’t believe in the importance of anything he didn’t know. He was passionate against vivisection. I think the reason was, not any sympathy for animals, but a disbelief in the scientific knowledge which vivisection is held to provide. His vegetarianism also, I think, was not due to humanitarian motives, but rather to his ascetic impulses, to which he gave full expression in the last act of Methuselah.
出典: Bernard Shaw, 1953.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1036_GBS-060.HTM

<寸言>
ラッセルの言葉に「面白いだけで真実だと思ってしまう人が多い」というのがあるが,バーナード・ショーの言葉にも言えることであろう。彼の場合は、聴衆だけでなく、本人までそう思ってしまう傾向があったようである。