身体の故障と精神の故障への対応の違い

 誰も,他の人間を取り扱うほど愚かに,自動車を取り扱いはしない。自動車が動かなくなった時,その車の困った行為を罪(注:生まれつきの原罪)のせいにはしない。彼は,次のようには言わない。「お前は邪悪な自動車だ。だから,お前には,走るまでこれ以上ガソリンはやらないことにする」。彼は,(車の)調子の悪いところを見つけ出そうと試み,(元通りに)修繕しようとする(だろう)。けれども,同様なやり方で人間を取り扱うことは,我々の神聖なる宗教(注:念頭にあるのはキリスト教)の真理には反するものであると考えられている。そうして(また),これは,幼い子供たちの取り扱いにさえも適用されているのである。多くの子供たちは悪い習慣をいろいろもっており,それは処罰(せっかん)によって永続化されるが,これはとがめだてされなければ,恐らく,自然に消滅するであろう。にもかかわらず,★保母(たち)は,ごく少数の例外を除いて --処罰(せっかん)によって精神異状を引き起こす危険があるけれども-- (子供に)罰(せっかん)を与えることは正しいと考えている。精神異状が起これば,法廷においては,処罰(せっかん)の方ではなくて,悪い習慣の有害性の証拠として精神異常が引き合いに出されるのである(私は,ニューヨーク州において最近なされた猥褻に関するある起訴(告発)について言及しているのである)。
(★訳注:nurses 「乳母」と訳される場合が多い。「乳母」は乳をあげなくなっても「乳母」という言葉は使ってよいようであるが,私はどうも抵抗があり,通常「保母」という訳語をあてている。)

No man treats a motorcar as foolishly as he treats another human being. When the car will not go, he does not attribute its annoying behaviour to sin; he does not say, “You are a wicked motorcar, and I shall not give you any more petrol until you go.” He attempts to find out what is wrong and to set it right. An analogous way of treating human beings is, however, considered to be contrary to the truths of our holy religion. And this applies even in the treatment of little children. Many children have bad habits which are perpetuated by punishment but will probably pass away of themselves if left unnoticed. Nevertheless, nurses, with very few exceptions, consider it right to inflict punishment, although by so doing they run the risk of causing insanity. When insanity has been caused it is cited in courts of law as a proof of the harmfulness of the habit, not of the punishment. (I am alluding to a recent prosecution for obscenity in the State of New York.)
出典:Has Religion Made Useful Contributions to Civilization? 1930
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0466HRMUC-140.HTM

<寸言>
人間はもっと合理的かつ理性的にならなければならない。