正気と狂気 a synthesis of insanities

1961C100 いかなる隔離された情熱も,隔離された状態のままでは(一種の)狂気である。正気とは,種々の狂気を総合(統合)したものとして定義してよいだろう。いかなる支配的な情熱も,(その情熱の対象を)達成できないという,支配的な恐怖を引き起こす。いかなる支配的な恐怖も,時には明白かつ意識的な狂信の形で,時には人を無力にさせる臆病のために,時には夢の中にのみ現れる無意識あるいは意識下の恐怖のために,悪夢を引き起こす。危険な世界において正気を保持したいと思う者は,自分の心のなかで恐怖の議会を招集し,そこにおいて,個々の恐怖を順にとりあげ,他の全ての恐怖によって,不合理であるとして票決されるべきである。
(右写真:英国防省前で核兵器反対座り込みデモをしている百人委員会=ラッセルが総裁)

(意訳)
 「正気」というのは,平凡かつ起伏のない感情の寄せ集めでできているものではない。それぞれの情熱(強い感情)を一つ一つとりあげれば「狂気」に映るかもしれないが,それらの情熱(+の狂気と-の狂気)をまとめると,全体としてみれば,プラスマイナス零となる。そういった状態が「正気」というのであろう。
Every isolated passion is, in isolation, insane; sanity may be defined
as a synthesis of insanities. Every dominant passion generates a
dominant fear, the fear of its non-fulfilment. Every dominant fear
generates a nightmare, sometimes in the form of an explicit and
conscious fanaticism, sometimes in a paralysing timidity, sometimes
in an unconscious or subconscious terror which finds expression only in dreams. The man who wishes to preserve sanity in a dangerous world should summon in his own mind a Parliament of fears, in which each in turn is voted absurd by all the others. …
出典: Nightmares of Eminent Persons, 1945, Introduction.
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