『宗教と科学』第2章 コペルニクス革命(コペルニクス的転回) n.19

 これらの2つの見解,即ち,彗星は何かの前兆であるという見解及び,彗星は地球の大気中にあるという見解は,神学者たちによって大変な熱意をもって支持された。古代から,彗星は常に不幸の使者(大災難/大不幸の布告者)(heralds of disaster)と見なされてきた。この見解は,シェイクスピア(の作品)においても,例えば,「ジュリアス・シーザー」や「ヘンリー五世」の中で当然のことのように扱われている。1455年から1458年まで教皇を務め,トルコ人によるコンスタンチノープル占領(注:いわゆるコンスタンチノープル陥落のこと)に大いに狼狽させられた(狼狽した)カリストゥス3世(Calixtus III)は,この災難をある大きな彗星の出現と結びつけ,「差し迫るいかなる災難(calamity)もキリスト教信者からそらされ,トルコ人に向けられますように」と日々祈祷することを命じた(ordered days of prayer)。そして,その連祷(長々として祈祷)にある祈祷が追加された。(即ち)「トルコ人と慧星から,主よ,我らを救い給え(deliver us from ~)」。クランマーは,1532年に,当時見えていた慧星に関してヘンリー八世に書簡を送り,次のように書いた。「今後どんな奇異なことがやってくるか(起こるか),これらの印(神の力の現れ)は伝えており,神は(神のみが)それを知っている。というのは,それらの印(神の力の現れ)は軽々しく(lightly)現れないが,何らかの大きな問題に反対してのみ現れるからである」。1680年,これまでとは異なる驚くべきを彗星が出現した時(注:ハレー彗星の出現の時のこと),著名なスコットランドの神学者(divine)は,称賛すべき愛国心をもって,彗星は「我々の罪に対し我々の国々(スコットランドやイングランド)に下された偉大なる審判(judgement)の驚異(prodigies 不思議なもの/偉観)である、なぜなら,主(神)は 人々(人間)によってこれ以上怒りを感ぜられたことはなかったからである」と断言した。この点,彼は,もしかすると意図的ではないかも知れないが(偶然かも知れないが),マルチン・ルターの権威に従っていた。ルターは「異教徒は,彗星は自然的原因から生じるかも知れないと書いているが,神は確実に起こる災難の前兆とならないようなもの(彗星)は一切創らない」と(すでに)述べていた(のである)。

Chapter 2: The Copernican Revolution, n.19 These two views, that comets are portents, and that they are in the earth’s atmosphere, were maintained by theologians with great vehemence. From ancient times, comets had always been regarded as heralds of disaster. This view is taken for granted in Shakespeare, for example, in “Julius Caesar” and in “Henry V.” Calixtus III, who was Pope from 1455 to 1458, and was greatly perturbed by the Turkish capture of Constantinople, connected this disaster with the appearance of a great comet, and ordered days of prayer that “whatever calamity impended might be turned from the Christians and against the Turks.” And an addition was made to the litany ; “From the Turk and the comet, good Lord, deliver us.” Cranmer, writing to Henry VIII in 1532 about a comet then visible, said : “What strange things these tokens do signify to come hereafter, God knoweth : for they do not lightly appear but against some great matter.” In 1680, when an unusually alarming comet appeared, an eminent Scottish divine, with admirable nationalism, declared that comets are “ prodigies of great judgment on these lands for our sins, for never was the Lord more provoked by a people.” In this he was, perhaps unwittingly, following the authority of Luther, who had declared ; “The heathen write that the comet may arise from natural causes, but God creates not one that does not foretoken a sure calamity.”
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 2.
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『宗教と科学』第2章 コペルニクス革命(コペルニクス的転回) n.18

 まず法則の支配(から取上げてみよう)。例えば,日の出や季節の交替(移り変わり)のように規則正しく起るものもある一方,未来の出来事を知らせるかあるいは人々に自分たちの罪を悔いるよう命ずるところの兆候や前兆(signs and portents) であるものがある,と(昔は)考えられたガリレオの時代以降,科学者たちは自然の法則変化の法則と考えてきた。自然法則は,物体が一定の状況においてどのように動くであろうかを語り(tell 告げ),また,(今後)起るだろうことを我々が計算することを可能にするが,しかし,(過去に)起ったことは(将来も)起るだろうとは単純には言わない。我々は,太陽は長い間昇り続けるであろうが(注:地球は長い間自転し続けるであろうが),最終的には,潮汐作用の摩擦のために,今それ(地球の自転により太陽が昇るように見えること)を生じさせているまさにその同じ(自然)法則の働きを通して,太陽は昇らなくなってしまうかも知れない(可能性がある)ことを知っている(注:月の影響による潮汐作用による摩擦のために地球の自転が止まり、太陽が昇らなくなってしまうこと)。継続的な再発が主張される時にのみ自然法則を理解することができた中世の人々にとっては,こういった概念(conception 考え;着想)は複雑過ぎたのである(理解困難であった)。異常なことや再現性のないこと(もの)は,ただちに(directly),神の意志によるものだとされ(assigned to ~が原因だとされ/帰され),何らかの自然法則によるものとは見なされなかった。  天界においては,ほとんど全てのものが規則的なものであった(規則的だとされた)。日食は,一時期,例外であると考えられ,迷信的な恐怖を引き起こしたが,バビロニアの聖職者たち(カトリックの司祭たち)によって(神の定めた)法則によるものだとされた。太陽と月,惑星と恒星は,予期されている通りに,毎年,運行し続けた。新しいもの(天体)は何も発見されず,おなじみの天体がいずれも古くなることはなかった。(荒地出版社刊行の訳書で,津田氏は「新しいことは何も見出されず,周知のことが決して古くなることはなかった」と曖昧な訳をしているが、「no new ones were observed, and the familiar ones never grew old」の「ones (複数形!)」は太陽その他の天体(bodies)と解釈すべきであろう。)従って,地球の大気の上にあるもの(天体その他)は全て,創造主(神)によって意図された通りの完全さをもって一度だけ(once for all)創造されたと考えられるようになった。(即ち)成長と衰退は我々の地球に限られ,それ(成長と衰退=変化があること)は我々の祖先(アダムとイブ)の罪(=原罪)に対する処罰の一部であった。従って,流星と彗星は,一時的なものであり(永遠のものではなく),地球の大気中の,月下のものでなければならない(ということになる)。流星に関してはこの見解は正しかったが,彗星に関しては正しくなかった。

Chapter 2: The Copernican Revolution, n.18
To begin with the reign of law. It was thought that some things happened in a regular way, for example, the sunrise and the succession of the seasons, while other things were signs and portents, which either betokened coming events or summoned men to repent of their sins. Ever since the time of Galileo, men of science have conceived of natural laws as laws of change : they tell how bodies will move in certain circumstances, and may thus enable us to calculate what will happen, but they do not simply say that what has happened will happen. We know that the sun will go on rising for a long time, but ultimately, owing to the friction of the tides, this may cease to happen, through the working of the very same laws which now cause it to happen. Such a conception was too difficult for the mediaeval mind, which could only understand natural laws when they asserted continual recurrence. What was unusual or non-recurrent was assigned directly to the will of God, and not regarded as due to any natural law. In the heavens, almost everything was regular. Eclipses had at one time seemed to be an exception, and had roused superstitious terrors, but had been reduced to law by Babylonian priests. The sun and moon, the planets and the fixed stars, went on year after year doing what was expected of them ; no new ones were observed, and the familiar ones never grew old. Accordingly it came to be held that everything above the earth’s atmosphere had been created once for all, with the perfection intended by the Creator ; growth and decay were confined to our earth, and were part of the punishment for the sin of our first parents. Meteors and comets, therefore, which are transitory, must be in the earth’s atmosphere, below the moon, “sublunary.” As regards meteors, this view was right ; as regards comets, it was wrong.
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 2.
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『宗教と科学』第2章 コペルニクス革命(コペルニクス的転回) n.17

 神学者たちは,ガリレオに対する悲惨な「勝利」の後,この例で示したような公的に明確な態度をとること(official definiteness)は避けた方が賢明である(分別がある)と気づいたけれども,科学に対して敢えて蒙昧主義をとることに反対し続けた。 (注:「they continued to oppose obscurantism to science as far as they dared」のところを,荒地出版社刊の訳書で津田氏は「できるだけ科学に対し非強化主義をとることをやめなかった」と訳出している。津田氏は「非強化主義」をどういった意味で使っているかわからないが,そのままとれば意味が逆であろう。この一文は,「神学者たちが民衆に知識を与えずに無知のままにしておこうという「蒙昧主義をとることには反対し続けた」ととるべきであろう。因みに,obscruntism 蒙昧主義とは,「意図的に曖昧な言い方をしたり,またある問題を明るみにすることを妨げるような態度のこと」であり「啓蒙思想に対するカウンターとしての反啓蒙主義とは異なる」 。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%99%E6%98%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9 即ち,神学者たちはコペルニクス説には反対したが,蒙昧主義の立場をとらなかったということを言っていると解釈すべきであろう。) これは(このことは),彗星の問題に対する彼ら神学者たちの態度によって例証されるかも知れない。現代の人々には彗星の問題は宗教と余り関係がないことのように思われるだろう。けれども,中世の神学は,-それ(中世の神学)は不変・不易である(immutable)と意図された唯一の論理体系であるという理由だけから- 必然的に,ほとんど全てのことに関して明確な見解をもつことは避けることができず(注:あいまいな見解や態度を示すことができず,従って,科学の最前線の全てにおいて(最前線の全てにおいて)闘いに従事する傾向があった(しがちであった)その(神学の)古さのせいで,神学の多くは単に組織化された無知であるに過ぎず,神学はその多くは文明開化の時代に生き残り続けてくるべきではなかった(いろいろな)誤謬に神聖な香り(the odor of sanctity 聖者のおもかげ,高徳の誉れ)を与えている。彗星に関して,(キリスト教の)聖職者たちの見解には2つの源泉があった。一つは,法則の支配は,我々(現代人)がそれを考えるようには考えられなかったことである(注:科学的な自然法則ではなく,神の定めた法則)。もう一つは,地球の大気のより上にあるものは全て不滅で(indestructible)なければなならいと考えられていたことである。

Chapter 2: The Copernican Revolution, n.17 Although the theologians, after their disastrous “victory” over Galileo, found it prudent to avoid such official definiteness as they had shown in that instance, they continued to oppose obscurantism to science as far as they dared. This may be illustrated by their attitude on the subject of comets, which, to a modern mind, do not seem very intimately connected with religion. Mediaeval theology, however, just because it was a single logical system intended to be immutable, could not avoid having definite opinions about almost everything, and was therefore liable to become engaged in warfare along the whole frontier of science. Owing to the antiquity of theology, much of it was only organized ignorance, giving an odour of sanctity to errors which ought not to have survived in an enlightened age. As regards comets, the opinions of ecclesiastics had two sources. On the one hand, the reign of law was not conceived as we conceive it ; on the other hand, it was held that everything above the earth’s atmosphere must be indestructible.
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 2.
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第2章 コペルニクス的革命(コペルニクス的転回) n.16

 プロテスタントの神学者たちは(が),当初は,カトリックよりも,新説(地動説など)に好意的だったと想ってはならない。しかし,いくつかの理由から,彼らプロテスタントの反対は効力がなかった。プロテスタント諸国においては,(カトリック諸国における)異端審問所ほど正統的信仰を強いるもの(body 組織体)はまったく存在していなかった。そのうえ,(キリスト教の)宗派が多様であったことも,効果的な迫害を困難にし,(また)宗教戦争が(民族や宗教諸派の)「統一戦線(united front)」を望ましいものとしていたので,なおさらそうであった。デカルトは,ガリレオが1616年に有罪判決を受けたことを聞いて恐怖にかられ,オランダに逃亡した。オランダでは,神学者たちがデカルトを処罰するよう叫んだが,オランダ政府は宗教上の寛容の原則をあくまでも支持した。とりわけ,プロテスタント教会は,教皇不可謬説(infallibility 無謬説/papal infallibility 教皇不可謬説/無謬説)に妨げられなかった。(プロテスタント諸国でも)聖書は言葉の上で霊感に充ちていると受けとられていたが,その解釈は個人の判断に委ねられ,間もなく,不都合なテキスト(聖句)をうまく釈明する(explain away)いろいろな方法が発見された(のである)。プロテスタンティズム(清教徒主義)は,教会支配に対する反抗として始まり,至るところで聖職者たち(the clergy)に対抗する世俗の権威の権力を増した。もし聖職者たちが権力を持っていれば,コペルニクス主義が広がるのをその権力を使って防ぐであろうことはまったく疑いの余地がなかった。1837年(という近年)になっても(So late as 1873),アメリカのあるルーテル神学校の前校長(ex-president of an American Lutheran Teachers’ Seminary)は,セント・ルイスにおいて,天文学に関する本を出版し,真理は聖書に求めるべきであり,天文学者の著作の中に求めるべきではないのであり,従って,コペルニクス,ガレリオ,ニュートン及びその後継者たちの教えは拒否しなければならないと釈明している。しかし,そのような時代遅れの抗議は,単なる感傷的なものに過ぎなかった。今日では,コペルニクス説(地動説)は最終的なもの(理論)ではないと同時に,科学的知識の発展において必要かつ非常に重要な一段階であっということが,あまねく(一般に)認められている(注:相対性理論によればどこも宇宙の中心ではなく,また仮にどこを宇宙の中心として考えてもよい)。

Chapter 2: The Copernican Revolution, n.16
It must not be supposed that Protestant theologians were, at first, any more friendly to the new theories than were the Catholics. But for several reasons their opposition was less effective. No body so powerful as the Inquisition existed to enforce orthodoxy in Protestant countries ; moreover, the diversity of sects made effective persecution difficult, the more so as the wars of religion made a “united front ” desirable. Descartes, who was terrified when he heard of Galileo’s condemnation in 1616, fled to Holland, where, though the theologians clamoured for his punishment, the Government adhered to its principle of religious toleration. Above all, the Protestant Churches were not hampered by the claim of infallibility. Though the Scriptures were accepted as verbally inspired, their interpretation was left to private judgment, which soon found ways of explaining away inconvenient texts. Protestantism began as a revolt against ecclesiastical domination, and everywhere increased the power of the secular authorities as against the clergy. There can be no question that the clergy, if they had had the power, would have used it to prevent the spread of Copernicanism. So late as 1873, an ex-president of an American Lutheran Teachers’ Seminary published at St. Louis a book on astronomy, explaining that truth is to be sought in the Bible, not in the works of astronomers, and that therefore the teaching of Copernicus, Galileo, Newton and their successors must be rejected. But such belated protests are merely pathetic. It is now admitted universally that, while the Copernican system was not final, it was a necessary and very important stage in the development of scientific knowledge.
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 2.
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_02-160.HTM

第2章 コペルニクス的革命(コペルニクス的転回) n.15

 この判決が比較的寛大であったことには,自説撤回という条件が付いていた。従って,ガリレオは,公然と,ひざまずいて,異端審問所によって作成された(drawn up)長い決まり文句(formula)を暗唱した。その中で彼は次のように述べた。「私は,自分が過去に発した間違いや異端(説)を,誓って放棄し,呪い,嫌悪する。・・・私は,将来,口頭でも書物の中でも,同じような疑いを受けるようなことはいかなることも,これ以上決して言ったり,主張したりしない。」 彼は,さらに(went on 続けて),今後いまだに地球は動くと主張しているとわかった異端者はいかなる者も異端審問所に対し告発するだろうと約束するとともに,その手を福音書(Gospels)の上に置き,自分自身この説(地動説)を放棄したことを誓った。異端審問所は,当時(当代)最大の人物に偽誓(perjury)させることによって宗教上および道徳上の利益がかなえられたことに満足し,彼に,余生を獄中ではなく隠退して沈黙して送ることを許した。それは事実であるが,しかし(実際は),一切の行動が統制され,家族や友人に会うことも禁ぜられた。彼は1637年に盲目になり,そうして,1642年に亡くなった。その年はニュートンが生れた年であった。  教会(カトリック教会)は,支配下にある全ての学術及び教育機関において,コペルニクスの体系(地動説)を真理として教えることを禁止した。(そうして)1835年に至るまで,地動説を説く著作は禁書日録に載せられていた。1829年に,トルヴァルセン(Bertel Thorvaldsen、1770頃~1844:デンマークの彫刻家)のコペルニクス像(銅像)がワルシャワで除幕された時,この天文学者(コペルニクス)を称えるために多くの人々が集まったが,カトリック教会の司祭はほとんど現われなかった。200年間に渡って,カトリック教会は,ひとつの理論に対しいやいや反対を弱めつつも反対を維持したが,その期間(200年間)を通じて、ほぼ全ての有能な天文学者たちによって当該理論(コペルニクス説)は受け入れられていたのである。

Chapter 2: The Copernican Revolution, n.15
The comparative mildness of this sentence was conditional upon recantation. Galileo, accordingly, publicly and on his knees, recited a long formula drawn up by the Inquisition, in the course of which he stated : “I abjure, curse, and detest the said errors and heresies. … and I swear that I will never more in future say or assert anything, verbally or in writing, which may give rise to a similar suspicion of me.” He went on to promise that he would denounce to the Inquisition any heretics whom he might hereafter find still maintaining that the earth moved, and to swear, with his hands on the Gospels, that he himself had abjured this doctrine. Satisfied that the interests of religion and morals had been served by causing the greatest man of the age to commit perjury, the Inquisition allowed him to spend the rest of his days in retirement and silence, not in prison, it is true, but controlled in all his movements, and forbidden to see his family or his friends. He became blind in 1637, and died in 1642 — the year in which Newton was born. The Church forbade the teaching of the Copernican system as true in all learned and educational institutions that it could control. Works teaching that the earth moves remained on the Index till 1835. When, in 1829, Thorvaldsen’s statue of Copernicus was unveiled at Warsaw, a great multitude assembled to do honour to the astronomer, but hardly any Catholic priests appeared. Throughout two hundred years the Catholic Church maintained a reluctantly weakening opposition to a theory which, during almost the whole of that period, was accepted by all competent astronomers.
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 2.
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_02-150.HTM

『宗教と科学』第2章 コペルニクス的革命(コペルニクス的転回) n.14

 しかし,科学界は賞讃した一方,(キリスト教の)聖職者たちは怒り狂った。ガリレオが沈黙を強いられた時代の間に,ガリレオの敵たちは,答えることは無分別であったであろう議論によって,その機会(ガリレオが沈黙している時)を利用して偏見を増していった。ガリレオの教えはキリストの現存説(実在説(the doctrine of the Real Presence)と矛盾すると強く主張された(It was urged that ~)。イエズス会士のメルキオル・インコフェル神父は,「地球が動くという説(地動説)はあらゆる異端の中で最も忌まわしく,最も有害で,最も恥さらしのものである。地球の不動性はまことに神聖である。霊魂の不滅,神の存在,(キリストの)顕現(化身)に反対する議論の方が,地球が動くことを証明する議論よりもむしろ耐えるべき議論である(まだましである)」と主張した。「タリホー(tally-ho)」(注:英国のキツネ狩りの時に発せられる叫び)といったようなかけ声とともに,神学者たちは互いに血潮を沸き立たせ,今や,病によって衰弱し,盲目になりつつある過程の一人の老人(注:ガリレオ)を追求する準備を全て整えていた。  ガリレオは,再度,異端審問所に出頭するようにとロ-マに召喚された。異端審問所(の裁判官たち)は屈辱を受けたという感情を抱いており,1616年の召喚の時よりも厳しい雰囲気にあった。(注:荒地出版社刊の訳書では,津田氏は「Galileo was once more summoned to Rome to appear before the Inquisition, which, feeling itself flouted, was in a sterner mood than in 1616」を「ガリレオは再び,ローマに召喚され,宗教裁判に立たされた。馬鹿げたことのようだが,それは1616年よりも厳しいものだった」と訳出している。どうして「馬鹿げだことのようだが」というような訳になるのか,誰が馬鹿げたことだと思っているのか不明。なお,「the Inquisiton」の定訳は「異端審問所」) 彼は,当初,病が重くてフローレンス(フィレンツエ)から(ローマへ)の旅に耐えられないと言い訳した。ここに至って,ローマ教皇は自分の医師(侍医)を罪人(culprit)を診察するために送り,もし病気が深刻な状態でないことがわかれば鎖につないで連れてくると脅かした。この脅しによって,ガリレオは彼の敵の医学上の密使の裁断を待たずに,旅に出る決意をした。というのは(教皇になる前は親しい友だった)ウルバヌス八世は今や彼の厳しい敵であったからである。彼はロ-マに着いた時,異端審問所の牢獄に入れられ,主張を撤回しなければ拷問するぞと脅かされた。(注:津田氏は「and (he was) threatened with torture if he did not recant. 」を「(宗教裁判の獄に投ぜられ))取り消しを迫られ拷問でおどされた」と訳出している。if 文をまったく無視している上に,「threatened with torture」は「拷問するぞ」という脅かしであり、拷問され「た」と取れるような訳し方はいただけない。因みに、「The employees thretened the manegement with a strike.」は「従業員はストライキをするぞと言って経営者側を脅かした」のであり、ストライキをして脅かしたわけではない。) 異端審問所は,「(ガリレオが)我らの主イユス・キリスト及びキリストの最も輝かしき聖母マリア(or 処女マリア)の最も聖なる御名を呼び」「もし真心と偽らぬ信仰をもって,我らの前で(in Our presence /なぜ大文字なのか不詳),上述の誤謬と異端とを誓って取り消し(abjure),呪い,嫌悪するならば」,ガリレオは異端のために与えられる処罰を受けるべきではないと布告した(decreed)。それでも,自説を取消し(recantation)と懺悔(penitence)にもかかわらず 「我らはあなたを有罪とし,この聖庁(バチカン法庁)の正式の獄に,我らの意志により決定される期間,入獄させる。また,有益な贖罪(罪の償い)として,我らは汝に以後三年間,週一度,七つの懺悔の賛美歌を朗唱することを命ずる」(ということになった)。

Chapter 2: The Copernican Revolution, n.14
But while the scientific world applauded, the ecclesiastics were furious. During the time of Galileo’s enforced silence, his enemies had taken the opportunity to increase prejudice by arguments to which it would have been imprudent to reply. It was urged that his teaching was inconsistent with the doctrine of the Real Presence. The Jesuit Father Melchior Inchofer maintained that “the opinion of the earth’s motion is of all heresies the most abominable, the most pernicious, the most scandalous ; the immovability of the earth is thrice sacred ; argument against the immortality of the soul, the existence of God, and the incarnation, should be tolerated sooner than an argument to prove that the earth moves.” By such cries of “tally-ho” the theologians had stirred each other’s blood, and they were now all ready for the hunt after one old man, enfeebled by illness and in process of going blind. Galileo was once more summoned to Rome to appear before the Inquisition, which, feeling itself flouted, was in a sterner mood than in 1616. At first he pleaded that he was too ill to endure the journey from Florence ; thereupon the Pope threatened to send his own physician to examine the culprit, who should be brought in chains if his illness proved not to be desperate. This induced Galileo to undertake the journey without waiting for the verdict of his enemy’s medical emissary — for Urban VIII was now his bitter adversary. When he reached Rome he was thrown into the prisons of the Inquisition, and threatened with torture if he did not recant. The Inquisition, “invoking the most holy name of our Lord Jesus Christ and of His most glorious Virgin Mother Mary,” decreed that Galileo should not incur the penalties provided for heresy, “provided that with a sincere heart and unfeigned faith, in Our presence, you abjure, curse, and detest” the said errors and heresies.” Nevertheless, in spite of recantation and penitence, “We condemn you to the formal prison of this Holy Office for a period determinable at Our pleasure ; and by way of salutary penance, we order you during the next three years to recite, once a week, the seven penitential psalms.”
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 2.
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_02-140.HTM

第2章 コペルニクス的革命(コペルニクス的転回) n.13 

 これら全てが相まって,異端審問所天文学をとりあげ,そうして,聖典のいくつかの文句(聖句)から2つの重要な真理に到達した。 「太陽が(諸惑星の)中心にあり,太陽は地球の周りを回らないという第一の命題は,愚かであり,馬鹿げており,神学において誤っており,明らかに聖書に反しているので異端である。・・・地球が(諸惑星の/宇宙の)中心ではなく太陽の周りを回るという第二の命題は,馬鹿げており,哲学上誤りであり,神学的な見地から見て,少なくとも,真なる信仰に反している。」  ガリレオは,ここに至って(hereupon ここにおいて),ローマ教皇から異端審問所に出頭(appear before the Inquisition)するように命ぜられた。異端審問所はガリレオに自らの間違いを(認めて)放棄するように命じた。彼は1616年2月26日に(その命に従って)自説を放棄した。(そうして)彼は最早コペルニクスの見解を支持しないことを,即ち(or),それを書物においてであろうが,口頭であろうが(by word of mouth),最早教えないことを,厳粛に誓った。忘れてはならないのは(It must be remembered that )それは(ガリレオが自説を撤回したのは),ジョルダノ・ブルノーが焚殺されてからたった16年後のことだということである。  教皇からの要請により(注:at the instance of ~からの要請[依頼]により/instance はここでは「依頼/要請」の意),地動説を説く全ての書物は禁書目録(the Index)に載せられた。そうして今や(and now)初めて,コペルニクス自身の書物が非難された。(注:荒地出版社刊の津田訳では,「and now for the first time the work of Copernicus himself was condemned」のところは「そこで,まず第一に,コペルニクス自身の書物がやり玉にあげられた」と訳出されている。「for the first time」は「(それまでコペルニクスの著作は正式に非難されたことはなかったが)★初めて★非難された」という意味/「the Pope」は現在では「法王」ではなく,「教皇」と訳すのが定訳。ただし,駐日バチカン大使館は「ローマ法王庁大使館」と呼ばれているが,日本とバチカンが外交関係を樹立した当時の定訳が「法王」だったため、ローマ教皇庁がその名称で日本政府に申請しそのまま「法王庁大使館」になったとのこと、また,日本政府に登録した国名は、実際に政変が起きて国名が変わるなどしない限り変更できないとのこと。カトリック協議会の次のページを参照のこと。https://www.cbcj.catholic.jp/faq/popeofrome/)ガリレオは,フローレンス(フィレンツェ)に隠退し,そこで暫くの間静かに暮らし,勝利した敵を怒らせることを避けた(avoided giving offence to)。  けれども,ガリレオは楽天的な性格の持主であり,常に,彼の機智(ウィット)を愚かな人たちに向けがちであった。1623年に,彼の友人であるパルベリニイ枢機卿が,ウルバヌス八世として,ローマ教皇に就いた。そうして,このことがガリレオに安心感を与えたが,それは(教皇は自分の友人だということから来る安心感は),結果が示しているように,根拠の薄いものであった。ガリレオは,「世界についての二つの偉大な体系に関する対話(Dialogues on the Two Greatest Systems of the World: 邦訳書名:『新科学対話』)の執筆を開始した。その本は1630年に完成し,1632年に出版された。この本の中で,論争を二つの「最も偉大な体系」、即ち,プトレマイオスの体系とコペルニクスの体系との間には,どちらが正しいか未解決のままにするという,見え透いたふり(flimsy pretence)があるが,実際は,この著作全体が後者(コペルニクスの体系)を支持する強力な論証である。これは才気あふれた書物であり,全ヨーロッパでむさぼるように読まれた

Chapter 2: The Copernican Revolution, n.13
The result of all this was that the Inquisition took up astronomy, and arrived, by deduction from certain texts of Scripture, at two important truths : “ The first proposition, that the sun is the centre and does not revolve about the earth, is foolish, absurd, false in theology, and heretical, because expressly contrary to Holy Scripture. . . . The second proposition, that the earth is not the centre, but revolves about the sun, is absurd, false in philosophy, and, from a theological point of view at least, opposed to the true faith.” Galileo, hereupon, was ordered by the Pope to appear before the Inquisition, which commanded him to abjure his errors, which he did on February 26, 1616. He solemnly promised that he would no longer hold the Copernican opinion, or teach it whether in writing or by word of mouth. It must be remembered that it was only sixteen years since the burning of Bruno. At the instance of the Pope, all books teaching that the earth moves were thereupon placed upon the Index ; and now for the first time the work of Copernicus himself was condemned. Galileo retired to Florence, where, for a while, he lived quietly and avoided giving offence to his victorious enemies. Galileo, however, was of an optimistic temperament, and at all times prone to direct his wit against fools. In 1623 his friend Cardinal Barberini became Pope, with the title of Urban VIII, and this gave Galileo a sense of security which, as the event showed, was ill founded. He set to work to write his Dialogues on the Two Greatest Systems of the World, which were completed in 1630 and published in 1632. In this book there is a flimsy pretence of leaving the issue open between the two “greatest systems,” that of Ptolemy and that of Copernicus, but in fact the whole is a powerful argument in favour of the latter. It was a brilliant book, and was read with avidity throughout Europe.
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 2.
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_02-130.HTM

第2章 コペルニクス的革命(コペルニクス的転回) n.12

 木星の衛星(の発見)の他にも,望遠鏡は神学者にとって恐るべきこと(ぞっとさせる事実)を明らかにした。それ(望遠鏡)は,金星と同じように位相(phases 満ち欠け)を持つことを示した。コペルニクスは,自分の理論はそのことを要求することを認めていた(注:自分の理論から言えば~であるはずだ)。そうして,ガリレオの作った器具(道具)は,彼に反対する議論を,彼を有利にする議論へと変容させた。月に山があることが発見され,それは何らかの理由でショッキングなことと考えられたさらに,恐ろしいことには,太陽には黒点があったのである! これは,創造主の仕事(世界創造)には(いくつか)欠点(blemishes)があったことを示しているように思われた。従って,カトリック系の諸大学の教師たちは,太陽の黒点に言及することを禁じられ,そうして,それらの中のいくつかの大学においてはこの禁令は幾世紀も続いた(endure 耐え忍ぶ)。某ドミニコ会修道士(注:1215年に聖ドミニコによって設立されたローマ・カトリックの修道会の修道士)は,「汝らガリラヤの徒よ,汝らはなぜ天を見つめて立つや」というしゃれた文句の説教をしたことによって昇進したが,その説教の中で,幾何学は悪魔のものであり,また,数学者はあらゆる異端の創始者として追放されるべきであると主張した。(注:Galiee ガリラヤはキリストが福音を説いた地であり,パレスチナ北部地方のこと。荒地出版社刊の訳書で,津田氏は Galiee を「ガリレオの追従者」と勘違いして「汝等ガリレオの徒よ」と訳している。) 神学者たちは,すぐに(ガリレオの)新説顕現(注:incarnation :化身。神はイエス・キリストとなってこの世に現れたとする教義)を信じがたくするだろうと指摘した。さらに,神は無駄なことは一切しないので(しないはずなので),他の惑星にも人間が住んでいると想像しなければならない。しかし,それらの惑星の住民は,ノアの方舟の(方舟によって救われた者の)子孫でありうるのか,あるいは,(地球上の我々信徒と同様に)救世主(イエス・キリスト)によって救われた者であろうか? 枢機卿(たち)や大司教(たち)によると,それらはガリレオの不敬虚な詮索によって起されがちである恐ろしい(多くの)疑問のなかのごく若干のものに過ぎない。

Chapter 2: The Copernican Revolution, n.12 Besides Jupiter’s moons, the telescope revealed other things horrifying to theologians. It showed that Venus has phases like the moon ; Copernicus had recognized that his theory demanded this, and Galileo’s instrument transformed an argument against him into an argument in his favour. The moon was found to have mountains, which for some reason was thought shocking. More dreadful still, the sun had spots! This was considered as tending to show that the Creater’s work had blemishes ; teachers in Catholic universities were therefore forbidden to mention sun-spots, and in some of them this prohibition endured for centuries. A Dominican was promoted for a sermon on the punning text:“ Ye men of Galilee, why stand ye gazing up into the heaven ?” in the course of which he maintained that geometry is of the devil, and that mathematicians should be banished as the authors of all heresies. Theologians were not slow to point out that the new doctrine would make the Incarnation difficult to believe. Moreover, since God does nothing in vain, we must suppose the other planets inhabited ; but can their inhabitants be descended from Noah or have been redeemed by the Saviour? Such were only a few of the dreadful doubts which, according to Cardinals and Archbishops, were liable to be raised by the impious inquisitiveness of Galileo.
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 2.
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_02-120.HTM

第2章 コペルニクス的革命(コペルニクス的転回) n.11

 落下する物体についての実験は,衒学者たち(学者ぶる人たち)をいらだたせたであろうが,異端審問所によって咎められることはなかった。ガリレオをより危険な状態へと導いたのは望遠鏡であった。某オランダ人がそのよぅな器械(器具)を発明したと聞き,ガリレオは(も)それを再発明し、それ(再発明)とほとんど同時に,多くの天文学上の新事実を発見した。その中でも,彼にとって最も重要だったのは木星に(複数の)衛星があるということであった。それらの衛星(木星が衛星を持っているということ)は,コペルニクスの理論による太陽系の細密な複製(a miniature copy)として重要である一方、プトレマイオスの体系にあわせることは困難なものであった。さらに,それまでは,恒星(the fiexd stars)の他に(apart from とは別に)ちょうど7つの天体(太陽,月そして5つの惑星)が存在するはずであるという様々の理屈(reason)が存在しており,さらなる四つの天体の発見は人々をとても動揺させるものであった。(注:木星の衛星のうち4つはかなり大きく,ガリレオの低倍率の望遠鏡でも見ることができた。なお,つい最近、木星に新たに12個の衛星が発見されている。https://digital.asahi.com/articles/ASL7M2F8PL7MUHBI008.html) (ヨハネの)黙示録の金の燭台は7つではなかったか?(7つだったはず) そしてアジアの教会も7つでなかったか(7つだったはずだ)(注:この場合の「アジア」とはローマ時代のアジアであって、現代で言うところの小アジア即ちトルコのアナトリア半島を指す)。アリストテレス主義者(たち)は,望遠鏡を覗くことを完全に拒否し,木星の月(衛星)は錯覚であると頑固に主張した。(例えば,クラビウス神父は,「木星の衛星を見るためには、それら(衛星)を創造するような器具(道具)を作らなければならない」と言った。出典:ホワイト「料学と神学との闘争」第1巻,132p.) しかし、ガリレオは、分別をもって(prudently 用心深く)トスカニー大公(トスカーナ大公)(注:メディチ家(トスカーナ大公家)の君主)に倣って、それらの衛星を,洗礼式を行って「メディチ家の星」と命名した(ガリレオは当時,ピサ大学教授の傍ら,トスカーナ大公付哲学者に任命されていた)。このことは、木星の衛星の実在を政府に納得させるのに力があった。(注:このあたりの津田訳は次のようにいい加減。「しかし,ガリレオは,トスカナ大公に★従い★,用心深くそれらを「メディチ星」となづけた。そして,★公★はそれらの実在を政府に納得させるために★尽力した★。」)それらの衛星がたとえコペルニクスの体系のための(支持する)論拠を与えなかったとしても、それらの存在を否定した人々は、自分たちの根拠を長く主張し続けることは出来なかったであろう(IF = Even if)。

Chapter 2: The Copernican Revolution, n.11

Experiments on falling bodies, though they might vex pedants, could not be condemned by the Inquisition. It was the telescope that led Galileo on to more dangerous ground. Hearing that a Dutchman had invented such an instrument, Galileo reinvented it, and almost immediately discovered many new astronomical facts, the most important of which, for him, was the existence of Jupiter’s satellites. They were important as a miniature copy of the solar system according to the theory of Copernicus, while they were difficult to fit into the Ptolemaic scheme. Moreover, there had been all kinds of reasons why, apart from the fixed stars, there should be just seven heavenly bodies (the sun, the moon, and the five planets), and the discovery of four more was most upsetting. Were there not the seven golden candlesticks of the Apocalypse, and the seven churches of Asia – Aristotelians refused altogether to look through the telescope, and stubbornly maintained that Jupiter’s moons were an illusion, (Note: Father Clavius, for example, said that “to see the satellites of Jupiter, men had to make an instrument which would create them.” White, Warfare of Science with Theology, I, p. 132) But Galileo prudently christened them “Sidera Medicea” (Medicean stars) after the Grand Duke of Tuscany, and this did much to persuade the Government of their reality. If they had not afforded an argument for the Copernican System, those who denied their existence could not have long maintained their ground.
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 2.
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_02-110.HTM

『宗教と科学』第2章 コペルニクス革命 n.10

 彼(ガリレオ)この原理(慣性の法則)を落下する物体に関する実験結果を説明するのに適用した。アリストテレスは,物体が落下する速度はその重さ(重量)に比例すると教えていた。即ち,(アリストテレスの教えに従うと)10ポンドの重さの物体と1ポンドの重さの物体を同時に同じ高さから落とすと,1ポンドの重さの物体は地面に達するまでに10ポンドの重さの物体の10倍の時間がかかるはずである。ガリレオは(イタリアの)ピサで教授をしていたが(教鞭をとっていたが),他の教授たちの気持ちなどに対しまったく敬意を抱かず,アリストテレス主義者の同僚教授(たち)が講義に行く丁度その途上にある時に,彼は(ピサの)斜塔から重りをいつも落していた。大小の鉛の塊(lumps of lead)は,ほとんど同時に地面に到達していた。そのことは,ガリレオにアリストテレスが間違っていることを明らかにしたが,他の教授たちにはガリレオは邪悪であることを明らかにした(のである)。これは一つの典型的な例だが,そのような多くの悪意のある行為によって,彼は,真理は実験よりも書物に求めらるべきであると信じている人々の死滅することのない(絶えることのない)憎悪を引き起こした。  ガリレオは,空気抵抗がなく(apart from),物体が自由に落下する場合には,それらの物体は一定(不変)の加速度で落下し,加速度は,真空においては物体の容積や素材(the material of whiich composed)がどうであろうと全ての物体に対して同じである,ということを発見した。物体が真空中を自由落下する時,1秒毎に,その(落下)速度は(毎秒)約32フィートの割合で増加する。ガリレオは,また,物体が弾丸のように水平に投げられた場合,その物体は放物線(parabola)を描いて動くことも証明した。一方,以前は,物体は一定の間水平に動き,その後,垂直に落下すると考えられていた。これらの結果は,今日ではそんなにセンセーショナルな(扇情的な)こととは思われないかも知れないが,(それらの結果は)物体がどのように動くかについての厳密な数学的知識の始まりであった。彼の時代以前(にも),純粋数学は存在しており,それは演繹的であり,観察に依存しないものであったし、また,特に錬金術(alchemy)と結びついて,全く経験的な実験も存在していた。しかし,数学的法則に達するという見地から,実験の慣行を最大限始めたのは彼であり、それによって(数学的法則によって)アプリオリな(先験的な)知識が存在しないものに数学を適用することを可能にした。彼は,験証する試みを最低限行うだけでその誤りを明らかにしたであろうにもかかわらず,如何に容易に、一つの主張がある時代から次の時代へと(誤りに気づかずに)繰り返されるかということを、劇的かつ否定できないように,示すのに最大限のことを行った。アリストテレスからガリレオまでの二千年間,落下する物体の法則がアリストテレスが言った通りであるかどうかについて解答を出そうとする者は誰もいなかった(注:find out 解答を出す;考え出す)。そのような陳述(命題)を験証することは,現代の我々には当然のことに思われるかも知れないが,ガリレオの時代には天才を必要とした(のである)。

Chapter 2: The Copernican Revolution, n.10
He applied this principle in explaining the results of his experiments on falling bodies. Aristotle had taught that the speed with which a body falls is proportional to its weight ; that is to say, if a body weighing (say) ten pounds and another weighing (say) one pound were dropped from the same height at the same moment, the one weighing one pound should take ten times as long to reach the ground as the one weighing ten pounds. Galileo, who was a professor at Pisa but had no respect for the feelings of other professors, used to drop weights from the Leaning Tower just as his Aristotelian colleagues were on the way to their lectures. Big and small lumps of lead would reach the ground almost simultaneously, which proved to Galileo that Afistotle was wrong, but to the other professors that Galileo was wicked. By a number of malicious actions of which this one was typical, he incurred the undying hatred of those who believed that truth was to be sought in books rather than in experiments. Galileo discovered that, apart from the resistance of the air, when bodies fall freely they fall with a uniform acceleration, which, in a vacuum, is the same for all, no matter what their bulk or the material of which they are composed. In every second during which a body is falling freely in a vacuum, its speed increases by about 32 feet per second. He also proved that when a body is thrown horizontally, like a bullet, it moves in a parabola, whereas it had previously been supposed to move horizontally for a while, and then to fall vertically. These results may not now seem very sensational, but they were the beginning of exact mathematical knowledge as to how bodies move. Before his time, there was pure mathematics, which was deductive and did not depend upon observation, and there was a certain amount of wholly empirical experimenting, especially in connection with alchemy. But it was he who did most to inaugurate the practice of experiment with a view to arriving at a mathematical law, thereby enabling mathematics to be applied to material as to which there was no a priori knowledge. And he did most to show, dramatically and undeniably, how easy it is for an assertion to be repeated by one generation after another in spite of the fact that the slightest attempt to test it would have shown its falsehood. Throughout the 2,000 years from Aristotle to Galileo, no one had thought of finding out whether the laws of falling bodies are what Aristotle says they are. To test such statements may seem natural to us, but in Galileo’s day it required genius.
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 2.
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_02-100.HTM

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